2015年7月25日土曜日

台風予報円はなぜ出来たか?(1)予報官達の苦労 「扇形表示」から「予報円表示」へ


饒村曜 | 気象予報士/青山学院大学・静岡大学非常勤講師

7月24日15時の台風12号の進路予報

台風12号が南西諸島に接近し、沖縄本島には明日早朝には予報円がかかって台風の中心が接近する可能性が高いことを示しています。いまでは予報円が当たり前のように使われていますが、この予報円を36年前に作ったのは私です。
気象庁では、予報円を作るなど本業である防災情報改善などのかたわら、ちょっとした知恵があれば被害が軽減できるのではと感じ、テレビ出演や取材対応、わかりやすい著作などを積み重ねてきましたが、今後、各種防災情報の成立過程やその効果的な利用法などを発してゆきたいと考えています。

何とか進行方向だけでも当てようとした戦後の台風予報

実は台風予報円が最初に使われたのは1982年6月の台風5号からです。戦後の日本は、大きな台風災害が相次ぎ、死者が4桁(1, 000名以上)の大惨事となるのが珍しくありませんでした。それを何とか減らせないかと予測の上でも様々な努力がなされてきました。
台風の扇形表示
台風の扇形表示
たとえば台風予報の扇形表示もその1つです。台風の24時間先予報において、気象庁では、台風の進行方向だけでも予報しようと、1981年までの約30年間、誤差幅をつけた「扇形表示(進行速度は難しいので一本の線上に表示)」を使っていました。第二次大戦後の相次ぐ台風災害の中で、予報精度が非常に悪くても、何とか進行方向だけでも正しい予報を出して防災に役立てようとする当時の予報官達の苦労の結晶が「扇形表示」です。
しかし、最初から大きな欠点を持っていました。それは、予報誤差には、進行方向と進行速度の2種類があるのですが、扇形表示ではその形から、進行方向の誤差が全くないかのような印象を与え、「台風はまだ来ないだろう」と人々に誤った判断をさせてしまったことです。
図1 台風の進路誤差を端的な数字で表す2つの方法
図1 台風の進路誤差を端的な数字で表す2つの方法

扇形表示から予報円表示へ

そこで考えられたのが、「予報円」を用いた表示方法です。台風の予報誤差には,進行方向と進行速度の2種類がありますが、多くの例で調査すると,両方の誤差がはぼ等しくモデル図(図1)の様に予報位置を中心とした分布となっています。精度の良い予報になればなるほど予報位置の回りに集中した分布となり、精度の悪い予報ほど周辺部にも広がっている分布となります。予報の精度を簡単に表すには,この予報位置のよわりにどれ位集中してくるかということを示せば良いのですが、これには2通りの方法があります。一つは一定の割合が含まれる円の大小で表わす方法(図1のA:ここでは70%が入る円の大きさ)で,もう一つは,予報位置の回りに一定の大きさの円を描き,この円内にどれくらいの予報が含まれているかで表わす方法(図1のB:ここでは150kmの円内に入る割合)です。
気象庁の発表する予報円表示の予報円は,表示の簡明さ、情報伝達のわかりやすさ等を考え合わせ、前者の方法、つまり、円の中に70%の予報が入るということで半径を決めた予報円を採用しています(採用当初は60%でしたが、すぐに70%に引き上げられました)。
このため、予報円の半径は、ほぼ台風の進路予報誤差の平均に対応しています。

台風12号の72時間予報(72時間後には暴風警戒域がなくなる)
では、第二次大戦後の相次ぐ台風災害の中で、予報精度が非常に悪くても、何とか進行方向だけでも正しい予報を出して防災に役立てようとする当時の予報官達の苦労の結晶が「扇形表示」で、扇形表示が最初から持っていた進行方向の誤差が全くないかのような印象を与えるという欠点を改善したのは「予報円表示」という説明をしました。
しかし、「予報円表示」は、すんなり世の中に受け入れられたわけではありません。台風予報の表示方式がそれまでの扇形表示から予報円表示に変わると、今度は台風の強さを表す表示がないため、予報円の大きな台風が強い台風であるとの誤解が生じてしまいました。このため、新たな改善が求められ、誕生したのが予報円と組み合わせた暴風警戒域です。

予報円と暴風警戒域の組み合わせ

図2 昭和60年8月30日9時の台風予報図
図2 昭和60年8月30日9時の台風予報図
1985年8月末に台風13号が九州に、台風14号が関東に接近したとき、マスコミ等で大きく取り上げられたのは、台風14号でした。しかし、実際に勢力が強く、大きな被害をもたらしたのは、台風13号でした。そのときの反省から、報道のしやすさも視野に入れ、「暴風警戒域(台風の中心が予報円内に進んだ場合に暴風域に入る可能性がある範囲)」という現在も用いられている台風進路予報の表示方法が考えられました。現在の暴風警戒域は、予報した時刻に暴風域に入る範囲を示す円ではなく、ある時刻に暴風域に入るすべての範囲を囲む線に変わっていますが基本は同じです。
予報技術としては同じであっても、表示の方法によって、利用者の受け取り方が大きく違います。図2は、1985年の台風13号と台風14号の24時間予報をもとに予報図を3種類で表したものです。「扇形表示」のAでは台風13号の中心が早ければどのあたりまでくるかはわかりませんが、「予報円表示」のBでは、早ければ有明海の入り口に台風中心がくることがわかります。
暴風域と暴風警戒域が表示されているCでは、Bで得られる情報に加え、台風13号は台風14号より勢力が強いこと、24時間後には有明海全体が暴風域に入っている可能性が高いということがわかります。

