2013年12月8日日曜日

社会 冬休み宿題 下書き

日本と韓国の一次エネルギーへの依存率を時系列に並べたものである。

日本に一番近い外国は韓国である。竹島のことで今は少し仲良くできていないがお隣さんなので仲良くしていきたい。竹島問題は、平和的に解決したい。
 ところで、なぜ韓国は竹島にあんなにこだわるのだろう。日本と韓国は共通して資源に乏しい。韓国は、石油埋蔵量ほぼゼロ、天然ガス埋蔵量もほぼゼロらしい。むしろ、日本よりも資源に乏しいといえるだろう。となれば、日本と同じようなエネルギー政策であろうと私は考え、日本と韓国の比較データを探すがなかなか見つからない。それはそうだ。日本は常に米、欧をライバルと意識してきたのであり、韓国との比較データはなかなかないのである。
一次エネルギー使用量の割合を表にし、比較をしてみた。やはり、日本と韓国のエネルギー政策は共通点が多い。石油エネルギーに50%前後、石炭、天然ガスもほぼ似たような割合である。発電における原子力の割合は、日本約30%、韓国約40%でやはり将来を原子力でと見据えたフランス型を目指していたのではないだろうか。日本は、地震により、ドイツ型の再生エネルギーを目指すことに変わるのだろうが、韓国は、今日本を追い抜くほどの電子産業が成長したため、不安定な再生エネルギーでは、工場などの大規模電力に対応することが難しいので、環境問題などが心配である。

財団法人高度情報科学技術研究機構の原子力百科事典から






























文語化すべき口語

http://www.ise.chuo-u.ac.jp/ISE/outline/Gmajor/nihongo/

  1. あまりに → 過度に
  2. いっぺんに → 一度に/一括して/まとめて
  3. あと → また,さらに
  4. やる → 行う
  5. してやる/してあげる → する
  6. してる → している
  7. してない → していない
  8. するけど → するが
  9. …だ.→ …である.
  10. …だった.→ …であった.
  11. …だったら → …であるとき/…であったらならば/…なら
  12. …だけど → …だが/…であるが
  13. (文頭の)だけど/でも → しかし/しかしながら/だが/ところが
  14. (文頭の)ちなみに → これと関連して/しかし/ただし
    【補足】 “LISP は list processor にちなむ”のように,動詞の“ちなむ”は使用してかまいません
  15. (自由度がないという意味で)しようがない → やむをえない
  16. みたいな → のような
  17. (一個のものをさして)とかは → は/のようなものは
  18. とか…とかは → や…は
  19. したり…したりする → したり…する
  20. じゃなくて → ではなく(て)
  21. なんでだろう → なぜか
  22. すごく/すごい → (適切な言葉)
    【例】 プログラムがすごい → プログラムが長い/複雑である/技巧的である
  23. すごい速い → すごく速い → 大変速い/きわめて速い/高速である
  24. 超 → 比較的/やや/かなり/たいへん/きわめて
  25. まじで → 真に/絶対的に/圧倒的に
  26. まともに/もろに → 直接的に/直接
  27. 簡単/楽 → 単純/易しい/容易
  28. 面倒/難儀/厄介 → 複雑/難しい/困難

「永遠の0」 あらすじと感想文

永遠の0のあらすじ

 司法試験に失敗し、またにアルバイトをするだけの怠惰な生活を送っている26歳の健太郎へ、4歳年上の姉でフリーライターの慶子から、アルバイトをしないかという電話が掛かってきます。内容は、ノンフィクションライターを目指す慶子のアシスタント。慶子は、「祖父」のことを調べたいとのこと。

 「祖父」とは2人の祖母の最初の結婚相手で、2人の母親・清子の実の父親ですが、2人が「祖父」の存在を知ったのは、6年前に祖母・松乃が亡くなったときでした。慶子と健太郎は「おじいちゃん」として慕っていた祖母の再婚相手から、「祖父」の存在を打ち明けられました。

