2016年7月17日日曜日

効果があった・無駄だった「英語学習法」

社会人は、いつ、どのように学んでいるのか。アンケートをとったところ、「苦しいのは自分だけではない」と思わせてくれる結果がずらり。参考にしてほしい。

英語学習で最も重要なことは?

今回アンケートで、効果的な勉強法やムダだった勉強法について聞いた。さまざまな実体験が寄せられたが、ムダな勉強法として複数の人が挙げていたのが、「聞き流すだけの教材」(30代男性)だった。


(写真=PIXTA)
「リスニング力の習得には個人差があり、音だけで頭に入る人と、同時にスペルを見たほうが理解の深まる人がいます。前者なら聞くだけの教材も効果的ですが、たいていの大人は後者なので、聞くだけの教材では苦戦するでしょう」(TOEIC専門塾「英語屋」講師 古澤弘美氏)

前者の音に強い人でも、聞き流すだけではTOEICの点数アップにはつながりにくい。音をとらえることはできても、意味がわからないからだ。

「一語一語意識するには、聞いた内容を復唱するシャドーイングや、聞き取ったことを書きとるディクテーションが有効です。口や手を動かすことでリスニング力を効率的に高めることができます」

一方、勉強法として「ニュースはCNNを見ている」(30代女性)、「英字新聞を読んでいる。ビジネス英語の勉強になる」(40代男性)などの声も上がった。情報収集と英語学習を同時にできるのは、忙しいビジネスパーソンにとって魅力的だ。しかし、じつはそこに落とし穴が……。

「英語という道具がまだ磨かれていないのに、いきなり実用に使おうとすると、結局は使いこなせずに挫折します。英語ニュースは、800点台の力がないと厳しいでしょう。そもそも政治や国際情勢といった時事英語はTOEICに出ませんから、ニュースや新聞で勉強する際は注意が必要です」

同じことは、洋画や海外ドラマ、TEDのプレゼンテーションにもいえる。実用を兼ねてモチベーションを維持するにはいいが、TOEIC対策には向かない。「英語学習で重要なのは、愚直なまでの繰り返し」(古澤氏)。自分に合った教材を、いかに徹底的にやりこむか。その積み重ねが、点数アップにつながるのだ。

▼「学ぶ場・時間」BEST3

1位:電車内・車内 128人
コメント:通勤時を活用したいので、電車通勤できる場所に引っ越した(30代男性)/通勤時間中にリスニングをすると集中できる(30代男性)/公式問題集をコピーし、通勤電車内で読みまくった(30代女性)/通勤の往復3時間を勉強にあてている(30代男性)

2位:隙間時間 46人
コメント:子供の塾の待ち時間に問題集をやる(30代女性)/家族が風呂に入っている時間(40代男性)/昼休みにNHKラジオを聞いた後、e-learningを行う(50代女性)/トイレに問題集を置いた(50代男性)

3位:静かな場所 30人
コメント:家庭に勉強を持ちこまないようにするため、仕事帰りに図書館で勉強(30代女性)/ノイズキャンセリングヘッドホンで学習して、周囲の雑音に邪魔されないようにしている(50代男性)/耳栓をする(30代男性)

番外編:早朝出社で始業前に勉強(30代男性)/夕食後だと眠くなるので、帰宅後すぐ2時間勉強に切り替えた(50代男性)/夜は子供と一緒に21時台に寝て、朝4時に起きて勉強時間を確保している(30代女性)/自宅にいると誘惑が多いので、自分が集中できる場所(喫茶店や図書館など)で勉強するようになった(40代男性)

▼「学び方」BEST3

1位:リスニング学習 163人
コメント:iPodでCNNやBBCを聞いている(50代男性)/NHKラジオ講座を録音し、時間があるときに聞いている(40代男性)/単純作業の仕事のときには英語音声を聞く(50代男性)/海外の放送を視聴する。BGMを洋楽にする(30代男性)/TEX加藤氏の特急シリーズの無料ダウンロード(50代男性)

2位:周辺をすべて英語に 41人
コメント:携帯表示やナビ表示など、細かなところも英語表記に(40代女性)/家の壁や風呂にも英単語を張るなど、日常的に英語で考えたり読み書きする時間をつくる(30代女性)/自宅ではCNNテレビをつけっぱなし(50代男性)

3位:スマホ活用 23人
コメント:通勤時はスマホアプリで勉強(50代女性)/スマホでポッドキャストを聞けるようにした(30代女性)

3位:英会話学校 23人
コメント:skype英会話中、家族は別の部屋へ行ってくれる(50代男性)/TOEICを受けるときは先生に宣言し、恥ずかしいスコアを出さないよう追い込む(30代女性)

番外編:会社のデスクマットに英単語を書いた紙を入れ、仕事中にたまに見ている(30代女性)/意識の高い人と一緒にいるようにする(40代女性)/英語圏へのプライベートの旅行は、ツアーではなく個人旅行に。すべての局面を自分自身で切り抜けなくてはいけない状況をあえてつくる(50代男性)

【効果があった独自の勉強法】
●海外ドラマを吹き替え→字幕→そのままで3回見る(30代男性)
● 東京駅や新宿駅で迷っているような外国人旅行者を見つけたら積極的に声をかけ、電車の乗り方などを教えている(40代男性)
●3週間のセブ短期留学。朝から晩までひたすら英語を使う環境にいたことで、下手でも臆さずに話すようになった(30代男性)
●1日20個単語を覚えるよりも、毎日140個の単語を1週間継続して覚えるほうが定着しやすかった(40代男性)
●半身浴をしながら風呂でアプリで学習(30代男性)
●英英辞典拾い読み。英語のままでイメージできるようになった。訳さないようになりますね(50代男性)
●アプリのiKnow!は、ゲーム感覚でできて続けられた(30代女性)

【効果なし。無駄だった勉強法】
●日本語訳がすぐに見られるようなものはあまり効果がない。英語で考える癖をつけたいと思っているので(40代女性)
●英語のサークル活動。メンバーの発音が悪かった(30代女性)
●英語の小説。自分で訳した日本語が正しいのかどうかわからない(40代男性)
●アメリカ映画で学ぶ英語。略語やスラングが多く、ビジネスやフォーマルな場面ではあまり役立ちそうになかった(30代男性)
●聞き流すだけの教材。当時は英語の基礎ができていなかったため、1年使っても、ほとんど英語力の向上にはならなかった(30代男性)
●DSの英語学習ソフト。声を出すフェーズがあって、電車の中で勉強できない(50代男性)
●通信教育。期限にせかされて、習熟しない(30代男性)

TOEIC点数大幅UPに成功した「私の勉強法」

――VOAで超安上がり・勉強法
濱口達史さん●大手電機メーカー社員

大学院生だった2006年、米国に留学しようとしたら、TOEFLのCBTで250点、TOEIC換算で900点クリアが入学の条件でした。TOEICの無料模試サイトで腕試しをすると600点弱。しかも出願期限は1カ月後です。さらに学生でお金もなく、安上がりな勉強しかできません。

