2014年3月17日月曜日

ウクライナ危機の原点―プーチン氏は武力でソ連崩壊の歴史書き換え

 今月12日、ロシアのプーチン大統領はクリミアのイスラム系少数民族タタールの指導者、ムスタファ・ジェミレフ氏との電話会談で恐ろしい可能性に言及した。ウクライナの報道によると、プーチン氏は1991年のウクライナのソ連離脱の合法性を疑問視したという。

 当時も世界はロシアとウクライナの戦争や対立の長期化を恐れていた。ロシアの大統領がウクライナからクリミア地方の奪取に成功すれば、ロシアはウクライナの他の地域まで手に入れようとするかもしれない。さらには、多数のロシア系住民やロシア語を話す少数派の住民を抱えるモルドバやバルト諸国の一部まで食指を伸ばす可能性がある。

 現在の危機の原点はソ連末期にある。プーチン大統領はソ連崩壊を「今世紀最大の地政学的大惨事」だと言って嘆き悲しんだ。ロシア政府は長い間、ウクライナ――今や2番目に大きいスラブ系国家で、かつてはソ連の広大な土地を占め、隣国として常にロシアを不安にさせる存在である――に物欲しそうな目を向けていた。現在のウクライナ危機とロシアのクリミア占領は旧ソ連地域を経済、政治、軍事を網羅するユーラシア連合に再統合しようとするロシア政府の計画に直結している。

 ソ連はかつて、ロシアと呼ばれることも多かったが、実際は複数の国家の集合体だった。これらの国家は不承不承、15の共和国としてひとまとめにされ、ソ連時代のほとんどの期間を通じて、モスクワの圧制の下に置かれた。ロシア人の人口は当時、約1億5000万人で、ソ連の人口の51%を占めるにすぎなかった。ウクライナ人の人口は5000万人で2番目に多く、ソ連全体の20%近くを占めていた。

 1991年12月1日、ウクライナが投票で独立を決めると、ソ連の運命が決まった。ウクライナ市民の90%以上が独立を支持した。現在と同様にロシア系住民が多数派を占めていたクリミアでも、54%が独立に賛成票を投じた。ソ連の海軍基地があったセバストポリでは57%が独立に賛成した。要するに、ウクライナのロシア人の多くがウクライナの独立に賛成したということだ。

 ソ連の最後の指導者、ミハイル・ゴルバチョフ氏は緩やかな連合体の枠組みを策定していたが、ロシア共和国のボリス・エリツィン氏とウクライナのレオニード・クラフチュク氏は参加を拒否した。1991年12月8日、ベラルーシの森の狩猟小屋でエリツィン氏とクラフチュク氏はソ連を解体し、旧ソ連共和国を結びつける独立国家共同体(CIS)を創設した。ゴルバチョフ氏もエリツィン氏もウクライナ抜きの連合体の成功は想像できなかった。ロシア指導部はCISのコストを負担することに違和感があったものの、ウクライナが参加するならと納得した。エリツィン氏がジョージ・H・W・ブッシュ大統領に繰り返し伝えたとおり、CIS内部にウクライナのスラブ系住民が参加しなければ、ロシアは中央アジアの共和国に数でも投票でも負けてしまうだろう。

 その結果起きたのは連鎖反応だった。ウクライナはゴルバチョフ氏が構想した連合体への参加は望まず、ロシアはウクライナ抜きの連合体を想像できなかった。それでもCISに参加したいと考えていた共和国はロシアのいない連合体を思い描くことはできなかった。

 エリツィン氏の補佐官たちはロシアを箱舟――ソ連が崩壊して生まれたばかりの民主主義や、1991年8月のクーデター未遂でゴルバチョフ氏を失脚させようとした不器用な策士たちに抵抗して勝ち取った権力を救うための乗り物――のように考えていた。こうした姿勢は経済的にも十分に納得がいくものだった。ロシア革命時、レーニンは新たなソビエト国家がウクライナの石炭なしでは繁栄できないと主張した。しかし、1991年になると、ソ連最大の富、特に莫大な鉱物資源は共和国にではなく、ロシアの地にあった。

 ソ連は他の帝国とは異なっていた。ソ連という帝国の中心にあり、豊かな資源を持つロシアは共和国を資源から切り離すことができた。つまり、ロシアは過去のどの帝国と比較しても、植民地の喪失によって多くを手にすることになっていた。エリツィン氏と彼の補佐官たちはそれをよくわかっていた。

 ソ連解体を遅らせたいと思っていたゴルバチョフ氏はウクライナの独立心を鈍らせようと、クリミアのロシア系住民の支持を利用したいと考えていた。エリツィン氏の名誉のために言うと、エリツィン氏はそれを拒んだ。エリツィン氏は冷酷なセルビアの指導者スロボダン・ミロシェビッチ氏のように、ロシア連邦から取り残された少数派のロシア系住民が住む飛び地を武力で併合することもなかった。

 しかし、エリツィン氏はソ連がロシアの役に立つ別の形で復活できるとの期待を捨ててはいなかった。エリツィン氏の補佐官はロシアが経済的、軍事的に回復すれば、ロシアの元に再び戻ってくると考えていた。1991年9月、エリツィン氏の腹心のゲンナジー・ブルブリス氏はゴルバチョフ氏の主要補佐官にこう言った。「われわれは自らを他と切り離してロシアを救い、独立性を強化しなければならない。その後、ロシアが立ち直ったときに、みんながロシアの元に集まるだろう。(連合の)問題は再び解決できる」。

 エリツィン氏の補佐官は旧ソ連の共和国がロシアの元に自主的に戻ってくることを期待していた。エリツィン氏は独立を主張するチェチェン共和国などロシア連邦内で戦う用意はあったが、ロシア国境を超えるつもりはなかった。エリツィン氏のおかげで旧ソ連は核を持つユーゴスラビアにならずに済んだ。

 エリツィン氏は旧ソ連地域を平和的に再統合しようとしていたが、その方針は後任のプーチン氏によって破棄された。プーチン氏は2008年にグルジアに、14年にはウクライナに侵攻した。プーチン氏のロシアはエリツィン氏のロシアとは異なり、新たに手に入れた経済力と以前からの軍事力の両方を利用してソ連崩壊の歴史を書き換えようとしている。