 「祖父」は、海軍航空兵で神風で死んだとのこと。「祖父」についてはほとんど何もわからず、祖母も「おじいちゃん」には何も語らなかったそうです。慶子は、母親が「死んだお父さんて、どんな人だったのかな」とふとこぼしたのを聞き、何とかしてあげたいと思ったのでした。慶子は、取引先の大手新聞社が翌年に迎えた終戦六十周年の際に展開する大規模なプロジェクトに参加することができ、プロジェクトにもプラスになるのではと考えています。もっとも慶子は「特攻隊ってテロリストらしいわよ」と新聞社の社員の言葉を受け売りする程度の知識しかありませんでした。健太郎は、乗り気がしませんでしたが、退屈しのぎと、慶子からもらえるお小遣い目当てに協力することにしました。

 「祖父」の名は、宮部久蔵。大正8年生まれで、昭和9年に海軍に入隊。昭和20年、南西諸島沖(九州を飛び立ち沖縄へ向かう洋上)で戦死(享年26歳)ということしかわかっていません。慶子と健太郎は、宮部久蔵を知る人物に会うため、本名はじめわずかな情報から、厚生労働省や戦友会へ問い合わせをしました。

 2人が最初に会ったのは、埼玉県郊外に住む元海軍少尉・長谷川梅男。戦争で片腕を失った戦闘機乗りでしたが、本題が始まると、「奴は海軍航空隊一の臆病者だった」と間髪を入れずに吐き捨てました。宮部久蔵も、長谷川梅男も赤紙で招集された兵隊ではなく志願兵で、飛行機乗りを自ら望んだ航空兵でした。長谷川梅男は、「いいか。戦場は戦うところだ。逃げるところじゃない。あの戦争が侵略戦争だったか、自衛のための戦争だったかは、わたしたち兵士にとっては関係ない。戦場に出れば、目の前の敵を討つ。それが兵士の務めだ。和平や停戦は政治家の仕事だ。違うか」と圧倒してから、長谷川が農家の口減らしのために奉公に出た先で主人を棍棒で何度も殴りつけ、ここしかないということで軍隊に入ったことからはじめ、飛行機にほれ込み航空兵になったこと、中国空軍と戦っている時に真珠湾攻撃の話を聞いて地団駄を踏んだこと、オーストラリア攻略戦で米軍のP39・P40・ハリケーン、英軍のスピットファイアと戦ったが零戦の相手ではあかったこと、ラバウル基地に転属になり参加したガダルカナルの奪還作戦が苛烈を極めたこと(結局、日本軍は奪還に失敗、「ラバウルは搭乗員の墓場」「ラバウル転属は片道切符」と言われた)、ベテラン航空兵の未帰還も珍しくなかった中、宮部はいつもまったくの無傷で帰って来たことなどを、慶子と健太郎に語ります。

 戦後、一転して大罪人扱いされ、過酷な人生を送ってきた長谷川は憎しみに満ち、「わしも特攻で死にたかった」と語ります。2人は長谷川の話に圧倒されますが、健太郎は、長谷川が宮部へ向けて放った「臆病者」という言葉を、「その時、初めて、『臆病者』という言葉は自分に向かって言われた言葉として受け止めていたことに気がついた。なせならぼく自身がいつも逃げていたからだ。ぼくには祖父の血が流れていたのか」と戸惑います。

 2人は、宮部久蔵を知る人物に会い続けます。地元商工会の大物で元海軍中尉・伊藤寛次、元海軍飛行兵曹長・井崎源次郎、農家で元海軍整備兵曹長・永井清孝、老人ホームに住む元海軍中尉・谷川正夫、元県会議員で元海軍少尉の岡部昌男、元一部上場企業社長の元海軍中尉・武田貴則、引退したやくざで元海軍上等飛行兵曹・景浦介山、旅館経営者の元海軍一等兵曹・大西保彦から話を聞くうちに、宮部久蔵が、慶子と健太郎の中で蘇ります。宮部が、日本海軍の戦闘機乗りの秘儀と言われた「左捻り込み」をも使いこなす天才パイロットだったこと、惻隠の情を持った男であり、「生きて家族の元に帰る」と言い続けていたこと、そして、米空母搭乗員を「悪魔のようなゼロ」と震え上がらせたこと… 慶子と健太郎の心の中にも変化が生まれました。




