【幕末から学ぶ現在(いま)】(78)小沢氏と西郷隆盛の違い 東大教授・山内昌之 (1/3ページ)
2010.9.9 07:39
このニュースのトピックス:小沢一郎
明治維新の原動力となった西郷隆盛(国立国会図書館蔵)
■敬天愛人の政治
民主党内には代表選を西南戦争に擬(なぞら)える雰囲気があるらしい。実際に9月1日夜、菅直人首相は支持者の会合で「明治維新に西郷隆盛の力は必要だったが、西南戦争があって本格的な明治政府ができた」(産経新聞9月2日朝刊)と語っている。代表選は明治10年の西南戦争に相当し、小沢一郎氏の政治生命を絶ついくさになるというわけだ。
それにしても、「菅軍」なる音を官軍にかけるのは上品なたとえとはいえない。しかし小沢氏の政敵たちは、維新つまり政権交代の功労者、小沢氏の行く末を西郷の運命に重ねたかったのだろう。
確かに小沢氏自身も、5日のテレビ番組で「情的に好きな」人物として西郷を挙げ、その理由として「いかにも日本人的だから」(読売新聞9月6日朝刊)と答えている。
すべてを始動させる原動力
西郷隆盛は、無教会派キリスト者の内村鑑三でさえ日本史でいちばん偉大な人物と讃(たた)えたほどの人物である。維新後の西郷は経済改革について無能だったかもしれず、内政についても木戸孝允(たかよし)や大久保利通(としみち)の方が精通していたに相違ない。また、国家の平和的安定をはかる点では、公家の三条実美(さねとみ)や岩倉具視(ともみ)でさえ西郷よりも有能だったかもしれない。
内村も語るように、新たな明治国家はこの人びとの全員がいなくては、実現できなかったともいえる。
しかし、西郷がいなければ、“明治革命”そのものが不可能だったであろう。木戸や三条を欠いたとしても、革命は上首尾ではないにせよ、たぶん実現を見ていたという内村の見方は正しい。
「必要だったのは、すべてを始動させる原動力であり、運動を作り出し、『天』の全能の法にもとづき運動の方向を定める精神でありました」(内村鑑三著『代表的日本人』)。この内村の指摘をまつまでもなく、一度動き始め進路さえ決まれば、あとは比較的簡単に処理できるのも政治運動のメカニズムなのである。その多くは、西郷より器量が劣る人間でも自動的にできる仕事だという指摘も基本的に正しい。
犠牲最小、効果大の革命
江戸城の無血開城をクライマックスとする明治維新は、犠牲者の少ない歴史上いちばん「安価な革命」であったが、これを効果的に実現したのが西郷にほかならない。実際に、西郷の偉大さは、犠牲者を最小にしながら効果の大きい革命を実現した点にあるといってもよい。
現代の政治家たちが西郷を尊敬し好きだと公言するのはまだよいだろう。それは格別に自分を美化し顕示するわけでもないからだ。また、自らの経綸(けいりん)を西郷に重ねてアナロジー(類推)にするほどの自信家がいるとも思われない。他方、たとえ政敵批判のためであっても、小沢氏を西郷に擬えるアナロジーにも慎重でなくてはならない。
何よりも西郷には「敬天愛人」のような聖者や哲人めいた政治思想があった。天はすべての人を同一に愛するがゆえに、われわれも自分を愛するように人を愛さなければならない。こうした敬天愛人の思想、あるいはそれに匹敵する政治理念をもつ哲学的政治家が果たして現在いるのだろうか。
命もいらず、名もいらず
西郷には、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也」(『西郷南洲遺訓』)という有名な言葉がある。こういう人物でないと、悩みや苦しみを共にしながら国家の大業を果たすことはできないというのだ。
ひょっとして、小沢氏の周辺に集(つど)う議員のなかには、苟安(こうあん)(目先の安楽をむさぼること)を謀らない人がいるのかもしれない。しかし、当の小沢氏は果たして「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」といえるのだろうか。異論のある有権者も多いに違いない。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】西郷隆盛
さいごう・たかもり 文政10(1828)年、薩摩(鹿児島県)生まれ。薩摩藩主、島津斉彬(なりあきら)に取り立てられる。斉彬の死後、島津久光と折り合わず流罪に。禁門の変の後、大久保利通らとともに討幕運動の中心となり、薩長連合や王政復古を成し遂げ、勝海舟とともに江戸城無血開城を実現させた。新政府で陸軍大将・参議を務めるが、征韓論政変で下野。明治10(1877)年、私学校生徒に擁され挙兵する(西南戦争)が、政府軍に敗北し、城山(鹿児島市)で自刃した。49歳だった。
