2017年3月19日日曜日

しかたがない」を英語で言うと? 英訳の超難問、その見事な答え

作家・片岡義男さんが「すごいねえ」と感嘆したアメリカの漫画家エイドリアン・トミネ。その絵を読み解いた前編(gendai.ismedia.jp/articles/-/51057)に続き、後編では作中に出てくる日本語の見事な英訳から、翻訳に必要な思考のめぐらせ方を考えます。 ----------

 「しかたがない」を英語で言うと? 英訳の超難問、その見事な答え 翻訳に必要な 写真:現代ビジネス 短編コミック「日本語から翻訳された」 エイドリアン・トミネの Killing and Dying には6編のストーリーが収録してある。どれもスタイルが異なっているから、さまざまなスタイルの試み、と理解すればいいのではないか。 4番目のストーリーは TRANSLATED, from the JAPANESE という題名だ。「日本語から翻訳された」という意味だ。

 この作品は17点のイラストレーションと、それぞれにともなった短い英語の文章で構成されている。最初の文章だけは日本語でも提示されている。  見開きの左のページに、日本語で言うところのミニ・ノートという小さなノートブックの、上から6行目から6行にわたって、日本語の文章が手書きしてある。黒いインクを使った、やや幼い雰囲気もあるが、真面目な字だ。

  I という一人称の語り手が、このストーリーの主人公だ。見開きの右ページには、TRANSLATED, from the JAPANESE という題名が2行で入れてある。  ストーリーの語り手である彼女は、アメリカの男性と結婚していて子供がひとりいる、日本の女性のようだ。夫はカリフォルニアに置いて、子供を連れてしばらく日本にいた彼女が、カリフォルニアに戻ることにした、と書くところから、このストーリーは始まっていく。

  彼女が書くこの文章は、何年かあと、子供に宛てて書いたものだ、という想定になっている。ストーリーが始まったときすでに、その始まりは何年かさかのぼる過去のことなのだ。   カリフォルニアへ戻る、という彼女の決定に、彼女の子供にとっての祖母や叔父、叔母たちは反対だった、と彼女は書く。祖母とは、彼女にとっては母親、そして叔父や叔母は彼女の兄弟や姉妹のことだろう。

 彼らの反対にさからってカリフォルニアへ戻るのだから、「お互いに気まずいまま別れました。でもそれは仕方のない事でした」と彼女は日本語で書く。  最初の一節だけがこうして日本語で、すでに書いたとおり、日本で売っている小さなノートブックに黒いインクで手書きしてある。次のページを開くと、この日本語が英語になっていて、その短い文章に最初のイラストレーションが添えてある。  雪景色のなかを成田エクスプレスが成田に向けて走っていく光景だ。画面のいちばん奥でスカイツリーがかすんでいる。

 「しかたがない」の見事な英訳
「でもそれは仕方のない事でした」という最後のセンテンスは、英語だと次のようになっている。  It was all very understandable.  しかたがない、という日本語の言いかたを、どのような英語にすれば意味が伝わるか、という議論は僕が子供だった頃からあった。ひと頃は盛んに議論された。英語ではこのように言えばいいのではないか、という実例があげてあることは、一度もなかったように思う。

  しかたがない、という日本語をめぐって、かつてなされた多くの議論の結論は、この日本語は英語にはならない、ということだったのではなかったか。  見事な翻訳がここにある。  翻訳された英語を日本語に訳してみると、しかたがない、という言いかたを英語にするにあたって必要とされる思考の経路が、あらわになる。英語からの可能なかぎり中立な翻訳を心がけるとして、次のようにもなる。 

「それらはすべてたいそう理解の出来ることでした」  日本語での言いかたを細かく砕いていくと、砕ききったところにあるのは、純粋な意味だけなのではないか。その意味を英語にすれば、それでいい。

