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2016年6月3日金曜日

アヴェンジャーズ in IT world

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?page=1&qid=12158290662&sort=1

 「セキュリティエンジニアを将来の夢にしているのですが」――高校2年生がYahoo!知恵袋でこんな相談を投げかけたところ、大学教授やセキュリティ企業の中の人など、各界のスペシャリストたちが回答欄に次々降臨するという謎の盛り上がりを見せています。


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セキュリティエンジニアを将来の夢にしているのですが(Yahoo!知恵袋)

 投稿者は、セキュリティエンジニアになるためには専門学校と大学どちらへ進むのがかで悩んでいるもよう。セキュリティエンジニアは技術が重要で、学歴はそこまで気にしなくてよい、という意見を耳にしたことも迷いにつながっているようです。

 これに対し現在(4月20日22時時点)22件の回答が集まっているのですが、圧巻なのが回答者の顔ぶれ。HASHコンサルティング代表・徳丸浩さんを筆頭に、立命館大学情報理工学部の上原哲太郎教授、慶応大学大学院メディアデザイン研究科の砂原秀樹教授、他にもYahoo! JAPANの楠正憲さん、他にもセキュリティ企業・ラックの中の人(おそらく西本逸郎CTO)などなど、名だたる専門家たちが次々と降臨。高校2年生の質問に対し、セキュリティエンジニアに必要なものは何か、今すべきことは何なのかを真剣に答えてくれています。何だこの胸熱な展開は……!


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祭りの口火を切った徳丸さん(「業界のものです」という書き出しが奥ゆかしい)

 この知恵袋はたちまちネット上でも「本にして売れるレベル」「これぞ真の意味での知恵袋」「知恵袋史上最高の回答群」と話題に。あまりにも豪華な“夢の共演”ぶりから「セキュリティエンジニア界のアベンジャーズかと思った」「とりあえずアルマゲドンのテーマ曲流しますね」といった声もあがっています。

 まさしく「知恵袋」の名にふさわしい回答が集まった今回の質問。おれたちが普段見ている知恵袋は何だったのか……という気もしますが、たまにこういう奇跡が起こるのがインターネットのステキなところです。

2015年7月25日土曜日

台風予報円はなぜ出来たか?(1)予報官達の苦労 「扇形表示」から「予報円表示」へ


饒村曜 | 気象予報士/青山学院大学・静岡大学非常勤講師

7月24日15時の台風12号の進路予報

台風12号が南西諸島に接近し、沖縄本島には明日早朝には予報円がかかって台風の中心が接近する可能性が高いことを示しています。いまでは予報円が当たり前のように使われていますが、この予報円を36年前に作ったのは私です。
気象庁では、予報円を作るなど本業である防災情報改善などのかたわら、ちょっとした知恵があれば被害が軽減できるのではと感じ、テレビ出演や取材対応、わかりやすい著作などを積み重ねてきましたが、今後、各種防災情報の成立過程やその効果的な利用法などを発してゆきたいと考えています。

何とか進行方向だけでも当てようとした戦後の台風予報

実は台風予報円が最初に使われたのは1982年6月の台風5号からです。戦後の日本は、大きな台風災害が相次ぎ、死者が4桁(1, 000名以上)の大惨事となるのが珍しくありませんでした。それを何とか減らせないかと予測の上でも様々な努力がなされてきました。
台風の扇形表示
台風の扇形表示
たとえば台風予報の扇形表示もその1つです。台風の24時間先予報において、気象庁では、台風の進行方向だけでも予報しようと、1981年までの約30年間、誤差幅をつけた「扇形表示(進行速度は難しいので一本の線上に表示)」を使っていました。第二次大戦後の相次ぐ台風災害の中で、予報精度が非常に悪くても、何とか進行方向だけでも正しい予報を出して防災に役立てようとする当時の予報官達の苦労の結晶が「扇形表示」です。
しかし、最初から大きな欠点を持っていました。それは、予報誤差には、進行方向と進行速度の2種類があるのですが、扇形表示ではその形から、進行方向の誤差が全くないかのような印象を与え、「台風はまだ来ないだろう」と人々に誤った判断をさせてしまったことです。
図1 台風の進路誤差を端的な数字で表す2つの方法
図1 台風の進路誤差を端的な数字で表す2つの方法

扇形表示から予報円表示へ

そこで考えられたのが、「予報円」を用いた表示方法です。台風の予報誤差には,進行方向と進行速度の2種類がありますが、多くの例で調査すると,両方の誤差がはぼ等しくモデル図(図1)の様に予報位置を中心とした分布となっています。精度の良い予報になればなるほど予報位置の回りに集中した分布となり、精度の悪い予報ほど周辺部にも広がっている分布となります。予報の精度を簡単に表すには,この予報位置のよわりにどれ位集中してくるかということを示せば良いのですが、これには2通りの方法があります。一つは一定の割合が含まれる円の大小で表わす方法(図1のA:ここでは70%が入る円の大きさ)で,もう一つは,予報位置の回りに一定の大きさの円を描き,この円内にどれくらいの予報が含まれているかで表わす方法(図1のB:ここでは150kmの円内に入る割合)です。
気象庁の発表する予報円表示の予報円は,表示の簡明さ、情報伝達のわかりやすさ等を考え合わせ、前者の方法、つまり、円の中に70%の予報が入るということで半径を決めた予報円を採用しています(採用当初は60%でしたが、すぐに70%に引き上げられました)。
このため、予報円の半径は、ほぼ台風の進路予報誤差の平均に対応しています。

台風12号の72時間予報(72時間後には暴風警戒域がなくなる)
では、第二次大戦後の相次ぐ台風災害の中で、予報精度が非常に悪くても、何とか進行方向だけでも正しい予報を出して防災に役立てようとする当時の予報官達の苦労の結晶が「扇形表示」で、扇形表示が最初から持っていた進行方向の誤差が全くないかのような印象を与えるという欠点を改善したのは「予報円表示」という説明をしました。
しかし、「予報円表示」は、すんなり世の中に受け入れられたわけではありません。台風予報の表示方式がそれまでの扇形表示から予報円表示に変わると、今度は台風の強さを表す表示がないため、予報円の大きな台風が強い台風であるとの誤解が生じてしまいました。このため、新たな改善が求められ、誕生したのが予報円と組み合わせた暴風警戒域です。

予報円と暴風警戒域の組み合わせ

図2 昭和60年8月30日9時の台風予報図
図2 昭和60年8月30日9時の台風予報図
1985年8月末に台風13号が九州に、台風14号が関東に接近したとき、マスコミ等で大きく取り上げられたのは、台風14号でした。しかし、実際に勢力が強く、大きな被害をもたらしたのは、台風13号でした。そのときの反省から、報道のしやすさも視野に入れ、「暴風警戒域(台風の中心が予報円内に進んだ場合に暴風域に入る可能性がある範囲)」という現在も用いられている台風進路予報の表示方法が考えられました。現在の暴風警戒域は、予報した時刻に暴風域に入る範囲を示す円ではなく、ある時刻に暴風域に入るすべての範囲を囲む線に変わっていますが基本は同じです。
予報技術としては同じであっても、表示の方法によって、利用者の受け取り方が大きく違います。図2は、1985年の台風13号と台風14号の24時間予報をもとに予報図を3種類で表したものです。「扇形表示」のAでは台風13号の中心が早ければどのあたりまでくるかはわかりませんが、「予報円表示」のBでは、早ければ有明海の入り口に台風中心がくることがわかります。
暴風域と暴風警戒域が表示されているCでは、Bで得られる情報に加え、台風13号は台風14号より勢力が強いこと、24時間後には有明海全体が暴風域に入っている可能性が高いということがわかります。

予報円はだんだん小さくなる

こうして台風予報円は少しずつ進化し、現在では5日先までの予報円が示されるまでになりました。
台風の進路予報は、自然要因の変動がありますが、予報技術の改善により確実に向上しています。台風の予報円表示が始まったのは24時間予報は昭和57年から、48時間予報は平成元年から、72時間予報は平成9年から、4日予報と5日予報は平成11年からですが、確実に向上しており(図3)、これに伴って予報円も小さくなっています。
図3 気象庁が発表した台風進路予報の平均誤差(気象庁HPより)
図3 気象庁が発表した台風進路予報の平均誤差(気象庁HPより)
予報円は小さくなり、昔に比べれば台風被害が少なくなっているといっても、残念ながら被害が発生しています。台風は南の海上からやってきますので、不意打ちはありません。台風情報を正しく理解することが、台風被害、特に台風の人的被害を0にする第一歩です。
出典:図2の出典:饒村曜(1993)、続・台風物語、日本気象協会。
饒村曜
気象予報士/青山学院大学・静岡大学非常勤講師
1951年新潟県生まれ。新潟大学理卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。現在は青山学院大学と静岡大学の非常勤講師で、減災コンサルタント。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

2014年12月10日水曜日

天才たち

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/20944

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%BF%97

2014年7月23日水曜日

元ソニー開発者のヒット商品“扇風機付き作業服” 「一度着たら手放せない」

2014.7.12 18:04
 昨年の3倍、25万着がすでに完売

 「空調服」という会社をご存じだろうか。その会社が開発したユニークな作業服がいま大ヒットしているのだ。

 商品名は社名と同じ「空調服」で、背中の腰の部分に2基のファンがついている。そのファンが体全体に風を送って汗を気化し、その気化熱によって体を冷やす仕組みになっている。風呂上がりの濡れた体に扇風機が心地よいのと同じ原理なのだ。

 試しにその空調服を着てみると、確かに涼しい。というよりも少し寒いくらいに感じるほど。汗をかいていると、とりわけ涼しいそうだ。しかも、体が汗臭くならない。汗臭くなるのは、衣服に汗がついて雑菌が繁殖するためで、汗をすべて気化させてしまえば、臭いは全くしなくなるわけだ。

 そのため、建設現場などで作業している人の間で人気を呼び、次々に注文が舞い込んでいるという。「今年は昨年の3倍超、25万着を生産しますが、予約分を含めてほぼ完売の状態です。代理店で取り合いになっていて、余り注文をしないでほしいと言っているところです」と市ヶ谷弘司社長はうれしい悲鳴を上げる。

 その社長室には、ソニー創業者の井深大氏とのツーショット写真が飾られている。実は市ヶ谷社長は元ソニーの開発者で、大学も井深氏と同じ早稲田大学理工学部。しかし、1970年のソニー入社後しばらくの間は井深氏とほとんどコンタクトがなかったという。それが社内の発明大会で大きく変わった。

 ソニー時代の発明に井深、盛田両氏が注目

 当時、ブラウン管の検査部門で働いていた市ヶ谷社長は発明大会にブラウン管技術を使った笛を出品。それが井深氏の目に留まったのだ。すると、すぐさま新製品の開発部門に異動。半導体を使って音を合成する楽器の開発に携わった。そしてつくったのが電子ピアノだった。これには盛田昭夫会長(当時)が興味を示し、自宅に招待してくれたという。

 「仲間3人と一緒でしたが、開発についてのいろいろな話をし、発売前のウォークマンを見せてくれたことが印象に残っています」と当時を振り返る。

 しかし、1991年、市ヶ谷社長は自分で発明したいものを売ってみたいとソニーを退社。新会社を立ち上げて、ブラウン管の画質を検査する装置の製造・販売を開始した。ところが数年後、東南アジアに売り込みに行った時、市ヶ谷社長は危機感を抱いた。

 「クーラーを使っていない発展途上国の人たちが将来、日本人のようにクーラーを使うようになったら、エネルギー危機が起こる」--そう思った市ヶ谷社長は検査装置を販売した利益で省エネルギーな冷却装置をつくろうと決心。空調服の開発を始めた。

 1年後の1999年、最初の空調服が完成した。それは水タンクを装備した水冷式。ポンプでタンクの水を吸い上げて服の裏側に吊した冷却用の布を濡らし、空気を送って水を気化させることで涼しくするものだ。しかし、これはタンクが邪魔になったり、水漏れがするなど欠点が多かった。そこで、ファンを使うことにした。そして6年後の2004年、試行錯誤の末にようやく完成した。

 開発哲学は「最先端の勉強をしないこと」

 ただ、最初の数年は思うように売れなかった。というのも、販売ルートがなく、故障することもあったからだ。「まず10万着つくってみたのですが、それがなくなるのに6~7年かかりました」と市ヶ谷社長。

 その間、さまざまな改良を加えると同時に、展示会などで来場者に試着してもらい、知名度を上げる努力を行った。その結果、年間1万着だった販売が徐々に増えていき、しかも実際に買ったお客から「一度着たら手放せない」という声が相次ぐようになった。

 すると、一気に販売に火がつき、2012年に2万着だったのが、13年には8万着、2014年には25万着と大きく伸びているわけだ。「ようやく思い描いていた通りになってきた」と話す市ヶ谷社長の開発哲学は、最先端の勉強をしないこと。

 「新しいものをつくろうとすると、その分野の最先端のことを勉強することが多いと思いますが、それだとその範囲でしか商品を開発できず、画期的なものはできません。しかも、最先端のことを勉強すればするほど、発想は似てきてしまい、商品も同じようになってしまいます。空調服も冷房に関して最先端のことを追究していたら、生まれていなかったかもしれません」

 最近は海外からの引き合いも増えており、そのための代理店を探しているという。市ヶ谷社長が開発した空調服の勢いは止まるところがなさそうだ。(ジャーナリスト 山田清志=文)

2014年3月17日月曜日

質問なるほドリ:クリミア、どんな所?=回答・真野森作

毎日新聞 2014年03月03日 東京朝刊


 ◇多民族が行き交う要衝 ソ連時代に入植、ロシア系6割

 なるほドリ ロシア軍が乗り込んだクリミア半島ってどんなところ?