心がけたのは音読。発音できない英語は、頭に入らないからです。単語集は『TOEFLテスト英単語3800』に絞り、毎日100~200語を声に出して覚えました。同時に、前日覚えたのに忘れた単語もチェックし、復習しました。記憶が新しいうちに再度刷り込み、2~3日ですべて暗記できました。

リスニングでは、VOA(米国営放送局)の外国人向け英語放送「Special English」を活用しました。サイトから音源とスクリプト(台本)を無料でダウンロード。朗読を聞いた直後、台本を読みながら復唱するシャドーイングを繰り返しました。英語は日本語とは逆で、修飾語が関係代名詞の後に来ます。音読していると、そうした構文に頭が慣れ、読解の速度も上がります。

1カ月後のTOEFLの結果は257点。09年には実際のTOEICを受けて、935点をマークしました。

――好きな洋書の完全読破・勉強法
白石真由さん●高卒OL

私は高校を卒業した後、契約社員として事務の仕事に就きました。しかし、20歳を過ぎてからは、転職して正社員になることを考え始めました。すると英語力を求める求人が多く、TOEICに挑戦することにしたわけです。

まず、買ってきた問題集を開いたのですが、私には難しすぎて単語も文法もわかりません。1回目のテストの際には勘でシートをチェックしたこともあって、結果は340点前後でした。その後、CD付きの3行の英会話の本を丸暗記したり、NHKのラジオ英会話での英会話中心の勉強に切り替えて、500点台まで伸びました。そこでTOEIC単語集やリスニング問題集などでの勉強へ移行したものの、600点台で足踏み状態になってしまいます。

そして、TOEICの勉強に嫌気がさした私はテキスト類を片付けて、好きだったダニエル・スティールさんの恋愛小説や『ダ・ヴィンチ・コード』などの洋書を読み始めました。わからない単語があると、徹底的に調べました。

すると、1年後のテストで820点へ、最終的に840点まで伸びました。洋書の多読でリーディング力だけでなく、自然と正しい文法も身に付いていったのだと思います。

――シャドーイングで感覚アップ・勉強法
嬉野克也さん●コールセンター会社社員

2012年3月に905点、14年2月には970点のスコアを取ったのですが、英語の勉強を始めたのは36歳になってから。30歳を過ぎても英語は身に付くという記事を読み、「自分でもやってみよう」と思い立ったんです。

最初の2カ月間は猛勉強し、10年3月に受けたTOEICの得点は645点。オンライン英会話の「レアジョブ」も活用し、11年5月には890点までスコアが上がりました。ところが、900点の壁がなかなか越えられません。そこで、音読に取り組みました。目で「読む」、耳で「聞く」だけでなく、口で「話す」ようにもすれば、五感がよく使われ、英語が覚えやすくなるからです。

メーンの教材は『TOEIC公式問題集』と『新TOEICテスト990点攻略』。リスニングでは、聞いた音声を自分でも発声するシャドーイングを行い、英語の発音に対する感覚を研ぎ澄ませました。リーディングでは量をこなし、長文にひたすら慣れました。

また、わからない単語や文法はすぐに調べて苦手を克服していきました。ストップウオッチを片手に問題を解き、解答のスピードを上げる訓練もしました。すると、今まで全問に答えられなかったのが、答えられるようになったのです。


――難解発音フレーズ抜き書き・勉強法
大里秀介さん●サッポロビール 経営戦略部マネージャー

もともと英語は苦手で、1998年に新入社員研修で受けたTOEICのスコアは390点。でも、2006年に30歳になったとき、社内の海外研修制度に手を挙げたら、選考基準がTOEIC650点で、それを契機に勉強を始めました。

しかし、08年1月に825点を取ってからはスコアが伸び悩みました。そして、ネットで知り合ったTOEIC講師のアドバイスで、リスニングが不正確なのが要因と気づかされました。

ネーティブは話すスピードが速く、何といっているのか、日本人にはなかなか聴き取れません。そこで、文章とそれを朗読した音声を対照させて音読し、セットで覚えました。

また『TOEIC公式問題集』で、聴き取れない短文があるとノートに抜き書きして、何度も音読して覚えました。さらに、公式問題集から120の会話パターンを選んで音読し、丸暗記することで、リスニングでは満点も取れるようになりました。

一方、リーディングでは、『1日1分レッスン! 新TOEIC TEST千本ノック』にある全172問を10分で解けるようになるまで、何度も繰り返しました。その結果、11年6月に990点をマークできたのです。

2016年7月2日土曜日

池上彰氏の凄さと限界

池上氏関連のホッテントリがここ数日あがってたので、自分の思うところを書いてみる。
自分は一応、新卒で池上氏と同じ業界に就職(といっても、自分は紙媒体)し、記者という肩書をもらっていた経験がある。
7年ほど現場にいて、体壊して、ちょっと内勤の管理部門にいさせてもらったのだが、なんか、内側から会社を見ているうちにもともと、あんまり向いていなかったかな?と思っていた業界がさらに嫌になって転職して10年ちょっとになる。

普通、あの業界では、最初の何年か地方で修行して、いずれ東京や大阪に戻ってくるパターンが多いが、自分の就職先は、いわゆる経済紙で(ってもう社名明かしたようなもんだが)地方支局が貧弱な会社だった故、新卒が地方支局に行くという制度がなく、入社から退社まで東京で過ごした。


池上氏の凄さは、なんといっても、情報を取捨選択してわかりやすく伝えるプレゼン能力と、守備範囲の広さだと思う。
で、あれだけのことを伝えられるには、背後に相当の知識があるのであろうと思われている。
その「相当」がどの程度なのか、というと、たぶん、世間一般の人が想像するよりは、かなり浅くて、
けっこうぎりぎりのラインでしゃべっているのではないか、という気がする。それでももちろん、かなりのレベルではあるだろうが。
いわゆる大手のメディア企業の記者にまず最初に求められるのは、
「昨日聞きかじったばかりのことを、あたかも以前から詳しく知っているかのようにしゃべったり書いたりする能力」である。
なにしろ、日々、いろんなことが起こるのだ。
なかなか深堀している暇などない。
そうこうして、キャリアを積んでいくうちに、それぞれの専門分野ができていくわけだが、
大半の人は、きちっと専門分野を確立する前に、デスクや管理職になったりして、だんだんと現場から離れていく。
記者職としてキャリアを全うする人(編集委員とか論説委員とか解説委員とか)は少数派だ。

池上氏の経歴を見ると、NHKで地方局や通信部を回った後、東京の社会部で気象庁や文部省、宮内庁などを担当した、とある。
まあ社会部記者として一般的なコースという感じだ。
東京では、悪名高き日本の「記者クラブ」に所属し、最優遇される立場で、役人から懇切丁寧なレクを受けて、
それをニュース原稿に仕上げるのが、まず最初の基本的な仕事だったと推測する。
NHKの記者は特に、「特ダネ」を取ってくることよりも、「報道されるべき情報を落とさない」ことをなにより求められるらしいので、
多分、想像以上に、定例記者会見に出席したり、資料をチェックしたり、他社の報道を確認したり、
思いのほかルーティーンワークが多いのではないかと推測される。
(なお、NHKスペシャルなどのドキュメンタリー番組は、主にディレクター職の人が担当しているので、
一つのテーマを深くじっくり追いかけるのは、あまり記者の仕事ではないらしい。
実は自分もNスぺ作りたくてディレクターを第一志望にしてNHK受けたのだが、見事に落ちた)


