2014年3月17日月曜日

お金の正体 池上彰×岩井克人

 2011年、欧州ではユーロ危機が起き、米国ではウォール街で経済格差の是正を訴えるデモが起きました。

 どちらも騒動の主役は「お金」です。2002年に誕生したヨーロッパの統合通貨ユーロ。そのユーロがつくりあげた経済圏が、参加国の財政破たんなどを機に崩壊の危機に瀕しています。一方、市場経済の極みともいうべきアメリカの金融市場は、ユーロ危機より前の2008年に起きたいわゆるリーマンショックでその土台がぐらつきました。さらに2011年には、相変わらず高給を食む金融関係者や企業経営者に対し、はっきりと反旗を翻す動きがウォール街をはじめアメリカの各所で起きています。

 この危機と騒動の本質は何か? 私たちが「正しい経済」を手に入れるにはどうすればいいのか? そのためにはどうやら「お金の正体」を改めて知る必要がありそうです。そこで今回は、『貨幣論』『二十一世紀の資本主義論』『会社はこれからどうなるか』などの著作で、「お金と資本主義と会社の関係」を考え抜いてきた岩井克人東大名誉教授にご登場いただきます。「お金の正体」、迫ってみましょう。

ユーロ危機はなぜ起きたか?――知性の失敗

池上:昨年2011年は、経済の側面で見ると岩井先生のご専門である『お金』そのもの価値が揺らいだ年でした。そのひとつの象徴がユーロ危機です。「ユーロ」が参加国の従来の通貨を統合して法定通貨となったのは2002年1月ですから、今から10年前ですね。誕生から10年という節目に、ユーロという枠組み自体が破綻の危機にあります。複数の国に共通の通貨を使わせるという仕組みはなぜうまくいかないのでしょうか?

岩井:たしかに統一通貨ユーロの試みは、今のところうまくいっていません。でも、複数の国の通貨を共通化する政策がうまくいったケースもあるのです。例えば、明治維新の日本がそれです。江戸時代には、江戸は金、大阪は銀と、事実上一国に2種類の貨幣単位が存在していました。

江戸の日本はかつての欧州 統一通貨「円」はなぜ成功した?

池上:そのうえ、江戸時代には、藩札もありましたね。今でいう地域通貨です。明治維新前の日本はユーロ統一前のヨーロッパのような通貨体制だったわけですね。藩札はどんな役割を担っていたのでしょうか?


池上:国をあげて輸出を増やし、安い輸入品が入ってこないようにする現在の政策と変わらなかったんですね。藩ごとの藩札、共通通貨の江戸の金、大阪の銀が混在していたのが江戸時代までの日本の通貨事情だった。

岩井:だから、こうした複数の通貨の両替を生業とする人たちもいました。いわゆる両替商、為替商です。それが明治維新を経て、「円」という通貨に全国統一されました。いろいろな失敗もありましたが、ひとまず通貨を統一して、そしてその統一がある程度うまくいったがゆえに、日本は近代国家として、経済的そして産業的に発達できましたわけです。

池上:なぜ明治維新の日本では、通貨統一がうまくいったのでしょうか?

「労働力の移動」が統一通貨が成立する絶対条件

岩井:それは、通貨の統一と同時に「労働力の移動」が頻繁に起きたからです。ご存知の通り、江戸時代まで、人々は自分の住んでいる藩に縛りつけられていました。明治政府は、通貨統一と相前後して、人々の移動の自由を認めるようになったのです。日本人はどこに住んでもどこで働いてもよくなりました。

 経済学用語に「最適通貨圏」という考え方があります。ある地域で共通通貨を維持するためには、その地域内では、資本や労働力が自由に動くことが前提となるんです。

 明治期の日本では、通貨の統一と同時に、人々と資本とが移動し、経済活動が活発なところに労働力と資本とが投下されるようになりました。それが成功の大きな要因といっていいでしょう。最適通貨圏の模範でした。

池上:岩井さんのご先祖さまの例で言えば、江戸時代だったら松江藩の経済状況が悪化して失業しても国を出ることが叶わなかったのが、明治維新以降は、いざとなったら出雲地方を出てほかの土地で働くことが可能になった。それが日本全国で起きた。だから共通通貨「円」への移行が成功した、というわけですね。

岩井:その通りです。実際、私の両親は戦前に島根を出て東京へやってきました。同じような人たちは周りにたくさんいました。島根から東京へ。地方から都会へ。

 こうした労働力のダイナミックな移動が、経済の地域間調整を行ってきたのです。資本が動き、人々がそれに合わせるように動く。資本が投下された場所に労働力は集約され、経済が活性化する。その繰り返しで、江戸時代には経済的には必ずしも統一していなかった日本は、ひとつの通貨で経済活動を行う国に変身し、先進国になりました。

