【幕末から学ぶ現在(いま)】(50)東大教授・山内昌之 武市半平太 (1/4ページ)
■手段選ばぬリアリスト
≪暗いマキャベリズム≫
「富と貴(たっと)きとは、是(こ)れ人の欲する所なり。其(そ)の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり」(『論語』里仁第四)。誰でも富と地位を欲しがるものだが、それ相応の方法(正しい勤勉さや高潔な人格)で得るのでなければ、そこに安住することはできない。
いま、自らの政治資金疑惑を招いている民主党政権のツートップは、孔子の言葉をどのような思いで聞くことだろうか。
なかでも、腑(ふ)に落ちないのは、長年政治生活を共にしてきた分身の秘書や、国会議員になった側近が訴追や拘置を終えて、ひとまず無事に日常生活へ復帰したのに鳩山首相や小沢幹事長が、彼らを案じる慰労もせず、健康の変調を気遣うわけでもないことだ。
少なくとも、自分の事務所や政治団体を通過した政治資金を、尊敬する先生のために良かれと処理した行為が法に触れたとすれば、自らの関与や承認の有無にかかわらず勝場啓二元公設秘書や石川知裕衆院議員に事情を聴きつつ、慰藉(いしゃ)するのは政治家の見識以前に人として自然の道ではないだろうか。
幕末では、理想をまず広く据えた上で、それを政治で実現するために手段を選ばぬ方策に徹したリアリストといえば、土佐の武市半平太こと瑞山であろう。私の子ども時分の東映時代劇映画の定番『月形半平太』のモデルとなった武市は、色白で身長180センチほどの偉躯(いく)を誇った男前でもあった。
しかし、そのさわやかな言説や高潔な人格の裏には、大久保利通や木戸孝允にも負けないマキャベリズムが潜んでいた。政敵の打倒や異論の封殺のために暗殺テロを使った政治手法の暗さは、同じ土佐でも常に大同団結をめざす陽性の行動派の坂本龍馬と対照的である。
しかも、武市はテロに用いた者を手駒として使い捨てにできる非情さを持ち合わせていた。ついでにいえば、NHK大河ドラマ『龍馬伝』で武市に扮(ふん)する大森南朋(なお)はその暗い理知性をまずまず巧みに演じている。
≪抜群のカリスマ性≫
問題は、自分の進言を退けた土佐藩参政の吉田東洋を開国・公武合体派の首魁(しゅかい)として同志に暗殺させた陰湿さに始まる。一度、テロに手を染めた者は、血の臭いを消しきれない。京都でも無数の佐幕派暗殺に関与し、天誅や斬奸(ざんかん)と称して刺客を放ち、政敵を次々に暗殺させた。なかでも武市の命で動いた“究極のテロリスト”は人斬(き)り以蔵こと岡田以蔵である。
しかし、文久3年8月18日の政変で長州藩が中央政界から追われると、土佐藩でも前藩主の山内容堂が返り咲き、武市も捕縛され、やがて切腹を命じられた。彼は、容堂腹心の吉田東洋の暗殺を否定したが、岡田以蔵の自白により罪状が確定したらしい。
一説に武市は、性根の据わらぬ以蔵の捕縛を知って、牢(ろう)役人を使って以蔵に毒を盛ったとさえ言われる。以蔵は、毒飼いを憤ったあまりに自白供述に及んだという説も残っているから、陰惨なことおびただしい。
政治では、目的の高邁(こうまい)さと手段の卑俗さが乖離(かいり)する例は珍しくない。政治家らは、時に忠実な同志を切り捨てる非情さを発揮してきた。現代の政治家も、自分を慕い尊敬してきた側近を“使い捨ての駒”にするのは、私欲のためでなく、“大義親を滅す”ともいうべき公の覚悟に立ったからだ、とあくまで正当化するのだろうか。(やまうち まさゆき)
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【プロフィル】武市半平太
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