永遠の0の読書感想文

 「永遠の0」の中で、日本軍にあと一押しされていたらやられていた戦いは相当あったとアメリカのハルゼーが回想していたというエピソードが紹介されていました。、あた、海軍の将軍たちは、もっとも叩くべきは敵の輸送船団・ドッグ・石油施設などであるにもかかわらず、弱腰になり反転を繰り返していたといいます。これには、軍部の中での出世競争や査定があり、船を失いたくなかったことや、敵の輸送船や施設をいくら叩いてもポイントにならなかったこと、そして、日露戦争後、一度も海戦をしたことがなかった日本は、太平洋戦争に突入した時点で、ただ海軍大学や海軍兵学校を出たというだけで実戦経験がゼロの将校ばかりだったことなどが、登場人物の口を通して語られました。致命的な失敗をしても、官僚(将校)たちは責任を追及されず、代わりに下士官以下が責任を取らされます。将軍や士官たちは自分たちが矢面に立つ場合は弱腰になり戦闘海域からすぐ離脱しますが、自分たちが危険にさらされることのない場合なら下士官以下をどんな無謀な作戦にも送り出して行ったとのこと。

 権力って、なんだろうと思いました。

 もちろん、「永遠の0」は小説であり、フィクションですが、大局への貢献や使命感の欠如した自分だけ良ければいいという、この官僚構造とでもいうものは、現代でも脈々と生きていると思いました。横領はもってのほかですが、横領にはならなくても官庁や会社の領収証で飲み食いをする場合、もちろん、職務に必要なときもありますが、自腹を切るのが嫌で会社に損失を負わせているというだけのこともあるのではないかと思います。大局としては、財政や経営状態が悪化するわけですが、それを何とも感じず、当たり前のように飲み食いする楽しみにふける人もいます。また、自分がやるはめになりそうなときは黙り込み、自分が労を背負う必要がない場合になるととたんに前に出て会議の場でだけひたすら目立ち、いざ、実践の場面になると、知らん顔をする人も多いかもしれません。何があっても自分は表には出ず、代わりに誰かの名前を出し、責任を問われることは絶対にないという人はどこの世界にもいると思います。そういった人間たちが、いわゆる「勝ち組」になってしまっている構造は、戦争中の日本も、今の日本も変わらないのだと思いました。

 あと、ゼロ戦は、やはりすごかったのだなと思いました。

 堀越二郎と曾根嘉年という情熱に燃える2人の若い設計者の血のにじむ努力によって零戦が生み出されたことが紹介される場面もありましたが、旋回と宙返りに優れるという格闘性能と、速度という本来相反する2つの性能を兼ね備えた魔法のような戦闘機だったとのこと。しかし、囲碁の棋士になるか一高に進むかで迷っていた中学生(旧制)でしたが、父が相場に手を出して大きな借金を残して首をくくり、中学を中退して母も病気になりまもなく死亡し、頼る親戚もなく、天涯孤独の身で海軍を志願した宮部が、世界最高と言われ、誰しもがその性能には陶酔していた零戦について、「自分は、この飛行機を作った人を恨みたい」「八時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。八時間もの間、搭乗員は一時も油断出来ない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ敵が襲いかかってくるかわからない戦場で八時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。八時間を飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」と語っていたことが印象に残っています。確かに、機械としては優秀でも、搭乗員は人間です。ラバウルを飛び立ち、3時間かけてガダルカナルへ向かい、敵地へ乗り込んだ圧倒的不利な状況の中で空戦を戦い、また3時間かけて戻ってくる作戦に、一週間に3度も、4度も出撃しなければならなかった飛行兵は、体力と、精神力の限界を超えていたのだなと思いました。ダイナマイトを発明したノーベルではありませんが、技術や装置を生み出すことと、人間社会の中で技術や装置が利用されることは違うようですし、「技術」や「装置」を、「権力」や「構造」に置き換えることもできるかもしれません。

 「永遠の0」は、真珠湾攻撃からはじまり、ミッドウェイ海戦、サンゴ海海戦、ガダルカナル攻防戦、フィリピン、レイテ、マリアナ沖海戦、サイパン、沖縄というように、戦争の転機になった戦いが順を追って登場するので、戦争を知らない世代でも読みやすかったです。