 もちろんその成長と引き換えに、たとえば島根県は過疎化し、東京や大阪には過剰といわれるほど人口が集中しました。それがいいか悪いかはまた別問題としてあります。が、経済の側面から眺めると必然的な流れだったといえます。

ケンタッキーフライドチキン・スクールに象徴されるアメリカの成長

池上:アメリカはどうだったんでしょう? ドルの誕生と国の成長も、明治維新以降の日本と同じような経緯をたどっているのでしょうか?

岩井:はい。アメリカは日本よりもはるかに国土が広いですが、もともとが「移動の自由」を掲げてできた国のようなものですよね。西部劇の世界さながらに、人々は馬車に乗って移動し、新しい街を瞬く間に作り上げ、栄える街は人口が増大し、寂れる街はゴーストタウンになる、というのを繰り返しました。

 馬車から自動車の時代になっても、この構造は基本的には踏襲され、その証左として、現在でも基幹道路の要所要所の街には、ケンタッキーフライドチキン・スクールといわれる学校があります。

池上:ケンタッキーフライドチキン・スクール?

岩井:ケンタッキーフライドチキンのようなフランチャイズチェーンのように、教える内容を規格化し、どこから来た誰でも面倒な手続きなしで転入でき、すぐに転出もできる学校です。それだけ人々の移動が激しい。


池上彰氏
池上:明治維新以降の日本とアメリカの国内成長の過程を眺めると、共通通貨が成功するか否かは、お金の統一と同時に「人=労働力の移動」がカギというわけですね。

 さて、そこでヨーロッパでユーロがうまくいっていない原因に話を戻しましょう。岩井さん、日本とアメリカの例を踏まえて、もう一度「ユーロがうまくいかない」わけを教えてください

岩井:ユーロの失敗。それは、ヨーロッパ経済を通貨で統合しようと考えたヨーロッパのインテリ層の理想と、通貨は統合されても国どころか地元からさえ離れないヨーロッパの普通の人々との現実との差が生んだ、まさに「知性の失敗」が大きな原因でしょう。

池上:知性の失敗? 詳しく教えてください。

岩井:そもそも、ユーロを推進したのは、ヨーロッパのインテリ層、指導者層です。彼らにとってみれば、ヨーロッパ域内はもちろん、世界中を自由に移動するのが当たり前です。イタリアで生まれ育ち、イギリスのケンブリッジで博士号を取り、ベルギーの大学で教え、ドイツ人と結婚して、研究のため2、3年アメリカへ渡るというような人が、珍しくありません。そんなヨーロッパのインテリ層がそもそもユーロを構想したのです。

失業しても移動しないヨーロッパの「普通の人々」

池上:ヨーロッパのインテリ層は、域内を自在に移動し、仕事も得ているわけですね。つまり、仕事の需要に合わせて自分が動く。

岩井:逆に言うと、ヨーロッパ域内を自在に移動し、雇用の場所を見つけられる、あるいは、そもそもそうやって「場所に縛られずに移動してもいい」と考えるのはインテリ層やエリート層に限られる、ともいえます。「万国の労働者よ,団結せよ」といったマルクスには申し訳ないですが、異なった国の労働者ほど団結しにくい存在はありません。

池上:ということは、そうでない大半のヨーロッパの人たちは違う、と。

岩井:ええ。ユーロ危機の中心のひとつであるイタリアの例を紹介いたしましょう。私はかつてイタリアのシエナという美しい街に半年間暮らし、そこで目の当たりにしましたが、イタリア人の大半はイタリアの外へ出ようとはしません。それどころか、地元からイタリア国内の他の地域にすら出ようとしない人のほうが多いのです。地元地域への帰属意識が強く、またそれぞれの地域文化に誇りを持っています。

 一番の楽しみが何百年続いたパリオという地区対抗の競馬です。たとえ勉強や仕事のために平日は地元を離れても、週末には洗濯物を抱えて実家に帰る。シエナの若者の9割は地元へ帰ってくるという統計があったはずです。おそらくイタリアのどの地域も同じようなものでしょう。

池上:地元を離れない上に、イタリアをはじめ、南欧の人々は基本的に楽天的ですね。先日、ローマに取材に行って驚いたのですが、ユーロ危機のど真ん中にいる、という意識をイタリアの一般市民がほとんど持っていない。失業率も上がって苦しいはずなのに、緊迫感がない。現地で退職した学校の先生に話を聞くと、現職時代の給料は安かったけれど、年金は退職時の給与と同額が保証されているから心配ないよ、と余裕でした。