 記者 黒海(こっかい)の北側に突き出た半島で、全域がウクライナ領です。半島の大部分はクリミア自治共和国と呼ばれる行政区域で、南西側にはセバストポリという別の特別市があります。クリミア自治共和国は独自の内閣を持つなど、特別の権限が与えられています。セバストポリにはロシアが黒海艦隊基地を構えています。ウクライナが旧ソ連から独立した後、ロシアが租借(そしゃく)契約を結んだためです。南東側の保養地ヤルタは第二次大戦末期の1945年2月に米英ソ3国首脳が戦後体制を協議した場所として知られています。

 Q 半島にはどんな歴史があるの?

 A 古代にギリシャ人が入植し、ローマ帝国、ゲルマン民族、モンゴル系やオスマン・トルコの支配を受けました。18世紀後半からロシアが統治してきましたが、54年にソ連の指導者、フルシチョフがウクライナ共和国へ帰属(きぞく)を移しました。

 Q なぜ頻繁(ひんぱん)に支配者が代わったの?

 A 欧州とアジアをつなぐ黒海に面し古くから多様な民族が行き交う要衝(ようしょう)だったからです。ロシアは冬でも凍らない港を求めて南へ領土を拡大する志向が強く、セバストポリという良港を持つクリミアで他国と勢力を争って来ました。

 Q どんな人たちが住んでいるの?

 A かつてはトルコ系のクリミア・タタール人が多数派でしたが、ソ連時代に多くのロシア人やウクライナ人が入植し、今ではロシア系が人口の6割を占めます。このため親露(しんろ)感情が根強く、今回の危機の原因の一つとなっているのです。(モスクワ支局)

2013年12月8日日曜日

文語化すべき口語

http://www.ise.chuo-u.ac.jp/ISE/outline/Gmajor/nihongo/

  1. あまりに → 過度に
  2. いっぺんに → 一度に/一括して/まとめて
  3. あと → また,さらに
  4. やる → 行う
  5. してやる/してあげる → する
  6. してる → している
  7. してない → していない
  8. するけど → するが
  9. …だ.→ …である.
  10. …だった.→ …であった.
  11. …だったら → …であるとき/…であったらならば/…なら
  12. …だけど → …だが/…であるが
  13. (文頭の)だけど/でも → しかし/しかしながら/だが/ところが
  14. (文頭の)ちなみに → これと関連して/しかし/ただし
    【補足】 “LISP は list processor にちなむ”のように,動詞の“ちなむ”は使用してかまいません
  15. (自由度がないという意味で)しようがない → やむをえない
  16. みたいな → のような
  17. (一個のものをさして)とかは → は/のようなものは
  18. とか…とかは → や…は
  19. したり…したりする → したり…する
  20. じゃなくて → ではなく(て)
  21. なんでだろう → なぜか
  22. すごく/すごい → (適切な言葉)
    【例】 プログラムがすごい → プログラムが長い/複雑である/技巧的である
  23. すごい速い → すごく速い → 大変速い/きわめて速い/高速である
  24. 超 → 比較的/やや/かなり/たいへん/きわめて
  25. まじで → 真に/絶対的に/圧倒的に
  26. まともに/もろに → 直接的に/直接
  27. 簡単/楽 → 単純/易しい/容易
  28. 面倒/難儀/厄介 → 複雑/難しい/困難

「永遠の0」 あらすじと感想文

永遠の0のあらすじ

 司法試験に失敗し、またにアルバイトをするだけの怠惰な生活を送っている26歳の健太郎へ、4歳年上の姉でフリーライターの慶子から、アルバイトをしないかという電話が掛かってきます。内容は、ノンフィクションライターを目指す慶子のアシスタント。慶子は、「祖父」のことを調べたいとのこと。

 「祖父」とは2人の祖母の最初の結婚相手で、2人の母親・清子の実の父親ですが、2人が「祖父」の存在を知ったのは、6年前に祖母・松乃が亡くなったときでした。慶子と健太郎は「おじいちゃん」として慕っていた祖母の再婚相手から、「祖父」の存在を打ち明けられました。

 「祖父」は、海軍航空兵で神風で死んだとのこと。「祖父」についてはほとんど何もわからず、祖母も「おじいちゃん」には何も語らなかったそうです。慶子は、母親が「死んだお父さんて、どんな人だったのかな」とふとこぼしたのを聞き、何とかしてあげたいと思ったのでした。慶子は、取引先の大手新聞社が翌年に迎えた終戦六十周年の際に展開する大規模なプロジェクトに参加することができ、プロジェクトにもプラスになるのではと考えています。もっとも慶子は「特攻隊ってテロリストらしいわよ」と新聞社の社員の言葉を受け売りする程度の知識しかありませんでした。健太郎は、乗り気がしませんでしたが、退屈しのぎと、慶子からもらえるお小遣い目当てに協力することにしました。

 「祖父」の名は、宮部久蔵。大正8年生まれで、昭和9年に海軍に入隊。昭和20年、南西諸島沖(九州を飛び立ち沖縄へ向かう洋上)で戦死(享年26歳)ということしかわかっていません。慶子と健太郎は、宮部久蔵を知る人物に会うため、本名はじめわずかな情報から、厚生労働省や戦友会へ問い合わせをしました。

 2人が最初に会ったのは、埼玉県郊外に住む元海軍少尉・長谷川梅男。戦争で片腕を失った戦闘機乗りでしたが、本題が始まると、「奴は海軍航空隊一の臆病者だった」と間髪を入れずに吐き捨てました。宮部久蔵も、長谷川梅男も赤紙で招集された兵隊ではなく志願兵で、飛行機乗りを自ら望んだ航空兵でした。長谷川梅男は、「いいか。戦場は戦うところだ。逃げるところじゃない。あの戦争が侵略戦争だったか、自衛のための戦争だったかは、わたしたち兵士にとっては関係ない。戦場に出れば、目の前の敵を討つ。それが兵士の務めだ。和平や停戦は政治家の仕事だ。違うか」と圧倒してから、長谷川が農家の口減らしのために奉公に出た先で主人を棍棒で何度も殴りつけ、ここしかないということで軍隊に入ったことからはじめ、飛行機にほれ込み航空兵になったこと、中国空軍と戦っている時に真珠湾攻撃の話を聞いて地団駄を踏んだこと、オーストラリア攻略戦で米軍のP39・P40・ハリケーン、英軍のスピットファイアと戦ったが零戦の相手ではあかったこと、ラバウル基地に転属になり参加したガダルカナルの奪還作戦が苛烈を極めたこと(結局、日本軍は奪還に失敗、「ラバウルは搭乗員の墓場」「ラバウル転属は片道切符」と言われた)、ベテラン航空兵の未帰還も珍しくなかった中、宮部はいつもまったくの無傷で帰って来たことなどを、慶子と健太郎に語ります。

 戦後、一転して大罪人扱いされ、過酷な人生を送ってきた長谷川は憎しみに満ち、「わしも特攻で死にたかった」と語ります。2人は長谷川の話に圧倒されますが、健太郎は、長谷川が宮部へ向けて放った「臆病者」という言葉を、「その時、初めて、『臆病者』という言葉は自分に向かって言われた言葉として受け止めていたことに気がついた。なせならぼく自身がいつも逃げていたからだ。ぼくには祖父の血が流れていたのか」と戸惑います。

 2人は、宮部久蔵を知る人物に会い続けます。地元商工会の大物で元海軍中尉・伊藤寛次、元海軍飛行兵曹長・井崎源次郎、農家で元海軍整備兵曹長・永井清孝、老人ホームに住む元海軍中尉・谷川正夫、元県会議員で元海軍少尉の岡部昌男、元一部上場企業社長の元海軍中尉・武田貴則、引退したやくざで元海軍上等飛行兵曹・景浦介山、旅館経営者の元海軍一等兵曹・大西保彦から話を聞くうちに、宮部久蔵が、慶子と健太郎の中で蘇ります。宮部が、日本海軍の戦闘機乗りの秘儀と言われた「左捻り込み」をも使いこなす天才パイロットだったこと、惻隠の情を持った男であり、「生きて家族の元に帰る」と言い続けていたこと、そして、米空母搭乗員を「悪魔のようなゼロ」と震え上がらせたこと… 慶子と健太郎の心の中にも変化が生まれました。




永遠の0の読書感想文

 「永遠の0」の中で、日本軍にあと一押しされていたらやられていた戦いは相当あったとアメリカのハルゼーが回想していたというエピソードが紹介されていました。、あた、海軍の将軍たちは、もっとも叩くべきは敵の輸送船団・ドッグ・石油施設などであるにもかかわらず、弱腰になり反転を繰り返していたといいます。これには、軍部の中での出世競争や査定があり、船を失いたくなかったことや、敵の輸送船や施設をいくら叩いてもポイントにならなかったこと、そして、日露戦争後、一度も海戦をしたことがなかった日本は、太平洋戦争に突入した時点で、ただ海軍大学や海軍兵学校を出たというだけで実戦経験がゼロの将校ばかりだったことなどが、登場人物の口を通して語られました。致命的な失敗をしても、官僚(将校)たちは責任を追及されず、代わりに下士官以下が責任を取らされます。将軍や士官たちは自分たちが矢面に立つ場合は弱腰になり戦闘海域からすぐ離脱しますが、自分たちが危険にさらされることのない場合なら下士官以下をどんな無謀な作戦にも送り出して行ったとのこと。

 権力って、なんだろうと思いました。

 もちろん、「永遠の0」は小説であり、フィクションですが、大局への貢献や使命感の欠如した自分だけ良ければいいという、この官僚構造とでもいうものは、現代でも脈々と生きていると思いました。横領はもってのほかですが、横領にはならなくても官庁や会社の領収証で飲み食いをする場合、もちろん、職務に必要なときもありますが、自腹を切るのが嫌で会社に損失を負わせているというだけのこともあるのではないかと思います。大局としては、財政や経営状態が悪化するわけですが、それを何とも感じず、当たり前のように飲み食いする楽しみにふける人もいます。また、自分がやるはめになりそうなときは黙り込み、自分が労を背負う必要がない場合になるととたんに前に出て会議の場でだけひたすら目立ち、いざ、実践の場面になると、知らん顔をする人も多いかもしれません。何があっても自分は表には出ず、代わりに誰かの名前を出し、責任を問われることは絶対にないという人はどこの世界にもいると思います。そういった人間たちが、いわゆる「勝ち組」になってしまっている構造は、戦争中の日本も、今の日本も変わらないのだと思いました。

 あと、ゼロ戦は、やはりすごかったのだなと思いました。

 堀越二郎と曾根嘉年という情熱に燃える2人の若い設計者の血のにじむ努力によって零戦が生み出されたことが紹介される場面もありましたが、旋回と宙返りに優れるという格闘性能と、速度という本来相反する2つの性能を兼ね備えた魔法のような戦闘機だったとのこと。しかし、囲碁の棋士になるか一高に進むかで迷っていた中学生(旧制)でしたが、父が相場に手を出して大きな借金を残して首をくくり、中学を中退して母も病気になりまもなく死亡し、頼る親戚もなく、天涯孤独の身で海軍を志願した宮部が、世界最高と言われ、誰しもがその性能には陶酔していた零戦について、「自分は、この飛行機を作った人を恨みたい」「八時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。八時間もの間、搭乗員は一時も油断出来ない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ敵が襲いかかってくるかわからない戦場で八時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。八時間を飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」と語っていたことが印象に残っています。確かに、機械としては優秀でも、搭乗員は人間です。ラバウルを飛び立ち、3時間かけてガダルカナルへ向かい、敵地へ乗り込んだ圧倒的不利な状況の中で空戦を戦い、また3時間かけて戻ってくる作戦に、一週間に3度も、4度も出撃しなければならなかった飛行兵は、体力と、精神力の限界を超えていたのだなと思いました。ダイナマイトを発明したノーベルではありませんが、技術や装置を生み出すことと、人間社会の中で技術や装置が利用されることは違うようですし、「技術」や「装置」を、「権力」や「構造」に置き換えることもできるかもしれません。