 西側はロシアがこれまでの外交政策からこのように大きく逸脱することに対して、つまり、プーチン氏が武力で新帝国主義的な目標を達成しようとしていることに対してどのように反応すべきだろうか。1991年当時、西側は冷戦時代のライバルの崩壊がおおむね平和的に進むように支援し、大成功を収めた。ブッシュ大統領は欧州の同盟国と合意を形成し、西側は旧ソ連の共和国に外交上の承認と経済協力を与えることができた。同時に、ソ連崩壊後の新たな国境を不可侵とすることを求めた。

 今のロシアは当時とは違う。米国や拡大した欧州連合もそうだ。だが、1991年に軍事衝突を阻止した方法がまた成功するかもしれない。武力による政治的主権の侵害に反対して米国とその西側の同盟国が共同戦線を形成することはロシアよるクリミア併合とソ連崩壊後の国境の修正を阻止する上で欠かせない。世界は今、ソ連帝国の夢への後戻りを許すことはできない。

 (プロキー博士は歴史学教授でハーバード大学ウクライナ研究所所長。新著「The Last Empire: The Final Days of the Soviet Union(最後の帝国:ソ連の最後の日々)」は5月にベーシック・ブックスから刊行される)

質問なるほドリ:クリミア、どんな所?=回答・真野森作

毎日新聞 2014年03月03日 東京朝刊


 ◇多民族が行き交う要衝 ソ連時代に入植、ロシア系6割

 なるほドリ ロシア軍が乗り込んだクリミア半島ってどんなところ?

 記者 黒海(こっかい)の北側に突き出た半島で、全域がウクライナ領です。半島の大部分はクリミア自治共和国と呼ばれる行政区域で、南西側にはセバストポリという別の特別市があります。クリミア自治共和国は独自の内閣を持つなど、特別の権限が与えられています。セバストポリにはロシアが黒海艦隊基地を構えています。ウクライナが旧ソ連から独立した後、ロシアが租借(そしゃく)契約を結んだためです。南東側の保養地ヤルタは第二次大戦末期の1945年2月に米英ソ3国首脳が戦後体制を協議した場所として知られています。

 Q 半島にはどんな歴史があるの?

 A 古代にギリシャ人が入植し、ローマ帝国、ゲルマン民族、モンゴル系やオスマン・トルコの支配を受けました。18世紀後半からロシアが統治してきましたが、54年にソ連の指導者、フルシチョフがウクライナ共和国へ帰属(きぞく)を移しました。

 Q なぜ頻繁(ひんぱん)に支配者が代わったの?

 A 欧州とアジアをつなぐ黒海に面し古くから多様な民族が行き交う要衝(ようしょう)だったからです。ロシアは冬でも凍らない港を求めて南へ領土を拡大する志向が強く、セバストポリという良港を持つクリミアで他国と勢力を争って来ました。

 Q どんな人たちが住んでいるの?

 A かつてはトルコ系のクリミア・タタール人が多数派でしたが、ソ連時代に多くのロシア人やウクライナ人が入植し、今ではロシア系が人口の6割を占めます。このため親露(しんろ)感情が根強く、今回の危機の原因の一つとなっているのです。(モスクワ支局)

高校受験ウィークポイントその1

地図縮尺、理解できていません

  • https://www.google.co.jp/?gfe_rd=cr&ei=BQYTU966NuzM8gelqoGQAQ#q=%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%20%E7%B8%AE%E5%B0%BA

  • 現地の長さ=図上の長さ×縮尺の分母 です。
  • 図上の長さ=現地の長さ÷縮尺の分母 です。
  • 地図記号、怪しいです。


12/11/2014 追記 やっぱし図形が危ないデス

三角関数

http://otsuiti2.web.fc2.com/menu/sn/sankaku.htm

http://manapedia.jp//list/index?subject_subcategory_id=190

http://www.geisya.or.jp/~mwm48961/koukou/sct000.htm

http://blog.livedoor.jp/aritouch/archives/3723068.html

http://www24.atpages.jp/venvenkazuya/mathA/Agraphic4.php

12/14/2014追記 

somethingとanythingの使い方

主に肯定文のときはsomethingを、疑問文、否定文のときはanythingを使う
例外としては相手に依頼する、誘うと言った場合のみ疑問文でsomethingを使います。
Would you ~/Will you ~/Could you ~などの疑問詞
(例外)
Will you have anything to eat?
だと純粋な疑問文で相手に yes か no の返事を期待することになります。 これ
が使われる状況は病人に食欲があるかどうか尋ねるような場合でしょう。

Will you have something to eat?
は「何か食べ物はいかがですか」という意味で,相手に yes か no の返事を期待し
ていません。 ふつう物を進めたり頼んだりする場合, yes しか返事を期待しない
はずです。
だから anything は使いません。




お金の正体 池上彰×岩井克人

 2011年、欧州ではユーロ危機が起き、米国ではウォール街で経済格差の是正を訴えるデモが起きました。

 どちらも騒動の主役は「お金」です。2002年に誕生したヨーロッパの統合通貨ユーロ。そのユーロがつくりあげた経済圏が、参加国の財政破たんなどを機に崩壊の危機に瀕しています。一方、市場経済の極みともいうべきアメリカの金融市場は、ユーロ危機より前の2008年に起きたいわゆるリーマンショックでその土台がぐらつきました。さらに2011年には、相変わらず高給を食む金融関係者や企業経営者に対し、はっきりと反旗を翻す動きがウォール街をはじめアメリカの各所で起きています。

 この危機と騒動の本質は何か? 私たちが「正しい経済」を手に入れるにはどうすればいいのか? そのためにはどうやら「お金の正体」を改めて知る必要がありそうです。そこで今回は、『貨幣論』『二十一世紀の資本主義論』『会社はこれからどうなるか』などの著作で、「お金と資本主義と会社の関係」を考え抜いてきた岩井克人東大名誉教授にご登場いただきます。「お金の正体」、迫ってみましょう。

ユーロ危機はなぜ起きたか?――知性の失敗

池上:昨年2011年は、経済の側面で見ると岩井先生のご専門である『お金』そのもの価値が揺らいだ年でした。そのひとつの象徴がユーロ危機です。「ユーロ」が参加国の従来の通貨を統合して法定通貨となったのは2002年1月ですから、今から10年前ですね。誕生から10年という節目に、ユーロという枠組み自体が破綻の危機にあります。複数の国に共通の通貨を使わせるという仕組みはなぜうまくいかないのでしょうか?

