2015年6月6日土曜日

韓国と日本の世界遺産登録

朴槿恵大統領はなぜ第三国での日本批判を繰り返すのか 日韓で食い違う「告げ口」理解

韓国の朴槿恵大統領が5月4日、安倍晋三首相が米上下両院合同会議で行った演説について「慰安婦被害者たちをはじめとする歴史問題に対する真の謝罪をして近隣諸国と信頼を強化できる機会を活かせなかったことは、米国でも多くの批判を受けている」と述べた。「米国で批判されている」と主張することで、安倍首相を批判したといえる。朴大統領は20日には、ユネスコのボコバ事務局長との会談で、戦時中に徴用された朝鮮人が働かされた施設を含む「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産として登録することに反対する考えを伝えた。

「韓国の安全保障にとって重要な日本」を理解しない韓国

 ボコバ氏との会談に関するニュースが流れてきた時、私は編集局内で「朴槿恵さんらしいよね」という声を聞いた。朴大統領が日本にケチをつけるのは珍しくない、という反応だ。驚きがないから、このニュースは翌日の新聞に小さくしか載らなかった。安倍首相の演説への反応にしろ、世界遺産にしろ、日本では「またか」という受け止め方が強いというのが、率直な評価だろう。

 ただ、日本でいわゆる「告げ口外交」と言われる言動について、韓国では一般に「告げ口」という意識が共有されていない。韓国では、朴大統領は「正しいことを正当に言っているだけ」であり、「告げ口」という評価は当たらないという感覚が強い。韓国人とこの話題を話すと、話がかみ合わないことが多いのだ。

 こうした認識の差は、韓国と日本の社会意識の違いからくるように思われる。韓国側の特徴として挙げることができるのは、やはり儒教の影響だろう。ただし、過去の事象にどれくらい適用すべきかは判断が分かれるとしても、基本的人権のような普遍的「正しさ」というものがあるという感覚は、欧米社会にも強い。さらに、世界遺産問題では日本側の主張にもかなり苦しい部分があるのだが、この点については後述しようと思う。

「正しさ」への強い確信
 朴大統領は安倍演説を批判した際、「このように日本が歴史を直視できず、自らの過去の問題に埋没していこうとしているといっても、それは私たちが解決してあげられない問題だ」と続けた。ずいぶんと「上から目線」に感じられる発言だ。朴大統領のキャラクターということもあるのだろうが、それだけではなく、自分たちの立場が絶対的に「正しい」という確信が背景にあると見るのが自然だろう。

 これは、儒教に基づく韓国社会の伝統的思考法に則ったものだ。韓国では、「正しさ=正義」が絶対視される。別の言い方をするならば、道徳性が非常に重視される。ただ、正義や道徳性の判断基準は自分たちが決めるので、その感覚を共有しない他者から見ると「正義の押しつけ」になってしまう。だから、日本とは「正しい歴史認識」を巡って衝突することになる。

 現代韓国研究の第一人者である慶応大の小此木政夫名誉教授は「近世までの朝鮮は経済的に豊かでなく、軍事的に強大でもなかった。中国の儒教文明の強い影響下にあったこともあり、『何が正しいか』という名分論で自分たちの正統性を主張するしかなかった。中国との関係では、力ではかなわないから、論理的な反論をする以外に方法がない。それが、『正しさ』を追及する伝統を生んだのではないか」と話す。

 1980年代までの強権的体制の下ではこうした意識が顕在化することはなかったが、民主化と冷戦終結によって重しが外れ、「伝統」の影響力が復活してきたと考えられる。こうした現象は、韓国に限らず、東欧などでも見られることだ。

強い序列意識が背景に
 韓国の社会意識に大きな影響を与えている儒教・朱子学は、序列意識の強いものだ。そして、序列上位のものには道徳性を強く求める「徳治」が強調される。この考えは、国際関係にも持ち込まれる。韓国が自らより序列上位にあると考える欧米先進国や国際機関に徳を求めて、韓国の正しさ=日本の不当性を訴えようとなるようだ。