 「永遠の0」は、真珠湾攻撃からはじまり、ミッドウェイ海戦、サンゴ海海戦、ガダルカナル攻防戦、フィリピン、レイテ、マリアナ沖海戦、サイパン、沖縄というように、戦争の転機になった戦いが順を追って登場するので、戦争を知らない世代でも読みやすかったです。

 また、官僚的構造でがんじがらめになり、官僚的構造の中で生きることだけに忠実な人間たちだけが権力を掌握していた日本軍に対し、「リメンバー・パールハーバー」で心を一つにしたアメリカ軍が、果敢に戦っていた様子も伝わってきました。ミッドウェイ海戦の時に、空母を飛び立ったアメリカ雷撃隊は、ゼロ戦の恐怖を承知のうえで、護衛戦闘機なしで飛び立ち、日本の迎撃機に全滅させられましたが、雷撃隊が零戦を低空に集めた結果として、急降下爆撃隊が上空からの日本空母部隊の爆撃に成功したことや、ドイツの工場を破壊する使命を帯びたB-17爆撃隊が、航続距離の問題で護衛機なしの丸腰の状態で、しかも正確に工場を破壊するため、昼間に爆撃を続け、毎回、40パーセント以上の未帰還機を出し続けていたことの語られていました。B-17搭乗員の戦死者数5千人は、神風の戦死者数4千人を超えているそうです。アメリカは、戦争に勝つというミッションのために、個人が命を駆けて戦い、軍も実力主義で、官僚的に優れているだけの軍人は要職には就くことがなかったようです。

 ただ、それでも、アメリカ軍のガッツある攻撃は「九死に一生を得る」ことがありました。しかし、特攻は「十死零生」で文字通り「必死」。「鹿屋の基地の防空壕内の施設で女子挺身隊として働いていた」などの記述もありましたが、当時は、生き延びるには過酷な時代だったのだなと思いました。

2013年11月25日月曜日

かんべえさんの日記からあまりにスバラシかったので勝手に拝借しました、スミマセン。

<11月17日>(日)

○『軍師の門』(火坂雅志・角川文庫・上下巻)を読了。黒田官兵衛ものであって、来年のNHK大河ドラマのネタ本である。

○が、これがつまらない。まーったく下手な小説だと思う。義理だ、仕事だと自分に言い聞かせながら最後まで読み通した。人物描写は浅いし、ストーリーには山谷がないし、とにかく史実をなぞってみました、という体裁である。荒木村重に投獄される部分も、本能寺の変から中国大返しに至る部分も、ほとんどドラマになっていない。唯一、フィクションでくわえた女性が登場するが、これが全く魅力に欠けると来ている。何が書きたかったのだろう。笑ってしまうのは、最後についている「解説」もひどい。お暇な方は、書店でこの解説だけを立ち読みされたらよい。ワシは「やっぱり買うの止めようか」と思いましたぞ。

○と、いきなり全否定してしまったが、ここ20年くらいで戦国時代研究はずいぶんと進化を遂げているようで、本書にはたとえば官兵衛が九州に行ってからの官兵衛の足跡や、城造りの名手であったことなどが丁寧に描かれている。歴史小説としてはいかんが、官兵衛ファンにとっては読んでおくべき一冊ということになるのかもしれない。でもねえ、これに比べると時代は古くなってしまうし、古い材料を元にして書かれているけど、司馬遼太郎の『播磨灘物語』や吉川英治の『黒田如水』の方が、よっぽど小説としてのレベルは高いし、そっちの方がお勧めだと思う。まあ、比べる相手が悪いという気もするが。

○ワシ自身の官兵衛像は、この辺この辺で書いた通りである。何と10年以上前に書いたものなので、いい加減自分でも忘れているのだが、とにかく官兵衛が「軍師」であったというのが信じがたいと思う。黒田官兵衛孝高は、何はさておいて戦国武将ですよ。自分の家や家来をほったらかして、秀吉の腹心になって満足していたとは思えないんですよねえ。現代人は、軍師とか参謀役とかが妙に好きなわけですが、戦国時代はまだラインとスタッフが未分化な組織で戦争をやっているわけですから、「軍師」の地位はあんまり高くはなかったと思うんです。

○それから、「高松城水攻め」が官兵衛の発案だったという話も嘘くさいと思う。あんな風にカネのかかる作戦は、思いついても口に出せないでしょ、普通。あれは土木事業が大好きだった秀吉が、三木城→鳥取城の城攻め思想を発展させて、トップダウンで決めたと考えるのが自然であろう。官兵衛をスーパースターにしようとすると、ついついそういう設定にしたくなるけど、そういう人ではなかったと思うんだな。

○と、腹ふくるる思いをした不肖かんべえなのであった。ね、官兵衛さん、違うよねえ。





歴史漫談『官兵衛とかんべえ』
①戦国時代編(掲載:2000.4.2--4.5)

<4月2日>(日)
○『播磨灘物語』を読み返してみました。「かんべえ」というハンドルネームの元となった黒田官兵衛の生涯なんですが、あらためて気がつくと、彼は20代にはほとんど何もしていないんですね。官兵衛が世の中に飛び出すのは、30を過ぎて羽柴秀吉に出会ってから。その後の活躍はわりと有名ですが、若き日の官兵衛が何をしていたのかはほとんど伝わっていない。ことによると鬱々とした日々だったような気もする。 

○『播磨灘物語』の中では、官兵衛がキリシタン仲間との交流したり、将軍足利義昭擁立に協力したことが書かれているけど、このあたりは司馬遼太郎さんの想像力の産物と考えたほうがいいでしょう。のちの天才軍師は、どんな青春時代を送っていたのか。ということで、架空インタビューを実施してみました。 

かんべえ 「官兵衛さんは20代の頃は何をしていたんですか?」
官兵衛 「いやもう、正直なところ暇で暇で・・・・。こんな田舎でくすぶっていていいのかと、何度も思いましたよ」
かんべえ 「やめちゃいたいとは思いませんでしたか」
官兵衛 「そんなこといっても、僕は長男だし、筆頭家老だし、無責任なことはできませんよ」
かんべえ 「長男だなんて、そんなこと気にする人だったんですか」
官兵衛 「親父が40代で隠居して、僕に家督を譲ってくれたでしょう。それでいきなり小寺家の筆頭家老でしょう。最初のうちは重荷だったですよ。弟もいるし、家臣はみんな真面目だし、周囲の期待は大きかったし・・・・。それに小寺氏の家老って、ほかに頼りになるひとはあんまりいないし、退屈なわりには結構きつかったですよ」

かんべえ 「小寺家を乗っ取って独立、なんて思いませんでしたか」
官兵衛 「全然。僕はそんなガラじゃないって・・・・」
かんべえ 「そういうところが後世では人気があるんですけど、その気になれば20代のうちに播磨一国くらいは取れてたでしょ」
官兵衛 「(笑い)・・・・かもしれないけど、その場合は人生そこで終わったでしょうね。後になってから良かったなと思ったんだけど、僕は20代では何もしなかったけど、無茶や無理もしなかったの。それで信用されたと思うんだな。田舎で信用されるには、“昔から知ってる”ってのがいちばんですからね。とくに黒田家内部が僕を信用してくれた。その後、僕はいろんなギャンブルをしたけど、みんな最後までついてきてくれましたからね」
かんべえ 「それじゃやっぱり、無駄にしてたわけじゃないんだ」
官兵衛 「やっぱり二代目ですからね。親の代からの家臣に信用されるのって、難しいですよ」

かんべえ 「20代で楽しかったことって何がありますか」
官兵衛 「やっぱりキリシタンになったことでしょうね。正直に言いますけど、僕はそれほど信仰心が厚かったわけじゃないんです。ただね、キリシタンになると情報が入ってきた。それが面白かった」
かんべえ 「なぜキリシタンは情報が入るんですか」
官兵衛 「キリシタンになるって連中は、当時としてはインテリなんですよ。それも若くて面白い奴が多かった。そいつら全員と友人になれたんです。しかも神の前にはみな平等だから、大名でも商人でも対等に付き合うんです。今でいうネットワーキングですか。田舎に住んでいたけど、あれで世界が広がったと思う」
かんべえ 「なんだか勉強会みたいなことをしてたんですね」
官兵衛 「情報を集めるとか、形勢を分析する技術なんてのは、あの頃に覚えたんです」

かんべえ 「官兵衛さんの20代には、播磨の国はまだ空白地帯ですね」
官兵衛 「東から織田家、西から毛利家が伸びてきていた。でも播磨に到達するまでには、5年以上かかると思っていたから、あわてることはなかった。そうそう、それでお金を貯めてましたね」
かんべえ 「官兵衛さんは晩年になってもケチだったという評判が残っています」
官兵衛 「若いときからの癖なんだな、きっと。いずれ勝負のときが来る、と思ってたから」
かんべえ 「そういうお金は何に使ったんですか」
官兵衛 「主に情報を集めるためかな。そうそう、僕は初めて秀吉に会ったときは袖の下を渡してるんですよ。あの人はお金のかかる人だって知ってたから」

かんべえ 「官兵衛さんは、意外と生臭いこともしてるんですね」
官兵衛 「その辺が竹中半兵衛さんとの違いかな。僕はね、秀吉の若い頃からの悪事をいっぱい知ってるの。とても書けないようなことも含めて」
かんべえ 「歴史に残ってないことも含めて、ですね」
官兵衛 「歴史に残っていることなんて、ほんの一部ですからね。年取ってから、僕は秀吉から干されるわけだけど、それって無理のない話なの。弱みをいっぱい握っているわけだから」
かんべえ 「歴史に残ってない話を少し教えてくださいよ。本能寺の変は実は秀吉が仕組んだとか」
官兵衛 「そりゃあちょっと無理があるけど、司馬さんが書き残したことはたくさんありますよ。いい本だけどね」 



<4月3日>(月)
○かんべえと官兵衛の会話は思ったよりはずんで、どんどん先へと進みます。 

かんべえ 本当は、官兵衛さんの20代についてだけ聞くつもりだったんですけど、ご機嫌が良いようなので、もう少し話を伺ってみましょう。で、司馬さんがあの時代について書き残したことって、どんなことがあるんでしょう。
官兵衛 たとえばね、織田軍団の内部事情なんかは、あんなに生易しいものではなかったね。
かんべえ と、いいますと?
官兵衛 当時の織田軍団というと、今でいうとオーナー社長の下で急成長している企業なわけですよ。もうソフトバンクか光通信かってくらいで。組織の内部はもうむちゃくちゃね。朝令暮改に下克上で、落ち着きがない上にピリピリしているの。仲間内の足の引っ張り合いもすごくえげつない。
かんべえ たとえば、秀吉と柴田勝家は仲が悪かったそうですね。
官兵衛 あの二人はまだいいの。お互いに認め合っているところがあったから。でも、汚いことするやつもいるわけ。たとえば信長の晩年に、重臣の林、佐久間が放逐されるでしょ?あれだって仕掛けるやつがいるの、内部に。もう油断も隙もない。前線に立ってても、いつ後ろから弾が飛んでくるか分からない。正直なところ四分六で内部の方を向いてないと、仕事ができないって感じ。 

かんべえ でも、織田軍団の中で秀吉は出世しますよね。あれはやっぱり他人の足を引っ張ってのし上がるんですか。
官兵衛 そういう面がなかったとはいえないよね。たとえば、ある時期の織田家は、誰が中国方面担当司令官になるかがすごく注目されるんです。誰が見たって打倒毛利家が最重要課題だし、その担当者が織田家ナンバーワンの評価になるから。信長はそういうとき、部下にコンペをさせるんです。もっとも早く、確実に、安上がりに勝てそうな部下を選んで指名する。実はある時期までは、この競争は光秀が一番札だった。
かんべえ 秀吉はそれを大逆転するわけですね。
官兵衛 そう、そのやり方がおかしいの。秀吉はいきなり僕を岐阜城に連れていって、「すごい男を見つけました。この男ひとりで播州は取れます。ついでに中国方面も全部取れます」って宣伝するわけ。そこで僕は初めて信長の前に出て、「こうすれば毛利は倒せます」と一席ぶたされるんです。これが受けちゃって、「よし、だったら秀吉、毛利攻めはお前がやれ」。これで決まり。
かんべえ いきなり自分の出世に利用されちゃったわけですね。
官兵衛 そう、だから秀吉は僕には恩義があるんです。