で、そんなに知識が深くなくても記者が務まるのかといえば、そこそこ務まる。
自分は、そのさして長くない記者のキャリアの大半を、メーカーを中心とした企業の取材で過ごしたのだが、
正直、最初は、「貸方」「借方」もよくわかってなかった。(大学は政治学選考だったし)

それでも、入門書片手に勉強しながら記事書いて何とかなっていたし、
そもそも「大手メディアの記者」が企業の広報部を訪ねると、結構いろいろ懇切丁寧に教えてくれるのである。
そりゃ、変な記事書かれたくないからね。
多分、NHKの記者というのも、それなりの対応を受けるはずである。
もちろん、伝えてほしいことは積極的かつ懇切丁寧に伝え、触れられたくないことは隠しながら、だが。
中には、「たいてい経験の浅い若手が担当する企業」というのがあって、そういう会社の古参の広報さんの中には
「今、編集委員の何々さんねえ、あの人が新人のころ、私がいろいろ教えてあげたものだよ、わっはっは」なんて言ってたりした。
もし、あなたの会社の広報部に、なんだか大学出たての記者ばっかりくるようだったら、
それは、メディアから軽んじられている証拠である。

もちろん、教わってばっかりでは舐められるので、こっちも勉強していくわけだが、
何しろこちらは早いと一年で担当が変わってしまうが、
相手はその会社一筋なわけで、知識の深さでは、敵わないのが通常だ。
知識を深めるのは、そこそこにしておいて、知らなくてもはったりかませる胆力をつけたほうが役に立つ。
そうこうしているうちに、正面から取材を申し込んだり、正規の記者会見に出席したり、
ニュースリリースを原稿に仕立て上げているばっかりでは通り一遍の記事しか書けず、
社内的にもマイナス点はつかないものの、プラス点がつけられることもないので、
独自に夜討ち朝駆け(アポなしで取材対象のところに押しかける)したり、独自ルート作ったりし始めるのである。
そんなことをしているうちに、自分のような、結局途中で業界を去ってしまうような木っ端記者でも、
ごくごくたまには、取材担当企業の株価をストップ安にしちゃうような記事を書くチャンスが巡ってくることもある。

まあでも、ぶっちゃけいえば、そこそこキャリアを積んでいる先輩の中でも
減価償却費が資金繰りにどういう影響を与えるのかよくわかっていないまま、
それでも企業の経営危機について記事を書いているような人はざらにいた。
(まあ、自分も経験積みながらようやくわかるようになったクチで、
当初はなんのことやらわからなかったのだから、偉そうなことは言えないが)
それでも、首にはなりはしない。


そういえば、思い出したことがある。
今の若い人にほ想像もつかないだろうが、その昔、世界のエレクトロニクス業界をリードし、
今でいえばappleと同じくらいのブランド力で各種製品を生み出していたSONYという会社があった(今もある)。
当時はまだまだ、かつての威光が残っていた。
自分は、そこのメイン担当になるほどの能力もキャリアもなかったが、
たまたま、SONYの会社が取り組んでいる内容が、自分の取材テーマに関わっていたことがあって
取材を申し込んだことがある。
いわゆるストレートニュースではなくて、連載コラムのような記事を書くためである。
で、SONYに行ってみて驚いた。
美人広報さんが、それまでの取材で見たことないような、
膨大でかつ、非常にわかりやすくまとまった資料をお持ち帰り用に用意していたのである。
なんかもう、取材しなくても、この資料テキトーにまとめたら記事書けちゃいそうな。
もちろん、そんな手抜き仕事をして相手の思うツボにはまってはいかんので、
きちんと担当者さんに話を聞いて、自分なりの記事を書いてみたのだが、
やっぱり資料に引きずられなかったかといえば、影響はあったわけで、
まあ、恐ろしい会社であった。
かつて「メイド・イン・ジャパン」の強さの象徴として流布されたSONY伝説は、
もちろん実力の部分もあったけれど、伝説を伝説たらしめようという広報戦略によって
かさを増されていた側面も多かったというのは、そこそこ業界で有名な話である。
なんだか、大分、話がそれた。


多分、池上氏は、NHKでそこそこの社会部記者だったのだろうと思われる。
そんな彼の経歴の中で異彩を放っているのは、そろそろ管理職か専門記者か、という分岐点にさしかかったあたりで
キャスターに転身し、その後10年以上にわたって「週刊こどもニュース」を担当していたことだろう。
(すごい優秀な記者と認められていたら、ここいらで、海外支局あたりで経験つんでいるはずである)
そこそこの取材経験を積んだ後で、
「衆議院と参議院って、どう違うのですか?」とか「比例代表制ってなんですか?」とか、
「どうして輸出が中心の企業は、円高ドル安になると困るんですか?」とか
あらためて、そういうレベルからニュースを解説する仕事を10年以上も続けたジャーナリストは、
少なくとも今の日本では皆無に等しいんではなかろうか?


普通、そこそこキャリアを積んだ記者は、あらためてそんな仕事をしたがらないし、
そもそも、そんなレベルことは、真っ当な社会人ならば学校で習っているはず、というのが日本社会の建前で、
読者や視聴者を、そんなこともわからないヤツらと想定して記事や番組を作っていたら、
ある意味、「お客様をバカにしている」ことにもなりかねない(と、みんな考えていたのだろうと思う)。
まあ実際、そのレベルで作ってみたら、予想以上に受けたわけだが。

「こども向け」の番組というフォーマットを得ることで、池上氏はそういう稀有な仕事を追及していった。
その結果、得たのが、あのたぐいまれなるプレゼン能力だと思うのだ。
多分、池上氏程度の知識や取材能力をもった記者は、NHKや全国紙にはゴロゴロしていると思う。
(自分のかつての勤め先でも、そこそこキャリアがあって、東京でそれなりに仕事している先輩は、皆さんそれなりに凄かった)
でも、その知識や取材結果を子供にわかるレベルでよどみなくしゃべれる人は、そうはいない。

池上氏のニュース解説番組をたまに拝見すると、自然災害のメカニズムから、最新の科学上の発見、日本の選挙から世界経済まで
あらゆる森羅万象を斬っておられるようである。
だが、自分が見る限り、その解説は一般紙や新書本で得られる知見を超えるものはほとんど見ない。
「いや、それは、視聴者に分かりやすいレベルにしているからで、その背後には物凄い知識が・・・」という見方もあるが、
果たしてどうだろうか?
多分、毎日6紙読むという新聞をベースに、ひたすら横に広くいろいろな情報を取り入れておられるように見える。
海外取材などの映像を見ることもあるが、どうも、テレビ局とコーディネータによるセッティングが透けて見えてしょうがない。
多分、その経歴からいっても、海外取材に独自のルートなどはそんなにお持ちではなさそうだ。
やはり、「あまり深くないレベルで次々とあらゆる分野に取り組んでいく」ことがこの人の真骨頂だと思う。
それが悪い、ということではなくて、それがこなせる凄さがある、ということである。