岩井:ユーロ危機のもうひとつの当事国ギリシアも同じような状況です。

池上:国が保障しているから、子供が成人して大学を卒業して働き場所がなく実家にいついていても、とりあえずの生活には不自由しないのです。もちろん、その人は、結構な年齢になった子どもに職がないことは嘆いていました。しかし、それでは国がもたないのではと尋ねると「大切なヨーロッパ文明発祥の地を、他の地域が早く助けなかったからだ」と言ってのける。ローマ文明を興した我々が一番の文明人なんだという過剰な自負と、楽天的な気質とが同居している。岩井先生がおっしゃるように、ギリシアにも、同じことが言えるでしょう。たしかギリシアの自殺率は、世界で一番低いレベルのはずです。

岩井:そのうえイタリアもギリシアも観光国家の側面があります。ますますもって自分の地元を出て外で稼ぎに出かけるという発想が起きにくい。

池上:一方、自国が不景気になっても、ユーロに加盟して独自通貨がないから、為替対策による産業振興や雇用の確保もできませんね。

ユーロ圏では、個別の財政政策がただの赤字垂れ流しになる

岩井:そうです。かつては、国内が不景気になると、出雲藩が藩札を発行したように、ギリシア中央銀行がギリシア通貨であるドラクマを発行し、切り下げを行い、輸出を増やし、輸入を減らし、雇用を確保していました。しかし今はそれができません。となると、同じユーロで経済活動を行っているドイツなどと同じ土俵で戦えるか。それは難しい。ギリシア人やイタリア人が移動をいとわなければ、フランクフルトや、あるいはブリュッセルやパリへ働きに出ることで、ある程度地域の経済状況に合わせた雇用調整ができたはずですが、そうした動きは現実には起きていない。かつて1950-60年代には出稼ぎが盛んで、その時の国辱的なイメージが残っており、今では政府は食い止めようとする。ただし、東欧や中欧は違いますが。

池上:かつての日本は通貨の統一と同時に国そのものも統一しましたけれど、ユーロの場合は通貨を統一しても、国それぞれは未だに独立した存在ですからね。島根から東京に移動するのと、ギリシアからドイツへ移動するのは、心理的にも実質的にも難しい側面はあるかもしれない。

 うーん、となると、頭が痛いですね。ユーロ通貨統一に合わせた域内の労働力移動が見込まれにくい今、ユーロ危機に打つ手はないのでしょうか?

岩井:難しい。短期的には、欧州中央銀行がユーロ債を大量発行して、第二のリーマン・ショックを避けることしかありませんが、現在は、これもいやがっています。何しろ財政政策は使えない。そもそもの危機の原因が放漫財政にあったのですから。

 共通通貨になる前は、財政支出を増すと、利子率が上がってしまう。国内投資は減るし、高い利子率に惹かれて外国資本がやってきて、ドラクマ高になり、輸出も減る。財政に自然に規律がかかったのです。

 ところが、ギリシアのGDPがユーロに占める割合は3%ほど。共通通貨になったら、寄らば大樹、いやドイツの陰で、いくら財政投資を増やしても、EUがひとまとまりの金融市場になっていますから、利子率は上がらないし、ユーロ高にもならない。密かにですが国債をばんばん発行して、政府が社会保障や公共投資に使って、国内の雇用や公務員の年金財源を確保するという、悪魔の誘惑が生まれてしまう。民主主義国家は、本当に、ポピュリズムに弱い。その誘惑に負けて、財政赤字を大きく膨らまし、それを隠蔽してきた。

 それが明るみに出て、ギリシアには投資価値がないことに人々が気づきます。自国通貨ドラクマがあった時代ならば、まずドラクマが暴落するはずですが、それがない。結果すぐにギリシア国債が下がり、それが火種となって、ユーロ危機につながったわけです。

池上:ギリシアの財政赤字のひどさが明るみに出たのは、2009年10月政権交代が起きたのが直接のきっかけでしたね。

 国々をまたいで通貨を統一しても、国々をまたいで労働力は移動しない。通貨が統一されているために、不景気になっても各国単位の財政政策は有効な景気対策にはならない――。こうして見ていくと、ユーロ危機は、起こるべくして起きたようにも感じられます。

 そこで根本的な疑問がわき上がってきます。そもそも先ほどお話に出たヨーロッパのインテリ層は、なぜ通貨を共通化しようとしたのでしょうか?