予報円はだんだん小さくなる

こうして台風予報円は少しずつ進化し、現在では5日先までの予報円が示されるまでになりました。
台風の進路予報は、自然要因の変動がありますが、予報技術の改善により確実に向上しています。台風の予報円表示が始まったのは24時間予報は昭和57年から、48時間予報は平成元年から、72時間予報は平成9年から、4日予報と5日予報は平成11年からですが、確実に向上しており(図3)、これに伴って予報円も小さくなっています。
図3 気象庁が発表した台風進路予報の平均誤差(気象庁HPより)
図3 気象庁が発表した台風進路予報の平均誤差(気象庁HPより)
予報円は小さくなり、昔に比べれば台風被害が少なくなっているといっても、残念ながら被害が発生しています。台風は南の海上からやってきますので、不意打ちはありません。台風情報を正しく理解することが、台風被害、特に台風の人的被害を0にする第一歩です。
出典:図2の出典:饒村曜(1993)、続・台風物語、日本気象協会。
饒村曜
気象予報士/青山学院大学・静岡大学非常勤講師
1951年新潟県生まれ。新潟大学理卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。現在は青山学院大学と静岡大学の非常勤講師で、減災コンサルタント。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

2015年7月24日金曜日

進路に困りましたか? その1

 「いまは経産省時代に培った法律や制度に関する知識を糧に、会社でコンサルタント業や再生可能エネルギー電源の開発をしています。元官僚という重々しい肩書を収入につなげるまで1年半くらいかかりました。1人で生きていくうえで大事なのは、誰にでもわかるようなシンボルをつなぎ合わせてストーリーにし、他人に理解してもらう『セルフブランディング』。例えば、国の制度を説明するにも、どこの馬の骨かわからない『ただの物知りの宇佐美典也』が説明するのと、『元経産官僚で現在は会社を経営し国と民間両方の立場がわかる宇佐美典也』が説明するのでは、説得力が違うでしょう。自分の経歴に対する世間のイメージと合った情報発信を繰り返すことで、少しずつ『元官僚で再生エネをやっている人』というストーリー・ブランドが浸透し、それが稼ぎにつながってきました。貧乏したこともありましたが、いまの収入は官僚時代よりも多くなりました」

 「セルフブランディングは、就活にも応用できます。例えばイベントサークルや広告研究会で活動していた学生が『コミュニケーション能力に自信があります』とアピールしたら面接担当者は『そうかもね』と思います。一方、数学理論を研究する学生が、コミュ力ありますと言っても、『?』でしょう。数学研究という自らのシンボルと、相手に伝えたいストーリーがずれているからです」

 ――最近は親がエントリーシートを書くと言われるほどたくさんの会社に応募する学生が多いそうです。主体的に企業選びをする上で、どのような情報収集が必要でしょうか。

 「目標のために人の力を借りることは悪いことではありません。けれども、借りるという範囲でおさめないと。外面を取り繕って内定とっても、いずれ外面ははがれ落ちます。自分にとって本当に必要な組織にめぐり合った上での内定じゃないと続かないでしょう」

 「就活している上で見落としがちなのは、OB訪問とか会社説明会とか、外の人から得られる情報は本音じゃないってことです。結局、他人です。いいことしか言いません。それよりも、自分の父親や親族などの人生を見るべきです。例えば父親は何十年も働いてきて、どういう人生をたどっているか。1回くらい飲みに行って仕事について語り合って、自らの職業観を描いてみる。過去にお世話になった人、例えば高校の恩師や部活のコーチ、仲間に会いに行って『自分ってどういう人間でしたか』と聞いてみるのも自己分析をする上で役立つでしょう。案外、灯台もと暗しなものです」

 「多くの学生は就活中、大企業しか見えていないでしょう。もちろん、新入社員を社会人としてある程度の規格生産品にしてくれる大企業の教育環境はありがたい。5年後、10年後の自分に、または会社の未来に確信が持てないなら大企業を目指せばいい」

 「高学歴な人ほど地縁や血縁からは離れたところで生活しがちです。一方、肩書を捨ててわかったことですが、結局、最後の最後に頼れるのは利害関係のない地縁や血縁、小中高や大学の友人です。その人たちは自分が気がつかなかった世界をけっこう知っていて、惜しげもなく協力してくれたりします。例えば、父親や親戚のおじさんに『いいと思う会社、伸びると思う会社を100社教えて』と頼んでみては。きっと目に入らなかったいい会社をいっぱい教えてくれると思いますよ」

     ◇

 うさみ・のりや 1981年、東京都生まれ、東大経済卒。経済産業省に入り、経済産業政策局、産業技術環境局で企業立地促進政策や技術関連法制を担当。その後、国立研究開発法人「新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)」に出向し、電気・IT分野のプロジェクトを立案。在職中、自身の「三十路の官僚のブログ」で給与明細や官僚の生態などをつづり話題に。

 2012年、経産省を退職。いまはエネルギー・不動産関連会社「Absolute Global Assets」取締役として再生可能エネルギー電源の開発・仲介取引、再生エネルギー分野の法務コンサルティング、省エネ商材の販売など手がける。

 著書に「30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと」(ダイヤモンド社)、「肩書き捨てたら地獄だった ―挫折した元官僚が教える『頼れない』時代の働き方」(中公新書ラクレ)

■記者のひとこと

 斜陽産業といわれる新聞業界に身を置く私にとって、年齢が一つしか変わらない宇佐美さんが、30歳そこそこで超がつくほどのエリートコースを降りたことを「なんてもったいないことを」と思っていた。一方、「どんな変わり者だろう」と興味があった。

 弁舌鋭いブログの書きぶりから、冷静沈着で理路整然といった姿を想像して取材に臨んだが、語り口は意外に穏やか。プライベートな話も赤裸々に語り、よく笑う人で肩の力が抜けた。仕事もいっしょ。思い込みを捨てて他人からの視線を気にしなければ、もっと楽しく生きていけるし、そんなの簡単なことだよ、と言われているような気がした。(佐々木洋輔)

2015年6月6日土曜日

韓国と日本の世界遺産登録

朴槿恵大統領はなぜ第三国での日本批判を繰り返すのか 日韓で食い違う「告げ口」理解

韓国の朴槿恵大統領が5月4日、安倍晋三首相が米上下両院合同会議で行った演説について「慰安婦被害者たちをはじめとする歴史問題に対する真の謝罪をして近隣諸国と信頼を強化できる機会を活かせなかったことは、米国でも多くの批判を受けている」と述べた。「米国で批判されている」と主張することで、安倍首相を批判したといえる。朴大統領は20日には、ユネスコのボコバ事務局長との会談で、戦時中に徴用された朝鮮人が働かされた施設を含む「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産として登録することに反対する考えを伝えた。