 その裏には、強大国に力で対抗できない「小国」だと自らを規定する意識がある。周辺国の思惑と争いの中で、自らの運命を主体的に決められずにきた朝鮮半島の歴史を背景にしたものだ。

 だから、過去の侵略行為を否定し、慰安婦問題での日本の責任を否定する(と韓国が考える)安倍首相を、米国が歓迎するようなことは、あってはならないことだ。米国を訪れる外国首脳に対する最高のもてなしである、上下両院合同総会での演説の機会を安倍首相に提供し、過去への謝罪をしない安倍首相に拍手を送ることは言語道断ということになる。

 それなのに実際には、慰安婦問題や植民地支配について演説で明言しなかった安倍首相に、米国の議員たちは総立ちの拍手を送った。韓国の感覚からすれば、あってはならないことだ。韓国メディアが演説後、「韓国外交の敗北」などと大きく書き立てるほどのショックを受けた背景には、こうした感覚があるといえそうだ。

 日本と同じように、韓国にも「国連信仰」がある。世界遺産の問題でユネスコが「正しい」姿勢を見せることに期待する韓国の心理は、安倍演説への反応に通じるものだ。米国やユネスコに「正しい主張」を伝えることは、決して「告げ口」などとは評されないのである。

日本研究者の「声明」に安堵
 米国の著名な日本研究者ら187人が5月4日、慰安婦問題などで安倍首相に批判的な見解を示した「声明」を発表した。賛同者はその後、457人に増えている。

 声明は、慰安婦問題について「最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません」と指摘。戦後70年の今年は「日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会」だとして、安倍首相に適切な対応を取るよう求めた。

 韓国メディアが歓迎したのは当然だが、その背景には、やはり「国際社会が味方をしてくれた」という安堵感があるはずだ。

 研究者たちの声明は、慰安婦問題が「韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました」と中韓を批判する一方で、「強制連行」があったかどうかよりも「非人道的制度を取り巻く、より広い文脈」を重視すべきだと指摘している。普遍的な人権問題としてとらえる国際社会の潮流を反映しつつ、単純な日本批判に陥らないよう苦心した跡のうかがえる内容だ。

 残念ながら韓国メディアの多くは、自分たちの「正しさ」に合う部分だけに焦点を当てて報道し、中韓への苦言は無視したり、簡単に触れるにとどめていた。

 ただ、朝鮮日報が「日本に対する世界の著名な歴史学者たちの批判を、第三者によるものだから意味があるというならば、韓国に対する彼らの苦言も第三者によるものだから価値があると受け止めるのが成熟した姿勢だ」というコラムを掲載するなど、一部ではあるものの、正面から受け止めようとする姿勢も見られたことは留意すべきだろう。

日本相手だけではない「告げ口」
 実は、日本的な感覚で「告げ口」に見える行動は、日本を相手にした時だけ出てくるわけではない。修学旅行の高校生ら300人余りが犠牲になった昨年4月の「セウォル号」沈没事故の時も、朴槿恵政権に責任があると糾弾する活動が、約250万人の韓国系市民が住む米国で繰り広げられた。

 事故の約1カ月後には、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストに「真実に光を」と題する1ページ全面を使った意見広告が掲載された。ニューヨーク・タイムズには「なぜ韓国人は朴槿恵大統領に怒っているのか」、ワシントン・ポストには「朴槿恵大統領はセウォル号と共に韓国の民主主義を沈めようとしているのか」というサブタイトルがそれぞれ付いていた。

 ニューヨークなど、全米各地で朴大統領の退陣要求集会も行われた。左派系ネットメディア・オーマイニュースによると、マンハッタンでの集会には約150人が参加した。参加者たちは、英語と韓国語で「朴槿恵は出て行け」などと書かれた横断幕やプラカードを持って、「無能無責任な朴槿恵反民主独裁政権を糾弾する」と訴えたのだという。

 朴大統領と敵対する進歩派による「場外乱闘」だ。米国の世論が、韓国内の問題に対する抗議活動に大きな関心を寄せるとは考えづらい。抗議活動をしている人たちも、そんなことを本気で期待しているわけではないだろう。米国の世論に「正しさ」を訴えている姿をアピールすることが大事だという感覚があるようだ。

