代々木ゼミナールで25年以上英語講師を務め、「東大英語」「京大英語」などの難関大学志望者向けクラスから、基礎クラスまでを担当する人気講師・西きょうじ氏。
過去に西氏の授業を受けた総生徒数は約20万人以上、そのうち、東大・京大合格者は実に約3000人にも及び、時に放送コードぎりぎりの雑談も交えながら、「無用なテクニックに頼らず、常に原理原則に立ち返る、丁寧な授業」が、多くの生徒の支持を受けている。
このたび一般読者向けの著書『情報以前の知的作法 踊らされるな、自ら踊れ』(講談社)を上梓した西氏に、
「東大と京大の求める人材の違い」
「伸びる生徒の共通点、伸びない生徒の共通点」
「勉強することの楽しさを、生徒に“感染”させるとは?」
「受験勉強の経験は、将来どのように役に立つのか?」
「論理的思考を身につける方法」
などについて聞いた。
――西さんは長年、東大、京大志望者向けの英語クラスを担当されていますが、東大が求める学生と、京大が求める学生に、明確な違いはあるのでしょうか?
西きょうじ氏(以下、西) ありますね。京大の人たちは、「実際に社会を動かす政治家や官僚、経営者は東大が輩出すればいい。だから自分たちは学問に関しては徹底的に基礎研究をやりましょう」と考えている節があります(笑)。確かに、東大出身の官僚や政治家、経営者は多いですが、京大出身者は少ないように思われます。
――そういう違いというのは、両校の英語の入試問題のつくりにも表れていたりするのでしょうか?
西 ええ。東大の入試問題は「短時間で、いかに論理的に解答を導き出すか」が問われるつくりになっていて、情報処理型でスピードを要求しますが、わりとオーソドックスです。一方、京大の入試問題は、最近少し変わってきましたが、原則的には英文をとにかく日本語に訳しなさいという問題です。しかも「ただ訳せ」というだけではなく、思考した結果を正確に表現できないと訳せないような部分に、下線を引いてきます。日本の大学全体の中でも、京大の入試問題はかなり異質です。
――難関大学に受かる生徒に、共通点はありますか?
西 あくまで相対的にですが、体の姿勢の良い子は伸びます。もちろんそれまでの勉強量もありますから、姿勢の良い子すべてが難関大学へ行けるわけではないです。ですが、その時点からの伸び代という点では、姿勢の良い子が伸びますね。
というのも、姿勢が良いというのは、骨盤が入り、肩が後ろにいくので、横隔膜が開き、呼吸が深くなる。そうすると人の話をきちんと聞くことができるんです。本書でも、聞く姿勢については詳しく言及しています。
――逆に、成績が伸びない子の共通点はありますか?
西 余計なことを考える子は、受験に失敗してしまうことが多いですね。今、予備校での2学期のテーマは「な~んにも考えない強さ」。例えば、野球のバッターを考えてみます。3割打者は、実は7割は打てない。でも、バッターボックスに入るとき、自分は7割打てないとは考えず、3割の確率で打てると考える。生徒に対し、普段は視野を広く持ちなさいと言っていますが、こと受験という短期決戦では、視野を狭くして通ることしか考えさせない。また、通ることを想定して考えさせる。そうでないと「勉強が間に合わない」「落ちたらどうしよう」ということを考えて始めてしまう。
そういう不安がどんどん大きくなると、勉強時間の中で、その不安について考える割合が大きくなってしまうんです。こういうふうになってしまう生徒は、真面目な生徒に多いです。真面目な生徒で、勉強が伸びない生徒は、適当に勉強することができない。例えば、受験間近の冬の時期に、時間的には難しいにもかかわらず、真面目な生徒は勉強する単語をすべて覚えようとする。
ある程度適当に物事をこなせる生徒は、その一部だけをしっかりやろうとする。そういう生徒はうまくいきます。完璧を目指すと、自分で自分の首を絞めてしまう。完璧が壁になってしまうのです。そうではなく、身近な目標を考えて、その目標の半分できればいい。その半分ができたら、目標をリセットし直して再度短期でがんばる。その時には、がんばったこと自体を評価する。
がんばったことによる結果を評価すると、その結果が壁になってしまいなかなか伸びません。特にできない子には、「目標の半分を達成したら、目標をリセットする」を繰り返しさせると、初めに思っているよりは高い壁を越えられます。
――受験勉強の経験というのは、ビジネスパーソンを含め、その人の将来において何か役に立つことはあるのでしょうか?
西 あらゆる経験は、すべてプラスにはなると思います。でも、それは後から考えてわかることで、事前に予期はできません。ですので、生徒はそういうことを言われても困ると思いますので、僕は言わないようにしています。
受験勉強には、大きく2つの点で、その後の人生にとって良い点があると思います。ひとつは、大学入試に落ちてものすごく悔しくても、他人から見れば大したことではなかったりする。それは大学入試だけに限らず、同じ出来事でも、本人が感じていることと、他人がそれについてどう感じているかというのは違います。
つまり、他人から見て大したことがないことでも、自分はしっかり痛かったという経験をすることで、他人が苦しいと言う時に、自分から見て大したことないことでも、「当人には辛いのだろうな」と想像できるようになる。そういう他人の痛みがわかるようになる経験ができれば、対人関係を構築する能力が高まります。
もうひとつは、受験は答案用紙でアピールできなければ当然落ちます。生徒にとって、それまでの人生では失敗しても言い訳の余地があったりするけど、受験は結果がすべてで、誰のせいにもできない。言い訳のできない初めての経験ではないでしょうか。社会に出て、仕事に就けば、結果だけで判断される。その前に受験で擬似的に体験できることは大きいと思います。
――特に難関大学の受験問題では、「論理的思考」というものが問われるといわれますが、この「論理的思考」について、西さんはどのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか?