 また、官僚的構造でがんじがらめになり、官僚的構造の中で生きることだけに忠実な人間たちだけが権力を掌握していた日本軍に対し、「リメンバー・パールハーバー」で心を一つにしたアメリカ軍が、果敢に戦っていた様子も伝わってきました。ミッドウェイ海戦の時に、空母を飛び立ったアメリカ雷撃隊は、ゼロ戦の恐怖を承知のうえで、護衛戦闘機なしで飛び立ち、日本の迎撃機に全滅させられましたが、雷撃隊が零戦を低空に集めた結果として、急降下爆撃隊が上空からの日本空母部隊の爆撃に成功したことや、ドイツの工場を破壊する使命を帯びたB-17爆撃隊が、航続距離の問題で護衛機なしの丸腰の状態で、しかも正確に工場を破壊するため、昼間に爆撃を続け、毎回、40パーセント以上の未帰還機を出し続けていたことの語られていました。B-17搭乗員の戦死者数5千人は、神風の戦死者数4千人を超えているそうです。アメリカは、戦争に勝つというミッションのために、個人が命を駆けて戦い、軍も実力主義で、官僚的に優れているだけの軍人は要職には就くことがなかったようです。

 ただ、それでも、アメリカ軍のガッツある攻撃は「九死に一生を得る」ことがありました。しかし、特攻は「十死零生」で文字通り「必死」。「鹿屋の基地の防空壕内の施設で女子挺身隊として働いていた」などの記述もありましたが、当時は、生き延びるには過酷な時代だったのだなと思いました。

2013年12月7日土曜日

日比谷高校への道

中高一貫から受験?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1489968429

塾は必須ではない
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1079607005

現役生からの意見1
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1081687590?fr=rcmd_chie_detail



東大京大に受かる人/落ちる人の意外な共通点とは? 社会のことは東大任せ!?なぜ京大出身の社長や官僚は少ない?

代々木ゼミナールで25年以上英語講師を務め、「東大英語」「京大英語」などの難関大学志望者向けクラスから、基礎クラスまでを担当する人気講師・西きょうじ氏。
 過去に西氏の授業を受けた総生徒数は約20万人以上、そのうち、東大・京大合格者は実に約3000人にも及び、時に放送コードぎりぎりの雑談も交えながら、「無用なテクニックに頼らず、常に原理原則に立ち返る、丁寧な授業」が、多くの生徒の支持を受けている。

 このたび一般読者向けの著書『情報以前の知的作法 踊らされるな、自ら踊れ』(講談社)を上梓した西氏に、

 「東大と京大の求める人材の違い」
 「伸びる生徒の共通点、伸びない生徒の共通点」
 「勉強することの楽しさを、生徒に“感染”させるとは?」
 「受験勉強の経験は、将来どのように役に立つのか?」
 「論理的思考を身につける方法」

などについて聞いた。

――西さんは長年、東大、京大志望者向けの英語クラスを担当されていますが、東大が求める学生と、京大が求める学生に、明確な違いはあるのでしょうか?

西きょうじ氏(以下、西) ありますね。京大の人たちは、「実際に社会を動かす政治家や官僚、経営者は東大が輩出すればいい。だから自分たちは学問に関しては徹底的に基礎研究をやりましょう」と考えている節があります(笑)。確かに、東大出身の官僚や政治家、経営者は多いですが、京大出身者は少ないように思われます。

――そういう違いというのは、両校の英語の入試問題のつくりにも表れていたりするのでしょうか?

西 ええ。東大の入試問題は「短時間で、いかに論理的に解答を導き出すか」が問われるつくりになっていて、情報処理型でスピードを要求しますが、わりとオーソドックスです。一方、京大の入試問題は、最近少し変わってきましたが、原則的には英文をとにかく日本語に訳しなさいという問題です。しかも「ただ訳せ」というだけではなく、思考した結果を正確に表現できないと訳せないような部分に、下線を引いてきます。日本の大学全体の中でも、京大の入試問題はかなり異質です。

――難関大学に受かる生徒に、共通点はありますか?

西 あくまで相対的にですが、体の姿勢の良い子は伸びます。もちろんそれまでの勉強量もありますから、姿勢の良い子すべてが難関大学へ行けるわけではないです。ですが、その時点からの伸び代という点では、姿勢の良い子が伸びますね。

 というのも、姿勢が良いというのは、骨盤が入り、肩が後ろにいくので、横隔膜が開き、呼吸が深くなる。そうすると人の話をきちんと聞くことができるんです。本書でも、聞く姿勢については詳しく言及しています。

――逆に、成績が伸びない子の共通点はありますか?