著書を読んでも(といっても、ほんの数冊目を通しただけだが)、たとえば同じNHK出身の元ワシントン支局長の手島龍一氏とか、
あるいは日経の元スター記者で週刊ニュース新書の田勢康弘氏の著書のような、深い取材と鋭い洞察に支えられた
凄みのようなものは感じられない。
そのかわり、入門書としてのわかりやすさはピカイチだ。
やはり、この人の存在価値は「広く入門レベルの知識を提供する」以上でも以下でもないのだろうと思う。
(なお、今、軽く検索してみたらどうやらニュース英語の本まで出されているようだが、
膨大な著書のどこまでご自分で書かれているのだろうか?という疑問は置いておく。
出版業界では、驚くほど「著者が適当にしゃべったことを編集者やライターがまとめた本」というのが、世間で思われている以上に多い。
あと、池上氏が英語を話しているところって、あんまり見たことないような。
NHKの採用試験を突破するくらいだから、読むことに関しては、そこそこのレベルと推察できるが)



さらに、分かりやすさの理由の一つとして、「子供のような素朴な疑問にも正面から取り組む」というのがあるように思う。
巷間よくいわれる、選挙特番の「池上無双」の象徴ともいわれる「創価学会の話題」についても、
タブーへの果敢な挑戦というより、素朴な疑問を追求していった結果なのかもしれない。
「どうして自民党は公明党と組んでいるんですか?」という質問は、大人はあんまりしない。
それは何となくタブーであると感じているせいでもあるが、一方で「そりゃ、理由はみんな知っている」からである。
ましてや、「政治記者歴何十年」を売りにするような政治ジャーナリスト諸氏は、
そんなことよりも、自分の掴んできた独自情報を話したくて仕方なかろう。

だが、池上氏はそういう疑問をスルーしたりしない。
「それは、公明党には創価学会という支持母体があって、固定票が見込めるからですよ」と優しく語りかけるのだ。
で、「では、公明党と創価学会の本部がある信濃町に行ってみましょう!」と、女子アナを連れてツアーを組んだりする。
実際、やってみれば、放送しちゃいけないタブーというほどのこともない。
そりゃそうだ。
ある程度、日本の政治に関心を持っている人ならば、普通に知っていることなのだから。

公明党の側だって、連立与党として大臣まで出す立場になった以上、その程度の取材を拒否するはずもなく、
ちゃんと「公式な答え」だって用意している。

だから、池上氏が
「創価学会の人たちが、選挙は功徳だなんていう仏教用語を使っていたりしますが、政教分離の観点からみて
問題があると思われませんか?」と質問しても、
「創価学会は、大切な支持団体ではありますが、創価学会と公明党は全く別個の組織です。
政教分離というのは、政府が宗教活動を行ったり、宗教活動に介入したり、宗教団体が政治に介入することを禁じておりますが
宗教団体が政党を支持することを禁じるものではなく、現在の公明党と創価学会の関係は問題と思っておりませんが云々」
といった、きちっと理論武装した答えしか返ってこない。

「そうはおっしゃいますけれども、ここに創価学会の名誉会長が、公明党に指示した文書がありましてね・・・」
などと、爆弾情報でもぶっこんで来たら、それは多少「タブーに斬り込んだ」ことになるだろうが、
そこまでのことはしない。
多分、そこまでの取材もしていないと思う。そもそもが、そういう役割の人ではなくて、そこは、
政治を専門する別のジャーナリストの役割だろう。
池上氏はただ、意味ありげに
「はい、そうですか、よくわかりました」と視線を投げかけるという、
きわめてテレビのキャスター的な技術を見せるのみだ。

で、こう考えてみると、やはり池上氏の凄さでは
「子供にも分かるように語ること」「子供の持つような素朴な疑問をゆるがせにしないこと」
を常に追求し実践してきた所にあるように思われる。
これは、なかなかに難しい。
多分、そこには、「相手(子供)が、何がわかって何がわからないのか」を推察する想像力や共感力と
「限られた言葉で複雑なことを説明する」ことを可能にする、優れた言語能力が必要なのではないかと思っている。
ただし、限られた言葉で語りえることは、やはり、ある程度、限られているわけで、
その辺が、池上氏の限界ではないかと考えている。

2016年6月24日金曜日

2016年6月14日火曜日

伊勢志摩サミット秘話 各国首脳の移動にベンツが選ばれた理由とは…


産経新聞 6月14日(火)12時5分配信

 伊勢志摩サミット秘話 各国首脳の移動にベンツが選ばれた理由とは…
厳重な警戒の中、賢島に向かう英国のキャメロン首相を乗せた車列=5月25日午後、三重県志摩市(桐原正道撮影)(写真:産経新聞)
 首脳をはじめ各国の政府関係者やジャーナリストらが続々と来日した5月の「伊勢志摩サミット」。日本ブランドを世界にアピールするまたとない機会になったが、首脳らが現地を移動する際に使ったのは、トヨタ自動車などの国産車ではなく、独メルセデス・ベンツの高級車だった。ベンツが選ばれた理由とは…

 5月26日、三重県伊勢市。サミット最初の行事となった伊勢神宮訪問で、安倍晋三首相は内宮の入り口にかかる宇治橋のふもとに立ち、続々と車で乗り付けるG7首脳を出迎えた。

 ドイツはいうまでもなく、イギリスなら「ジャガー」「アストンマーティン」、フランスは「シトロエン」、イタリアは「マセラティ」と、G7各国は、そうそうたる自動車ブランドを自国に持つことで知られる。

 やはり、キャメロン英首相は映画「007」の主人公ジェームズ・ボンドと同じ「アストン」か-などと、記者も空想を膨らませて待っていたのだが、メルケル氏はもちろん、キャメロン氏もオランド仏大統領も、イタリアのレンツィ首相もベンツに乗って登場、期待は見事に裏切られた。

 唯一の例外が米国で、オバマ大統領だけ「キャデラック」の大型リムジンで現れた。

 米国は別にして、各国が自国車両を持ち込むのは難しいとしても、それなら日本のトヨタや日産自動車、ホンダでよかったのではとの思いが頭をよぎったが、そうではないらしい。

 ■マシンガンや地雷に対応

 サミット関係者によると、オバマ氏以外の首脳が乗っていたのはベンツの最上級モデル「Sクラス」の防弾車で、「S600 Guard」の名称を持つ。日本が議長国として用意し、伊勢志摩サミットのためにドイツから輸入されたという。

 国際会議などで首脳を乗せる車はテロや外部からの襲撃を想定し、防弾などで高い安全性能を確保していなくてはならない。

 S600 Guardは、見た目は通常のSクラスとほぼ同じだが、ドイツの「VR9」という最高レベルの安全基準をクリア。特殊鋼を使用した堅牢なボディー構造で、積層されたガラスもポリカーボネートでコーティングされており、マシンガンによる銃撃にも耐える。