かんべえ じゃあ、毛利攻めの最中にも、同僚によるいじめがあったんですか。
官兵衛 端的にいうと、荒木村重が造反するでしょ。あれで僕はエライ目にあうわけだけど、僕の前に、最後に説得に行ったのは明智光秀なの。でも説得に行ったのか、寝返りをけしかけたのかは分からないよ。
かんべえ ひえー、そりゃひどい。
官兵衛 だって、彼は秀吉にポストを取られて、気の進まない丹波攻略なんかをさせられてるんだもの。邪推かもしれないけど、「おぬしの気持ちはよく分かる」なんて言ってたんじゃないの?摂津の村重が寝返ると、播磨の羽柴軍は困るけど、丹波の明智軍は関係ないしね。
かんべえ 光秀はけしからんやつですね。
官兵衛 でもね、こっちも彼に対してはいろいろやったから。 

かんべえ 具体的にどんなことをしてたんですか。
官兵衛 スパイを送ってたんだよね。明智軍だけじゃないよ、秀吉軍てのは自民党田中派みたいなもので、そこらじゅうに「隠れ秀吉派」を作ってあるわけ。光秀はとくに危ないってんで、優秀なのを送り込んどいたの。そしたらある日、様子がおかしいことに気づいたんだな。
かんべえ ひょっとして・・・・
官兵衛 そう、明智軍が亀山城を出て、老の坂まで来たら、「わが敵は備中にあらず、本能寺にあり」って言うんだもん、そのままスパイは逐電して秀吉陣営まで飛んできた。
かんべえ 本能寺の変を知らせたのはスパイだったんですか。
官兵衛 もちろん、信長が死んだかどうかはわからなかったけど、結果は察しがついたよね。堺の商人が飛脚をよこしたとか、明智の使者が報告先を間違えたってのは、僕らが後で作った話。これが「中国大返し」の実態ですよ。 

○かんべえさんのインタビューに対し、官兵衛さんは快調に何でもしゃべってくれる。明日はいよいよ本能寺の変の真相が明らかになる。乞うご期待。 



<4月4日>(火)
○光秀の謀反は秀吉陣営にはつつぬけだった、という。そうなると気になってくるのは、日本史最大の謎のひとつである本能寺の変の真相だ。 

かんべえ そこまで話したら、本能寺の変の真相についても教えてくださいよ。
官兵衛 うーん、本当のところはね、僕らもわかんないよ。光秀がなんであんなことをしたのかはね。でも、彼の気持ちは分かるんだ。
かんべえ 後世では怨恨説、野望説などが有力とされています。
官兵衛 野望ってことはないよ。奴はそんなタマじゃなかった。怨恨も当たらないね。浪人してたところを拾ってもらったんだから、信長への恨みよりは恩義の方が圧倒的に大きい。強いていえば、正当防衛に近いのかな。あのままいけば、彼は確実に殺されていた。だから殺られる前に殺った。それと、最後の頃の光秀は、心身症に近かったからね。
かんべえ 光秀をそんな風に追い込んだのは信長自身だった、と。
官兵衛 うーん、これを説明するのは難しいんだけど・・・・・

かんべえ いろいろわけがありそうですね。
官兵衛 そうだな、ある時期から信長は明らかにおかしくなっちゃうわけ。もう、全然、感情の抑制が効かなくなってしまうの。やたらと人を殺させたり、かと思うとボロボロ泣いたり、冷静な指導者ではなくなってしまう。元亀年間の頃は、織田家がいつ滅ぼされるかわからないという緊張感があったけど、長篠の合戦あたりからはそれもなくなって、完全に自分を止められなくなった。天正9年には「伊賀のもの、一人も生かすな」なんて無茶苦茶な命令を出してしまう。でも、なにしろ織田家はワンマンカンパニーだから、そうなっちゃうと誰も止められない。組織としての抑止力もゼロだったし。
かんべえ オーナーが変になって、バブル企業が崩壊する感じですか。
官兵衛 もちろん、止めようとはしたんですよ。秘書役の森蘭丸なんかが、「ちょっと御館様が変なんです。秀吉さん、あんたがいちばん呼吸が合うんだから、なんとか言ってやってください」って頼んでくるわけ。でもさ、秀吉はイエスマンだから、結局何も言えないの。
かんべえ 信長がそんなふうになった理由はなんだったんでしょう。
官兵衛 僕ははね、殺し過ぎたんだと思うんだな。あの人は叡山焼き討ち、伊勢一向一揆虐殺とかやるでしょ。でも彼だって人間だから、良心の呵責は感じていると思うんだ。そうすると苦しむよね。苦しいのを忘れるために、もういっぺん虐殺をやっちゃうの。それで、「こんなことはたいしたことじゃないんだ、こいつらが悪いんだ」って思うんだろうね。そうやって自己正当化を図っているうちに、暴力が拡大再生産されていく。最後の時期には恐くて、誰も面と向かってものが言えなくなっていた。

かんべえ それでも、織田家の快進撃は続いていた。
官兵衛 ある時期からの織田家は事業部制になって、羽柴、明智、柴田、丹羽、滝川といった子会社が競争しながらどんどん成長するのね。でも、親会社の社長は狂っていて、自分がいつクビになるか分からない。そういうとき、子会社の社長はどうすると思う?
かんべえ ・・・・分かりませんね。
官兵衛 自分だけはやられたくないから、やられ役を作っちゃうの。つまりイジメだね。信長の怒りが爆発しそうになると、「悪いのは全部こいつです」とみんなで口裏を合わせてしまう。そうしておけば自分自身は無事だからね。
かんべえ 犠牲になったのが光秀であったと。
官兵衛 そう、彼は典型的ないじめられ役だったの。信長がひとりで怒り狂っているときに、なーんとなく光秀がスケープゴートになってしまう。そういう雰囲気作りは、秀吉がいちばん上手だったよ。小さな頃にいじめられた子供は、大人になってからそういう勘が働くのね。
かんべえ それじゃ光秀はたまりませんね。
官兵衛 そう、最後の頃には、「俺はこのままじゃ殺される」と思ってただろうね。

かんべえ それじゃ、官兵衛さんなんかは、光秀の裏切りはうすうす感じていたんじゃないですか?
官兵衛 感じてなかったといったら嘘になるね。というより、信長が死んだと聞いて、織田家の部将はみんなほっとしたと思うよ。正直なところ、最後の頃はみんなが戦々恐々で、「誰かなんとかしてくれ!」って感じだったもの。光秀の謀反に内心、拍手を送った部将は少なくないと思う。
かんべえ 言葉は悪いですけど、彼は家臣団を右代表して手を下しちゃったというか。
官兵衛 そう。光秀の気持ちになるとね、信長を殺せばみんなが拍手してくれると思ってたんじゃないかな。でもそれって甘いよね。自分の主君を殺した人間は誰にも信用されない。そういうことって、実際に手を下してみると気がつくんだよね。本能寺の後の彼の行動は明らかに変でしょ。非常に中途半端な行動を続けて、まるで自滅するように死んでしまう。
かんべえ なんだか光秀が可哀相になってきたな。

官兵衛 そういう罪悪感は、当時の織田家の部将はみんな感じていたと思うよ。「あいつ馬鹿だなー」なんていいつつ、まあ、でも取りあえず自分が助かって良かったな、って。
かんべえ そういう計算をしていた官兵衛さんも結構ずるいというか。
官兵衛 たしかに、ついに光秀が動いた、という情報を得たときは、立ち込めていた雲が消え去ったような気がしたな。高松城で毛利軍と対峙していたけど、彼らは最初から戦う気なんかなくって、お互い八百長試合もいいところだったからね。吉川、小早川とはツーカーの意思疎通ができていたし、僕らはいつでも好きなときに席を立つことができた。僕らはついてたんだ。
かんべえ 聞いててだんだん腹が立ってきたな。やっぱり本能寺の変は秀吉が仕組んだんじゃないの。
官兵衛 そういうなって。その後の「中国大返し」から山崎の戦いのプロセスは、やっぱりギャンブルだったからね。もちろん、負ける気は少しもなかったけど。
かんべえ 秀吉と官兵衛さんは、相当に腹黒いことを相談していたんですね。
官兵衛 あははー、でもね、秀吉と僕のコンビは、当時の日本では掛け値なしに最強だったと思うよ。二人で知恵を絞って強敵に打ち勝っていくという体験は、強烈な快感だった。・・・・それに、君だってこういう話は、まんざら嫌いでもないんだろう? 



<4月5日>(水)
○かんべえさんと官兵衛さんの戦国時代問答は、3日間にわたって続けられました。二人の間には、若干の余熱が残っているらしく、昨今の状勢に関しての雑談が続いています。 

官兵衛 ときに今度はこっちから聞くけど、僕が戦国時代の話をしている間に、この時代では総理大臣の交代があったんだね。本能寺ほどではないが、最高権力者の無力化という一種の異常事態が発生した。ところが乱世になるという感じでもない。これはどういうことだい。
かんべえ 小渕前首相が倒れたのは4月1日の夜。それが4月5日には新内閣発足。「中3日」で処理したわけですが、うち1日は事実を隠していたから本当は「中2日」でした。危機管理としては上出来の部類で、個人的には久々に「自民党という知恵」を感じましたね。現にこの間の株価は、ほとんど政局とは無関係でした。

官兵衛 それで次の政権はちゃんと機能するのかな。どうも簡単すぎるように感じるけど。
かんべえ 今回の事態を本能寺の変に置き換えれば、せいぜい清洲会議が行われたあたりでしょう。やっぱり戦争をやらなければ政治は安定しません。現代日本では戦争をしませんから、代わりに選挙をやって決着をつけます。選挙で勝てば森政権は認知を得ますし、負ければ他の人に取って代わられるでしょう。
官兵衛 だったら早くやったほうがいいな。
かんべえ 新聞紙上では、解散・総選挙は近いという見方がもっぱらです。
官兵衛 戦争でも選挙でもいいが、天下を取るときはちゃんとライバルを倒して、自分の正統性を立証しなければならないね。リスクを回避してちゃ、権力は安定しないよ。

かんべえ ところがホンネの話、政治家は選挙が恐いんです。森さんも「ノミの心臓」で解散を先送りするという説もある。
官兵衛 政治家のことは知らんが、戦国大名が戦争を逃げちゃいかんね。この世界は、いつも戦い続ける、ということが大事なんだな。織田信長が戦国時代の勝利者になった理由が分かるかね? 勝っても負けても、しじゅう戦争をしていたからさ。武田や毛利なんて、勝てるいくさだけ選んでやっていたから、織田家の脅威にはならなかった。
かんべえ ほほう、武田、毛利はいくさが足らなかった、と。
官兵衛 だいたい彼らは、ロジスティクスの概念を知らなかったから、大規模な遠征軍を組織できなかった。しかし織田軍団はいつも各地を転戦して、細かな無数のノウハウを蓄えていた。そこの違いが大きい。

かんべえ 今の話を現代に置き換えてみると、いつも選挙を戦うことが政党を強くするということですね。思い当たることが多いなあ。自民党の中でも、これまで武闘派といわれる集団が権力を握り、リーダーを生み出してきた歴史がありますしね。あ、そういえば企業だって競争がなければ駄目になりますわな。
官兵衛 戦うということは、人材を育てる上でも大切なことなんだ。勝ちぐせをつけてのしあがるか、敗北から教訓を得るか、いずれにせよ戦わないことにはリーダーは育たない。
かんべえ 現代はリーダー不在の時代などといわれますが、それは政治家が「君子の争い」をしたり、「相乗り選挙」をやっているからかもしれませんね。
官兵衛 そういうところは戦国時代を見習ってください。
かんべえ 最後は『プレジデント』の対談みたいな落ちになりましたな。
官兵衛 あははー、ところで誰がこんなもん読んでるんだ? 