「韓国の安全保障にとって重要な日本」を理解しない韓国

 ボコバ氏との会談に関するニュースが流れてきた時、私は編集局内で「朴槿恵さんらしいよね」という声を聞いた。朴大統領が日本にケチをつけるのは珍しくない、という反応だ。驚きがないから、このニュースは翌日の新聞に小さくしか載らなかった。安倍首相の演説への反応にしろ、世界遺産にしろ、日本では「またか」という受け止め方が強いというのが、率直な評価だろう。

 ただ、日本でいわゆる「告げ口外交」と言われる言動について、韓国では一般に「告げ口」という意識が共有されていない。韓国では、朴大統領は「正しいことを正当に言っているだけ」であり、「告げ口」という評価は当たらないという感覚が強い。韓国人とこの話題を話すと、話がかみ合わないことが多いのだ。

 こうした認識の差は、韓国と日本の社会意識の違いからくるように思われる。韓国側の特徴として挙げることができるのは、やはり儒教の影響だろう。ただし、過去の事象にどれくらい適用すべきかは判断が分かれるとしても、基本的人権のような普遍的「正しさ」というものがあるという感覚は、欧米社会にも強い。さらに、世界遺産問題では日本側の主張にもかなり苦しい部分があるのだが、この点については後述しようと思う。

「正しさ」への強い確信
 朴大統領は安倍演説を批判した際、「このように日本が歴史を直視できず、自らの過去の問題に埋没していこうとしているといっても、それは私たちが解決してあげられない問題だ」と続けた。ずいぶんと「上から目線」に感じられる発言だ。朴大統領のキャラクターということもあるのだろうが、それだけではなく、自分たちの立場が絶対的に「正しい」という確信が背景にあると見るのが自然だろう。

 これは、儒教に基づく韓国社会の伝統的思考法に則ったものだ。韓国では、「正しさ=正義」が絶対視される。別の言い方をするならば、道徳性が非常に重視される。ただ、正義や道徳性の判断基準は自分たちが決めるので、その感覚を共有しない他者から見ると「正義の押しつけ」になってしまう。だから、日本とは「正しい歴史認識」を巡って衝突することになる。

 現代韓国研究の第一人者である慶応大の小此木政夫名誉教授は「近世までの朝鮮は経済的に豊かでなく、軍事的に強大でもなかった。中国の儒教文明の強い影響下にあったこともあり、『何が正しいか』という名分論で自分たちの正統性を主張するしかなかった。中国との関係では、力ではかなわないから、論理的な反論をする以外に方法がない。それが、『正しさ』を追及する伝統を生んだのではないか」と話す。

 1980年代までの強権的体制の下ではこうした意識が顕在化することはなかったが、民主化と冷戦終結によって重しが外れ、「伝統」の影響力が復活してきたと考えられる。こうした現象は、韓国に限らず、東欧などでも見られることだ。

強い序列意識が背景に
 韓国の社会意識に大きな影響を与えている儒教・朱子学は、序列意識の強いものだ。そして、序列上位のものには道徳性を強く求める「徳治」が強調される。この考えは、国際関係にも持ち込まれる。韓国が自らより序列上位にあると考える欧米先進国や国際機関に徳を求めて、韓国の正しさ=日本の不当性を訴えようとなるようだ。

 その裏には、強大国に力で対抗できない「小国」だと自らを規定する意識がある。周辺国の思惑と争いの中で、自らの運命を主体的に決められずにきた朝鮮半島の歴史を背景にしたものだ。

 だから、過去の侵略行為を否定し、慰安婦問題での日本の責任を否定する(と韓国が考える)安倍首相を、米国が歓迎するようなことは、あってはならないことだ。米国を訪れる外国首脳に対する最高のもてなしである、上下両院合同総会での演説の機会を安倍首相に提供し、過去への謝罪をしない安倍首相に拍手を送ることは言語道断ということになる。

 それなのに実際には、慰安婦問題や植民地支配について演説で明言しなかった安倍首相に、米国の議員たちは総立ちの拍手を送った。韓国の感覚からすれば、あってはならないことだ。韓国メディアが演説後、「韓国外交の敗北」などと大きく書き立てるほどのショックを受けた背景には、こうした感覚があるといえそうだ。

 日本と同じように、韓国にも「国連信仰」がある。世界遺産の問題でユネスコが「正しい」姿勢を見せることに期待する韓国の心理は、安倍演説への反応に通じるものだ。米国やユネスコに「正しい主張」を伝えることは、決して「告げ口」などとは評されないのである。

日本研究者の「声明」に安堵
 米国の著名な日本研究者ら187人が5月4日、慰安婦問題などで安倍首相に批判的な見解を示した「声明」を発表した。賛同者はその後、457人に増えている。

 声明は、慰安婦問題について「最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません」と指摘。戦後70年の今年は「日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会」だとして、安倍首相に適切な対応を取るよう求めた。

 韓国メディアが歓迎したのは当然だが、その背景には、やはり「国際社会が味方をしてくれた」という安堵感があるはずだ。

 研究者たちの声明は、慰安婦問題が「韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました」と中韓を批判する一方で、「強制連行」があったかどうかよりも「非人道的制度を取り巻く、より広い文脈」を重視すべきだと指摘している。普遍的な人権問題としてとらえる国際社会の潮流を反映しつつ、単純な日本批判に陥らないよう苦心した跡のうかがえる内容だ。

 残念ながら韓国メディアの多くは、自分たちの「正しさ」に合う部分だけに焦点を当てて報道し、中韓への苦言は無視したり、簡単に触れるにとどめていた。

 ただ、朝鮮日報が「日本に対する世界の著名な歴史学者たちの批判を、第三者によるものだから意味があるというならば、韓国に対する彼らの苦言も第三者によるものだから価値があると受け止めるのが成熟した姿勢だ」というコラムを掲載するなど、一部ではあるものの、正面から受け止めようとする姿勢も見られたことは留意すべきだろう。