岩井:たしかに統一通貨ユーロの試みは、今のところうまくいっていません。でも、複数の国の通貨を共通化する政策がうまくいったケースもあるのです。例えば、明治維新の日本がそれです。江戸時代には、江戸は金、大阪は銀と、事実上一国に2種類の貨幣単位が存在していました。

江戸の日本はかつての欧州 統一通貨「円」はなぜ成功した?

池上:そのうえ、江戸時代には、藩札もありましたね。今でいう地域通貨です。明治維新前の日本はユーロ統一前のヨーロッパのような通貨体制だったわけですね。藩札はどんな役割を担っていたのでしょうか?


池上:国をあげて輸出を増やし、安い輸入品が入ってこないようにする現在の政策と変わらなかったんですね。藩ごとの藩札、共通通貨の江戸の金、大阪の銀が混在していたのが江戸時代までの日本の通貨事情だった。

岩井:だから、こうした複数の通貨の両替を生業とする人たちもいました。いわゆる両替商、為替商です。それが明治維新を経て、「円」という通貨に全国統一されました。いろいろな失敗もありましたが、ひとまず通貨を統一して、そしてその統一がある程度うまくいったがゆえに、日本は近代国家として、経済的そして産業的に発達できましたわけです。

池上:なぜ明治維新の日本では、通貨統一がうまくいったのでしょうか?

「労働力の移動」が統一通貨が成立する絶対条件

岩井:それは、通貨の統一と同時に「労働力の移動」が頻繁に起きたからです。ご存知の通り、江戸時代まで、人々は自分の住んでいる藩に縛りつけられていました。明治政府は、通貨統一と相前後して、人々の移動の自由を認めるようになったのです。日本人はどこに住んでもどこで働いてもよくなりました。

 経済学用語に「最適通貨圏」という考え方があります。ある地域で共通通貨を維持するためには、その地域内では、資本や労働力が自由に動くことが前提となるんです。

 明治期の日本では、通貨の統一と同時に、人々と資本とが移動し、経済活動が活発なところに労働力と資本とが投下されるようになりました。それが成功の大きな要因といっていいでしょう。最適通貨圏の模範でした。

池上:岩井さんのご先祖さまの例で言えば、江戸時代だったら松江藩の経済状況が悪化して失業しても国を出ることが叶わなかったのが、明治維新以降は、いざとなったら出雲地方を出てほかの土地で働くことが可能になった。それが日本全国で起きた。だから共通通貨「円」への移行が成功した、というわけですね。

岩井:その通りです。実際、私の両親は戦前に島根を出て東京へやってきました。同じような人たちは周りにたくさんいました。島根から東京へ。地方から都会へ。

 こうした労働力のダイナミックな移動が、経済の地域間調整を行ってきたのです。資本が動き、人々がそれに合わせるように動く。資本が投下された場所に労働力は集約され、経済が活性化する。その繰り返しで、江戸時代には経済的には必ずしも統一していなかった日本は、ひとつの通貨で経済活動を行う国に変身し、先進国になりました。

 もちろんその成長と引き換えに、たとえば島根県は過疎化し、東京や大阪には過剰といわれるほど人口が集中しました。それがいいか悪いかはまた別問題としてあります。が、経済の側面から眺めると必然的な流れだったといえます。

ケンタッキーフライドチキン・スクールに象徴されるアメリカの成長

池上:アメリカはどうだったんでしょう? ドルの誕生と国の成長も、明治維新以降の日本と同じような経緯をたどっているのでしょうか?

岩井:はい。アメリカは日本よりもはるかに国土が広いですが、もともとが「移動の自由」を掲げてできた国のようなものですよね。西部劇の世界さながらに、人々は馬車に乗って移動し、新しい街を瞬く間に作り上げ、栄える街は人口が増大し、寂れる街はゴーストタウンになる、というのを繰り返しました。

 馬車から自動車の時代になっても、この構造は基本的には踏襲され、その証左として、現在でも基幹道路の要所要所の街には、ケンタッキーフライドチキン・スクールといわれる学校があります。

池上:ケンタッキーフライドチキン・スクール?

岩井:ケンタッキーフライドチキンのようなフランチャイズチェーンのように、教える内容を規格化し、どこから来た誰でも面倒な手続きなしで転入でき、すぐに転出もできる学校です。それだけ人々の移動が激しい。


池上彰氏
池上:明治維新以降の日本とアメリカの国内成長の過程を眺めると、共通通貨が成功するか否かは、お金の統一と同時に「人=労働力の移動」がカギというわけですね。

 さて、そこでヨーロッパでユーロがうまくいっていない原因に話を戻しましょう。岩井さん、日本とアメリカの例を踏まえて、もう一度「ユーロがうまくいかない」わけを教えてください

岩井:ユーロの失敗。それは、ヨーロッパ経済を通貨で統合しようと考えたヨーロッパのインテリ層の理想と、通貨は統合されても国どころか地元からさえ離れないヨーロッパの普通の人々との現実との差が生んだ、まさに「知性の失敗」が大きな原因でしょう。

池上:知性の失敗? 詳しく教えてください。

岩井:そもそも、ユーロを推進したのは、ヨーロッパのインテリ層、指導者層です。彼らにとってみれば、ヨーロッパ域内はもちろん、世界中を自由に移動するのが当たり前です。イタリアで生まれ育ち、イギリスのケンブリッジで博士号を取り、ベルギーの大学で教え、ドイツ人と結婚して、研究のため2、3年アメリカへ渡るというような人が、珍しくありません。そんなヨーロッパのインテリ層がそもそもユーロを構想したのです。

失業しても移動しないヨーロッパの「普通の人々」

池上:ヨーロッパのインテリ層は、域内を自在に移動し、仕事も得ているわけですね。つまり、仕事の需要に合わせて自分が動く。

岩井:逆に言うと、ヨーロッパ域内を自在に移動し、雇用の場所を見つけられる、あるいは、そもそもそうやって「場所に縛られずに移動してもいい」と考えるのはインテリ層やエリート層に限られる、ともいえます。「万国の労働者よ,団結せよ」といったマルクスには申し訳ないですが、異なった国の労働者ほど団結しにくい存在はありません。