編集者敬白



歴史漫談『官兵衛とかんべえ』 ②参謀論編(掲載:2000.5.3--5.7)



<5月3日>(水)
○世間は5連休に突入。HPを見る人も減るだろうけど、休日にネットサーフィンくらいしか楽しみのない人(ワシもそうだが)のために、特別企画のインタビューをお送りします。ゲストはあの人です。

ホスト:溜池通信編集長*かんべえ
ゲスト:戦国時代の知将*官兵衛

●第1回「僕は参謀じゃない」

かんべえ 当HPへようこそ。1ヶ月ぶりのご無沙汰でした。
官兵衛 やあしばらく。その後、僕へのファンレターの類はあったかね。
かんべえ いえ、もう全然。常連さんの方が一人、面白かったといってくれたくらいで。この企画、あんまり受けてないんですよ。
官兵衛 なーんだ、前回は相当に画期的な話をしたつもりだったのに、意外とレベル低いんだなここの読者は。
かんべえ 止めましょうよ、そうやって煽るの。メールを催促しているのがモロばれですから。みんなその程度には賢いんです。
官兵衛 あははは・・・・ま、お互い受けなくてもいいから好きなことしゃべろうか。

かんべえ それで今回は「参謀とは何か」についてお聞きしたいのですが。
官兵衛 んー、ということは、僕は参謀ということにされてるわけ?
かんべえ 如水・黒田官兵衛は、今日では筑前黒田家52万石の開祖というよりは、秀吉に天下を取らせた名参謀という評価の方が有名なんですが。
官兵衛 それは不本意だなー。たしかに僕は秀吉へのコンサルティングはしたけど、本業は黒田家の当主だからね。親の代からの部下もいっぱいいたし、ちゃんとした武将のつもりだったんだけど。
かんべえ 後世から見ると、戦国時代の武将なんて掃いて捨てるほどいるけど、名参謀はあんまりいないでしょ。だから今の時代から見るとそっちの方が値打ちあるんですよ。
官兵衛 同時代の感覚からいうとね、参謀って一人の武将の信頼だけがあればそれでいい立場でしょ。でも武将は部下全員の信頼がないと務まらないわけですよ。この人駄目だなー、見込みないなーと思われたら、みんな離れていってしまう。そりゃ厳しさが全然違うよ。
かんべえ ほー、官兵衛さんの自己認識では、自分はあくまでも武将であると。
官兵衛 純粋な参謀というと、武田信玄に仕えた山本勘助なんかいい例だと思うんだけど、自前の部下を持たないから、無責任な評論家みたいな存在なわけ。あとは君主に取り入っていればいいだけだから、あんまり尊敬された人はいなかったね。

かんべえ いまのご指摘は非常に興味深いところなんですが、組織をラインとスタッフに分けると、戦国時代のルールはライン重視であったと。
官兵衛 当然だよ。ラインというのは、たとえ5人の部下を持つ足軽頭でも、ちゃんとリスクを負ってるんだから。リスク持たずに仕事してるやつと比較しちゃ気の毒だ。
かんべえ 官兵衛さん自身が黒田家のトップとして、ラインやスタッフを使っておられたのでしょうが、やはりラインを重視されたわけですか。
官兵衛 そうだね。特に若い人を育てるときは、ラインに置かなければいけないと思うね。
かんべえ 官兵衛さん自身が助言を求めた相手は誰になりますか。
官兵衛 父でしょうかね。でもね、助言を求める相手は、何も家臣に雇わなくてもいいんですよ。たとえば自分の領内の政治がうまくいっているかどうかなどは、家臣に聞くよりも町民や百姓に直接聞いたほうがいい。僕はそういう定点観測をよくやりましたよ。

かんべえ しかし官兵衛さんは、秀吉軍においてはトップへのアドバイザーというか、スタッフ的な仕事をされてますよね。
官兵衛 そこんとこに織田軍団の人使いの妙があるんだな。僕の主筋である小寺家が織田方と組んだことで、僕は信長の指示を受ける立場になったの。で、僕は中国方面司令官である秀吉の与力として働くように命じられるわけ。それで秀吉軍で仕事をして、アドバイザー的なこともしたんだけど、単純に秀吉に仕えていたわけではない。
かんべえ なるほど、秀吉と官兵衛は単なる主従ではないわけですね。
官兵衛 そう、クライアントとコンサルタントというか、投資家とストラテジストみたいな関係。しかも僕のパフォーマンスが悪かったら、どんなに秀吉の受けが良くても、他の与力たちが黙っちゃいない。ちゃんと信長に報告が行くという形で、チェック機能が働いていた。そういう意味では緊張関係があった。
かんべえ 織田軍団というのは近代的な組織だったんですね。
官兵衛 というか、部下がサボったり裏切らないように、信長がきっちり監視していたんですよ。秀吉と僕が相談するときも、なるべく一対一にならないように気をつけました。毛利との外交交渉なんかは当然そうするけど、城攻めの作戦なんかはわざと大勢の前で進言するの。なぜこの作戦がいいかという理由を、全員に説明しなければならない。そういう状況はちゃんと安土に報告されている。

かんべえ うーん、これは気が抜けない。
官兵衛 安土は忍者も寄越すし。
かんべえ え、忍者ってよその国に派遣するもんじゃないんですか。
官兵衛 あのねえ、どんな世界でもそうだけど、一流の人間てのは数が少ないの。敵国に派遣して情報が取れるほどの忍者は、希少価値だし、雇おうとするとすごく高いわけ。でも二流の忍者は大勢いるし、安く使えるの。そういう忍者には、戦国武将は自分の部下を監視する役目を与えるんだな。だって僕らも、安土から来たと分かってる忍者は斬れないじゃない。
かんべえ 忍者のマイナーリーグみたいなものですね。
官兵衛 本能寺の変のあとは、そういう配慮がまったく不要になった。僕が本当の意味で秀吉の参謀の仕事をしたのは、それから後のごくわずかな時間に過ぎません。でも、その間に天下の大勢が決まった。
かんべえ 官兵衛さんがいわゆる「参謀」に対し、かならずしも好感を持ってない、というのが、この話を進めるにあたって面白い前提になると思います。明日もお楽しみに。



<5月4日>(木)


●第2回「孔明は戦略家失格」

かんべえ なんで参謀にこだわっているかというと、歴史好きといわれる日本人の中には知将タイプの人気が高いんですよ。『信長の野望』みたいな歴史ものシミュレーションゲームでも、武力より知力の高いキャラクターが好かれる。
官兵衛 帷幕にあって千里の外に勝利を我がものとする、というやつだな。そんなこと滅多にないんだけど。
かんべえ 黒田官兵衛ファンもかなりの部分はそういう見方をしていると思いますよ。
官兵衛 そういうところはずっと変わらないんだね。僕自身、「官兵衛殿はわが国の諸葛孔明ですな」みたいなことを生きてるうちに何度も言われましたよ。僕はあんまり孔明という人を評価してないんだけど。

かんべえ 当代有数の戦略家の一人に、岡崎久彦さんという元外交官がいるんですけど、この人のオフィスに行くと、応接室にご自分で書かれた「出師の表」が飾ってあるんです。
官兵衛 あれはいい文章だね。僕らの時代でも、これ読んで泣かないやつは男じゃない、みたいな言い方をしてました。ところが、ああいうマニュフェストにはマイナス面もある。
かんべえ 岡崎さんの言によると、「出師の表」は魏へ進撃するたびに何度も書かれていて、後へ行けば行くほど苦しい内容になるんだそうです。
官兵衛 そうなんだ。「出師の表」には、蜀が魏を攻めなきゃいけない大義名分が明らかにしてある。あれを読めば兵士の士気も高まったと思う。でも、あんなふうに宣言してしまうと、蜀としては後に引けなくなる。つまり自分のオプションを非常に少なくしてしまった。「出師の表」によって忠臣・孔明の名は歴史に刻まれたけど、戦略家・孔明は自分を窮地に追い込んでしまった。

かんべえ 当時、孔明が置かれていた条件は相当に不利なもので、それも人気の理由になっていると思いますが。
官兵衛 たしかに当時の蜀は魏に対して圧倒的に不利だった。そういうときは、弱者の戦略を取らなければならない。できれば先方がこちらに攻めてきてくれるのがベストで、次善の策はゲリラ戦と内部工作。地の利を活かしたベトナム戦争スタイルを目指さなければならない。遠征軍を組織してこちらから攻めていくなんて、非常にもったいない話なんだ。
かんべえ 官兵衛さんが孔明の立場だったらどうしてますか。
官兵衛 そうだね、あの程度の不利な条件を逆転した例は、歴史を探せばいくらでもある。そういうときは、敵失が出るのを辛抱強く待っていたことが多い。曹操が死んだ後の魏は混乱続きだったから、僕なら我慢だね。でも、孔明は魏を討たなきゃならないという使命感が強かったし、病弱だったから待ってられなかった。

かんべえ ではじっと時間を稼ぐとして、その間はどうしますか。
官兵衛 人材の発掘と育成に決まっているじゃないか。
かんべえ うーむ、たしかに孔明の下では人材が育たなかった。唯一の馬稷も泣きながら斬ってしまったし。
官兵衛 斬っちゃ駄目なんだよ。あれじゃ、部下は動揺するよ。「孔明殿はあれだけ手塩にかけた部下も斬ってしまった。能のないわれわれはどうなるんだ」って話になる。
かんべえ 官兵衛さんが考える人材育成の決め手は何ですか。
官兵衛 織田信長や魏の曹操がいいお手本だよ。大盤振る舞いをして人を集めて、どんどん仕事を任せて、失敗してももう一度チャンスを与える。トップというもんはね、期待している部下が失敗したときは内心「しめた」と思うくらいでなきゃ。そういうリスクをとらないと、人は集まらないし部下は成長しない。
かんべえ この前、マレーシアに行ったときに感じたんですが、あそこはマハティールが20年近く政権を握って、後継者が育っていないんですね。トップが独りで何でもできちゃうと、部下が甘えてしまって指示待ち型になってしまうんですね。
官兵衛 権限委譲をしないと、結局は自分が苦しむことになる。三国志の中に、捕虜が「孔明殿は鞭20以上の罰はご自分で決裁されます」と言うので、司馬仲達がほくそえんだ、という記述があるよね。本当かどうか知らないけど、おそらく仲達は「なーんだ、あいつはその程度か」と思ったんじゃないかな。これじゃ俺は負けんわ、と。

かんべえ 結論として、官兵衛さんは諸葛孔明に対して点が辛い。
官兵衛 戦略家としては一流ではない。だって結果を残せなかったんだもの。でも彼は忠臣で、男の美学を貫いたわけだ。
かんべえ それではトップを補佐する人材としてはどんな形が望ましいと考えますか。
官兵衛 その辺の話はまた明日。



<5月5日>(金)


●第3回「トップは参謀より賢い」

かんべえ たとえば中国の歴史書などを読むと、皇帝とその補佐役の話がしょっちゅう出てきますよね。
官兵衛 『資治通鑑』なんかは全編そればっかりだな。どの時代を読んでも、ナントカという家臣がこういう進言をして、君主の怒りを買って殺された、あるいは意見が採用されてうまくいって誉められた、てな話が延々と続く。ま、あれは司馬光が皇帝に読ませるために書いたんだから、それはいいんだけど。
かんべえ 日本の歴史では、徳川綱吉と柳沢吉保とか、吉宗と大岡越前なんて例はありますけど、「強力なリーダーと名補佐役」の実例は、話として好まれるわりには少ないような気がします。
官兵衛 リーダーシップの性質に問題があるんじゃないのかな。トップが全組織を掌握している場合は、アドバイザーは必要だし、なり手もどんどん出てくる。中国の皇帝は絶対専制君主でしょ?だから家臣が必死で知恵を出そうする。でも、「トップは君臨すれども統治せず」の日本型の組織においては、補佐役なんて本当は必要ない。みんな官僚機構がやってくれるから。

かんべえ なるほど、日本の組織でもトップがちゃんと権限を持っていれば、名補佐役は出てくるわけですね。そういえば本田技研の本田宗一郎と藤沢武夫、なんて例もある。
官兵衛 一方、信長なんかはカリスマ型が行き過ぎて、補佐役を持とうとしなかったリーダーだけどね。秀吉や家康なんかは、まだしも普通の人だったから他人の意見をよく聞いたと思う。

かんべえ 話が飛びますけど、企業のコンサルティングをする場合でも、クライアントが会社のCEOであるか、経営企画部であるかは大きな分かれ道になるようです。
官兵衛 前者は分かるんだけど、後者はどういうケースなんだい。
かんべえ 企業がコンサルティングを求めるときは、かなりの困難を抱えていることが多いわけです。で、実はその解決策も、経営企画部は分かっていることがあるんです。でも、実行できない。そこでどうするかというと、高いお金を払ってコンサルティング会社に仕事をお願いするんです。すると「御社はこうすべきである」とアドバイスしてもらえる。すると、できないはずの改革ができるようになる。

官兵衛 情けない話だなあ。そんな改革、うまくいかないんじゃないのか?
かんべえ ええ、コンサルティング会社を使ってうまくいった、なんて話は聞いたことがありません。これ、アメリカでもそうみたいですね。
官兵衛 今の話は、経営企画部が自分の責任を回避しているわけだろう。自分が補佐役になるべきところを、他人にやらせて自分はいい子でいたいと。
かんべえ まあ、「組織の責任は無責任」の典型といいますか。
官兵衛 助言をする相手は個人じゃなきゃ駄目だよ。

かんべえ 助言を求めるのも、与えるのも個人、というところが大事なわけですね。
官兵衛 そう、とくに助言を求める方の器量が大事なの。はっきり言っちゃうとね、トップは自分の実力を超える補佐役を使うことはできないんだ。
かんべえ おお、これは異なことを。本当ですか。
官兵衛 当たり前だよ。補佐役が担当する仕事というのは、ほとんどの場合ひとつの分野に限られている。ところが、トップは全体を見なきゃいけないだろ。たとえば僕は、秀吉軍の作戦と外交を担当した。でも、軍の財務や人事システムやロジスティクスなんかは、他の人が担当している。秀吉はそういう全体を見ている上に、織田家内部の政治問題でも悩まなきゃならない。どっちが偉いかは明らかでしょう。
かんべえ しかし自分の実力以下の人間を使うのでは、補佐役にならないのでは?
官兵衛 そうじゃないんだな。極端なケースをいえば、いつも不適切な進言をしてくれる部下というのがいたら、こんなに有益なことはないんだ。だって2つ策があって迷っているときは、そいつの意見の逆を採用すればいいんだから。
かんべえ シャーロック・ホームズに出てくるレストレード警部みたいなものですな。
官兵衛 脇で名論卓説を唱えるばかりが補佐役じゃないんだ。トップをヨイショして、いつもいい機嫌にしておく、なんてのも考えようによっては非常に重要な補佐役だぜ。