 ジェームズ・ボンドの乗る“ボンドカー”さながらの装備で、車の底には特殊な外板が設置され、地雷など車両下の爆発物に対応。特殊タイヤは損傷しても30キロは走行でき、毒ガスや細菌攻撃を想定した換気システムもあるという。

 V12エンジンを搭載し、最高出力は530馬力で、最高速度は時速210キロを誇る。

 実は平成20年の北海道・洞爺湖サミットの際もベンツが輸入された。

 ■米大統領車は“野獣”

 一方、オバマ氏が乗っていたのは大統領専用車「キャデラック・ワン」。S600 Guardほどスピードは出ないが、「ビースト(野獣)」の名称で知られ、ロケット弾も耐える装甲を持つとされる。大統領がどちらに乗っているかわからないように絶えず2台で移動していた。

 対する日本だが、安倍首相は普段も使用しているトヨタの最高級モデル「レクサスLS」の特注車で移動した。詳しい性能は非公開であるものの、防弾車であるのは間違いない。

 また、各国首脳の随行員らもトヨタのロングセラーバン「ハイエース」を提供していた。

 サミット開催にあたり、議長国である日本政府は、各国首脳用にレクサスの防弾車を特注することも可能だったかもしれないが、価格なども考慮しつつ、海外の基準をクリアし、一定の量を効率的に用意できるベンツを選んだとみられる。

 実際、ベンツがS600 Guardだけでなく、スポーツ用多目的車(SUV)「Mクラス」の防弾車など多様なラインアップを用意し、世界各国の政府機関やVIPに販売を続けてきたのに対し、レクサスの防弾車は市販されていないからだ。

 日本は治安がいいからと言ったらそれまでだが、紛争地域やテロ対策などを考えれば、世界的には防弾車のニーズは少なくない。自動車メーカーにとっては性能や信頼性のアピールにもなり、独メーカーではベンツのほか、アウディやBMWも手がけているだけに、日本勢の出遅れが目立つ。

 ■自動運転も不発

 サミットでは、トヨタや日産、ホンダが自動運転車を披露し、日本の技術をアピールする機会も設けられた。ただ、カナダのトルドー首相らが試乗したのに対し、オバマ氏やメルケル氏らは欠席した。

 今回のサミットで、首相は中国の海洋進出に対する認識の共有や世界経済の成長に向けて各国が政策を総動員することなど、いくつかの成果を上げた。では、日本の自動車メーカーはといえば、「完勝」というわけにはいかなかったようだ。(田村龍彦)

2016年6月12日日曜日

超使える! 「スター・ウォーズの英語」5選

東洋経済オンライン 6月11日(土)11時0分配信

 超使える! 「スター・ウォーズの英語」5選
映画を見る前に『スタ-・ウォーズ』の英語を学べば、面白さががぜん増します! ※『CD付 スター・ウォーズの英語 [エピソード7/フォースの覚醒]』(KADOKAWA)より
昨年の冬についに放映され、世界的な反響を巻き起こした、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』。ついに日本でもDVD&Blu-rayが発売されましたが、『フォースの覚醒』を充分に楽しむためには、やはり英語のセリフを理解するのがいちばんです! 
もっと言えば、キャラクターのセリフを日常会話で使ってみることで、普通に勉強するよりも、はるかに効率よく身に付けることができます。
「『スター・ウォーズ』はSFだから、あまり使えないのでは?」と思ったあなた、それは誤解です!  前回の記事でもご紹介しましたが、本作では、日常生活で使える英語表現が非常に多く登場します。それでは、『CD付 スター・ウォーズの英語[エピソード7/フォースの覚醒]』で翻訳/英文解説を担当された、カリスマ英語講師の安河内哲也氏に、本書後半に登場する、日常会話でも使える英語の名言を紹介いただきます。もちろん今回も、最新の超美麗のアートワークも必見です! 
(※本記事は軽微なネタバレを含みます。まだ見ていない人は注意してください。)
■ スター・ウォーズと共に「英語マスター」を目指そう! 

みなさん、こんにちは!  安河内哲也です。前回の記事でもお話しましたが、私は『スター・ウォーズ』のファンで、本シリーズがきっかけで“英語に覚醒した”といっても過言ではありません。 みなさんもぜひ、『スター・ウォーズ』をきっかけに「英語マスター」を目指していただけたらと思います! 

最新作で復習する、スター・ウォーズの英語名言その①
・You’re part of this fight. We both are.

あなたは戦うんでしょ。私たち2人とも。―――――レイ

 帝国軍の残党であるファースト・オーダーを脱走したフィンは、レイと出会い、追っ手から逃れるためにミレニアム・ファルコン号に乗船していました。ところが、話の流れからレジスタンスの基地へと向かうことになり、ハン・ソロの友人、マズ・カナタの酒場に立ち寄ります。そこで彼は、自分はレジスタンスに加わるつもりはないと明言するのです。これは、そんなフィンに対してレイが言ったセリフです。

 part of ~ は、日常表現やビジネス英語でもよく使う表現で、「~の一員です」という意味。

 You are part of this project. We all are.

 (あなたはこのプロジェクトの一員です。私たちすべてがそうなのです)

 と言ったりできます。このシーンでは、「あなたはこの戦いの一部でしょ」という意味ですが、そこから「あなたは戦うんでしょ」と意訳してみました。

最新作で復習する、スター・ウォーズの英語名言その②
・Long story. A good one for later.

長い話になるわ。後にしたほうがいいわね。―――――マズ・カナタ

 マズ・カナタの城の地下室には、何とブルーのライトセーバーがありました。

 エピソード5では、ダース・ベイダーに手を切り落とされたルークの手にもブルーのライトセーバーが握られていたのを覚えているでしょうか?  これらは果たして同じものなのか。そしてなぜ、ライトセーバーが酒場の地下室にあるのか……。

 マズ・カナタがそれを説明しようとしても、簡単には説明できない背景があるらしく、「どこで手に入れたんだ?」というハン・ソロの問いに、彼女はこのセリフのように手短に答えるのみです。

 long story(話せば長くなる)、for later(後で) は、ともに日常生活でよく使う表現です。

 Why did you go to watch Star Wars without me? 

 (なんで、僕を置いて「スター・ウォーズ」を見に行ったんだ? )

 などという問いかけに、

 Long story. It’s for later.

  (話せば長くなるんだ。それは後にしよう)

 という具合に使うことができます。

最新作で復習する、スター・ウォーズの英語名言その③
・Come get it.

取り戻してみな。―――――フィン

 青色のライトセーバーは、元々、スカイウォーカー家の人間の手を渡り歩いてきた伝説の武器です。傭兵としての訓練を受けてきたためなのか、フィンはこのライトセーバーを意外なほど見事に使いこなします。それを見たカイロ・レンは、フィンに対して「その武器は私のものだ」と告げるのです。それに対し、フィンはこのセリフを発し、勇敢にもカイロ・レンと戦う姿勢を見せます。

 comeやgoという動詞は、その後に原形不定詞を付けることがあります。たとえば、You go get it. (それを取りに行って)やWould you come see it? (見に来てくれませんか? )。こうした言い方は、ネイティブの間で頻繁に用いられるます。

 皆さんも、このような会話で使ってみてください。

 Why don’t you come see my Star Wars collection? 