池上:ということは、そうでない大半のヨーロッパの人たちは違う、と。

岩井:ええ。ユーロ危機の中心のひとつであるイタリアの例を紹介いたしましょう。私はかつてイタリアのシエナという美しい街に半年間暮らし、そこで目の当たりにしましたが、イタリア人の大半はイタリアの外へ出ようとはしません。それどころか、地元からイタリア国内の他の地域にすら出ようとしない人のほうが多いのです。地元地域への帰属意識が強く、またそれぞれの地域文化に誇りを持っています。

 一番の楽しみが何百年続いたパリオという地区対抗の競馬です。たとえ勉強や仕事のために平日は地元を離れても、週末には洗濯物を抱えて実家に帰る。シエナの若者の9割は地元へ帰ってくるという統計があったはずです。おそらくイタリアのどの地域も同じようなものでしょう。

池上:地元を離れない上に、イタリアをはじめ、南欧の人々は基本的に楽天的ですね。先日、ローマに取材に行って驚いたのですが、ユーロ危機のど真ん中にいる、という意識をイタリアの一般市民がほとんど持っていない。失業率も上がって苦しいはずなのに、緊迫感がない。現地で退職した学校の先生に話を聞くと、現職時代の給料は安かったけれど、年金は退職時の給与と同額が保証されているから心配ないよ、と余裕でした。

岩井:ユーロ危機のもうひとつの当事国ギリシアも同じような状況です。

池上:国が保障しているから、子供が成人して大学を卒業して働き場所がなく実家にいついていても、とりあえずの生活には不自由しないのです。もちろん、その人は、結構な年齢になった子どもに職がないことは嘆いていました。しかし、それでは国がもたないのではと尋ねると「大切なヨーロッパ文明発祥の地を、他の地域が早く助けなかったからだ」と言ってのける。ローマ文明を興した我々が一番の文明人なんだという過剰な自負と、楽天的な気質とが同居している。岩井先生がおっしゃるように、ギリシアにも、同じことが言えるでしょう。たしかギリシアの自殺率は、世界で一番低いレベルのはずです。

岩井:そのうえイタリアもギリシアも観光国家の側面があります。ますますもって自分の地元を出て外で稼ぎに出かけるという発想が起きにくい。

池上:一方、自国が不景気になっても、ユーロに加盟して独自通貨がないから、為替対策による産業振興や雇用の確保もできませんね。

ユーロ圏では、個別の財政政策がただの赤字垂れ流しになる

岩井:そうです。かつては、国内が不景気になると、出雲藩が藩札を発行したように、ギリシア中央銀行がギリシア通貨であるドラクマを発行し、切り下げを行い、輸出を増やし、輸入を減らし、雇用を確保していました。しかし今はそれができません。となると、同じユーロで経済活動を行っているドイツなどと同じ土俵で戦えるか。それは難しい。ギリシア人やイタリア人が移動をいとわなければ、フランクフルトや、あるいはブリュッセルやパリへ働きに出ることで、ある程度地域の経済状況に合わせた雇用調整ができたはずですが、そうした動きは現実には起きていない。かつて1950-60年代には出稼ぎが盛んで、その時の国辱的なイメージが残っており、今では政府は食い止めようとする。ただし、東欧や中欧は違いますが。

池上:かつての日本は通貨の統一と同時に国そのものも統一しましたけれど、ユーロの場合は通貨を統一しても、国それぞれは未だに独立した存在ですからね。島根から東京に移動するのと、ギリシアからドイツへ移動するのは、心理的にも実質的にも難しい側面はあるかもしれない。

 うーん、となると、頭が痛いですね。ユーロ通貨統一に合わせた域内の労働力移動が見込まれにくい今、ユーロ危機に打つ手はないのでしょうか?

岩井:難しい。短期的には、欧州中央銀行がユーロ債を大量発行して、第二のリーマン・ショックを避けることしかありませんが、現在は、これもいやがっています。何しろ財政政策は使えない。そもそもの危機の原因が放漫財政にあったのですから。

 共通通貨になる前は、財政支出を増すと、利子率が上がってしまう。国内投資は減るし、高い利子率に惹かれて外国資本がやってきて、ドラクマ高になり、輸出も減る。財政に自然に規律がかかったのです。

 ところが、ギリシアのGDPがユーロに占める割合は3%ほど。共通通貨になったら、寄らば大樹、いやドイツの陰で、いくら財政投資を増やしても、EUがひとまとまりの金融市場になっていますから、利子率は上がらないし、ユーロ高にもならない。密かにですが国債をばんばん発行して、政府が社会保障や公共投資に使って、国内の雇用や公務員の年金財源を確保するという、悪魔の誘惑が生まれてしまう。民主主義国家は、本当に、ポピュリズムに弱い。その誘惑に負けて、財政赤字を大きく膨らまし、それを隠蔽してきた。

 それが明るみに出て、ギリシアには投資価値がないことに人々が気づきます。自国通貨ドラクマがあった時代ならば、まずドラクマが暴落するはずですが、それがない。結果すぐにギリシア国債が下がり、それが火種となって、ユーロ危機につながったわけです。

池上:ギリシアの財政赤字のひどさが明るみに出たのは、2009年10月政権交代が起きたのが直接のきっかけでしたね。

 国々をまたいで通貨を統一しても、国々をまたいで労働力は移動しない。通貨が統一されているために、不景気になっても各国単位の財政政策は有効な景気対策にはならない――。こうして見ていくと、ユーロ危機は、起こるべくして起きたようにも感じられます。

 そこで根本的な疑問がわき上がってきます。そもそも先ほどお話に出たヨーロッパのインテリ層は、なぜ通貨を共通化しようとしたのでしょうか?