  細かく砕いていく過程を、抽象化していく、というような言いかたで表現したことが、かつての僕にはあった。言いかたとしては抽象化でもいいかと思うが、しかたがない、というおおまかな言いかたを相手にするのではなく、意味を細かく砕ききると、意味の最小単位としての核心が、そこに見える。

 しかたがない、という言いかたは、どうにも出来ない、という言いかたに置き換えることが可能だ。  どうにも出来ないからには、それをそのまま受けとめるほかなく、受けとめるにあたっては、そのことに関する理解は充分にいきとどいている、という状態であるはずだ。よくわかる、という状態だ。

 このように順を追って考えていくと、しかたがない、という言いかたに託された気持ちは、しかしすべて理解は出来ている、という意味になる。
 しかたがない、と言わざるを得ない状況は、じつは、よく理解は出来ている、という状況なのだ。だからそれをそのまま英語にすると、It was all very understandable. となる。
 この言いかたは、英語としてきわめて中立的なものであり、したがっていっさいなんの無理もなく、すんなりときれいに意味は伝わる。  理解は出来ましたけれど、それ以上にはどうすることも出来ませんでした、という意味をきわめて下世話なひと言に置き換えると、しかたのないことでした、となる。

 こうして書いていていまふと思うのは、日本の英語教育の現場では、そこで教えているのは understand までであり、understandable は埒の外なのではないか、ということだ。その結果として、understandable に very がつき、It を主語にして文章が成立するなど、思いもよらない世界の出来事となるのではないか。 未来の息子への手紙  最後の1ページに描かれた都会の夜景にはおそらく深刻な意味が託されているのだろう。このような景色のなかの、どの細部に自分は帰属すればいいのか。帰属などが、ここでそもそも可能なのか。そんなことを思う自分とは、いったいなになのか。 

 ストーリーはまだ終わっていない。続いていく。どこへ、どのように、それは続くのか。まったくわからない。予測はなにひとつ成立しない。このような日々の底にあるものを、悲しみなどと呼んでいいものかどうか。

 「これを読むあなたは何歳になったのかしら。私が不在だったのはどのくらいの期間なの? と彼女は読み手に訊いている。なんらかの理由で彼女は不在を続け、そのあいだに子供は成長した。

 アメリカから最初に日本へいったときには、この子供は彼女が膝にかかえていればよかった。しかしカリフォルニアに戻るときには、ひとり分の座席料金を支払わなければいけないほどに、体は大きくなっていた。かなりの期間をふたりは日本で過ごしたのだろう。

「日本とはまったく違った未知の生活を私たちが始めたときのことを覚えてるかしら」とも彼女は書く。日本からカリフォルニアに戻ったときのことだ。表紙のイラストレーションとおなじものが、14番目のイラストレーションとして、ストーリーのなかに登場する。カリフォルニアに戻った母と幼い息子が、迎えに来てくれた夫(息子にとっては父親)と三人で、食事をしたデニーズだ。

「あなたはお腹を空かせていたのでフリーウェイの近くのダイナーに入り、あなたのお父さんはミルクと野球のボールのように作ったパンケーキを注文してくれました。あなたはそのすべてをむさぼるように食べました」と彼女は書いている。  「あなたの父親は、あなたがまるで宇宙から帰還した飛行士ででもあるかのように、好奇心をかりたてられていろいろ知りたがっていましたが、私には、文章を最後まで言い切るように、と言っただけでした」という文章もある。

 文章を最後まで言い切るように、とは英語で Complete sentences. と言う。日本の日常では、言っていることを最後まできちんと完結した文章にしろ、と夫から言われることは、ひょっとしたら一生に一度もない。 エイドリアン・トミネは1974年にカリフォルニアのサクラメントで生まれた人だ。彼の描く Optic Nerve のシリーズが1991年からだから、僕が彼の著作を最初に知ってから、すでに二十数年が経過している。その期間に僕が楽しんだのは、Sleepwalk and Other Stories 、Summer Blonde 、Shortcomings 、32 Stories 、Scrapbook 、そして Killing and Dying だ。 片岡 義男