世界遺産問題は、 日韓の意思疎通不在を象徴
 「告げ口」外交という本筋からは外れるが、世界遺産問題と関連して一つ紹介しておきたい。「明治日本の産業革命遺産」の対象時期の問題だ。私が知る限り、本稿を書いている5月下旬時点で、このことにきちんと触れたのは5月22日付毎日新聞の社説だけである。

 冒頭で紹介した朴大統領の言及にある通り、韓国は、「産業革命遺産」には徴用された朝鮮人が働かされた施設が含まれていると反発している。日本側はこれに対して「対象となっているのは1850年代から1910年までであり、第二次世界大戦中の徴用とは時期が違う」と反論。菅義偉官房長官は「韓国の主張するような政治的主張を持ち込むべきではない」(5月22日の記者会見)と、韓国の反発を一蹴している。

 日本も、戦時中に朝鮮人徴用が行われたことを否定しているわけではない。争点といえば、世界遺産登録の申請に入っている時期ではなかったということになる。

 申請で対象とされた1850年代は、幕末という意味だ。それくらい、私にもすぐ分かった。だが、「1910年まで」というのは分からなかった。そのため政府の担当者に「1910年に何があったのか」と質問したところ、「ロンドンで開かれた日英博覧会に八幡製鉄所で作られた鉄が出品された」という答が返ってきた。日本が産業化に成功したことを西欧諸国に知らしめた記念の年ということらしい。

 世界遺産登録をめざすにあたって、日本の成功を西欧諸国に誇示できた年を区切りとすることは、遺産群にストーリー性を持たせ、訴求力を高める効果を期待できる。だから、申請に当たってそうした手法を取ることは当然であり、なんら批判されるべきことではない。負の歴史があったから世界遺産として保存すべきでないという主張も、正当なものとは思えない。

 ただ、1910年が、日本の産業化における画期的な年として従来から認められてきたのかと問われれば、かなり苦しいと言わざるをえない。

 象徴的な施設の一つとなっている長崎県の「軍艦島(端島)」で保存運動に取り組んできた関係者によると、世界遺産申請の話が出た当初から、関係者の間では朝鮮人徴用への反発が出るのではないかという懸念があった。そのため、軍艦島などは対象から外そうと検討されたこともあったという。この関係者は「この問題をクリアできるようにしたのが、1910年という区切りだった」と話した。

 石破茂・内閣府特命担当相は5月8日の記者会見*で、「ロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になった」と説明すると同時に、「この年は日韓併合の年ではないかという指摘も当然予想される」と話した。石破氏の発言にある通り、1910年というのは、韓国との関係においては感情的反発を呼びやすい年でもある。

 この問題では、日韓両国の専門家や外交官の多くが「昔だったら事前調整がきちんと行われ、大きな問題にはならなかったはず」と口をそろえる。当初からそうした懸念を持たれていたにもかかわらず、最終局面になるまで放置されていたということは、まさに近年の両国間における意思疎通の不在を象徴するものといえるだろう。

参考

石破内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成27年5月8日
(平成27年5月8日(金) 9:08~9:30  於:合同庁舎8号館1階S106会見室)

1.発言要旨

 おはようございます。冒頭、私から申し上げます。
 既に5月4日、私の談話においても述べたことの繰り返しになって恐縮でありますが、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」についてのイコモスの記載の勧告についてであります。
 我が国が誇るべき文化遺産である「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」が、専門的な諮問機関である国際記念物遺跡会議、いわゆるイコモスから世界遺産としてふさわしい旨の評価を受け、ユネスコ世界遺産委員会に対し登録の勧告がなされたことは大変喜ばしいことであると考えております。この勧告を受け、本年6月末から7月、具体的には6月28日から7月8日と承知をいたしておりますが、その間にドイツのボンで世界遺産委員会が開催されるわけであります。その日時は特定できませんが、その間に登録の可否が決定されるということになっておると承知をいたしておるわけでありまして、この世界遺産委員会におきまして、本件がイコモスの勧告どおりに世界遺産一覧表へ記載されるよう最善を尽くしてまいりたいと考えておる次第であります。談話と重複した部分が多くて恐縮です。
 以上です。
2.質疑応答