かんべえ どんどん幻想が壊れていく感じなんですが、「参謀タイプ」とか「補佐役」という存在には不思議な人気があるんです。それこそ、日本人に多い諸葛孔明や黒田官兵衛の人気につながるようなもので。
官兵衛 就職先としてコンサルティング企業に人気があるとか。
かんべえ まことに遺憾ながら、今の日本でトップといわれている人たちが、総じて年を取り過ぎていたり、賢そうに見えなかったりする、というのも背景にあるのではないかと。
官兵衛 トップの地位にある人というのを甘く見てはいけませんね。どんな組織でもそうなんだけど、ナンバーワンとナンバーツーの間にはものすごい差があるんですよ。山の頂上にいる人は360度の景色を見ているけど、山登りをしている途中の人は頂上しか眼に入らない。
かんべえ どんな山であっても、頂上に立てる人は一人しかいないと。
官兵衛 そう、だからあんまり馬鹿にするもんじゃありません。




<5月6日>(土)


●第4回「米国大統領とブレーンたち」

かんべえ 参謀論が好まれるのは、若くて頭が良くてちょっと野心もあるような人が、「俺もいつの日かトップの信頼を得て、参謀として腕をふるいたい」みたいなことを、出世の近道と考えるからかもしれません。
官兵衛 そういう人は、じかにトップを目指せばいいのにね。
かんべえ まぁ、最近は自分で起業するなんて人も増えてきましたけど、大組織の中にいるとそれが現実的に思えるんでしょうね。しかし実際の補佐役なんてのは、お説通りそれほどカッコイイもんじゃない。私も昔、トップの秘書役を2年ほどやりましたけど、ご挨拶案とスケジュールとロジスティクスの心配だけしてたら終わってしまいました。
官兵衛 戦略面でトップに貢献する補佐役なんて、滅多にあるもんじゃないからな。しかも周囲から評価されるのは、ブレーンよりはむしろぞうきんがけやるタイプだ。最近も、愚直に滅私奉公してたら、首相の座が転がり込んできた人がいたな。

かんべえ これはアメリカであった話なんですが、とある大統領が当選するのに功績のあった人物が2人いたんだそうです。そこで大統領は、二人に対して「大統領に重要事項で進言する役目」と「大統領のスケジュールを管理する役目」という仕事をオファーした。すると前者を選んだ人はすぐに忘れられて、後者を選んだ人が政権内で重要な地位を占めるようになった。
官兵衛 それは面白い話だな。つまり前者のポストを選ぶと、いつ大統領に会うかは後者のポストの人に決められてしまう。大統領の日常を押さえるというのは、究極の補佐役になることを意味するわけだ。
かんべえ でしょ? ネタを明かすと大統領はレーガンで、首席補佐官になったのはベーカーなんです。ベーカーは「大統領はこう言ってるんだけど、君はどっちを取る?」と言って、見栄えのする方の仕事をライバルに選ばせたんだそうです。策士ですよね。

官兵衛 アメリカはその手の話が豊富そうだね。
かんべえ よくぞ聞いてくださいました。アメリカ政治というのは中国に似ていて、行政上の権限はすべて大統領に集中するんです。たとえば国務長官というと偉そうに聞こえるけど、英語ではSecretary of State、つまり秘書に過ぎない。つまり、大統領が自分の外交上の権限を委任する人が、国務長官なんです。こういう制度においては、大統領への距離の近さに比例して権限の重さが決まる。
官兵衛 大統領の信頼をいかに勝ち得るかが鍵になるわけだ。こういう組織の中では、補佐役を目指す値打ちがある。

かんべえ そうそう、前の財務長官だったルービンさんに面白いエピソードがあるんです。彼は経済担当補佐官だった時代に、毎週予定されている大統領へのブリーフィングの時間を、「今日は特段、ご説明するテーマはありません」と言って他人に譲ることがあったんだそうです。
官兵衛 うーん、それを聞いただけでも相当なタマだね、ルービンて男は。話すテーマがないなんてことはあり得ないから、むしろそういう評判を立てようとしたんだろうな。
かんべえ 大統領と二人きりで話せるチャンスをパスするわけだから、ホワイトハウスではむちゃくちゃ目立ちますよ。あるいは、大統領の日程を調整する担当者に恩を売る狙いがあったのかもしれません。
官兵衛 いずれにせよ、補佐役としての自分を売り込む、非常に重要なテクニックを身につけていると見たね。

かんべえ クリントンにはいろんなブレーンがいて、なかでもディック・モリスという選挙参謀が、96年の再選を可能にした男として知られています。モリスの回顧録を読んで興味深く感じたのは、彼があくまで友人としてクリントンに接しているんですね。モリスは最後は売春婦スキャンダルで解雇されるわけですが、精神的にどん底に落ち込んだ状態でホワイトハウスに電話するんです。そしてクリントンに謝罪する。クリントンは「君を信じているよ」と答える。なんというか、トップと補佐役の関係じゃないんです。
官兵衛 要するに、「恐れながら申し上げます」てな感じではないわけだ。
かんべえ たとえばモリスはこんなふうに助言するんです。過去41人の大統領のうち、Aクラスはだれとだれ、Bクラスはだれ、それ以外はCクラス、と分類してみせる。「で、君はこのままだとBとCの中間くらいだ」って。しかもこの内容、彼は電話で伝えている。
官兵衛 うーん、そこまで言えるのも偉いが、言わせているクリントンもあっぱれだな。

かんべえ アメリカの大統領制度というのは、200年以上の歴史があるだけあって、これを補完するシステムがたくさんあるんです。そのひとつとして、大統領のブレーン予備軍がワシントンに集まってくるような仕組みがある。
官兵衛 日本でも首相補佐官なんて制度を作ったが、果たして上手に使えるのかな。ブレーンを多用すると、とかく日本では「側近政治」と呼ばれてかえって評判が悪い。
かんべえ やっぱり日本の組織はライン重視なんでしょうかね。首相が自分の友人を勝手に連れてきて意見を聞くくらいなら、公務員試験に合格した官僚たちの指図に従う方がまだましだ、という感情があるのかもしれない。
官兵衛 まあ、首相を間接選挙で選んでいるという違いはあるけどね。
かんべえ 根源的な疑問が残るんですが、トップの補佐役というか、いわゆるスタッフ組織というのはなんのために必要なんでしょうか。ラインがしっかりしていればそもそもスタッフなんぞ不要だという見方もできるような気がしますが。
官兵衛 いや、スタッフというのはそもそも戦争が生み出したものなんだ。この話は長くなるのでまた明日。





<5月7日>(日)


●第5回「軍師から参謀へ」

かんべえ 連休も対談もいよいよ今宵限り。では、官兵衛さん、思う存分どうぞ。
官兵衛 トップというのは孤独な仕事で、部下に指令を下すときには相談相手がほしいと思う。とくに戦争の場合、将軍はいったん部下に命令を下したら最後、彼らは死ぬかもしれないわけ。そういう状態で部下にアドバイスを求めたところで、冷静な意見が聞けるはずがない。
かんべえ 部下だって命が惜しいから、アドバイスにはバイアスがかかりますよね。
官兵衛 そう、だから将軍は、大局的な視点でものを見られる人を近くに置いておいた方がいい。そこでラインから離れて、専門のスタッフ、補佐役が必要になるわけだ。そういう仕事は昔は劉備玄徳に諸葛孔明、みたいに一人で十分だった。こういう状態は参謀以前の段階で、たとえば「軍師」と呼ぶのが適当だろう。
かんべえ 君主が賢臣を求めるという、中国の古典によくある世界ですね。

官兵衛 ところが軍師にはいろいろ限界があるんだな。なにしろ将軍の個人的な信頼を得てアドバイスをしているわけだから、将軍の耳の痛いことまではなかなか言えない。それからラインの兵卒たちとしては、将軍の命令ならともかく、軍師の言うことなんか聞きたくはないわけだ。何より困るのは、軍隊や国全体の利益と君主個人の利益が一致しないことがある。そういうとき、軍師は君主の側についてしまう。それでは部下はたまったもんじゃない。
かんべえ 軍師にはいわゆる「政治的正統性」が欠けているんですね。
官兵衛 そう、そこに気がついた補佐役は、軍師からちょっと進歩して参謀になる。つまり将軍個人の利益を代表するのではなく、国全体や軍の利益を代表するようになる。
かんべえ たとえば官兵衛さんは秀吉個人に雇われたわけではなくて、どうやったら織田軍全体が良くなるかを考えていた。ということは、軍師ではなくて参謀だったと。
官兵衛 そのへんは微妙かもしれないけど、戦国時代というのは、ちょうど軍師が参謀になる端境期だったんじゃないかな。日本では江戸時代以後になると、たとえば商家の場合、大旦那個人よりも家全体の繁栄が大切だということがコンセンサスになる。だから道楽息子を廃嫡して、出来のいい番頭に店を継がせるなんて話がわんさか出てくる。
かんべえ はいはい、社長が大事か会社が大事かという話ですね。それって資本主義の発達にとっては非常に重要なステップなんじゃないでしょうか。
官兵衛 おそらく日本の場合、あの頃に「今の社長より会社の未来が大事」という学習が行われたんだろうな。

かんべえ 時代が下ると、参謀というのは個人ではできなくなって、組織の仕事になってしまいます。私も会社ではいわゆるスタッフ部門で働いていますが。
官兵衛 レーダーや原子爆弾が戦争から生まれたように、スタッフという組織上の発明も軍隊から生まれた。英語でいうGeneral Staff、日本語でいう参謀本部が誕生したのは19世紀の欧州でのこと。新興国家プロイセンが、1812年に皇帝直属の「参謀本部」を作ったところ、オーストリアもフランスも打倒してしまった。そこで各国が競って参謀本部の真似をするようになった。
かんべえ 参謀自体はその前からあったんじゃないですか。
官兵衛 それはそう。でも、プロイセンは参謀本部を常設の組織にした点が新しかった。つまり平時から戦争計画を作成して、地図を作るなどの情報収集をやったんだな。
かんべえ 軍隊が自分で地図を作るという発想が新しいですね。
官兵衛 それから、「将来はこの辺で戦争をやるだろう」と思われる地域に、将校を旅行させるといったシミュレーションもやった。それからロジスティクスに関する情報やノウハウを蓄積した点も鋭かった。要するに近代の戦争とは、個人の勇気や将軍の指揮だけで勝てるようなものではなく、総合力の闘いになっていたから、そういう戦争のプロを育てる必要があったんだな。

かんべえ そこで参謀本部を作って、戦争のプロを常時、組織化したわけですね。
官兵衛 プロイセンが倒さなければならなかった相手は、軍事の天才ナポレオンだった。彼は自分一人に情報を集めて、誰にも相談せずにすべての命令を下すことができた。ところが、モスクワ遠征みたいに50万の兵士を派遣するとなると、自分一人ですべての作戦活動を仕切ることはできなくなる。スタッフがいないことの限界が出てきたんだね。
かんべえ なんだか、成長途上にあるベンチャー企業がぶつかる「壁」みたいな話ですね。
官兵衛 プロイセンはナポレオンのいる戦場では撤退を繰り返して、いない戦場で細かく得点を稼ぐという勝ちパターンを覚えた。その結果、ナポレオンは局地戦ではいつも勝っているのに、終わってみればフランス軍は負けているということになってしまった。
かんべえ それって最近はやりの「ナレッジ経営」のお手本みたいな話ですね。
官兵衛 そう、勝つために重要な知識を、トップ一人に集中させるか、参謀本部という組織で共有するかの違いだね。

かんべえ いまではどこの国の軍隊にも参謀本部があり、そこのトップは制服組の頂点ということになっていますね。米国では統合参謀本部長、日本では統合幕僚会議議長。それから組織をラインとスタッフに分けて、相互にローテーションを実施するという原理は、ほとんどの企業が導入しています。
官兵衛 それは過去の経験が生かされているということだろうね。
かんべえ おかしいなぁ、組織の原理はこれだけ進化しているのに、今のわれわれの周囲には組織をめぐるおかしな話はいくらでもありますよ。リーダーシップの昏迷も言われ続けて久しいし。
官兵衛 あははー、それは2通りの解釈ができると思うよ。ひとつは組織なんてもともとそんなもんで、君らの受け止め方が贅沢になっているだけだということ。もうひとつは、そろそろ組織に関する新しい原理が誕生する頃なのかもしれないという見方。僕はどっちだか知らんけどね。
かんべえ うーん、それはまた大問題になるので、別の機会に考えることにいたしましょう。官兵衛さん、5日間にわたってお付き合いいただき、ありがとうございました。
官兵衛 全部通して読んでくれた奇特なアナタ、感想のメールを待ってるよ。