アメリカの影におびえて急ぎすぎたユーロ成立

岩井:それはヨーロッパ域内の政治の意志が大きかったのです。第二次世界大戦のように、その後の東西冷戦のように、ヨーロッパ域内で隣国同士が戦い合うような事態を避けなければいけない。より具体的には、ドイツとフランスとのパワーをバランスしよう、というわけですね。つまり、経済大国となったドイツの力を抑え、ユーロという枠組みに押し込めて、ドイツとフランスとの確執を埋没させよう、さらに統一ヨーロッパという強い経済圏を創出しようと考えたのです。それが共通通貨ユーロという形に結実しました。

 しかし、インテリの政治的な夢と、現実との間にはギャップがあった、というわけです。

池上:なるほど、それで「知性の失敗」というわけですね。ヨーロッパ知性主義が理想のユーロ大経済圏を求めたけれど、各国の人々は実際には踊らなかった。日本国内やかつてのアメリカ国内で起きたような、労働力の頻繁な移動が、ユーロ圏内では起きなかった――。では、どうすればうまくいったのでしょうか?

岩井:ヨーロッパは文明が早くから発達した地域ですから、文化的にものすごく多様性がある。そんなヨーロッパ域内で、人間が自由に動くようになるには、時間がかかります。まず、労働力の移動をもっとゆっくりじっくりと促してから、ユーロを導入する、という順番であれば、もっとユーロはうまくいったかもしれません。たとえば、導入が20年後だったら、という思いはあります。

池上:急ぎすぎたということですね。第二次世界大戦後、ヨーロッパではゆっくり時間をかけて、統一ヨーロッパのかたちを整えようとしてきました。1957年にヨーロッパ経済共同体(EEC)ができて、1993年にヨーロッパ共同体(EC)ができて、その後、勢いに乗って、ヨーロッパ圏の大統領と国旗と国歌を定めようとしたらさすがに否決されたりもしました。そのスピードからすると、ユーロ導入はまだまだ時期尚早だったのかもしれません。

岩井:時間さえかければ、ひょっとすると第2のアメリカ合衆国になったかもしれません。しかしそうなるためにはやはり一世代くらいの時間はかかります。

池上:なぜ、ヨーロッパはユーロ導入を急ぎすぎてしまったのですか?

岩井:アメリカの影響が大きいですね。ドイツやフランスなどヨーロッパの経営者の多くがアメリカで経済学や経営学を学ぶようになり、経済に関するヨーロッパのインテリの思考がきわめてアメリカ的になった。

 その結果、例えばドイツですら、グローバル化したい大手銀行を中心に、従来からの社会民主主義的性格を持った市場経済、という概念を否定し、より新自由主義経済的な経済運営を求める動きが強くなったのです。

池上:アメリカ流市場主義の影響下にヨーロッパもあった、ということですね。

岩井:はい。なにより90年代、世界経済が「アメリカの時代」になったことで、ヨーロッパの指導者層は焦りました。その焦りが、ドルに対する対抗意識を生み、基軸通貨ユーロを立ち上げてドルと競合する、あるいはユーロ圏をつくって、アメリカ=ドル経済圏と対抗しよう、という野心を抱いたのですね。ユーロ合衆国です。

 そのため、通貨統一という本来ならば時間をかけなければいけない事業を、今にしてみれば拙速に進めてしまいました。ただ、そんな野心を抱いていたヨーロッパのインテリたちも、アメリカ的な資本主義のほうがこんなに早く凋落するとは思ってはいなかったでしょう。

フリードマン流「新自由主義」が正しいのか?

池上:ちなみにギリシアの国家経営破綻がすぐに明るみに出ず、ヨーロッパの人々が雇用を求めて移動を厭わないようになれば、ユーロはなんとか維持できていたんでしょうか? 

岩井:分からないですね。というのも、ユーロ危機の勃発は、ギリシアなどの国家経営破綻だけが原因ではなく、アメリカ発のサブプライムローン問題、そしてリーマンショックも大きく影響しているからです。いま起こらなかったとしても、いつか起こったと思います。

池上:統一通貨圏はうまくいくわけはないんじゃないか?という議論は、ユーロの導入時にも専門家の間でなされていているのですよね?