 (僕の「スター・ウォーズ」コレクションを見に来ない? )

最新作で復習する、スター・ウォーズの英語名言その④
・I can show you the ways of the Force.

オレがおまえにフォースの使い方を教えてやる。―――――カイロ・レン

 カイロ・レンは、スターキラー基地内でチューバッカに撃たれ、手負いの身です。とはいえ、訓練を受けてきたカイロ・レンは強敵で、フィンは敗れてしまいます。

 その後、ライトセーバーを持ったレイがカイロ・レンに立ち向かうのですが、その戦いの最中、苦戦するレイに対してカイロ・レンが放つセリフが、これです。

 show~は「~を見せる」とも訳されますが、ここでは「~を教える」という意味で使われています。the waysは「方法」ですが、日本語の「道」に近いニュアンスです。したがって、the ways of the Forceは「フォース道」と訳すことも可能です。

最新作で復習する、スター・ウォーズの英語名言その⑤
・May the Force be with you.

フォースと共にあらんことを。―――――レイア・オーガナ

 『スター・ウォーズ』ファンでこのセリフを知らない人はいないと思いますが、やはり今回も、最後を締める言葉はこれ以外には考えられません。may には祈願や祈りの意味が込められており、宇宙に流れるエネルギー、すなわち「フォース」が共にあることをお互いに願いつつ、相手へ贈る言葉として使われています。

 日常表現としては、

 May your dream come true! (あなたの夢がかないますように! )

 という表現で使えます。

 銀河をめぐる戦いの中であっても、飛び交う英語は日常会話でよく使えるものばかりなのです。皆さんも、ビデオや書籍で、改めて『スター・ウォーズ』の世界に触れてみてください。きっと、私と同じように「英語に覚醒」することができると思います! 

 それでは、May the Force be with you! 

 (写真:©&TM LUCASFILM LTD)

安河内 哲也

2016年6月3日金曜日

アヴェンジャーズ in IT world

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?page=1&qid=12158290662&sort=1

 「セキュリティエンジニアを将来の夢にしているのですが」――高校2年生がYahoo!知恵袋でこんな相談を投げかけたところ、大学教授やセキュリティ企業の中の人など、各界のスペシャリストたちが回答欄に次々降臨するという謎の盛り上がりを見せています。


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セキュリティエンジニアを将来の夢にしているのですが(Yahoo!知恵袋)

 投稿者は、セキュリティエンジニアになるためには専門学校と大学どちらへ進むのがかで悩んでいるもよう。セキュリティエンジニアは技術が重要で、学歴はそこまで気にしなくてよい、という意見を耳にしたことも迷いにつながっているようです。

 これに対し現在(4月20日22時時点)22件の回答が集まっているのですが、圧巻なのが回答者の顔ぶれ。HASHコンサルティング代表・徳丸浩さんを筆頭に、立命館大学情報理工学部の上原哲太郎教授、慶応大学大学院メディアデザイン研究科の砂原秀樹教授、他にもYahoo! JAPANの楠正憲さん、他にもセキュリティ企業・ラックの中の人(おそらく西本逸郎CTO)などなど、名だたる専門家たちが次々と降臨。高校2年生の質問に対し、セキュリティエンジニアに必要なものは何か、今すべきことは何なのかを真剣に答えてくれています。何だこの胸熱な展開は……!


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祭りの口火を切った徳丸さん(「業界のものです」という書き出しが奥ゆかしい)

 この知恵袋はたちまちネット上でも「本にして売れるレベル」「これぞ真の意味での知恵袋」「知恵袋史上最高の回答群」と話題に。あまりにも豪華な“夢の共演”ぶりから「セキュリティエンジニア界のアベンジャーズかと思った」「とりあえずアルマゲドンのテーマ曲流しますね」といった声もあがっています。

 まさしく「知恵袋」の名にふさわしい回答が集まった今回の質問。おれたちが普段見ている知恵袋は何だったのか……という気もしますが、たまにこういう奇跡が起こるのがインターネットのステキなところです。

2016年5月28日土曜日

Text of President Obama’s Speech in Hiroshima, Japan

The following is a transcript of President Obama’s speech in Hiroshima, Japan, as recorded by The New York Times.

Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.

Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in a not-so-distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans, a dozen Americans held prisoner.

Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.

It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors having learned to make blades from flint and spears from wood used these tools not just for hunting but against their own kind. On every continent, the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen. Peoples have been subjugated and liberated. And at each juncture, innocents have suffered, a countless toll, their names forgotten by time.

The world war that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth. And yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.

In the span of a few years, some 60 million people would die. Men, women, children, no different than us. Shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death. There are many sites around the world that chronicle this war, memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity.

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Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity’s core contradiction. How the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our toolmaking, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will — those very things also give us the capacity for unmatched destruction.

How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily we learn to justify violence in the name of some higher cause.

Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness, and yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith as a license to kill.

Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats. But those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different.

Science allows us to communicate across the seas and fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos, but those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.

The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.

That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see. We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war and the wars that came before and the wars that would follow.

Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.

Some day, the voices of the hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of Aug. 6, 1945, must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination. It allows us to change.

And since that fateful day, we have made choices that give us hope. The United States and Japan have forged not only an alliance but a friendship that has won far more for our people than we could ever claim through war. The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed people and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that work to avoid war and aspire to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.

Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations and the alliances that we form must possess the means to defend ourselves. But among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them.

We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe. We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles. We can stop the spread to new nations and secure deadly materials from fanatics.

And yet that is not enough. For we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale. We must change our mind-set about war itself. To prevent conflict through diplomacy and strive to end conflicts after they’ve begun. To see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition. To define our nations not by our capacity to destroy but by what we build. And perhaps, above all, we must reimagine our connection to one another as members of one human race.

For this, too, is what makes our species unique. We’re not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.

We see these stories in the hibakusha. The woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized that what she really hated was war itself. The man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.

My own nation’s story began with simple words: All men are created equal and endowed by our creator with certain unalienable rights including life, liberty and the pursuit of happiness. Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans. The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family — that is the story that we all must tell.

That is why we come to Hiroshima. So that we might think of people we love. The first smile from our children in the morning. The gentle touch from a spouse over the kitchen table. The comforting embrace of a parent. We can think of those things and know that those same precious moments took place here, 71 years ago.

Those who died, they are like us. Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it. When the choices made by nations, when the choices made by leaders, reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.

The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting, and then extending to every child. That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare but as the start of our own moral awakening.