(問)冒頭、世界遺産の件についてお伺いしますが、今回のイコモスからの勧告について、韓国政府、韓国の国会から一部施設が戦時中に強制労働があったというのがあるとして、反対する考え、姿勢を示されていますけれども、日本政府としてどのように理解を求めていかれる考えなのか改めてお願いします。
(答)去る5月4日、韓国の国会、具体的には外交統一委員会でありますが、今御指摘のような決議が採択されたということは報道等により承知をしておるところであります。政府として今までも述べたことかもしれませんが、この本件遺産の対象は1850年代から1910年ということであります。したがいまして、先の大戦中の朝鮮半島の出身である方々の旧民間徴用工の問題とは対象とする年代、歴史的位置づけ、その背景が異なるというものであります。徴用工の問題というのは、戦時中の1940年代のお話でございます。この遺産はあくまで1850年代から1910年までの産業遺産としての顕著な普遍的な形に着目をして推薦をしたものでありまして、それを受ける形で様々な議論の末に、イコモスから本件を世界遺産に登録すべきという勧告が今般なされたものであります。
 世界遺産委員会におきましては、この勧告を尊重し、本推薦案件が技術的・専門的見地から審議され、勧告どおりに世界遺産登録が決定されるということを期待しているものでありますが、この点につきまして、韓国はもとより世界遺産委員会の委員国に対しまして十分な御説明をし理解を求めていくということが極めて肝要だというふうに考えております。
 なお、何で1910年なんだと、この年は日韓併合の年ではないのかというような御指摘も、当然予想されるところでありますが、この1910年というのはロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になったというふうに承知をいたしております。ですから、私どもとして、この私どもが推薦した理由、そして、言ってみれば、世界の遺産というのか宝物というのか、そういう価値というものを丁寧に誠実に、韓国のみならず世界中に御説明をするというような真摯かつ誠実な姿勢が最も肝要だというふうに私自身考えておるところです。
(問)今の関連ですけれども、今回この世界遺産に関して所管が文化庁ではなくて内閣官房になっているということもあって、韓国のこういった反応というのは前々からずっと予想はされていて、そのあたりの連携とかを含めて、韓国や各国へのケアというのは、これまで十分にとれてきたというふうにお考えでしょうか。
(答)十分かどうか、それは判断される方によって違うのだと思います。ただ、これは実際に稼働中のものも含んでおるということもあって、富岡製糸場などとは少し趣を異にするものでございます。内閣官房所管ということになっておるわけでありますが、当然、外務省を始めとして政府部内においてきちんとした意思の疎通を図りつつ連携をとりながら今日まで努力をしてきたものであります。今後とも政府部内で意思の疎通を図りながら、一致した認識のもとに連携を密にして、この6月から7月にかけて開かれる委員会に向けて更なる努力を真摯かつ誠実にしていくということに尽きると考えております。
(問)地方自治の観点から、マイナンバー制度を活用し、自治体と連携して郵便局が役立つことはありますでしょうか。
(答)このマイナンバーというものを使っていろいろな行政というものが更にきめ細かく丁寧に行われるようになる。そして、個人の方々の情報であるとかプライバシーの尊重ということは常に念頭に置きつつも行政の更なるきめ細かい対応、そしてまた国民の方々に対して不公正がないように、不平等がないようにきちんとした行政が納税者の立場あるいは国民の主権者としての立場に配意しつつ効果的に行われるということは重要なことだと思っております。郵便局との連携がどのようになされていくかということは、これから内閣府としても関係省庁あるいは日本郵政ともお話をしながら、このマイナンバー制度が企図いたしております目的の達成のために可能な限りの連携を図ることは当然だと思っております。
(問)所管外で申しわけないんですけれども、昨日、衆議院の憲法審査会が開かれまして、今日、各紙大きく書いていると思うんですけれども、結構意見の食い違いというかですね、鮮明になったんですけれども、緊急事態条項なんかを始めとするところから改憲すればいいじゃないかという自民党に対して、言葉として「お試し改憲」という言葉を使う民主党なんかがあって、こうした議論を大臣御自身がどう御覧になったかという点と、あと改憲の必要性自体は前から訴えられておられると思うんですけれども、改憲の手順について、大臣御自身が所感がありましたら伺えないかと思うんですが。