アメリカの影におびえて急ぎすぎたユーロ成立

岩井:それはヨーロッパ域内の政治の意志が大きかったのです。第二次世界大戦のように、その後の東西冷戦のように、ヨーロッパ域内で隣国同士が戦い合うような事態を避けなければいけない。より具体的には、ドイツとフランスとのパワーをバランスしよう、というわけですね。つまり、経済大国となったドイツの力を抑え、ユーロという枠組みに押し込めて、ドイツとフランスとの確執を埋没させよう、さらに統一ヨーロッパという強い経済圏を創出しようと考えたのです。それが共通通貨ユーロという形に結実しました。

 しかし、インテリの政治的な夢と、現実との間にはギャップがあった、というわけです。

池上:なるほど、それで「知性の失敗」というわけですね。ヨーロッパ知性主義が理想のユーロ大経済圏を求めたけれど、各国の人々は実際には踊らなかった。日本国内やかつてのアメリカ国内で起きたような、労働力の頻繁な移動が、ユーロ圏内では起きなかった――。では、どうすればうまくいったのでしょうか?

岩井:ヨーロッパは文明が早くから発達した地域ですから、文化的にものすごく多様性がある。そんなヨーロッパ域内で、人間が自由に動くようになるには、時間がかかります。まず、労働力の移動をもっとゆっくりじっくりと促してから、ユーロを導入する、という順番であれば、もっとユーロはうまくいったかもしれません。たとえば、導入が20年後だったら、という思いはあります。

池上:急ぎすぎたということですね。第二次世界大戦後、ヨーロッパではゆっくり時間をかけて、統一ヨーロッパのかたちを整えようとしてきました。1957年にヨーロッパ経済共同体(EEC)ができて、1993年にヨーロッパ共同体(EC)ができて、その後、勢いに乗って、ヨーロッパ圏の大統領と国旗と国歌を定めようとしたらさすがに否決されたりもしました。そのスピードからすると、ユーロ導入はまだまだ時期尚早だったのかもしれません。

岩井:時間さえかければ、ひょっとすると第2のアメリカ合衆国になったかもしれません。しかしそうなるためにはやはり一世代くらいの時間はかかります。

池上:なぜ、ヨーロッパはユーロ導入を急ぎすぎてしまったのですか?

岩井:アメリカの影響が大きいですね。ドイツやフランスなどヨーロッパの経営者の多くがアメリカで経済学や経営学を学ぶようになり、経済に関するヨーロッパのインテリの思考がきわめてアメリカ的になった。

 その結果、例えばドイツですら、グローバル化したい大手銀行を中心に、従来からの社会民主主義的性格を持った市場経済、という概念を否定し、より新自由主義経済的な経済運営を求める動きが強くなったのです。

池上:アメリカ流市場主義の影響下にヨーロッパもあった、ということですね。

岩井:はい。なにより90年代、世界経済が「アメリカの時代」になったことで、ヨーロッパの指導者層は焦りました。その焦りが、ドルに対する対抗意識を生み、基軸通貨ユーロを立ち上げてドルと競合する、あるいはユーロ圏をつくって、アメリカ=ドル経済圏と対抗しよう、という野心を抱いたのですね。ユーロ合衆国です。

 そのため、通貨統一という本来ならば時間をかけなければいけない事業を、今にしてみれば拙速に進めてしまいました。ただ、そんな野心を抱いていたヨーロッパのインテリたちも、アメリカ的な資本主義のほうがこんなに早く凋落するとは思ってはいなかったでしょう。

フリードマン流「新自由主義」が正しいのか?

池上:ちなみにギリシアの国家経営破綻がすぐに明るみに出ず、ヨーロッパの人々が雇用を求めて移動を厭わないようになれば、ユーロはなんとか維持できていたんでしょうか? 

岩井:分からないですね。というのも、ユーロ危機の勃発は、ギリシアなどの国家経営破綻だけが原因ではなく、アメリカ発のサブプライムローン問題、そしてリーマンショックも大きく影響しているからです。いま起こらなかったとしても、いつか起こったと思います。

池上:統一通貨圏はうまくいくわけはないんじゃないか?という議論は、ユーロの導入時にも専門家の間でなされていているのですよね?

岩井:ええ。さきほど最適通貨圏のお話しをしましたが、これを唱えたのはカナダ人の経済学者、ロバート・マンデルです。

池上:1999年のノーベル経済学賞受賞者ですね。


岩井:マンデルなどは最初からユーロはダメだろうと明言していました。それから、シカゴ大学の経済学者、ミルトン・フリードマンらも懐疑的でした。

池上:自由放任主義を唱えた、いわゆる新自由主義派の代表ともいえる経済学者ですね。1976年にやはりノーベル経済学賞を受賞しています。

岩井:はい。徹底した市場主義者フリードマンの理論からすると、統一通貨ユーロの発想は相いれませんからね。ただし、フリードマンは、以前に一度、大きな間違いを犯しているんです。実は、1971年のアメリカのニクソンショックを後押ししていたんです。

池上:ニクソンショックとは、それまで固定相場制をとっていて金の兌換紙幣だったドルを変動相場制に切り替え、金との交換停止を断行した一連の政策で起きた「ショック」のことでしたね。時の大統領リチャード・ニクソンがアメリカ議会にも知らせずに、1971年8月15日、突然発表したことから「ニクソンショック」と呼ばれています。

岩井:71年当時ドルは世界の基軸通貨という役割を担っていました。一国の通貨に過ぎないのに同時に世界の共通通貨になっている。フリードマンは、これをアメリカにとっては不利なことだと考えました。ドルが世界の基軸通貨であるということは、金に直接的にリンクした固定相場制であり、そのため、アメリカは国内の経済政策が自由に取れない。当時はベトナム戦争下で財政赤字が深刻化していました。その状況を打開するためにも、ドルと金との繋がりを断って、当時のマルクや円のように一国の通貨となって、ドルの価格は為替市場で自由に変動するのが望ましいと考えたのです。

池上:ところが、アメリカの不景気は解消されなかった……。

岩井:固定相場から変動相場に移行したにも関わらず、ドルは基軸通貨であり続けた。ドルを基軸通貨にしたのは、金との固定相場ではなかったことがわかってしまった。

 けれども、フリードマンは、その後もすべての通貨価値は市場で自由に決まるのが望ましいと考えています。ユーロのような統一通貨は人間が上から貨幣経済をコントロールするものであり、絶対にうまくいかない、と反対していました。ユーロがスタートした当初、フリードマンらのこうした意見は表にあまり出てきませんでした。

池上:当初、ユーロは好スタートを切ったかに見えましたしね。

お金と経済に「知性」はいらない?