西 余計なことを考える子は、受験に失敗してしまうことが多いですね。今、予備校での2学期のテーマは「な~んにも考えない強さ」。例えば、野球のバッターを考えてみます。3割打者は、実は7割は打てない。でも、バッターボックスに入るとき、自分は7割打てないとは考えず、3割の確率で打てると考える。生徒に対し、普段は視野を広く持ちなさいと言っていますが、こと受験という短期決戦では、視野を狭くして通ることしか考えさせない。また、通ることを想定して考えさせる。そうでないと「勉強が間に合わない」「落ちたらどうしよう」ということを考えて始めてしまう。

 そういう不安がどんどん大きくなると、勉強時間の中で、その不安について考える割合が大きくなってしまうんです。こういうふうになってしまう生徒は、真面目な生徒に多いです。真面目な生徒で、勉強が伸びない生徒は、適当に勉強することができない。例えば、受験間近の冬の時期に、時間的には難しいにもかかわらず、真面目な生徒は勉強する単語をすべて覚えようとする。

 ある程度適当に物事をこなせる生徒は、その一部だけをしっかりやろうとする。そういう生徒はうまくいきます。完璧を目指すと、自分で自分の首を絞めてしまう。完璧が壁になってしまうのです。そうではなく、身近な目標を考えて、その目標の半分できればいい。その半分ができたら、目標をリセットし直して再度短期でがんばる。その時には、がんばったこと自体を評価する。

 がんばったことによる結果を評価すると、その結果が壁になってしまいなかなか伸びません。特にできない子には、「目標の半分を達成したら、目標をリセットする」を繰り返しさせると、初めに思っているよりは高い壁を越えられます。

――受験勉強の経験というのは、ビジネスパーソンを含め、その人の将来において何か役に立つことはあるのでしょうか?

西 あらゆる経験は、すべてプラスにはなると思います。でも、それは後から考えてわかることで、事前に予期はできません。ですので、生徒はそういうことを言われても困ると思いますので、僕は言わないようにしています。

 受験勉強には、大きく2つの点で、その後の人生にとって良い点があると思います。ひとつは、大学入試に落ちてものすごく悔しくても、他人から見れば大したことではなかったりする。それは大学入試だけに限らず、同じ出来事でも、本人が感じていることと、他人がそれについてどう感じているかというのは違います。

 つまり、他人から見て大したことがないことでも、自分はしっかり痛かったという経験をすることで、他人が苦しいと言う時に、自分から見て大したことないことでも、「当人には辛いのだろうな」と想像できるようになる。そういう他人の痛みがわかるようになる経験ができれば、対人関係を構築する能力が高まります。

 もうひとつは、受験は答案用紙でアピールできなければ当然落ちます。生徒にとって、それまでの人生では失敗しても言い訳の余地があったりするけど、受験は結果がすべてで、誰のせいにもできない。言い訳のできない初めての経験ではないでしょうか。社会に出て、仕事に就けば、結果だけで判断される。その前に受験で擬似的に体験できることは大きいと思います。

――特に難関大学の受験問題では、「論理的思考」というものが問われるといわれますが、この「論理的思考」について、西さんはどのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか?

西 「論理的に考える」というのは、何かを発信したいと思う場合には不可欠な要素です。特に日本人の場合は、いわゆる腹芸で意思を伝えるというか、共感に頼る部分が大きいのですが、それでは立ち行かなくなる場面が多くなるでしょう。グローバル化ということもありますが、世代間、あるいは都会と田舎では共感による意思疎通がますます難しくなっていっているからでもあります。

 しかし、論理的思考は、あくまでも不可欠な一部にすぎません。論理化するというの
は、いわばノイズを切り捨てて線形にすることで効率を高めて伝達するということですが、その切り捨てられたノイズこそ重要だということもあるからです。

 一見無駄に見えるものが、実は全体の調和に役立っているということは多いものです。
ですから、論理的思考を身につけつつ、それがすべてではないということは念頭に置いておくことが必要でしょう。

――論理的思考を身につけるためには、どうすればよいでしょうか?

