2014年4月25日金曜日

宮中晩餐会メニューApril24th2014

 「国賓」として来日したオバマ米大統領。国賓は政府が日本に招待する外国要人のうち、最上級の手厚いもてなしをする最高ランクの賓客だが、オバマ大統領が平成21年に来日した際には国賓ではなく、「実務訪問賓客」という形だった。

 来日する外国賓客の区分は「国賓」「公賓」「公式実務訪問賓客」「実務訪問賓客」「外務省賓客」の順番で、それぞれ待遇が決まっており、国内の滞在経費は日本側が負担する。

 最もランクの高い国賓は国王や元首が対象で、天皇、皇后両陛下が参加される一連の行事に臨む。まず、三権の長、全閣僚も出席して皇居で「歓迎行事」が行われた後、両陛下との「ご会見」「宮中晩餐会」と続き、国賓が東京を出発するにあたっては、両陛下が「お見送り」に行かれる。この“4点セット”が国賓接遇の原則となっており、両陛下は事前に外務省の担当者らから相手国について説明を受け、入念に準備をされる。

 予算や陛下のスケジュールなどの都合から、国賓待遇は年間1、2件。今年3月にはベトナムのチュオン・タン・サン国家主席が国賓として来日している。

 国賓、公賓の場合、通常は東京・元赤坂の迎賓館が宿泊先として用意されるが、オバマ米大統領は今回、迎賓館ではなく、都内の老舗ホテルに宿泊。皇居訪問の際の車も、宮内庁が国賓に差し回す御料車ではなく、米国側が自前で用意した大統領専用車を使用するなど、他の国賓とは異なる点がうかがえる。

 改修工事のため使用できなかったケースなどを除くと、過去に来日した国賓で迎賓館を利用しなかったのは、米国のカーター大統領(昭和54年6月)とフランスのシラク大統領(平成8年11月)の2人だけ。駐日米大使公邸に泊まったカーター氏の場合は、迎賓館が東京サミットの会場として使われていたという事情があるが、今回は「特に米国側から説明はない」(宮内庁関係者)という。

 国賓が東京を離れる際には、両陛下がお別れのあいさつのため宿泊先を訪問されるのが慣例。宮内庁関係者は「今回も同様」というが、宿泊先が変われば警備の仕方は大きく変わる。

 通常、来日した国賓の移動に供されるのは、トヨタの「センチュリーロイヤル」。両陛下が国会開会式や東日本大震災追悼式、全国戦没者追悼式ご臨席の際などに使用され、差し回しの際も宮内庁の運転技官がハンドルを握るが、オバマ氏が平成21年に来日した際も、事前に米国から輸送機で運ばれた特殊装備の大統領専用車が使われた。宮内庁関係者は「米国の場合は非常に警備が厳しいのだろう」と話している。

昭和49年11月19日、フォード、田中角栄
昭和54年6月25日、カーター、大平正芳
昭和58年11月10日、レーガン、中曽根康弘
平成4年1月9日、ブッシュ、宮沢喜一
平成8年4月17日、クリントン、橋本龍太郎


料理
コンソメスープ
マダイの洋酒蒸し(付け合わせにグリーンアスパラガス、舌平目の細切りパン粉揚げ)
羊のもも肉の蒸し焼き(付け合わせに温野菜、アピオスの空揚げ、クレソン)
サラダ
アイスクリーム(富士山型)
果物(メロン、イチゴ)

飲み物
白ワイン(コルトン・シャルルマーニュ1999)
赤ワイン(シャトー・マルゴー1994)
シャンパン(モエ・エ・シャンドン、ドン・ペリニヨン1998)

オバマ米大統領を迎えての天皇、皇后両陛下主催の宮中晩さん会が24日、皇居・豊明殿(ほうめいでん)で行われた。

宮中晩さん会で出される料理は、明治時代以来の慣例でフランス料理。宗教上の制約を受けないことから羊肉がメイン料理となることが多く、今回の晩さん会も羊のもも肉の蒸し焼きがフルコースのメインとなった。