2016年5月10日火曜日

博士論文、修士論文、卒論が読めます。

北海大リポジトリ
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/index.jsp


国内の機関リポジトリ一覧
http://www.nii.ac.jp/irp/info/list.html


東大リポジトリ
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/

2016年4月11日月曜日

世界史flash

europe
http://www.mapsofwar.com/ind/imperial-history.html

america
http://www.ugoky.com/chizu/n_america2000_ugoky.swf

asia
http://www.ugoky.com/chizu/ugoky_chizu.swf

領土問題マップ
http://metrocosm.com/disputed-territories-map.html

2016年1月20日水曜日

初公開! 首都圏鉄道「ノロノロ度」ランキング

東洋経済オンライン 1月19日(火)5時35分配信

 1月18日は大雪により首都圏の鉄道が大きく乱れた。いつもより会社に着くのが遅れたという人も多いだろう。ただ平常運転時でも、朝の通勤ラッシュ時は予定時刻よりも電車の到着が遅れることも少なくない。

初公開!首都圏ノロノロ運転ランキング

 国土交通省・交通政策審議会の「東京圏における今後の都市鉄道のあり方に関する小委員会」は、2016年度以降を対象とした首都圏の鉄道ネットワーク整備の基本方針となる新答申を検討している。JR東日本の羽田アクセス新線の行方をはじめ、さまざまな議論がこの委員会で行われている。

 16回目を迎えたこの小委員会が1月15日に開催され、鉄道輸送の現状に関する話し合いが行われた。今後の動向を決めるような方向性は打ち出されなかったものの、配布資料の中に興味深いデータがあった。

■ 最速達列車の評定速度で比較してみた

 「速達性の向上の現状と今後の取組のあり方について」と題された資料には、朝ピーク時における通勤列車の表定速度が路線ごとに記載されていた。表定速度とは、区間距離を所要時間で割って算出したもの。列車の実質的な運行速度を表す。

 平日昼間なら時速70~80キロメートルで走る通勤電車も、朝のラッシュアワー時は前に電車が詰まり、走っては止まりを繰り返す。乗客のイライラは募るばかり。表定速度を算出すれば、どの程度のノロノロ運転なのか、路線ごとの比較が可能になる。

 そこで、この資料に記載された首都圏の21路線について「最速達列車」の表定速度を比較してみた。最速達列車とは通勤快速、快速急行といった朝ピーク時において都心の終着駅に最も速く到達する列車を指す。

 ワーストは京王線(高幡不動⇒新宿)の時速32.6キロメートル。スクーター程度のスピードで走っていることになる。

 次いで、東急田園都市線(長津田⇒渋谷)の時速38.1キロメートル、東京メトロ東西線・東葉高速線(東葉勝田台⇒大手町)の時速39.2キロメートル、小田急小田原線(町田⇒新宿)の時速39.3キロメートル、東急東横線(横浜⇒渋谷)の時速40.3キロメートルと続く。

■ 北総線は昼間並みのスピード

 では、表定速度が速い路線はどこか。トップは北総線(千葉ニュータウン中央⇒京成高砂)の時速71.4キロメートル。ピーク時間帯の1時間当たりの運行本数が11本と少ないせいもあり、平日昼間並みのスピードで走ることが可能なのだ。

 次いで、JR京葉線(蘇我⇒東京)の時速66.7キロメートル、JR東海道線(戸塚⇒品川)の時速64.3キロメートル、JR横須賀線(戸塚⇒品川)の時速57.5キロメートル、JR東北線(大宮⇒上野)の時速57.3キロメートルと、JR東日本の路線がズラリと並ぶ。

 京葉線は通勤快速の途中停車駅が八丁堀と新木場の2駅しかないこと、東海道線や東北線は複々線のため運行本数に余裕があることが理由だ。

 各路線の表定速度が過去と比べて改善したのか、あるいは低下したのか。2015年と2000年を比較したデータも発表されている。

 最も低下したのはJR京葉線。2000年の時速80.6キロメートルから2015年には時速66.7キロメートルへ、13.9キロメートルも低下した。新木場駅に停車するようになったことや、直通運転を行う武蔵野線も含めた運行本数増などが理由として考えられる。

 つくばエクスプレスは10年間で時速63.6キロメートルから時速56.8キロメートルへ、6.8キロメートル遅くなった。快速が止まらない駅で利用者が増加したため、通勤快速を新設。その結果、途中停車駅が増えた。

 東西線・東葉高速線は表定速度が時速4.4キロメートル低下した。通過駅の利用客が増え、東葉快速を停車駅の多い通勤快速に変更したことが原因だ。京急本線は時速3.9キロメートル遅くなったが、こちらは運行本数の増加が理由となっている。

■ アクセス特急の新設が追い風

 反対に、表定速度が最も大きく向上した路線は北総線だ。時速59.5キロメートルから時速71.4キロメートルへ、11.9メートルもスピードアップした。成田スカイアクセス線の新設で停車駅数の少ない「アクセス特急」が新設されたことによる。

 西武池袋線は時速43.0キロメートルから時速53.5キロメートルへ、10.5キロメートルも速度が向上した。練馬―石神井公園間の高架複々線化が完了したことが理由である。同じく西武新宿線も時速6.5キロメートル、表定速度が向上した。こちらは停車駅数の少ない「通勤急行」が新設されたことによる。

 では、最もスピードの遅い京王線と最も速い北総線で、表定速度が倍以上も違うのがなぜか。最大の理由は運行本数の違いだ。京王線は朝ピーク時1時間に30本が走るのに対して、北総線は11本。大量の乗客を運ぶために運行本数を増やすと、速度を落とさざるをえない。

 京王、小田急、東急など東京西部を走る路線ほど、表定速度が遅い傾向がうかがえる。国土交通省は「東京圏西部方面については、他の方面と比較して、表定速度が低いことから、表定速度の向上に取り組むことが必要ではないか」と提案している。

■ どうすればスピードアップできる? 

 そのための対策としてまず考えられるのは、複々線化や退避線の設置だ。ただし、新たに線路を造るとなるとコストは莫大なものとなる。「国が鉄道会社に対して複々線化を迫ると『補助金を出せ』という話になりかねないので、国も強くは言えないのではないか」(関係者)との見方もある。

 JR東日本は近年、新型車両を導入し、車両の性能向上によるスピードアップを図っている。新たに線路を建設するよりは安上がりだろう。

 比較的コストがかからない対応策は、運行ダイヤの調整だ。西武新宿線のように、速達列車の停車駅を削減することでスピードアップした例もある。が、通過駅の大量の乗客をどうするか、という課題は残る。

 逆に、混雑を平準化するために速達列車の停車駅を増やした結果、表定速度が低下してしまった東急田園都市線のような例もある。混雑解消とスピードアップという矛盾した命題の解決に向けて、鉄道会社が知恵を絞る日々はまだまだ続きそうだ。

2016年1月10日日曜日

灘中→麻布高校→東大”で、抱き続けた劣等感

“灘中→麻布高校→東大”で、抱き続けた劣等感
プレジデント 1月5日(火)8時45分配信

 “灘中→麻布高校→東大”で、抱き続けた劣等感
都司嘉宣・深田地質研究所客員研究員、元東京大学地震研究所准教授。東京大学工学部土木工学科卒。 東京大学大学院理学系研究科修士課程(地球物理学専攻)修了。
■「悔しいのですが、天才はほんとうにいる」

 「劣等感にずっとさいなまれてきたから、私しか持っていない力で勝負してやろうと生きてきました。私の力では、絶対に勝てない人たちはいます。悔しいのですが、天才はほんとうにいるのです」