岩井:はい。でもユーロ危機が表面化した時、フリードマンはすでに亡くなっていましたが、「あのとき、ああ言っていた」とフリードマンらの意見が急にクローズアップされるようになったわけです。

池上:今の時点で「通貨や経済を人間がコントロールできるわけがない。市場に任せろ」というフリードマンの意見を聞くとたしかに説得力がありますが、一方でユーロのような統一通貨へ憧れを抱く人々の気持ちもわかります。

 人間には、お金に振り回されてきたという長い歴史がありますから、知性の力でお金をコントロールできるようにしよう、多国間で通過を統一しよう、とヨーロッパの知性主義がユーロに行きついた、というのは、ある意味で理解できます。

岩井:明治維新の日本、そしてアメリカのように、条件さえそろえば、通貨統一は成功します。私もユーロの構想は悪くない、と思っていました。ユーロ、というのはたしかに、人間の知性で考えた概念です。知性を集約し、政治的な意思で統一通貨をつくり、その成功に向けて加盟国の経済を統合させて、強く安定的な経済圏を実現する――。

 このシナリオそのものは、悪くない、と思います。ただ、繰り返しになりますが、各国、そしてヨーロッパの人々の足並みがそろう前にあまりに拙速にユーロを成功させようと急ぎすぎた。ユーロの加盟国も急速に増やしすぎた。残念だな、という感は否めないですね。

池上:やはり人間の知性では、お金を、経済をコントロールするのは無理なんでしょうか?

岩井:東欧やソ連の社会主義体制が終焉したとき、計画経済への幻想は打ち砕かれました。今回のユーロ危機では、市場経済にある種の計画性を持ち込もうというやり方が挫折したのも事実です。ですからこの結果を受けて、新自由主義を標榜するフリードマン一派は自分たちが正しかったと快哉を叫んでいます。けれども、人間の知性がお金や経済にまったくかなわないか、というとそれも正しくありません。というのも、ユーロ圏とまったく反対に位置づけられそうな自由主義的なアメリカの資本主義とグローバルな金融市場が、ユーロ危機と相前後して、いやむしろユーロ危機に先だって、危機を迎えているのですから。

池上:たしかに! では次回は、アメリカの市場経済の危機について「お金の正体」に焦点を当てながら、岩井先生に解明いただきましょう。

2014年2月27日木曜日

ウクライナがピンチです、2014.02


ウクライナ
首都キエフは、ソ連時代、モスクワ、ペテルブルグに続く第3の都市でした。
ここからロシアの歴史が始まったとされている古都で、京都市の姉妹都市でもあります。
また、ウクライナ美術館や、キエフオペラハウスとして有名なキエフ国立歌劇場など、芸術の都としても有名です。
南部は黒海に面し、特にクリミア半島は、クレムリンの要人達に夏の行楽地として人気があったこともあって、現在でもリゾート地として知られています。
ヤルタ会談で有名なヤルタは、旧ソ連のイメージとは遠く温暖な地中海性気候であり、ワインの有名な産地でもあります。

                  べラルーシ
          ポーランド               ロシア
                    ウクライナ
         
ハンガリー    ルーマニア      黒海       ソチ

           ブルガリア    トルコ
                 

・大きく西側と東側で分離(民族/言語/文化)
・西側=農業エリア(EUへの輸出増)、東側=工業エリア(ロシアへの輸出増)
・人口推移=グラフで簡易イメージすると「y=-1/3x+10」くらいの大幅な人口減(10年間で100万人減で、人口が1/10減った・・・)
・変動相場制にした(new!)

EUへの影響
・なんたってガスパイプラインやが、現在大きく5経路ある

  ヴィボルグ(ロシア連邦レニングラード州)→北海経路
  ベラルーシ→ポーランド経路
  エレン(ロシア連邦のリペツク州)→ウクライナ経路
  黒海→ブルガリア経路
  黒海→トルコ経路

封鎖される可能性があるのは、エレン→ウクライナ経路なんで、EUはまぁ大丈夫やな

ロシアへの影響
・これはデカイ・・・エレンはガスパイプラインの重要な分岐点
・ここをウクライナの暴れん坊が攻めてくるとプーチン激オコ
・ウクライナへは工業支援のため金落としまくり

つづき
・失業率は低位推移(1%以下とは驚き・・・)
・ウクライナ国民が何に怒っているのかというと報道のとおり現政権に対するものやが・・・それだけではないような気が
・ウクライナを裏で操る輩がソチオリンピック開催中に仕掛けたかね?

ワイが一番悲しいのは、ウクライナで平穏に暮らしている市民や子供達やな
・欧州各国の変態金持ちに少女売られるとか・・・
・漫画「MONSTER」のように孤児が「511キンダーハイム(架空)」のような施設に送り込まれるとか・・・

力弱き者が不幸にならんように、短期的に収束してほしいわ。発散は困るで。
しっかし、USは本当に力失ったわ・・・オバマではダメやろな。USは

2014年2月19日水曜日

江戸時代の身分

守護大名=将軍の家臣、国司、県知事、県警本部長、一万石以上の武家
戦国大名=やくざの組長


旗本=
上位5階級以上、国家公務員キャリア官僚、将軍の家臣(大名の家臣ではない)、上級、将軍に会う資格あり、近衛兵、江戸時代において徳川の直臣、三千石程度で名門

御家人=
6階級以下、国家公務員ノンキャリア官僚、将軍の家臣(大名の家臣ではない)、下級、将軍に会う資格なし御+家人、将軍などの偉い武士の部下


上から、

老中
町奉行(警察庁長官兼東京都知事)
与力(武士、警部、警視、警視正)
同心(足軽、警察官の巡査、巡査長)
岡引(序列に入らない、警察官ではない)

2014年2月18日火曜日

このひと、詳しいっす

handle name   :   hikari_light_shinkansen
日比谷で検索のこと



日比谷高、対策の方法をお願いします!
こんにちは。
1度hikariさんに回答してもらった、中3のsoraです。

今回、日比谷高校対策の方法を教えていただきたくて、リクエストさせていただきました。

私は、中2まで不登校だったので、今のところ、内申がわかりません。
中1の5月からあまり行っていなかったからです。
しかし、3年になってからは今まで、遅刻・欠席は1度もないです。
入試の事を考えて、とにかく頑張るようにして復帰しました。