○長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。連休中はほかにも話題はいろいろあったのに、全部放り出して歴史漫談を続けてしまいました。明日からは平常モードに戻る予定です。




編集者敬白 

2013年8月23日金曜日

自由研究2013 参考資料、参考web

流れのふしぎ 遊んでわかる流体力学のABC、日本機械学会、石綿良三、根本光正

絵とき 「流体力学」 基礎のきそ、久保田浪之介

図解入門 よくわかる航空力学の基本―飛行機が飛ぶ原理と仕組み、飯野明





基礎科学研究所、松田卓也ブログ、「翼の揚力を巡る誤概念と都市伝説」
http://jein.jp/jifs.html

「紙ブーメランを飛ばそう! 」、大阪経済大学教授 西山 豊
http://www.kbn3.com/bip/data/Japanese.pdf

日本ブーメラン協会
http://www.jba-hp.jp/jba.html

おもしろ理科実験 「ブーメラン」
http://homepage2.nifty.com/pascal/jtool05.html






宇宙・地球・人類
http://www.s-yamaga.jp/nanimono/nanimono-hyoushi.htm

2013年8月7日水曜日

ジブラルタル帰属問題


1713年のユトレヒト条約以降イギリスが統治を続けているジブラルタルだが、スペインは今も返還を求めている。ジブラルタルはヨーロッパに残る最後の「植民地」であり[6]、また係争当事国がいずれもEU加盟国である点、係争が300年もの長きにわたっている点で、世界の領土問題のなかでも異色の存在と言える[6]。
スペインの基本的見解は、ユトレヒト条約第10条はジブラルタルの町、城、それに付随する港、要塞の所有と軍事利用をイギリスに認めたに過ぎず、主権はスペインに残っているというものである[1]。スペインにとってジブラルタルは長らく「スペインの靴の中に入ったペニョン(岩山)」となっている[6]。しかし返還を求めるスペインの主張は、モロッコのセウタなど自らの植民地所有と矛盾するものでもある[9]。一方、現在のイギリス統治が住民から圧倒的支持を受けていることは1967年9月の住民投票から明らかであるが[2][5]、同年12月に国連の非植民地化委員会(英語版)はイギリスのジブラルタル領有を植民地主義的だとして返還を促す決議を採択している[2][9]。
1704年のイギリスによるジブラルタル占領以降、スペインはジブラルタルを武力で奪回すべく1705年、1727年、1783年に包囲戦をしかけたが、いずれも失敗した[1]。またその後の外交による交渉も全て不首尾に終わった[1]。19世紀後半以降、スペインの国力が衰えている時期にイギリスは国境を北へ押し上げる行動に出た[6]。最終的にこれはスペイン本土との間に非武装中立地帯を設けることで落ち着いたが、ここの境界線の画定は今も棚上げされた状態である[6]。

2013年5月9日木曜日

Thank You for Not Sharing 「話さないでくれて、ありがとう」


After arguing with her husband one Sunday, Vasavi Kumar was so upset that she called up her mom, her dad, her sister and three of her closest friends. "This is it," she told each one. "He is never going to understand me. I am getting a divorce."

 バサービ・クマールさん(30)はある日曜日、夫と口論した後、あまりにも腹が立っていたので、両親と姉妹の1人、3人の親友に電話をかけた。その1人1人に、「もうおしまい」と話し、「決して私のことを理解してくれることはない。離婚する」と伝えた。

Guess what happened the next day. Ms. Kumar and her husband made up. They said they were sorry, hugged and agreed to put the argument behind them. Yet Ms. Kumar, a 30-year-old life coach and social worker in Overland Park, Kan., still had some more apologizing to do—to six other people. "I dropped a bomb on everyone, but I was now fine and dandy," she says. "I had to go clean it up."

 その翌日、何が起きたか想像してほしい。クマールさんは夫と仲直りした。お互いにすまないと思っていると語り、抱擁し、口論については忘れるということで折り合いがついた。しかし、米カンザス州在住のライフ・コーチでソーシャルワーカーのクマールさんの謝罪はそれで終わりではなかった。他の6人にも謝る必要があった。「みんなに爆弾発言をしたが、今はもう大丈夫。気分は上々だった」とクマールさん。「後片付けをしなければならなかった」と。

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Ben Sanders
We tend to overshare when we try to overcome our own anxiety about what the other person is thinking.

他人が自分についてどう考えるかに関する不安を克服しようとする時に人はしゃべり過ぎる傾向がある


Too Much Information: Avoid It, Recover From It

1. Recognize situations where you might overshare. You might be eager to make a good impression or nervous about what others think of you.

2. Before revealing information, ask yourself, "Does the listener have time to listen? Is he or she emotionally available at this time?"

3. Will sharing, rather than relieve anxiety, make you feel more anxious? Then don't.

4. Imagine the negative effects of oversharing and the regret you might feel afterward.

If you have overshared...

1. Think twice about revisiting the topic with the listener. He or she will probably forget about it if you don't drag out the awkwardness.

2. If you must return to the subject, keep it brief.

3. Your message is an apology. Don't seek approval. State your apology in as few words as possible and move on.

Sources: Sharon Gilchrest O'Neill, Hal Shorey

Ever share too much information—and you weren't even tipsy? I call it BYB—Blabbing Your Business. It's happening a lot these days thanks to reality TV and social media sites, where it's perfectly normal for people to share every single detail of their lives, no matter how mundane or personal. In the culture we live in, it's hard to remember that some things should be private.

 情報を共有しすぎることはないだろうか。しかも、酔ってさえいないのに。私はこれをBYB(Blabbing Your Business=自分の問題についてベラベラしゃべる)と呼んでいる。テレビのリアリティ番組やソーシャル・ネットワーク・サイト(SNS)のおかげで最近はこうしたことが多く起こっている。リアリティ番組やSNSでは、どれほど平凡で個人的なことであっても人生の全詳細を他人と共有することが全く日常となっている。米国の文化では、一部の事柄は人に伝えずにおくべきだということを忘れがちだ。

It isn't all Facebook's FB +0.86% fault. Experts say oversharing often happens when we are trying subconsciously to control our own anxiety. This effort is known as "self regulation" and here is how it works: When having a conversation, we can use up a lot of mental energy trying to manage the other person's impression of us. We try to look smart, witty and interesting, but the effort required to do this leaves less brain power to filter what we say and to whom.

 すべてがフェイスブックのせいではない。無意識のうちに不安をコントロールしようとしているときにしばしば情報の共有のし過ぎが起こると専門家らは説明する。こうした努力は「自己規制」として知られており、どういう仕組みになっているかは以下の通りだ。会話をしている時、われわれは相手の自分に対する印象を管理しようと多くの精神的なエネルギーを使い果たす場合がある。賢くてユーモアがあり、面白いと見せようとするが、これに必要な努力のために、何を誰に話すかを選別する脳の力が弱まることになる。

This explains why people often blurt out embarrassing things to precisely the people they want to impress most, whether it's the boss, a first date or a future in-law.

Consider this scenario: Your boss walks by and doesn't make eye contact. You feel uneasy and think of something you need to discuss with him or her. "If you are psychologically aware, you will realize you are feeling anxious and picking up rejection cues," says Hal Shorey, a psychologist and assistant professor for the Institute for Graduate Clinical Psychology at Widener University in Chester, Pa. "You're trying to reestablish connection."

 上司や初デートの相手、将来の義理の親戚など、まさに最も良い印象を与えたいと思う人々に、なぜ恥ずかしいことを話してしまうことが多々あるのかはこれで説明が付くだろう。例えばこのシナリオを考えてみてほしい。上司が通りかかって目線を合わせない。あなたは不安になり、上司と話し合う必要のあることを考える。心理学者で、ペンシルベニア州のウィディーンアー大学インスティテュート・フォー・グラジュエート・クリニカル・サイコロジーの准教授であるハル・ショーリー氏は、「あなたは不安を感じ、拒絶の合図を感じていることを認識する。そこで関係の再構築を試みる」と話す。

Does this work? Of course not. We often regret our disclosures, feel like an idiot—and then worry even more about what the listener is thinking. We may feel compelled to "fix" the situation, leading to—you guessed it—even more blabbing. It's a cruel downward spiral.

 これはもちろん、うまくいかない。われわれは情報共有をしばしば後悔し、間抜けに感じ、その上、聞いた人がどう感じるかについてさらに懸念することになる。状況を修復しなければいけないかのように感じるかもしれず、さらなるしゃべり過ぎにつながる。これは悪循環だ。

I know I'm not the only person who over-shares. I got the idea for this column after three people in one week said these terrifying words to me, "I want to tell you something I've never told anyone—not my spouse, my therapist, or my best friend."

 余計なことまで共有し過ぎるのは私だけでないことは分かっている。1週間に3人が「配偶者にもセラピストにも親友にも、誰にも言ったことがないことをお話したい」という恐るべき言葉を発したのを聞いて、このコラムのアイデアを思い付いた。

Still, some people by nature blab more than others. They tend to be individuals with an anxious or "preoccupied" attachment style according to attachment theory, which psychologists developed starting in the mid-1900s. Our attachment system is the evolutionary byproduct of a process humans developed to stay alive, Dr. Shorey says. Attachment style is partly genetic, but it also is determined in part by how our parents related to us as young children.

 しかし、一部の人々は他の人と比べて生まれつきもっとおしゃべりだ。心理学者が1900年代半ばごろ開発した愛着理論によると、こうした人々は「没頭した」愛着スタイルを持っている傾向がある。ショーリー博士によると、われわれの愛着システムは人間が生き残るために発達させたプロセスの進化の副産物だ。愛着スタイルは一部には遺伝子に関するものだが、また、部分的にはわれわれが幼い子供の頃の両親による関わり方によっても決まってくる。

There are three basic attachment types: Secure, anxious and avoidant. Secure people, roughly 55% of the population, had parents who were consistently caring and responsive; these people are typically loving and comfortable with intimacy. The other 45% have an attachment style that is more problematic—either anxious, avoidant or some combination.

 基本的には3つの愛着タイプが存在する。安心したタイプと不安なタイプ、そして回避的なタイプだ。安心したタイプ(人口の約55%)は、常に面倒見がよく、敏感に反応する両親に育てられた。こうした人々はたいてい愛情深く、親密さを心地よく感じている。他の45%はこれよりも問題をはらんだ愛着スタイルを有している。つまり、不安や回避的、あるいはその組み合わせだ。

Avoidant people, about 15% of the population, try to minimize closeness. Their parents typically were withholding or unresponsive. These folks aren't your blabbers. In fact, in interviews to determine personality type, therapists consider short, concise answers to be a marker of an avoidant attachment style.

 人口の約15%に相当する回避的タイプは親密さを極力避けようとする。こうした人々の両親は通常、控え気味だったり無反応だったはずだ。こうした人々はベラベラしゃべるタイプではない。実際、個性のタイプを判断するためのインタビューでは、セラピストは短く簡潔な回答を回避的な愛着スタイルのしるしだとみなす。

Long, drawn-out answers typically indicate an anxious type. Anxious people, who make up roughly 15% of the population, typically had parents who were inconsistently nurturing. They are overly sensitive to social cues and prone to overmanaging their personal connections. (The other 15% are a combination.)

 長くて退屈なほどの回答は通常、不安なタイプを示唆している。不安なタイプ(人口の約15%)の両親は通常、子育てが一貫していなかったことが多い。こうした人々は社会的な合図に過剰に敏感で、人とのつながりを過剰に管理する傾向がある。(他の15%は混合タイプになる)

Of course, we all have our own bursting point, when under emotional stress we can no longer contain ourselves, says Sharon Gilchrest O'Neill, a Mount Kisco, N.Y., marriage and family therapist. "They think, 'Oh God, does that feel good to talk,' " she says. "But they're definitely not thinking of the other person and this may hurt their relationship."

 ニューヨーク州の夫婦・家族向けセラピスト、シャロン・ギルチレスト・オニール氏によると、もちろん、われわれは誰にも、抑えきれなくなる時がある。感情的なストレスのために自分を抑制できなくなる時だという。同氏は「こうした時、人々は『しゃべるのは気持ちがいい』と考える」と話す。その上で、「しかし、こういう時、人々は明らかに相手のことは考えておらず、このために関係が損なわれかねない」と続ける。

The real trouble starts when you share information that isn't really yours to share. In her therapy practice, Ms. O'Neill says she regularly sees people who tell someone about their own marital problems, or a divorce or separation before it actually happens. Another common scenario involves mothers sharing information about their daughters. In all these cases, she says, "it usually comes back to haunt them."