西 「論理的に考える」というのは、何かを発信したいと思う場合には不可欠な要素です。特に日本人の場合は、いわゆる腹芸で意思を伝えるというか、共感に頼る部分が大きいのですが、それでは立ち行かなくなる場面が多くなるでしょう。グローバル化ということもありますが、世代間、あるいは都会と田舎では共感による意思疎通がますます難しくなっていっているからでもあります。
しかし、論理的思考は、あくまでも不可欠な一部にすぎません。論理化するというの
は、いわばノイズを切り捨てて線形にすることで効率を高めて伝達するということですが、その切り捨てられたノイズこそ重要だということもあるからです。
一見無駄に見えるものが、実は全体の調和に役立っているということは多いものです。
ですから、論理的思考を身につけつつ、それがすべてではないということは念頭に置いておくことが必要でしょう。
――論理的思考を身につけるためには、どうすればよいでしょうか?
西 受験生には、隣に口うるさい大阪のおばはんがいるものと仮想しなさい、とよく言っています。何か言うと、「なんでやねん」「ほんまか」「証拠見せてみ」「そんなん人によるやん」と、すかさず突っ込んでくるおばはんです。それに対応することが、論理的展開、いわゆる説明責任を果たす、ということに近づくことになるからです。そこで共感を期待してはいけません。相手を納得させる必要があるのです。大阪のおばはんは手ごわいですよ(笑)。
この仮想やりとりを続けていくと、論理的に抜けのない発話をしていくことが徐々に
できていきます。いわば、自分のうちに他者の目を置いておく、ということですね。自分から離れることができて初めて論理性は養われていくのです。
あとは、いわゆる思考停止言語、「ヤバい」「チョー……」「っていうか」、ある
いは料理の味についてなら「うまい」「おいしい」「あまい」などという言葉で感想
を伝えようとしないことです。言葉を模索することは、とても大切です。料理番組に出
て「これ、ヤベエ」などと言う人たちは愚の骨頂といえます。彼らには、論理を身につ
けることはできないでしょう。
――長年、西さんは代ゼミの英語講師として、常に第一線に立ち続けていらっしゃいますが、そのために日頃から取り組んでいることはありますか?
西 ひとつは、自分自身が常に勉強すること。もうひとつは、勉強すること、物事を知ることが楽しいという気持ちを、生徒に感染させるようにすることです。
――感染させるとは、どういう意味でしょうか?
西 勉強したり、何かを知ることが楽しいということは、言葉だけでは伝わりません。やはり、自分が本当に勉強などを楽しんでいないと伝わらないのです。それは言語が身体化されているかどうか。言語が身体化されるためには、自分が体感していないと伝わらない。まったくがんばっていない人が「がんばれ」と言っても空虚な言葉に聞こえますが、本当にがんばっている人に言われれば、耳を傾けようかなと思うものです。
同じ「がんばれ」という言葉を、誰にどういう音で言われるかは大事だと思います。言葉を使っているけど、言葉に乗っけているものが伝わることがある。そういうものは、最終的にはごまかせないと感じています。
――今でも、英語の勉強は続けているのですか?
西 予備校で教えるというレベルでは差し障りないですが、今でもさまざまな局面で「自分は英語ができない」と実感することはあります。数年前にイギリスのケンブリッジに滞在したとき、向こうの人たちとディスカッションをしたのですが、その時にも「できないな」と感じました。ただ、英語が完璧にできないからこそ、英語のできない生徒の気持ちもわかるので、ラッキーなのかもしれません。
――そんな西さんが、このたび、本書『情報以前の〜』を上梓された理由はなんでしょうか?
西 去年、予備校講師として受験の世界ばかりを見ていたことに、ふと気がついたのです。もうすぐ50歳を迎えるので、そろそろ受験以外の社会ともかかわり、発言したり行動しなければと。
私たちを取り巻く状況が目まぐるしく変化し、スピードが要求される中で、あえて立ち止まりしっかり思考することが、重要なのではないかとも考えています。最近では被災地へ紙芝居を見せに行ったり、講演をしたり、予備校以外の活動も始めました。その中で、ツイッターやブログを始めたんです。すると、昔の教え子との交流が再開しました。25年以上予備校講師を務めているので、それなりに教え子はたくさんいるんですが、過去の生徒さんの中にITジャーナリストの津田大介さんがいて、彼の後押しなどもあり、講談社さんから出版することが決まったんです。
――最後に、今後の西さんの活動について教えてください。
西 予備校講師は続けつつ、例えば、週末社会人が集まって話し合う寺子屋のようなものをできればいいなと考えています。そうしたものをすでにやっている大学の先生や会社の社長さんはいらっしゃいますが、何者でもない僕がやるのは、面白いのではないか。そういう活動を通じて、社会の風通しを良くしていければいいですね。
●西きょうじ(にし・きょうじ)
予備校講師。1963年東京都生まれ。京都大学卒業後、2年のブランクを経て予備校講師に。多数ある著書の中でも『ポレポレ英文読解プロセス50』(代々木ライブラリー)は「上位受験生のバイブル」として売れ続けている。
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