時々、hikariさんの回答を読ませてもらったので、hikariさんが今まで言ったような問題集は結構持っています。
そして、数学に関しては、「未来を切り開くシリーズ」で、ちょこちょこ進めていて、2次方程式までは終わったところです。
ですが、理科と社会は全くわかりません。
今の勉強のスピードでは、だめだということはわかっています。
数学も他の合格する人より、ものすごい遅れていることもちゃんとわかっているのですが、
何から勉強したらいいのか、いつまでにこの問題集は終わらせるべきだという答えがないと、私は明日でもいいやと思ってしまう馬鹿なので、何でも先延ばしにしてしまって、ゆっくり終わらせるようになってしまいます。
こんな状態では絶対に合格できないし、このままではだめだという気持ちがあります。
それにこんな状態では、他の日比谷高校を志望校にしている方にも申し訳ないと思ってしまいます。

なので、今回は、数学の未来を切り開くシリーズの「方程式と関数」「図形」「確立・統計と総まとめ」「入試実践」をつめつめのスケジュールでいいので、それぞれどれくらいまでに終わらせればいいかという事と、理科は未来を切り開くシリーズを持っているのでなんとかなるのですが、社会は参考書自体、何を使えばいいのかわからないので、社会の参考書を教えていただければうれしいです。

ちなみにですが、火・水・金は最高4時間で月・木は最高3時間で土曜日は最高13時間。日曜は最高10時間できます。
ですが、宿題も出るときは結構出てしまうので、できれば、上に書いてある時間マイナス1時間で考えてもらえればうれしいです。

とても面倒くさい質問ですが、答えていただけるとありがたいです。

こんな私ですが、サポートしていただけるとうれしいです。
長文失礼しました。

1.
都立高校は原則、中3時の評定を調査書点として計算するので、中3から頑張って登校できるようになればいいですよ。中3になってから、遅刻・欠席なしということなので、とても頑張っていますよ。

平日は、数学は1時間程度勉強することができるでしょう。英語1時間で、残りは理科・社会になりますね。


2.
都立日比谷高校の数学の対策を考えるとき、『未来を~』シリーズではなかなか太刀打ちできないんですね。なので、早い段階で基本的事項を完全にしてしまい、レベルの高い教材に取り組んでいくことが必要となります。

『未来を~ 方程式と関数』については、第4章まで終わっているということなので、5月中に中間テストの勉強と第6章、第7章のところをやっておいてください。第6章は「関数」ですが、直線の式を求めること、2直線の交点、変域、変化の割合といった、関数の基本のところだけを勉強します。中3で学習する「二次関数」は、グラフをかいて変域を確認するようにしてくださいな。
第7章の「数列」は授業では扱いませんが、都立自校作成問題でも出題されるので、勉強しておいてください。
1日6ページ程度で、1週間程度でできるはずです。

6月から、図形のところに入っていきます。おそらく中2の「図形の証明」がほとんど勉強できていないんだろうと思います。図形の証明問題は、都立共通、都立自校作成ともに取らないといけない問題になるので、必ずやっておきたいところ。
『こわくない数学 図形の証明問題』(くもん出版)が、マンガを読みながら分かりやすく学習できるので、これで勉強してもらおうかと思います。10日から2週間で。

7月の期末テストに向けて1週間確保しておきたいので、6月の残り2週間弱で『未来を~ 図形』の第1章から第4章を勉強しましょうか。第1章~第3章が小学校・中1・中2の復習、第4章が『こわくない数学』の復習部分なので、さくっと勉強。
なお、『未来を~ 確率統計と総まとめ』の第1章 確率のところもこの時期に勉強しておきましょう。

期末テスト終了後、7月は3週間程度確保できるので、『未来を~ 図形』の第5章以降と『未来を~ 確率統計と総まとめ』の第4章~第7章に取り組んでくださいね。分量は合計130ページになりますが、ゆったりとした紙面なのでそれほど無理のない分量だと思います。夏休みに入っているしね。

ざっと、こんな感じかな。


3.
夏休み教材としては、『未来を~ 入試実践』と『「基本のカギ」だけで解く入試数学』(学研)を使っていきます。『未来を~ 入試実践』については、関数や図形の入試問題の基本的な解き方を勉強していきます。『「基本のカギ」だけで~』は、中1・中2範囲も含めた全般の復習教材になりますね。


4.
今年の都立日比谷高校の入試問題では、大問4の問3で「切頭三角柱の公式」が出題されています。これは、2010年の都立新宿高校でも出題されたものですが、学校ではもちろん勉強しません。これは、『高校入試数学問題精講 幾何(図形)編』(旺文社)では触れられている内容なので、9月以降はこうした教材で勉強していくことになりますね。


5.
社会は、教科書が中心になりますね。歴史は、まずはキーワードが何時代なのか結びつける勉強をしておいてください。キーワードが教科書のどの辺に書いてあるのか確認するところから始めてください。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1066247605
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1448728924
問題集としては、中2のときの学校のワークブックがあればそれを使用すればよいし、なければ『中学定期テストの対策ワーク 社会歴史』(旺文社)でいいんだろうと思います。

地理については、教科書に加えて『東大生が教える合格テクニック 地理』(学研)を合わせてどうぞ。地理もそれぞれの地域のイメージ作りから。


6.
学力状況については、今の時点ではわざわざ模試を受験するまでもなく、模試の過去問を使って時間厳守で問題を解いて、大まかな偏差値を求めておけばいいですよ。2年分購入すれば(合計6800円)、都立共通型入試の模試を10回分受験することができます。
http://www.shinken.co.jp/test/pastworkbook.html
模試は、都立自校作成型対応の模試を受験していけばよいかと思います。


自分で危機意識を持って、何とかしないといけないと思っているのなら、何とかなるかな。これから厳しい勉強になってきますが、めげずに頑張っていきましょう。

中3 <都立新宿高校Ⅳ>
お久しぶりです。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1178157731

等で質問させていただきました。

以下が、今取り組んでいる勉強です。

《国語》

評論入門が本屋で見つからず時が過ぎてしまいました(汗)

冬休みから電話帳の公立編を塾の宿題で、自校作編を塾の授業で進めています。

自校作編はまだ1年分しか解いてないと思います。

《数学》

塾で

【1】(1)~(6)・【2~4】(1)・図形証明・できれば記述

を当日正解する方針で決定し、『入試実践』の分は新中問でもう大丈夫と言われたので

電話帳の自校作編を進めることになりました。(最近はじめたので、まだ戸山と白鴎だけ。最後まで解く予定です。)

ぼちぼち新宿の過去問も解いています。

『数学でる順』はどうしても解きたくて、抜粋して1冊完成させてしまいました・・・。

《英語》

『スラスラ読む 長文14』を終えた後はずっと電話帳の自校作編を続けています。

2年目に入って、立川まで解きました。

宿題の関係でまだ手をつけられてないのですが『英語長文精講』は購入してあります。

過去問をあまりにも早く解き終えすぎたので、2回目を2月に再演習したいと思っています。

《理科》

『理科でる順』を進めています。今は地学編で、もう少しだと思います。

過去問で8割になかなか届きません。。。

《社会》

『資料読解』を進めています。これもあと少しで終わりです。

過去問で100点に近い点数が取れるようになってきています!