日本相手だけではない「告げ口」
 実は、日本的な感覚で「告げ口」に見える行動は、日本を相手にした時だけ出てくるわけではない。修学旅行の高校生ら300人余りが犠牲になった昨年4月の「セウォル号」沈没事故の時も、朴槿恵政権に責任があると糾弾する活動が、約250万人の韓国系市民が住む米国で繰り広げられた。

 事故の約1カ月後には、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストに「真実に光を」と題する1ページ全面を使った意見広告が掲載された。ニューヨーク・タイムズには「なぜ韓国人は朴槿恵大統領に怒っているのか」、ワシントン・ポストには「朴槿恵大統領はセウォル号と共に韓国の民主主義を沈めようとしているのか」というサブタイトルがそれぞれ付いていた。

 ニューヨークなど、全米各地で朴大統領の退陣要求集会も行われた。左派系ネットメディア・オーマイニュースによると、マンハッタンでの集会には約150人が参加した。参加者たちは、英語と韓国語で「朴槿恵は出て行け」などと書かれた横断幕やプラカードを持って、「無能無責任な朴槿恵反民主独裁政権を糾弾する」と訴えたのだという。

 朴大統領と敵対する進歩派による「場外乱闘」だ。米国の世論が、韓国内の問題に対する抗議活動に大きな関心を寄せるとは考えづらい。抗議活動をしている人たちも、そんなことを本気で期待しているわけではないだろう。米国の世論に「正しさ」を訴えている姿をアピールすることが大事だという感覚があるようだ。

世界遺産問題は、 日韓の意思疎通不在を象徴
 「告げ口」外交という本筋からは外れるが、世界遺産問題と関連して一つ紹介しておきたい。「明治日本の産業革命遺産」の対象時期の問題だ。私が知る限り、本稿を書いている5月下旬時点で、このことにきちんと触れたのは5月22日付毎日新聞の社説だけである。

 冒頭で紹介した朴大統領の言及にある通り、韓国は、「産業革命遺産」には徴用された朝鮮人が働かされた施設が含まれていると反発している。日本側はこれに対して「対象となっているのは1850年代から1910年までであり、第二次世界大戦中の徴用とは時期が違う」と反論。菅義偉官房長官は「韓国の主張するような政治的主張を持ち込むべきではない」(5月22日の記者会見)と、韓国の反発を一蹴している。

 日本も、戦時中に朝鮮人徴用が行われたことを否定しているわけではない。争点といえば、世界遺産登録の申請に入っている時期ではなかったということになる。

 申請で対象とされた1850年代は、幕末という意味だ。それくらい、私にもすぐ分かった。だが、「1910年まで」というのは分からなかった。そのため政府の担当者に「1910年に何があったのか」と質問したところ、「ロンドンで開かれた日英博覧会に八幡製鉄所で作られた鉄が出品された」という答が返ってきた。日本が産業化に成功したことを西欧諸国に知らしめた記念の年ということらしい。

 世界遺産登録をめざすにあたって、日本の成功を西欧諸国に誇示できた年を区切りとすることは、遺産群にストーリー性を持たせ、訴求力を高める効果を期待できる。だから、申請に当たってそうした手法を取ることは当然であり、なんら批判されるべきことではない。負の歴史があったから世界遺産として保存すべきでないという主張も、正当なものとは思えない。

 ただ、1910年が、日本の産業化における画期的な年として従来から認められてきたのかと問われれば、かなり苦しいと言わざるをえない。

 象徴的な施設の一つとなっている長崎県の「軍艦島(端島)」で保存運動に取り組んできた関係者によると、世界遺産申請の話が出た当初から、関係者の間では朝鮮人徴用への反発が出るのではないかという懸念があった。そのため、軍艦島などは対象から外そうと検討されたこともあったという。この関係者は「この問題をクリアできるようにしたのが、1910年という区切りだった」と話した。

 石破茂・内閣府特命担当相は5月8日の記者会見*で、「ロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になった」と説明すると同時に、「この年は日韓併合の年ではないかという指摘も当然予想される」と話した。石破氏の発言にある通り、1910年というのは、韓国との関係においては感情的反発を呼びやすい年でもある。

 この問題では、日韓両国の専門家や外交官の多くが「昔だったら事前調整がきちんと行われ、大きな問題にはならなかったはず」と口をそろえる。当初からそうした懸念を持たれていたにもかかわらず、最終局面になるまで放置されていたということは、まさに近年の両国間における意思疎通の不在を象徴するものといえるだろう。

参考

石破内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成27年5月8日
(平成27年5月8日(金) 9:08~9:30  於:合同庁舎8号館1階S106会見室)

1.発言要旨

 おはようございます。冒頭、私から申し上げます。
 既に5月4日、私の談話においても述べたことの繰り返しになって恐縮でありますが、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」についてのイコモスの記載の勧告についてであります。
 我が国が誇るべき文化遺産である「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」が、専門的な諮問機関である国際記念物遺跡会議、いわゆるイコモスから世界遺産としてふさわしい旨の評価を受け、ユネスコ世界遺産委員会に対し登録の勧告がなされたことは大変喜ばしいことであると考えております。この勧告を受け、本年6月末から7月、具体的には6月28日から7月8日と承知をいたしておりますが、その間にドイツのボンで世界遺産委員会が開催されるわけであります。その日時は特定できませんが、その間に登録の可否が決定されるということになっておると承知をいたしておるわけでありまして、この世界遺産委員会におきまして、本件がイコモスの勧告どおりに世界遺産一覧表へ記載されるよう最善を尽くしてまいりたいと考えておる次第であります。談話と重複した部分が多くて恐縮です。
 以上です。
2.質疑応答