【幕末から学ぶ現在(いま)】(79)東大教授・山内昌之 西郷隆盛(中) (1/3ページ)
2010.9.16 08:07
東京・上野公園に建てられている西郷隆盛像(高村光雲作)
手段よりも人物こそが宝
民主党代表選は、円高株安や尖閣諸島海域への中国漁船の不法侵入など内外情勢多難な折に行われたが、菅直人首相の選出でひとまず決着した。ともかく、この選挙は菅首相と小沢一郎氏にとり、それぞれの思惑で奇貨(きか)居(お)くべしと、つかみとった「機会」への挑戦であった。
菅首相は当初から追求してきたクリーンな政治確立につながる好機と考え、小沢氏は自民党幹事長を経験して以来掲げた官僚統治構造の改変を実現する「天命」の到来と理解したのである。2人の建前は美麗すぎるにしても、両者ともに今回を遇機(機会にあう)逸すべからずと鎬(しのぎ)を削った点は事実であろう。
その意味では、政治家らしい緊迫した対決であり、天与の機会を避けずに争っただけに、今後の民主党は分裂含みの対立がますますあらわになるはずだ。
◆2種類の機会
ところで、「天命」といえば、「天」と、その理と、その機会を信じた西郷隆盛をすぐに思いだす。西郷は政治家として機会をとらえる重要性を強調していた。
「事の上にて、機会といふべきもの二つあり。僥倖(ぎょうこう)の機会あり、又(また)設け起す機会あり。大丈夫僥倖を頼むべからず、大事に臨(のぞん)では是非機会は引起さずんばあるべからず。英雄のなしたる事を見るべし、設け起したる機会は、跡より見る時は僥倖のやうに見ゆ、気を付くべき所なり」(岩波文庫『西郷南洲遺訓』所収「南洲答」六)
西郷の言いたかったのは、機会に2種類あるということである。求めずに偶然に幸運が訪れる機会。或(あ)る目的のために人為的に作り出す機会。立派な男子たる者は、偶然の幸運を頼んではならないのだ。大事なときには、何としても機会を作り出さなければならない。歴史上の英雄が果たした事績を見なくてはならない。人為的に作り出した機会は、後世から見ると偶然の幸運のようにも見えるが、そうでないことに注意を払うべきだと西郷はいうのだ。
◆制度の論議は第一ではない
今回の民主党代表選は、偶然の機会でなく、時勢に応じ理にかなった人びとが行動することで訪れた真の機会と符合したといえるのかもしれない。しかし西郷のような見方からすれば、代表選の勝敗そのものが目的であるはずもない。
政治家は、制度をいくら変えいじくっても政治を動かすことにはならない。官僚統治構造の打破を謳(うた)い政治主導を賛美するなら、政治家は官僚に勝る知恵と政策力を身につけなくてはならない。これはすでに西郷が強調していた点でもあった。
「何程制度方法を論ずる共、其人に非(あら)ざれば行はれ難し。人有て後方法の行はるるものなれば、人は第一の宝にして、己れ其人に成るの心懸(こころが)け肝要なり」(同『西郷南洲遺訓』所収「遺訓」二〇)
どれほど政治の制度や手法のことを論じようとも、それを動かす能力をもつ人がいなければ駄目である。まず人物、次が手段手法のはたらきという順番になるので、人物こそ第一番目の宝物であり、我々(われわれ)はみな人物になるよう心がけることが重要である、と。
こうした観点から今回の民主党代表選を眺めると、ほとんど別個の政党に属するかのように主張も見紛(みまが)う2人の間で戦われた印象が強い。代表選が終わっても、曖昧(あいまい)な妥協や馴(な)れ合いで形式だけの挙党一致をはかるのがよいのか、それとも将来の福祉社会の安定化を睨(にら)んだ消費税問題や外交安全保障政策を基準とした政界再編成がよいのか。今回の代表選の余燼(よじん)はまだくすぶるだろう。
◆互いに探り合う妙手
〈敵を苦しめ 味方を愛することこそ人たるものの生き方である〉
14世紀のイスラームの統治論、イブン・アッティクタカーの『アルファフリー』(平凡社東洋文庫)に見える詩である。西郷は大義の前に友人の大久保利通(としみち)と訣別(けつべつ)し、高杉晋作は寡勢(かぜい)をものともせず決起し俗論派の椋梨藤太(むくなし・とうた)らを失脚に追いこんだ。
この2人を尊敬する小沢氏と菅首相が打つ次の一手は何であろう。或(ある)いは何事もなかったかのように、挙党一致を演出する可能性もなくはない。確かにイブン・アッティクタカーも「罪を許し、過失をよく許すのも王者に望まれる性質のひとつである」と述べたものだ。碁敵(ごがたき)でもあった2人に妙手はあるのだろうか。興味の尽きないところである。(やまうち まさゆき)