岩井:ええ。さきほど最適通貨圏のお話しをしましたが、これを唱えたのはカナダ人の経済学者、ロバート・マンデルです。

池上:1999年のノーベル経済学賞受賞者ですね。


岩井:マンデルなどは最初からユーロはダメだろうと明言していました。それから、シカゴ大学の経済学者、ミルトン・フリードマンらも懐疑的でした。

池上:自由放任主義を唱えた、いわゆる新自由主義派の代表ともいえる経済学者ですね。1976年にやはりノーベル経済学賞を受賞しています。

岩井:はい。徹底した市場主義者フリードマンの理論からすると、統一通貨ユーロの発想は相いれませんからね。ただし、フリードマンは、以前に一度、大きな間違いを犯しているんです。実は、1971年のアメリカのニクソンショックを後押ししていたんです。

池上:ニクソンショックとは、それまで固定相場制をとっていて金の兌換紙幣だったドルを変動相場制に切り替え、金との交換停止を断行した一連の政策で起きた「ショック」のことでしたね。時の大統領リチャード・ニクソンがアメリカ議会にも知らせずに、1971年8月15日、突然発表したことから「ニクソンショック」と呼ばれています。

岩井:71年当時ドルは世界の基軸通貨という役割を担っていました。一国の通貨に過ぎないのに同時に世界の共通通貨になっている。フリードマンは、これをアメリカにとっては不利なことだと考えました。ドルが世界の基軸通貨であるということは、金に直接的にリンクした固定相場制であり、そのため、アメリカは国内の経済政策が自由に取れない。当時はベトナム戦争下で財政赤字が深刻化していました。その状況を打開するためにも、ドルと金との繋がりを断って、当時のマルクや円のように一国の通貨となって、ドルの価格は為替市場で自由に変動するのが望ましいと考えたのです。

池上:ところが、アメリカの不景気は解消されなかった……。

岩井:固定相場から変動相場に移行したにも関わらず、ドルは基軸通貨であり続けた。ドルを基軸通貨にしたのは、金との固定相場ではなかったことがわかってしまった。

 けれども、フリードマンは、その後もすべての通貨価値は市場で自由に決まるのが望ましいと考えています。ユーロのような統一通貨は人間が上から貨幣経済をコントロールするものであり、絶対にうまくいかない、と反対していました。ユーロがスタートした当初、フリードマンらのこうした意見は表にあまり出てきませんでした。

池上:当初、ユーロは好スタートを切ったかに見えましたしね。

お金と経済に「知性」はいらない?

岩井:はい。でもユーロ危機が表面化した時、フリードマンはすでに亡くなっていましたが、「あのとき、ああ言っていた」とフリードマンらの意見が急にクローズアップされるようになったわけです。

池上:今の時点で「通貨や経済を人間がコントロールできるわけがない。市場に任せろ」というフリードマンの意見を聞くとたしかに説得力がありますが、一方でユーロのような統一通貨へ憧れを抱く人々の気持ちもわかります。

 人間には、お金に振り回されてきたという長い歴史がありますから、知性の力でお金をコントロールできるようにしよう、多国間で通過を統一しよう、とヨーロッパの知性主義がユーロに行きついた、というのは、ある意味で理解できます。

岩井:明治維新の日本、そしてアメリカのように、条件さえそろえば、通貨統一は成功します。私もユーロの構想は悪くない、と思っていました。ユーロ、というのはたしかに、人間の知性で考えた概念です。知性を集約し、政治的な意思で統一通貨をつくり、その成功に向けて加盟国の経済を統合させて、強く安定的な経済圏を実現する――。

 このシナリオそのものは、悪くない、と思います。ただ、繰り返しになりますが、各国、そしてヨーロッパの人々の足並みがそろう前にあまりに拙速にユーロを成功させようと急ぎすぎた。ユーロの加盟国も急速に増やしすぎた。残念だな、という感は否めないですね。

池上:やはり人間の知性では、お金を、経済をコントロールするのは無理なんでしょうか?

岩井:東欧やソ連の社会主義体制が終焉したとき、計画経済への幻想は打ち砕かれました。今回のユーロ危機では、市場経済にある種の計画性を持ち込もうというやり方が挫折したのも事実です。ですからこの結果を受けて、新自由主義を標榜するフリードマン一派は自分たちが正しかったと快哉を叫んでいます。けれども、人間の知性がお金や経済にまったくかなわないか、というとそれも正しくありません。というのも、ユーロ圏とまったく反対に位置づけられそうな自由主義的なアメリカの資本主義とグローバルな金融市場が、ユーロ危機と相前後して、いやむしろユーロ危機に先だって、危機を迎えているのですから。

池上:たしかに! では次回は、アメリカの市場経済の危機について「お金の正体」に焦点を当てながら、岩井先生に解明いただきましょう。

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