(問)冒頭、世界遺産の件についてお伺いしますが、今回のイコモスからの勧告について、韓国政府、韓国の国会から一部施設が戦時中に強制労働があったというのがあるとして、反対する考え、姿勢を示されていますけれども、日本政府としてどのように理解を求めていかれる考えなのか改めてお願いします。
(答)去る5月4日、韓国の国会、具体的には外交統一委員会でありますが、今御指摘のような決議が採択されたということは報道等により承知をしておるところであります。政府として今までも述べたことかもしれませんが、この本件遺産の対象は1850年代から1910年ということであります。したがいまして、先の大戦中の朝鮮半島の出身である方々の旧民間徴用工の問題とは対象とする年代、歴史的位置づけ、その背景が異なるというものであります。徴用工の問題というのは、戦時中の1940年代のお話でございます。この遺産はあくまで1850年代から1910年までの産業遺産としての顕著な普遍的な形に着目をして推薦をしたものでありまして、それを受ける形で様々な議論の末に、イコモスから本件を世界遺産に登録すべきという勧告が今般なされたものであります。
 世界遺産委員会におきましては、この勧告を尊重し、本推薦案件が技術的・専門的見地から審議され、勧告どおりに世界遺産登録が決定されるということを期待しているものでありますが、この点につきまして、韓国はもとより世界遺産委員会の委員国に対しまして十分な御説明をし理解を求めていくということが極めて肝要だというふうに考えております。
 なお、何で1910年なんだと、この年は日韓併合の年ではないのかというような御指摘も、当然予想されるところでありますが、この1910年というのはロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になったというふうに承知をいたしております。ですから、私どもとして、この私どもが推薦した理由、そして、言ってみれば、世界の遺産というのか宝物というのか、そういう価値というものを丁寧に誠実に、韓国のみならず世界中に御説明をするというような真摯かつ誠実な姿勢が最も肝要だというふうに私自身考えておるところです。
(問)今の関連ですけれども、今回この世界遺産に関して所管が文化庁ではなくて内閣官房になっているということもあって、韓国のこういった反応というのは前々からずっと予想はされていて、そのあたりの連携とかを含めて、韓国や各国へのケアというのは、これまで十分にとれてきたというふうにお考えでしょうか。
(答)十分かどうか、それは判断される方によって違うのだと思います。ただ、これは実際に稼働中のものも含んでおるということもあって、富岡製糸場などとは少し趣を異にするものでございます。内閣官房所管ということになっておるわけでありますが、当然、外務省を始めとして政府部内においてきちんとした意思の疎通を図りつつ連携をとりながら今日まで努力をしてきたものであります。今後とも政府部内で意思の疎通を図りながら、一致した認識のもとに連携を密にして、この6月から7月にかけて開かれる委員会に向けて更なる努力を真摯かつ誠実にしていくということに尽きると考えております。
(問)地方自治の観点から、マイナンバー制度を活用し、自治体と連携して郵便局が役立つことはありますでしょうか。
(答)このマイナンバーというものを使っていろいろな行政というものが更にきめ細かく丁寧に行われるようになる。そして、個人の方々の情報であるとかプライバシーの尊重ということは常に念頭に置きつつも行政の更なるきめ細かい対応、そしてまた国民の方々に対して不公正がないように、不平等がないようにきちんとした行政が納税者の立場あるいは国民の主権者としての立場に配意しつつ効果的に行われるということは重要なことだと思っております。郵便局との連携がどのようになされていくかということは、これから内閣府としても関係省庁あるいは日本郵政ともお話をしながら、このマイナンバー制度が企図いたしております目的の達成のために可能な限りの連携を図ることは当然だと思っております。
(問)所管外で申しわけないんですけれども、昨日、衆議院の憲法審査会が開かれまして、今日、各紙大きく書いていると思うんですけれども、結構意見の食い違いというかですね、鮮明になったんですけれども、緊急事態条項なんかを始めとするところから改憲すればいいじゃないかという自民党に対して、言葉として「お試し改憲」という言葉を使う民主党なんかがあって、こうした議論を大臣御自身がどう御覧になったかという点と、あと改憲の必要性自体は前から訴えられておられると思うんですけれども、改憲の手順について、大臣御自身が所感がありましたら伺えないかと思うんですが。
(答)これは、内閣の一員としてお答えすべきものではございません。内閣としてこの問題に対して、このように考えるということをお答えするというものでもございませんので、あくまで一衆議院議員としてお答えをするということでよろしいんでしょうか。
 これは長く私も二十数年この問題は議論をいたしてまいりました。そして、憲法改正草案の起草委員として、この条文作りにも携わってきたという立場にございます。憲法審査会においていろいろなお考えが披瀝をされ、そして議論が深まるということは当然事の重大性から考えて望ましいことだと承知をいたしております。
 その上で、これは党内であった議論ですが、憲法改正草案全体を対象物とするというのは、難しかろうねと。当然、改正条文は一つだけではない、前文から始まりまして膨大な改正条項を含んでおるわけで、Aという条項は賛成だが、Bという条項については反対だということは当然あるわけで、国会における3分の2の議決にしても、ましてや国民投票にしても、技術的に可能かどうかという議論はしたんですけど、そうすると、ものすごい長い紙になって、この条文のここの部分は賛成だ、反対だとか、そんなことは多分、技術的に絶対無理だとは言わないが、極めて難しいねというふうな議論はしたと思っております。