【幕末から学ぶ現在(いま)】(80)東大教授・山内昌之 西郷隆盛(下) (1/3ページ)
2010.9.23 08:46
イタリア人版画家、エドアルド・キヨソーネが描いた西郷隆盛肖像画(鹿児島県立図書館提供)
「正義」「正道」信じ生きた
菅直人首相を支える新たな顔ぶれはまことに味わい深い。留任した仙谷由人官房長官に加え、新任の岡田克也民主党幹事長と前原誠司外相は、“小沢一郎何するものぞ”という気概に溢(あふ)れた政治家たちである。この3人が時に揺れ動いた菅首相を叱咤(しった)激励しなければ、小沢陣営の気迫に菅陣営はたじろぎ苦杯を嘗(な)めていたかもしれなかった。
このトリオで、民主党代表選のさなかに尖閣諸島沖を侵犯した中国漁船による海上保安庁巡視船への不法行為を原理と原則に基づいて処理してもらいたい。もし鳩山由紀夫前首相と小沢一郎元幹事長のコンビであれば、法律に照らして正当な中国人船長の逮捕や起訴に踏み切るか否か、疑問も残ったのである。
◆主権や国威を忘れず
「友愛の海」で中国の勝手な跳梁(ちょうりょう)を許し抗議もしなかった鳩山氏や、多数の民主党議員を嬉々(きき)と胡錦濤国家主席との記念写真に応じさせた小沢氏と異なり、菅新政権の核の3人には、どの国が相手であろうと日本の主権と国民の安全を犯す行為に厳しく対処することを内外に闡明(せんめい)してもらいたいものだ。ここでも西郷隆盛の言葉を思い出さざるをえない。
「正道を踏み国を以(もっ)て斃(たお)るるの精神無くば、外国交際は全(まった)かる可(べ)からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却(かえっ)て破れ、終に彼の制を受るに至らん」(岩波文庫『西郷南洲遺訓』一七)
西郷隆盛の遺(のこ)した文章のなかでも、この言葉ほど日本の外交環境を憂える者に勇気を与える表現はない。西郷の言葉は、国土交通相だった前原氏も高く評価した海上保安官たちの毅然(きぜん)とした対応や司法当局の自律性とさながら重なるかのようであり、日本人の耳朶(じだ)を打ってやまない。現代語に訳しても、西郷発言の格調の高さは変わらない。
正義のために正道を歩み、国家と一緒に倒れてもよい精神がなければ、外国との交際は満足にできない。その強大さに畏(かしこ)まって小さくなり、揉(も)めずに形だけすらすらと進めばよいと考えるあまり、主権や国威を忘れてみじめにも外国の意に従うならば、ただちに外国からあなどりを招く。その結果、かえって友好的な関係は終わりを告げ、最後には外国による命令を受けることになる。
小沢氏が好きな人物として西郷を挙げるのは心強い限りだが、西郷からは外国に対する毅然とした精神と姿勢も学んでほしいものだ。鳩山・小沢コンビにはアメリカにはことさら厳しく、中国には訳もなく甘いところがあった。ことに鳩山前首相は、その在任中に中国海軍が沖縄近辺海域を何度も示威航行し、日本の排他的経済水域で挑発行為を繰り返しても、抗議もせず不快感を表明するでもなかった。今度の事案でも自分の首相在任中には日中関係が良くなっていたと呑気(のんき)なことを語っている。
鳩山氏の姿勢は、「彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する」典型と言われても仕方がない。氏に「正道を踏み国を以て斃るるの精神」がないのを今更あげつらうつもりもない。しかし、アメリカから自立するポーズをどれほど取ろうとも、国益を毀損(きそん)し中国の「制を受るに至らん」危険を生むなら、何のための自主自立外交なのかという疑念が湧(わ)かないのだろうか。
対米外交で失敗した氏は対露外交で復権を狙っているという観測もある。しかし首相を退いた氏の最優先事項は、米軍普天間問題解決の下支えのために粘り強く働き、県民の素意と日米同盟の重要性を両立させる方策を探り名誉挽回(ばんかい)に努めることではないのか。氏の姿勢ではアメリカや中国に加えて、ロシアからも「軽侮」を招くことは必至であろう。
西郷は、「正義」や「正道」を人間の守るべき大事な価値と信じて生き抜いた。彼は、この2つを国際関係でも実現されるべき要素と確信していたからだ。この信念のためなら、自分の命も天にささげる覚悟をもっていたがために、その発言に気迫がみなぎっていたのである。ここにこそ現代の政治家と国民が西郷に学ぶべき点があるといえよう。(やまうち まさゆき)
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