過去問の点数、解いたものを書いておきます。

<H23>

国82 数43 英88 理59 社69

<H22>

国89 数44 英78 理78 社75

<H21>

国77 数42 英69 理69 社100

<H20>

数55 英72 理75

<H19>

英64 社90

<H18>

社100



★最後の追い込み(2月)は どのような勉強をすれば良いでしょうか?

★理科の計算分野が全くといっていいほどできません。どうすれば良いでしょうか?

★過去問や平均点から見て、僕の数学の目標点はどれぐらいになりますか?


長々とすみません。hikari_light_shinkansen先生、よろしくお願いいたします。


ベストアンサーに選ばれた回答
hikari_light_shinkansenさん リクエストマッチ!
1.
『評論入門のための高校入試国語』について、書店で教材が入手できないなら、ネット書店を利用すればよかったんだけどね。個別指導塾しか通っていないので、水準の高い評論についての知識や読解方法について勉強していないんだよね。そこが少し気になるところかな。

ただ、『システム中学国語』シリーズは取り組んでもらっているので、基本的な読解方法については学習できているはずです。過去問の点数を見ても大丈夫でしょう。

あと、家庭で自校作成問題に取り組んでおいて、塾の授業でこの解説を展開してもらってください。解いている時間の受講料が無駄ですから。


2.(1)
数学については、解くべき問題の流れはだいたいこれでいいです。ただ、直前の時期というのは、時間も少ないので、『新中問 発展編』では全部の問題をチェックすることはできないんですよね。それで『未来を~ 入試実践』で最後の確認をしていくわけです。

『数学問題精講 幾何編』などに取り組んでいない以上、妥協の産物として出したもので、これは絶対に外せない教材なんだろうと思うのですが。塾の担当者が、都立新宿の問題を研究して判断したのなら、それでいいんですけどね。

(2)
都立自校作成の過去問については、電話帳のような単年度分を使うよりも、出題レベルが同程度の高校の複数年度分に取り組んでいくほうが、効果的ではあるんだけどね。同じ自校作成でも出題の方向性が微妙に違っていて、戸山の問題は少し難しいかもしれませんが、まぁいいんだけど、白鴎の数学の問題は、都立新宿の問題からは遠いのかな。

yumekanaeruakiraさんが決めたのなら仕方がないんだけど、白鴎の問題を指示して授業で解説したとなると、ちょっと疑問符がつくのかな。
新宿の過去問は絶対なんだけど、レベル・出題パターン的に都立国分寺の問題を数年分取り組むのもいいんじゃないかな。少しレベルを上げて、都立立川の問題も新宿の問題からは遠くないですね。問題は、塾に過去問があるだろうから、コピーしてもらえばいいですね。

(3)
この時期は、新しい都立自校作成問題を解いていくことと同時に、今まで解いてきた問題を使って再度、どういう流れで解いたのかその問題の解法パターンを整理することも大切です。
決して「あぁ、こうすれば解答できたんだよね」といった答え合わせだけで終わらないこと。それでは力はつかないわけですからね。

以前に、自校作成問題ノートについて書いたと思います。こうしたノートがあるなら、このノートを読み返して欲しいと思います。2月の直前期にこういうノートがいきてくるわけです。

3日で2題は解けるはずですので、都立自校作成問題についてあと15回分ぐらいは解いて欲しいなぁと思います。


3.
英語について、『英語長文問題精講』は見送りです。この教材を使うのなら、他校の都立自校作成問題に取り組んだほうがいいでしょう。『英語長文問題精講』は春休みの宿題とします。

新宿の英語は、「速く読む」というのがとても大切な要素になります。比較的易しめの自校作成問題なら何でもよいのですが、都立国立のような2題しか出題されず、比較的英文が重たい(読みづらい)ものは避けたほうがよいかな。サクサクッと読むことのできる感覚というのが大切になるからね。

直前2,3日前は、自信をつけるために都立墨田川あたりの問題に取り組んでもらうとよいかと思います。


4.
都立の理科は、『でる順』などの問題集を繰り返し学習すれば、8割以上はカバーできるんだけどね。まだ1回目すらできていないのなら、過去問で8割に達しないのも仕方ないかな。

160ページ程度の問題集で、1日1時間で1ヶ月半もあれば十分に終わる教材だと思っていたのですが。重要知識のもれがあると怖いので2回はやってもらう必要がありますが、2回目は「入試実践問題」に絞って取り組んでもらおうかと思います。入試まで何とかできるでしょ。


5.
社会は、自分が使い込んできた教科書なりノートなりテキストなり何でもよいので、最後はこれを何回も抜けているところがないかチェックしてもらうことになります。
問題を解く感覚というのも大切なので、過去問を中心に問題を解くというのもやっておいてください。


6.
点数については、H23については微妙なところなのですが、ギリギリ合格に入り込めた感じかな。H22については大丈夫だろうと思います。

こちらが予定した教材をこなしてもらえば、楽々に合格できる力をつけてもらえたのですが、まぁ7~8割程度はやってもらっているので、都立新宿高校については十分に合格できる力がついているかと思います。
数学と理科は、まだ不十分な点があるので、平日は各教科1時間ずつ勉強するとして、土日について6日分ほど残っているので、その分数学と理科の上乗せをしてください。

最後の追い込み、頑張ろうね。
グレード
ナイス!1違反報告
回答日時:2012/1/30 02:56:26