(答)これは、内閣の一員としてお答えすべきものではございません。内閣としてこの問題に対して、このように考えるということをお答えするというものでもございませんので、あくまで一衆議院議員としてお答えをするということでよろしいんでしょうか。
 これは長く私も二十数年この問題は議論をいたしてまいりました。そして、憲法改正草案の起草委員として、この条文作りにも携わってきたという立場にございます。憲法審査会においていろいろなお考えが披瀝をされ、そして議論が深まるということは当然事の重大性から考えて望ましいことだと承知をいたしております。
 その上で、これは党内であった議論ですが、憲法改正草案全体を対象物とするというのは、難しかろうねと。当然、改正条文は一つだけではない、前文から始まりまして膨大な改正条項を含んでおるわけで、Aという条項は賛成だが、Bという条項については反対だということは当然あるわけで、国会における3分の2の議決にしても、ましてや国民投票にしても、技術的に可能かどうかという議論はしたんですけど、そうすると、ものすごい長い紙になって、この条文のここの部分は賛成だ、反対だとか、そんなことは多分、技術的に絶対無理だとは言わないが、極めて難しいねというふうな議論はしたと思っております。
 さすれば、それを「お試し」と言うかどうかは別として、どの条文について国民投票に付するのか、その前の衆・参両院の総議員数の3分の2の議決に対象物として付するのかということは、党内でこういうふうな順番ということを決めたということはございません。また、これから先も国民投票法を成立したことも受けて、党内においてどういう条文を最初にやるんだろうねと。これも党内で意見が収れんしたわけではありません。例えば環境権のように、比較的国民の皆様方の多くの御理解を得やすいものからやってはどうかという意見もあれば、あるいは参議院の在り方、衆・参の在り方についてやったらどうかという意見もあれば、いろいろな意見がございます。まず政権与党たる私どもあるいは公明党の中で議論がなされ、野党は野党において議論がなされ、その後にどういうやり方でやるかということは収れんをしてくるものではないでしょうか。何を優先すべきで、何を劣後させるべきかということは私が申し上げることではございません。緊急事態条項あるいは実力組織たる自衛隊の位置付けというものは、占領下において制定された憲法というものをどのように考えるか、そしてサンフランシスコ条約の発効によって独立国たる地位を回復をした、その後の経緯をどう考えるか。そして自由民主党というものが、なぜ昭和30年に保守合同によって結党されたのか等々、そのような議論がまた党内で活発になされるということは重要なことだと思っております。
 国民の皆様方に、なぜ改憲をする必要があるのかということを本当に懇切丁寧に御説明をし理解を得るということが何にしても一番大事なことではないかなと。何かよくわからない答弁で恐縮ですが、そういうような形になろうと思います。
(問)隠岐諸島の視察の件で2点お聞かせいただきたいんですが、1点目が、現地でもお話を伺わせていただいたんですけれども、改めて視察の御感想をお聞かせいただきたいのと、現地で大臣からも非常に高い評価、いろいろ様々な取組に対して高い評価のコメントをいただいておりますけれども、それは離島という地理的な条件が大きく要因としてあるのか、これから地方創生を進めていく上で、隠岐諸島に離島だからこそできるのか、本土ではできないのか、そういう地理的な条件が地方創生において重要度を占めているのかについて所感をお聞かせいただければと思います。
(答)隠岐の島、なかんずく海士町の取組というものは、私自身、この大臣に就任する以前から非常に強い関心を持っておりました。日程の都合上なかなか海士町に行くことはできなくて、町長さんのお話、あるいは島前高校の改革に携わってこられた創生会議のメンバーであります奥田麻衣子さんのお話等々も何度も伺いながら行く機会を得なかったのですが、今回行くことができて、やはりこれは「やねだん」でもそうですし、中村ブレイスにしてもそうなんですけれど、実際に見てみるということはとても大事なことだと思っております。やはり世の中の評価を得ているというもの、これは本物だねという、いつも言う言葉を使えば、「驚きと感動」というんでしょうか、そういう印象を強く受けたということであります。