 また、メニューからは「旬の食材で国賓をもてなす」という宮内庁のこだわりも垣間見える。魚料理で使われているマダイは産卵を控えて脂が乗った今ごろがまさに旬だ。3月に来日したベトナムのチュオン・タン・サン国家主席夫妻に出されたサワラも春が旬だった。

 農産物については御料(ごりょう)牧場(栃木県)で育てたものができるだけ使用される。今回はコンソメスープのだしとなる鶏肉、メイン料理の羊などが同牧場で育てたものだという。

 ワインは宮内庁が常時4000~5000本を保管しており、国賓にはその中で最高の1本をセレクトして提供する。10年ぐらい熟成させたワインを出すことが多く、晩さん会のたびに銘柄は異なるというが、日本酒の銘柄は常に「菊正宗」だという。



オバマ米大統領を歓迎する宮中晩さん会での天皇陛下のあいさつ全文は次の通り。

 この度、アメリカ合衆国大統領バラック・オバマ閣下が、国賓として我(わ)が国を御訪問になりましたことを心から歓迎いたします。ここに今夕を共に過ごしますことを、誠に喜ばしく思います。

 まず大統領閣下に、三年前に起こった東日本大震災に際し、米国政府及び多くの米国国民からお見舞いと支援を頂いたことに対する、私どもの深い感謝の気持ちをお伝えしたく思います。この地震と津波による災害では、死者、行方不明者が二万人以上となり、建物は壊され、美しい海や山に囲まれた町や田畑は、がれきに覆われました。二万人を超える貴国の軍人が参加した「トモダチ作戦」を始めとし、貴国の多くの人々が被災者のために行った支援活動は、物のない厳しい環境にあった被災者にとり、大きな支えとなりました。

 歴史を振り返りますと、貴国と我が国との交流は、我が国に来航したマシュー・ペリー提督と徳川幕府の交渉により、一八五四年日米和親条約が調印されたことに始まります。我が国はそれまで二百年以上にわたり鎖国政策を行ってきましたが、開国を決意し、欧米の国々より、当時日本にとり未知であった領域分野の学問や技術については、これを鋭意学び、国を発展させることに努めました。貴国の人々に負うところ、また大なるものがあります。

 私が貴国を初めて訪れましたのは、一九五三年、エリザベス二世女王陛下の戴冠(たいかん)式に参列した機会に、貴国を始めとする欧米諸国を訪れた時のことであります。一九六〇年、日米修好百年の年には、現在の皇太子を出産して間もない皇后と共に、初めて公式に貴国を訪問し、アイゼンハワー大統領御夫妻主催の晩餐(ばんさん)会にお招きいただき、また多くの米国国民と触れ合う機会に恵まれる中、ホノルル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、シアトル、ポートランドの各地を約二週間をかけて訪問いたしました。私どもにとり今も忘れられないのは、ニューヨーク訪問の際、貴国政府及びニューヨーク市が大型船によるマンハッタン島巡りを計画し、船上に当時貴国で勉学にいそしむ大勢の日本人留学生を招いてくださったことです。当時学習意欲にあふれつつも、余裕のない戦後の生活の中でそれを十分に満たせなかった我が国の有為な若者に、更(さら)に学ぶ機会を与えてくれた貴国の奨学生制度は、実に有り難いものであったと思います。

 その後も国賓としての訪問も含め、貴国を何度か訪れておりますが、その都度貴国民から温かく迎えられたことが心に残っています。貴国が多様な人々を包容し、民主主義の理想を求め、より良い社会を築こうと常に努力する姿には深い感銘を覚えます。貴国と我が国の両国民は、先の戦争による痛ましい断絶を乗り越え、緊密な協力関係を築きました。両国民が来し方を振り返り、互いの理解を一層深め、相携えて進んでいくことを願ってやみません。

 両国の友好の象徴となっている桜とハナミズキの季節に行われる大統領閣下のこの度の御滞在が、実り多きなものとなりますよう願っております。

 ここに杯を挙げて、大統領閣下及び御家族の御健勝と、アメリカ合衆国国民の幸せを祈ります。


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