西 受験生には、隣に口うるさい大阪のおばはんがいるものと仮想しなさい、とよく言っています。何か言うと、「なんでやねん」「ほんまか」「証拠見せてみ」「そんなん人によるやん」と、すかさず突っ込んでくるおばはんです。それに対応することが、論理的展開、いわゆる説明責任を果たす、ということに近づくことになるからです。そこで共感を期待してはいけません。相手を納得させる必要があるのです。大阪のおばはんは手ごわいですよ(笑)。

 この仮想やりとりを続けていくと、論理的に抜けのない発話をしていくことが徐々に
できていきます。いわば、自分のうちに他者の目を置いておく、ということですね。自分から離れることができて初めて論理性は養われていくのです。

 あとは、いわゆる思考停止言語、「ヤバい」「チョー……」「っていうか」、ある
いは料理の味についてなら「うまい」「おいしい」「あまい」などという言葉で感想
を伝えようとしないことです。言葉を模索することは、とても大切です。料理番組に出
て「これ、ヤベエ」などと言う人たちは愚の骨頂といえます。彼らには、論理を身につ
けることはできないでしょう。

――長年、西さんは代ゼミの英語講師として、常に第一線に立ち続けていらっしゃいますが、そのために日頃から取り組んでいることはありますか?

西 ひとつは、自分自身が常に勉強すること。もうひとつは、勉強すること、物事を知ることが楽しいという気持ちを、生徒に感染させるようにすることです。

――感染させるとは、どういう意味でしょうか?

西 勉強したり、何かを知ることが楽しいということは、言葉だけでは伝わりません。やはり、自分が本当に勉強などを楽しんでいないと伝わらないのです。それは言語が身体化されているかどうか。言語が身体化されるためには、自分が体感していないと伝わらない。まったくがんばっていない人が「がんばれ」と言っても空虚な言葉に聞こえますが、本当にがんばっている人に言われれば、耳を傾けようかなと思うものです。

 同じ「がんばれ」という言葉を、誰にどういう音で言われるかは大事だと思います。言葉を使っているけど、言葉に乗っけているものが伝わることがある。そういうものは、最終的にはごまかせないと感じています。

――今でも、英語の勉強は続けているのですか?

西 予備校で教えるというレベルでは差し障りないですが、今でもさまざまな局面で「自分は英語ができない」と実感することはあります。数年前にイギリスのケンブリッジに滞在したとき、向こうの人たちとディスカッションをしたのですが、その時にも「できないな」と感じました。ただ、英語が完璧にできないからこそ、英語のできない生徒の気持ちもわかるので、ラッキーなのかもしれません。

――そんな西さんが、このたび、本書『情報以前の〜』を上梓された理由はなんでしょうか?

西 去年、予備校講師として受験の世界ばかりを見ていたことに、ふと気がついたのです。もうすぐ50歳を迎えるので、そろそろ受験以外の社会ともかかわり、発言したり行動しなければと。

 私たちを取り巻く状況が目まぐるしく変化し、スピードが要求される中で、あえて立ち止まりしっかり思考することが、重要なのではないかとも考えています。最近では被災地へ紙芝居を見せに行ったり、講演をしたり、予備校以外の活動も始めました。その中で、ツイッターやブログを始めたんです。すると、昔の教え子との交流が再開しました。25年以上予備校講師を務めているので、それなりに教え子はたくさんいるんですが、過去の生徒さんの中にITジャーナリストの津田大介さんがいて、彼の後押しなどもあり、講談社さんから出版することが決まったんです。

――最後に、今後の西さんの活動について教えてください。

西 予備校講師は続けつつ、例えば、週末社会人が集まって話し合う寺子屋のようなものをできればいいなと考えています。そうしたものをすでにやっている大学の先生や会社の社長さんはいらっしゃいますが、何者でもない僕がやるのは、面白いのではないか。そういう活動を通じて、社会の風通しを良くしていければいいですね。

●西きょうじ(にし・きょうじ) 
予備校講師。1963年東京都生まれ。京都大学卒業後、2年のブランクを経て予備校講師に。多数ある著書の中でも『ポレポレ英文読解プロセス50』(代々木ライブラリー)は「上位受験生のバイブル」として売れ続けている。