 さすれば、それを「お試し」と言うかどうかは別として、どの条文について国民投票に付するのか、その前の衆・参両院の総議員数の3分の2の議決に対象物として付するのかということは、党内でこういうふうな順番ということを決めたということはございません。また、これから先も国民投票法を成立したことも受けて、党内においてどういう条文を最初にやるんだろうねと。これも党内で意見が収れんしたわけではありません。例えば環境権のように、比較的国民の皆様方の多くの御理解を得やすいものからやってはどうかという意見もあれば、あるいは参議院の在り方、衆・参の在り方についてやったらどうかという意見もあれば、いろいろな意見がございます。まず政権与党たる私どもあるいは公明党の中で議論がなされ、野党は野党において議論がなされ、その後にどういうやり方でやるかということは収れんをしてくるものではないでしょうか。何を優先すべきで、何を劣後させるべきかということは私が申し上げることではございません。緊急事態条項あるいは実力組織たる自衛隊の位置付けというものは、占領下において制定された憲法というものをどのように考えるか、そしてサンフランシスコ条約の発効によって独立国たる地位を回復をした、その後の経緯をどう考えるか。そして自由民主党というものが、なぜ昭和30年に保守合同によって結党されたのか等々、そのような議論がまた党内で活発になされるということは重要なことだと思っております。
 国民の皆様方に、なぜ改憲をする必要があるのかということを本当に懇切丁寧に御説明をし理解を得るということが何にしても一番大事なことではないかなと。何かよくわからない答弁で恐縮ですが、そういうような形になろうと思います。
(問)隠岐諸島の視察の件で2点お聞かせいただきたいんですが、1点目が、現地でもお話を伺わせていただいたんですけれども、改めて視察の御感想をお聞かせいただきたいのと、現地で大臣からも非常に高い評価、いろいろ様々な取組に対して高い評価のコメントをいただいておりますけれども、それは離島という地理的な条件が大きく要因としてあるのか、これから地方創生を進めていく上で、隠岐諸島に離島だからこそできるのか、本土ではできないのか、そういう地理的な条件が地方創生において重要度を占めているのかについて所感をお聞かせいただければと思います。
(答)隠岐の島、なかんずく海士町の取組というものは、私自身、この大臣に就任する以前から非常に強い関心を持っておりました。日程の都合上なかなか海士町に行くことはできなくて、町長さんのお話、あるいは島前高校の改革に携わってこられた創生会議のメンバーであります奥田麻衣子さんのお話等々も何度も伺いながら行く機会を得なかったのですが、今回行くことができて、やはりこれは「やねだん」でもそうですし、中村ブレイスにしてもそうなんですけれど、実際に見てみるということはとても大事なことだと思っております。やはり世の中の評価を得ているというもの、これは本物だねという、いつも言う言葉を使えば、「驚きと感動」というんでしょうか、そういう印象を強く受けたということであります。
 離島だからどうなのかということについて申し上げれば、これは海士町長さんが書かれた『離島発 生き残るための10の戦略』という本があります。これ、ぜひ皆様方にも一回お読みいただきたい。さらさらっと読める本ですが、非常に中身の濃い本です。離島である、そこにおいて極めて財政が厳しい、そこに三位一体改革があったと。町長も書いておられますように、あれがなければ海士町の改革へ向けての取組というのはなかったかもしれないというふうに書いておられます。離島という厳しい条件、そして、そうであるがゆえに、公共事業に多くを頼ってきた海士町というものの在り方がギリギリまで来た段階で、もうこれしかないではないかというような、そういうような状況になったということは、別に離島だからというわけではありませんが、離島であるがゆえに公共事業に負う割合が他よりも高かったのかもしれません。
 そして、本にありますように、実際に公共事業に携わってこられた関係の方々から「改革をしなければだめだ」とおっしゃったと。「あなた、今まで公共事業というもので会社をやってきたんじゃないの」ということを町長は思ったそうですが、そこの建設関係の方がおっしゃるには、「今まで自分たちはその公共事業で多くの恩恵を受けてきた。しかし、これが続かないとするならば、これに代わるものを作っていくということは、今までそういう恩恵を受けてきた者の務めではないか」ということをその建設関係の方がおっしゃり、町長はそれに深い感銘を受けたということが本の中に書いてありますし、実際に行ってみてそうだなというふうに思いました。ですから、決していいことだとは思わないが、そういうような極限状態まで来たからこそその危機感から改革の推進力が生まれたということは、これは事実だろうというふうに思っております。
 じゃ、何でもかんでも極限に追い込めばいいかというと、そういうわけでは当然ないのであって、何と言うんでしょう、あそこの隠岐の島というかな、隠岐諸島の海士町の状況というのは、やがて将来の日本じゃないのかということです。そういうような「気づき」というのか、そういうものをどれだけ普遍的に広めていくのかということはやはり私どもの務めだろうというふうに思っております。
 そして、そういう所へ行ってみて、海士町の方々が明るい方々が多いなという感じを持ちました。疲弊したとか、もちろん辛いことも苦しいこともいっぱいある。だけども、ここで前向きに取り組んでいくと、そして地方創生の一つのモデルだと言うことはやめてくれと、まだ我々は途中段階にあるのだということでした。そのことについて、冒頭の御質問に戻れば、非常に強い感銘を受けたのであって、この問題は更に多くの人々が海士町を訪れ、いろいろ得た知見というものを広めていくことを報道関係の皆様方にもお願いしたいことでございます。
(問)話戻って恐縮なんですが、世界遺産のことでもう一点お伺いしたいんですけれども、イコモスの勧告では、いわゆる軍艦島を含めて幾つかの施設で保存の計画をしっかり立てるようにという勧告がなされていますけれども、例えば軍艦島を挙げても、保存には非常な費用がかかるということを長崎市のほうでも試算されていますが、国としてどのように保存に関わっていくのか、大臣、今からどのようにお考えになりますか。
(答)これは仮に世界遺産のリストに載ったと、載っても載らなくてもそれは大事なことなんですけれども、世界遺産のリストに載るということは、それが人類全体の、世界全体の貴重な資産であるというようなことになるわけでございます。そうすると、政府の中のどこが担当をするか、そしてまた、自治体との関係をどうするかという議論はもちろんあるんですけれども、日本国政府として、これを主体的に保存していく、あるいは先ほど御指摘もありましたが、観光客の方々の受け入れ態勢とかそういうものも含めて世界遺産にふさわしい対応がこれから先なされていくということの主体は、あくまで日本国政府であるべきだというふうに考えております。それが世界全体の遺産である、宝物である以上、それは金がかかるからどうのとか、そのようなものは政府が負担しないとかそういうようなことではなくて、あくまで自治体との話合いをきちんと踏まえた上で政府として主体的にやっていくべきものではないかなと現時点では考えております。