 東京大学地震研究所の准教授だった都司嘉宣(つじ・よしのぶ)さん(68)が、自らのキャリアを振り返った。長年にわたり、津波や歴史地震学の権威として精力的な研究活動を続けてきた。2011年3月11日の大震災では、発生直後からNHKの番組などで津波についての解説をしたことでも知られる。

 12年3月に64歳で定年退官し、現在は、深田地質研究所(文京区)の客員研究員などを務める。東北大学の研究者らとともに調査をし、論文を精力的に書く。一方で、海外の研究者が来日すると、東北などの被災地を英語やロシア語を駆使して案内する。

 都司さんは甲子園球場の近くの小学校に通っている頃は、常に1番の成績だった。灘中(神戸市)に進学すると、1学年150人ほどのうち、130番前後になった。

 「はじめて強烈な劣等感を持ちました。私の学力ではかなわない生徒ばかりだったのです」

 中学2年から3年になるとき、父の仕事の関係で都内に転居し、麻布中(港区)に転校した。一学年270人で、成績は常時、50番以内になった。

 東大(理科一類)の受験では、得意の地学でほぼ満点だったという。

 「あの頃、東大の試験で地学を受ける人は少なかったのです。穴中の穴でした。数学の点数も高かったと思います。英語は、抜群にはよくなかったのかもしれませんね。英語には前々から、劣等感を抱いていたのです」

 1966年、現役で東京大学に入学する。3年からは、工学部の土木学科に進む。地球物理学科に進みたかったが、家庭の事情もあり、70年、土木学科を卒業した。その頃を「(土木学科は)自分が本来、いるところではないと思っていた」と振り返る。

 卒業後は念願だった、大学院の理学系研究科修士課程(地球物理学専攻)に進む。就職することは考えなかったという。

 「土木学科の学生の中には、その後、大手建設会社の社長になった者もいますが、うらやましいと感じたことはありません。企業で出世したいと思ったことがないのです。同窓会で彼らと会っても、話はあまり合いませんね。そもそも、東大卒ということで優越感を抱いたこともありません」

■力ずくの研究姿勢が認められ、東大助教授に

 大学院在学中は親元を離れ、3畳一間のアパートに住む。家庭教師のアルバイトを掛け持ちし、学費や生活費をねん出した。親の支援を受けなかった。

 「自分で選んだ道に進んでいるのですから、迷いも焦りもありませんでした。この頃は研究のこと以外、考えませんでした」

 1972年、24歳で修士課程を修了する。博士課程2年の25歳から、国立防災科学技術センターに研究員として勤務する。29歳で結婚した。相手の女性は都司さんの学歴を籍を入れるまで知らなかったようだ。

 「私も人をみるとき、学歴は一切、無視します。研究者の力を判断するときも、論文や学会などでの活躍だけに興味がわきます」

 センターで一緒に研究をする人たちの学歴を気にかけたこともないという。

 「ほかの研究者がどのような研究をしていて、どのくらいの深さまで掘り下げているか、といったことは意識していました」

 1982年、35歳のとき、博士号(東京大学)を取得する。この頃、東大の地震研究所の梶浦欣二郎教授(故人)から、定年退官で退職するから研究室を引き継いでほしいと話を受ける。

 都司さんは、梶浦教授から研究指導は受けたことがない。

 「天才・梶浦と呼ばれていたほどの研究者から誘われ、恐れ多いと思い、当初はお断りをしたのです。梶浦先生の研究室の名を汚してはいけないと思いました」

 梶浦教授は、都司さんの論文に早くから注目をしていたようだった。

 「私は安政東海地震(1854)の津波による被害などを調べて、論文を書いたのです。まず、地震が発生した地域の2500ほどの寺院の住職に手紙を送りました。自寺の過去帳に、この地震で死亡した、寺の檀家の人数が書かれてあったら教えてくださいという内容です。6割ほどの寺から回答をいただきました。その被害記録から、地震の震度や被害について書き上げたのです」

 都司さんは、梶浦教授は論文から何かを感じてくれたのではないかと語る。

 「汚れまくって、力ずくで書き上げた論文に感心をしてくださったようです。あれはすごい論文だ、と誉めていただきました。あのごつさが、よかったのかもしれません。天才は試みないでしょうから……。

 私には、常に劣等感があります。優秀な人の中でいかに生きていくべきかと考え続けると、アイデアは浮かんでくるものなのです」

■劣等感が私を突き動かした

 1984年、37歳のとき、東大地震研究所に助教授として勤務することになった。ほかの教授や助教授に劣等感を抱くことがしばしばあったという。

 「天才肌で、光り輝くタイプの研究者が多いのです。英語の力ではかなわないから、ロシア語を勉強し始めました。ロシアは、津波の研究が進んでいます。ロシア語で書かれた論文を読むことができると、得るものが大きいのです。今では、専門分野の論文ならほとんど辞書なしで、なんとか読めるようになりました」

 都司さんが繰り返す言葉が、「劣等感が私を突き動かした」だ。劣等感があると、自分が進んでいく方向もみえてくると話す。

 「特徴のあるもので、まだ、ほかの人が試みていないこと、さらに試みることができないであろうことに挑むようにしてきました」

 東大地震研究所で、講師や准教授を雇うとき、その研究者の学歴について話し合われることはなかったと語る。

 「東大卒か否かは、まったく関係ありません。地震研究所に勤務する40人ほどの准教授や教授のほぼ全員が、その研究者の名前を知っているくらいでないと、採用されることはまずありえないと思います。20~30代で書いた論文が学会で相当に高い評価を受けていないと、名前が知られることはないでしょうね」

 前提として、一定水準以上の英語力と論文を書く力が必要にはなるという。最近5年間で書いた論文や学会での活動を記載した書類を地震研究所に提出することを求めると、1回の募集で全国から平均20人ほどがエントリーする。

 「みんなが輝かしい才能の持ち主で天才肌なのですが、採用されるのは1~2人。研究者として生きていくのは、過酷なのです。

 私は、修士課程で教えていた弟子たちには、院を修了した後の進路は、民間企業にも目を向けるようにといい続けきました。大学の研究者以外の道に進むことを促がしてきたくらいです。

 弟子13人全員が大学、研究所、会社や気象庁、病院、高校などで立派に働き、家族を養っています。これが、私の自慢です。変わり種では、医師になった者もいます」

 教え子たちからカラオケで歌うようにリクエストされていたのが、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」と氣志團の「まぶだち」。

 「(石原)裕次郎とか、(北島)さぶちゃんの歌を歌いたいのですが、学生たちが歌わせてくれないのです。大学で津波を教えるのも、何かと大変です(笑)。私の場合は、劣等感にさいなまれてきたことが、実はよかったのかもしれませんね」

 都司さんは、高校を卒業していない人が受ける「高認」(高卒認定試験)の試験対策の問題集を「しまりすの親方」というペンネームで執筆している。「高認理数系学習室」(学びリンク)などの問題集だ。今では、"高認界のカリスマ"といわれている。今後は、高校を辞めたり、不登校などの人たちに教えたいのだという。

ジャーナリスト 吉田典史=文