 離島だからどうなのかということについて申し上げれば、これは海士町長さんが書かれた『離島発 生き残るための10の戦略』という本があります。これ、ぜひ皆様方にも一回お読みいただきたい。さらさらっと読める本ですが、非常に中身の濃い本です。離島である、そこにおいて極めて財政が厳しい、そこに三位一体改革があったと。町長も書いておられますように、あれがなければ海士町の改革へ向けての取組というのはなかったかもしれないというふうに書いておられます。離島という厳しい条件、そして、そうであるがゆえに、公共事業に多くを頼ってきた海士町というものの在り方がギリギリまで来た段階で、もうこれしかないではないかというような、そういうような状況になったということは、別に離島だからというわけではありませんが、離島であるがゆえに公共事業に負う割合が他よりも高かったのかもしれません。
 そして、本にありますように、実際に公共事業に携わってこられた関係の方々から「改革をしなければだめだ」とおっしゃったと。「あなた、今まで公共事業というもので会社をやってきたんじゃないの」ということを町長は思ったそうですが、そこの建設関係の方がおっしゃるには、「今まで自分たちはその公共事業で多くの恩恵を受けてきた。しかし、これが続かないとするならば、これに代わるものを作っていくということは、今までそういう恩恵を受けてきた者の務めではないか」ということをその建設関係の方がおっしゃり、町長はそれに深い感銘を受けたということが本の中に書いてありますし、実際に行ってみてそうだなというふうに思いました。ですから、決していいことだとは思わないが、そういうような極限状態まで来たからこそその危機感から改革の推進力が生まれたということは、これは事実だろうというふうに思っております。
 じゃ、何でもかんでも極限に追い込めばいいかというと、そういうわけでは当然ないのであって、何と言うんでしょう、あそこの隠岐の島というかな、隠岐諸島の海士町の状況というのは、やがて将来の日本じゃないのかということです。そういうような「気づき」というのか、そういうものをどれだけ普遍的に広めていくのかということはやはり私どもの務めだろうというふうに思っております。
 そして、そういう所へ行ってみて、海士町の方々が明るい方々が多いなという感じを持ちました。疲弊したとか、もちろん辛いことも苦しいこともいっぱいある。だけども、ここで前向きに取り組んでいくと、そして地方創生の一つのモデルだと言うことはやめてくれと、まだ我々は途中段階にあるのだということでした。そのことについて、冒頭の御質問に戻れば、非常に強い感銘を受けたのであって、この問題は更に多くの人々が海士町を訪れ、いろいろ得た知見というものを広めていくことを報道関係の皆様方にもお願いしたいことでございます。
(問)話戻って恐縮なんですが、世界遺産のことでもう一点お伺いしたいんですけれども、イコモスの勧告では、いわゆる軍艦島を含めて幾つかの施設で保存の計画をしっかり立てるようにという勧告がなされていますけれども、例えば軍艦島を挙げても、保存には非常な費用がかかるということを長崎市のほうでも試算されていますが、国としてどのように保存に関わっていくのか、大臣、今からどのようにお考えになりますか。
(答)これは仮に世界遺産のリストに載ったと、載っても載らなくてもそれは大事なことなんですけれども、世界遺産のリストに載るということは、それが人類全体の、世界全体の貴重な資産であるというようなことになるわけでございます。そうすると、政府の中のどこが担当をするか、そしてまた、自治体との関係をどうするかという議論はもちろんあるんですけれども、日本国政府として、これを主体的に保存していく、あるいは先ほど御指摘もありましたが、観光客の方々の受け入れ態勢とかそういうものも含めて世界遺産にふさわしい対応がこれから先なされていくということの主体は、あくまで日本国政府であるべきだというふうに考えております。それが世界全体の遺産である、宝物である以上、それは金がかかるからどうのとか、そのようなものは政府が負担しないとかそういうようなことではなくて、あくまで自治体との話合いをきちんと踏まえた上で政府として主体的にやっていくべきものではないかなと現時点では考えております。