2015年3月18日水曜日

Buffalo Bluetooth Headset 使い方 BSHSBE04シリーズ

<<     ボタン機能     >>

  • 電源オン   -   電源オフ   =   電源ボタンを約4秒間押す が点滅します。
  • 電源オフ   -   電源オン   =   電源ボタンを約3秒間押す が点灯後に電源が切れます


  • ペアリング  -  電源オフ   =  電源ボタンを約8秒間以上 青色LEDと赤色LEDが交互
  • ボイスダイアル  -  接続中  =  電源ボタンを約1秒間押す                              
  • リダイアル   -   接続中   =   ボリューム(+)とボリュームを同時に約1秒間押す。


  • 電話を切る   -   通話中   =   電源ボタンを約1秒間押す 電話を受ける
  • 電話を受ける  -  着信中  =  電源ボタンを約1秒間押す





  • ボリュームアップ  -  スタンバイ/通話中        =  ボリューム(+) 
  • ボリュームダウン  -  スタンバイ/通話中       =  ボリューム(-)

1. Bluetoothヘッドセットの電源がオフになっていることを確認してください。(「ボタン機能」を参照)

2. Bluetoothヘッドセットの電源ボタンを約8秒以上押し続けて、青色LEDと赤色LEDが
交互に点滅するようになりましたら指を離してください。
(ペアリングモードを開始した後すぐに、携帯電話との接続を行ってください。約2分経ちますと自動的にペアリングモードが終了いたします。ペアリングモードが自動で終了した場合は手順1からやりなおしてください)

3. Bluetooth搭載の携帯電話の付属マニュアルにしたがって、ご利用の携帯電話のペアリング(初期設定)を行ってください。

4. 携帯電話で認証用のパスキーが要求されましたら「1234」を入力してください。(機種によっては、パスキーの入力は不要です)

5. 青色LEDと赤色LEDが交互に点灯する状態から、青色LEDが点滅する状態になりましたら、携帯電話と接続された状態です。

※ 携帯電話の機種によって、携帯電話側の表示方法は異なります。必ずご利用の携帯電話に付属のマニュアルをご参照ください。
ボイスダイアル ボイスダイヤル機能を持った携帯電話をお使いの場合、ボイスコマンドでの発信ができます。あらかじめ携帯電話での設定が必要になりますので、ご利用の場合には携帯電話のマニュアルをご参照ください。
リダイアル 携帯電話の機種によってはリダイヤル機能がご利用いただけます。使用した場合は、最後にかけた電話へ発信をします。

・ 充電中は、ヘッドセットをご使用になれません。
・ 最初の充電には、約2~3時間かかります。導入後の日常の充電は、バッテリー残量によって異なります。



2015年3月14日土曜日

server2012 active directory

Windows Server 2012 R2へActive Directoryをインストール・構成する

公開日: Windowsサーバー構築 

2012 R2でのActiveDirectoryセットアップ

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Windows Server 2012 R2のセットアップまで完了しましたので、これから色々と評価してみたいと思います。
まずはActiveDirectoryをインストールして、認証基盤として利用してみます。
ActiveDirectoryは、サービスを利用する際には必須になっています。
ExchangeやSharepointをインストールするにも必ず必要になりますので、ここで導入方法を覚えておくと、他のアプリケーション導入時にも応用が利きます。

1.Active Directory ドメインサービスのインストール

1-1.Active Directoryのパラメーター決定

Active Directoryをインストールする前に、いくつかのパラメーターを決める必要があります。
必須のパラメーターは以下の通りです。
このパラメーターだけは最低限、決定してからセットアップを開始します。
  • ドメイン名(DNS):ここではtestdom.localとします。 *.localはMSの技術書に書かれているローカル用DNSとして利用される名前です。
  • ドメイン名(NetBIOS名):古いOSで利用されるドメインのNetBIOS名です。通常はDNSから.localを無くした名前が自動的に設定されます。今回はTESTDOMとなります。
  • フォレストモード:WindowsServer2012R2とします。ActiveDirectoryの全ての機能を利用できます。
  • ドメインモード:WindowsServer2012R2とします。
  • ActiveDirectory復元モードのパスワード:忘れないものを設定します。Active Directoryの復旧時に利用します。
  • グローバルカタログ:ドメイン内の最初のドメインコントローラーはデフォルトでGCになります。
フォレストモードとドメインモードは古いサーバとの下位互換がありません。
ドメインコントローラーとしてWindows2008や2003を追加する予定がある、既存にあるといった場合は既存の環境に合わせての決定が必要です。

1-2.Active Directory ドメインサービス インストールウィザードの起動

サーバーマネージャーを起動して、[役割と機能の追加]をクリックします。
telnet-client-01
インストールの種類は[役割ベースまたは機能ベース~]、[サーバープールからサーバー選択]で対象サーバが選択されていることを確認します。
telnet-client-03
telnet-client-04

1-3.サーバーの役割の選択

サーバーの役割で、[Active Directoryドメインサービス]にチェックを入れます。
ad-install-01
追加で必要になる機能を追加するか、確認用の画面が表示されます。
[機能の追加]をクリックして、機能を追加します。
ad-install-02

1-4.AD DSの注意事項

Active Directory ドメインサービスを利用する上での注意事項が表示されます。
[次へ]をクリックして先へ進みます。
ad-install-03

1-5.インストールオプションの確認

インストールする機能とオプションのツリーが表示されます。
確認後、問題なければ[インストール]をクリックして、インストールを始めます。
ad-install-04
インストールが開始されます。
ad-install-05

1-6.Active Directory ドメインサービスのインストール完了

Active Directoryドメインサービスのインストールが完了すると、[構成が必要です。~でインストールが正常に完了しました]と表示されます。
[閉じる]をクリックして画面を閉じます。

2.Active Directoryの構成

2-1.Active Directory構成ウィザードの起動

Active Directory ドメインサービスのインストール後に、ドメインコントローラーとしての構成が必要になります。
サーバーマネージャーの上部フラッグに警告マークが表示されていますので、ここをクリックします。
ad-config-01
表示されたメニュー、展開後の構成から
[このサーバーをドメインコントローラーに昇格する]をクリックします。
クリックすると、Active Directoryドメインサービス構成ウィザードが起動します。
ad-config-02

2-2.配置構成

ドメインコントローラーの配置を設定します。
今回は新しいフォレストを作成しますので、[新しいフォレストを追加する]にチェックを入れ、ルートドメイン名には[testdom.local]を入力します。
[次へ]をクリックして先へ進めます。
ad-config-03

2-3.ドメインコントローラーオプションの設定

ドメインコントローラーとして機能レベルや、ディレクトリサービス復元モードのパスワードを設定します。
DNSを導入していない場合、この画面でDNSサーバーにチェックを入れることでインストールができます。
設定は
  • フォレストの機能レベル、ドメインの機能レベル:Windows Server 2012 R2
  • ドメインネームシステム(DNS)サーバーにチェック
  • グローバルカタログ:デフォルトでチェック
  • ディレクトリサービス復元モードのパスワード:任意
になります。
ad-config-04

2-4.DNSオプションの設定

DNSサービスがインストールされていない場合、設定できる項目はありませんので、[次へ]をクリックして先へ進めます。
ad-config-05

2-5.追加オプションの設定

追加オプションとしてNetBIOS名を指定できます。
通常、DNS名として入力したドメイン名から、自動的にNetBIOSドメイン名を拾ってきます。ここでは自動的に選択されたTESTDOMを利用します。
ad-config-06

2-6.パスの設定

Active Directoryが利用するデータベースフォルダーや、ログファイル、SYSVOLフォルダーのパスを設定します。
データベースフォルダーとログファイルフォルダを別のディスクに設定するとパフォーマンスが上がりますが、ここでは同一のディスクに設定しています。(デフォルト)
ad-config-07

2-7.オプションの確認

インストールオプションとして選択した項目のサマリーが表示されます。
問題なければ、[次へ]で先へ進めます。
ad-config-08

2-8.前提条件のチェック

ドメインコントローラーのインストール前に問題がないかをチェックします。
警告が3つほど表示されますが、[すべての前提条件のチェックに合格しました~]というメッセージが表示されていれば先へ進めて問題ありません。
[インストール]をクリックすると、インストールが開始されます。
ad-config-09
進行状況が表示されます。
ad-config-10

2-9.ドメインコントローラーの構成完了とサーバーの再起動

構成が完了すると[このサーバーはドメインコントローラーとして正常に構成されました]というメッセージと再起動を促す画面が表示されます。
[閉じる]を押して、再起動を行います。
ad-config-11
再起動が完了すれば、構成は正常に終わっています。
起動までにやや時間がかかるようですが、気にせずコーヒーでも飲んで待つことをお勧めします。

3.ドメインへのログオンと動作確認

再起動後に正常にドメインへログオンできるかを確認します。

3-1.ドメイン管理者でのログオン

再起動後、ログオン画面が表示されます。
ユーザー名がドメイン名\ユーザー名になっていることを確認してください。
パスワードを入力し、ログオンします。
ad-check-01

3-2.Active Directoryツールの確認

アプリ画面を表示し、Active Directoryの管理ツールがインストールされていることを確認します。
Ad-check-02
ここまででActive Directoryがサーバーへインストールされました。
この後、DNSの逆引き設定とDNSのフォワーダーを設定します。
設定方法については、次の記事で記載します。
追加の設定については、補足になります。ここまでの設定でActive Directoryとしては問題なく動作します。

windows server 2012 に exchange server 2013 をインストール

1. PowerShell を起動し、下記コマンドを実行します。
Import-Module ServerManager
  pic

2. 続けて下記コマンドを実行します。(これをしないと「5.」で失敗します)
ADD-WindowsFeature RSAT-ADDS

3. 次のコマンドをPSへ1行で入力します。
Install-WindowsFeature AS-HTTP-Activation, Desktop-Experience, NET-Framework-45-Features, RPC-over-HTTP-proxy, RSAT-Clustering, RSAT-Clustering-CmdInterface, Web-Mgmt-Console, WAS-Process-Model, Web-Asp-Net45, Web-Basic-Auth, Web-Client-Auth, Web-Digest-Auth, Web-Dir-Browsing, Web-Dyn-Compression, Web-Http-Errors, Web-Http-Logging, Web-Http-Redirect, Web-Http-Tracing, Web-ISAPI-Ext, Web-ISAPI-Filter, Web-Lgcy-Mgmt-Console, Web-Metabase, Web-Mgmt-Console, Web-Mgmt-Service, Web-Net-Ext45, Web-Request-Monitor, Web-Server, Web-Stat-Compression, Web-Static-Content, Web-Windows-Auth, Web-WMI, Windows-Identity-Foundation
  pic_2
完了後再起動します。

4. 下記ツールをダウンロードしてインストールします。
  インストール順番は1から順序通りに行います。
  1. Microsoft Unified Communications Managed API 4.0 コア ランタイム 64 ビット
  2. Microsoft Office 2010 フィルター パック 64 ビット
  3. Microsoft Office 2010 フィルター パック SP1 64 ビット
5. コマンドプロンプトより下記コマンドを実行します。 (作業はExchange Server でOKです)
setup /IAcceptExchangeServerLicenseTerms /PrepareSchema
※Exchange 2013 のあるドライブへ移動します。
  pic_13 → pic_14

続けて下記コマンドを実行します。
setup /IAcceptExchangeServerLicenseTerms /PrepareAD /OrganizationName:<組織名>
  pic_15 → pic_16

さらにコマンドを実行します。
setup /IAcceptExchangeServerLicenseTerms /PrepareAllDomains
  pic_17 → pic_18

6. Windows Update を実行し再起動を2回行います。
7. Exhange のセットアップウィザードを実行します。
  ここは基本的に次へ次へなのでキャプチャのみです。
  pic_19
  pic_20
  pic_21
  pic_22
  pic_23
  pic_24
必要なサービスを選択します。下記は1台構成の場合です。
  pic_25
  pic_26
マルウェア対策は後でも有効化できますので、今回は「No」を選択します。
  pic_27
問題が無ければ下記のように「Install」をクリックできます。
問題がある場合は修正後、ウィザードを実行してください。
  pic_29
この後は Step1~14が完了するまで放置します。
※メモリが1GBなどと少ないと最期のステップで失敗します。そしてアンインストールなどもできなくなります。ようは全て再構築となります。インストールには最低3GBは欲しいですね。
  pic_30

これでインストール終了です。

管理画面には下記アドレスでアクセスします。
https://<サーバー名>.<ドメイン名>/ecp
  pic_31
  pic_32
  pic_33

これでインストールが完了となります。