 実際、自分が共有すべきではない情報を共有する時に、まさに問題が生じる。オニール氏は自身のセラピーでは、実際に起こる前に、自分の夫婦間の問題や離婚や別居について誰かに話す人々がよくいると語る。またもう1つのよくあるシナリオは、娘について母親が情報を共有するというものだ。オニール氏は、こうした場合、「通常、後で問題になる」と語る。

So how do you stop yourself from blabbing too much? Do what your mother said: Stop and think before you open your mouth. "Go through the process in your mind where you walk through the ultimate effects of sharing," Ms. O'Neill says.

 では、どうすれば、しゃべり過ぎを抑えることができるのか。母親に教わったことをやりなさい。つまり、口を開く前に立ち止まって考えるのだ。

These are specific questions you should ask yourself, Dr. Shorey says. "Does my listener have time right now—and is he or she emotionally available to listen?" "Will your blabbing relieve your anxiety—or make it worse?" "In other words," Dr. Shorey says, "you can probably anticipate worrying that your boss will think you're an idiot for oversharing if you just take the time to think about it."

 また、ショーリー博士は、以下のような特定の質問を自問すべきだと述べる。「私の話の聞き手は今、時間があるか。また、聞き手は話を聞く感情的な余裕があるのか」、「ベラベラしゃべることで不安は軽減されるのか。それとも悪化するか」、「言い換えれば、ちょっと考えてみれば、あなたの上司はあなたが話し過ぎるのは馬鹿げていると考えるのではないかと心配することがおそらく予想できるだろう」

If you should find that you said too much, how do you recover? Most people think it's a good idea to go back and apologize. Most often, though, it isn't. "When I work with people in my office, I try to help them think through what the consequences will be," Ms. O'Neill says. "Will there be a boomerang effect?"

 話し過ぎたと感じる場合には、どうすればいいか。大半の人々は戻って謝るのがいいと考える。しかし、多くの場合、そうではない。オニール氏は「自分のオフィスでは結果がどうなるかを考え抜くよう手助けすることに努める」と話す。

If you decide your listener has fundamentally changed the way he or she sees you, then apologize, but keep it short and low-key. "You should say, 'Listen, I don't want to make a big deal of this, but I want you to know I embarrassed myself and this isn't like me,' " Ms. O'Neill says. "And leave it at that."

 聞き手があなたに対する見方を基本的に変えたと考える場合には謝ったほうがいい。短く控えめに。オニール氏は、「『大ごとにはしたくないが、恥ずかしいと思っていて、いつもはこうじゃない』と言うべきだ」と助言する。さらに、「それだけにすべきだ」と。

Ms. Kumar recalls she was always an oversharer. Her childhood nickname was "Loose Lips." "I did it primarily as a way to connect with people, to get them to like me," she says.

 クマールさんは、自分は常にしゃべり過ぎるほうだったと思いだす。彼女の子供のころのニックネームは「おしゃべり」だった。彼女は「主に、人々とつながりを持ち、好かれるための方法としてしゃべっていた」と語る。

When she called her father to apologize for telling him prematurely that she was getting a divorce, he started to cry. "He said, 'I just can't take this anymore. I am getting too old. I am taking blood-pressure medication. I have a nervous breakdown every time I see your name come up on the phone.' "

 父親に電話して、離婚すると話したのは早まり過ぎたと謝罪すると、父親は泣き出した。「父親には『もうこんな思いはしたくない。あまりにも年をとり過ぎている。血圧の薬を飲んでいる。電話にお前の名前が表示されるたびに、神経が参る』と言われた」とクマールさん。

These days, Ms. Kumar says before speaking she asks herself, "Why am I sharing this with this specific person? What am I looking for here?"

 クマールさんは最近、しゃべる前に自問するようにしている。「なぜこのことについてこの人に伝えようとしているのか。何が目的か」

"Otherwise, it's almost like you've spilled this debris over people's lives, telling them your stuff," she says. "And then you have to go back and clean up the mess you created."

 「そうでもしなければ、自分のことを話して、この瓦礫を人々の人生にまき散らすようなものだ。そして今度は自分が作り出したゴミを掃除しなければならない」



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Ever shared too much information—and you weren’t even tipsy? Bonds columnist Elizabeth Bernstein joins Lunch Break with a look at why we over-share, and how to control the impulse. Photo: Getty Images.


2013年5月8日水曜日

文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい


『まおゆう』を読めば、著者・橙乃ままれさんの広範な知識に驚かされる。中世~近代のヨーロッパ経済史、技術史、文化史、思想史、軍略……これらすべてに精通していなければ、この作品は書けなかった。一朝一夕で身につくものではない。知識は、息するように吸収し、血液のように絶えず自分の中を循環させておかなければいけない。

いわゆる「ビジネスパーソン」と呼ばれる人々は、知識を軽視しがちだ。問題を効率的に解決する方法や、アイディアの出し方……マニュアル化された「頭の使い方」をマスターすることに夢中で、知識の蓄積を後回しにしがちなようである。頭の使い方さえ身につけていれば、知識は必要になったときにキャッチアップすればいい、キャッチアップできると信じて疑わない。ビジネスの世界で求められる知識とは、つまり、その程度の浅いもので充分なのかもしれない。

ところが、文章を書くとなれば話は別だ。

人は頭で理解しただけでは行動を変えない。人が行動を変えるのは、心が動いたときだけだ。読んだ人を行動させることができなくて、なにが文章屋だ。誰かの人生を変えることができない文章に価値はない。

人を引きつける文章、誰かの心に響く文章。そういう文章を書くためには、たくさんのひきだしから多彩な知識を取り出さなければいけない。そして、そういう知識は短期間では身につかないのだ。

すぐには役立たない知識を、毎日1ページずつ蓄積していったとする。1年で単行本一冊分になり、10年で辞書一冊分になる。三島由紀夫の愛読書は国語辞典だったというが、彼は非凡な天才だ。さて、凡人たる私たちは辞書を頭から読んでいって、内容を丸暗記できるだろうか?

知識を身につけるとは、本来、そういうことだ。数十年後に百科事典一式に匹敵する情報を身につけるために、毎日少しずつ知識を蓄積していかなければいけないのだ。そうやって体に刻み込んだ知識は、一週間やそこらでキャッチアップできるような種類のものではなくなる。



自分のなかにある情報だけで文章を書こうとすれば、経験に基づいた私小説的なものしか書けない。そして、経験はすぐに枯渇する。インプットがない状態では、恒常的に文章を書き続けるのは不可能だ。ゼロを1にするスタイルでは、すぐに終わりがくる。本当に必要なのは、100を1にまとめる能力だ。



たとえば藤子・F・不二雄は、次のような言葉を残しているという:


よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。

人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。

それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか? 近所のスーパーで買ってきた肉、野菜、チーズ、牛乳・・・どの家の冷蔵庫も然して変わりません。

多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。

しかし、退屈で鬱積した人生を送ってきた漫画家は違う。

人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。全てはそこから始まる。

その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。ここから可能性は無限に広がるのです。

私はそういう人が描いた漫画を支持したい。卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれの漫画を読みたい。


(※ソース不明)



人の感情に触れることができなくて、なんのための文章だろう。すべての単語、すべての文に論理性と情緒性の二面がある。論理面だけで文章を評価するのは、燃費だけで自動車を評価するようなもの。ドライブの楽しさをわかってない無粋な評価法だ。

言葉の持つ情緒面に注目し、細心の注意を払って配列を決めていく。この言葉を、この順番で読めば、読者はきっとこんな感情を抱くはずだ……と、予想しながらキーボードを叩く。文章を書くのは、読者の脳をプログラミングする作業だ。他人の書いたコードを研究しないプログラマはいない。他人の書いた文章を学ばずして、文章を書くのは不可能だ。



文章屋が仕事をしてるのは、キーボードを叩いてる時だけではない。

まず情報を集める段階がある。つぎに、集めた情報を組み合わせたり取捨選択したり……知識と格闘する段階がある。それから、情報をどのような順序で見せるか、文章の配列を決める段階があって、さらに文章の枝葉まである程度固めて……そこでようやく、キーボードに向かうことができる。文章屋がペンを握ったときには、もう作業の8割がたは終わっている。実際にキーボードを叩くのは、「文章を書く」という工程全体の5%ほどだ。

では、残りの15%は?:推敲と校正だ。

文章屋の仕事は、たぶん、そうでない人からすれば魔法のように見えるのだろう。キーボードをよどみなく叩いて、真っ白なページのうえに言葉を紡いでいく。「ゼロを1にする作業」だと思われて当然だ。しかし実際には、文章を書くのは「100を1にする作業」なのだ。




     ◆




だからと言って、キーボードを叩いてないときの文章屋が「なにもしてないように見えるけどインプットしてるの!がんばってるの!」と訴えるのは、ちょっと違うような気がする。寿司屋は寿司を握ってる瞬間しか仕事してないように見えるけど、「仕入れや鮮度管理もがんばってるの!」とは訴えない。

寿司屋は、寿司の味でしか評価されない。

文章屋は、書きあげた文章でしか評価されない。

そういうもんだよ。

2013年3月26日火曜日

Cyprus shock


日本のマスコミは何故キプロスの預金封鎖をちゃんと報道しなかったか
2013年03月19日00:55  
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Market Hackの読者の方から「金融市場がこんなに荒れているのに、何故日本のマスコミはキプロスの預金封鎖をちゃんと報道しなかったのでしょうか?」というご質問を受けました。

日本のマスコミが(軽率な報道は、しないほうがいいかも…)と暗黙の自粛モードに入ったのには、それなりの理由があります。

なぜなら日本は第二次世界大戦後、世界で預金封鎖を実行し、成功した、唯一の国だからです。

預金封鎖の実体験がある唯一の国民である日本人は、その忌まわしい思い出を封印し、呼び起こさないようにしているのです。

預金を封鎖し、預金に対して税金をかけることを経済学ではcapital levy(預金税)と言います。なお銀行取引が一般的でなかった昔については、不動産や家畜などの資産への課税を指します。その場合の訳語は資産税の方がしっくりくるでしょうが、仕組み上は同じことを指しています。預金税は、実際には、自分の銀行預金残高の一部が、ある日、こつ然と消滅することを指します。

今回のキプロスの例では10万ユーロを超える部分については9.9%、それ以下の小口預金については6.75%が消えるというわけです。(この比率については、現在、変更が討議されています)

UCバークレーのバリー・アイケングリーン(*)によると、預金税(ないしは資産税)の最も古い例は古代ギリシャです。

古代ギリシャではときどき1%から4%程度の預金税が徴収されました。古代ギリシャ人は自分の資産を実際より多く見せようという見栄から預金税を喜んで払ったため、預金税の成果は大きかったと言われます。

それ以降は、或る国家が軍事支出の負担に苦しんだ場合、預金税という最後の手段に訴えるケースが多かったそうです。

1714年には英国でアーチボルト・ハッチソン議員が全ての私有財産に対して10%の財産税を課すことを提案しました。

ナポレオン戦争の時はリカルドが財産税を提唱しました。

1870年の普仏戦争のときはフランスの公債の償還時に1%のディスカウントを実施することが検討されました。

また1890年代にドイツは英国との建艦競争に際して預金税が検討されています。

しかし実際にはこれらの預金税は実現しませんでした。第一次大戦後になって、初めて預金税が実際に実行されはじめるのです。





1920年にイタリアが実施した預金税がその例です。イタリアは第一次世界大戦で疲弊しますが、戦後登場した社会主義政権はばらまき政策で国家財政を不健全にしました。食料品などに対する補助金を維持するために「私有財産に対する一回限りの課税」の検討に入ります。

そこでは裕福層に金利1%の60年債(!)を財産に応じて強制的に買わせることが計画されました。割り当て額は私有財産の大きさに応じて累進し、小金持ちは財産の3.33%、大富豪は財産の53.33%に相当する国債を、強制的に買わされたのです。

この預金税が発表されると「国債を買うために土地や家を手放さねばならず、不動産価格が暴落する」という声が上がりました。また銀行では取り付け騒ぎが懸念されました。このため「スキームが複雑すぎる」という反省から、シンプルな「財産に対する一回限りの税」に変更されたのです。課税額は財産に応じて4.5%から50%でしたが、支払いは20年の繰り延べ払いで良いということになり、実際の課税率は年率0.225~2.5%になりました。ただ、実際には何年にも渡って徴税されたため、「一回限り」という表現は正しくありません。

一方、第一次世界大戦後のチェコスロバキアでも預金税が実施されました。私有財産に対して3から30%が課せられ、企業の資産に対しても3から20%の課税がされました。チェコスロバキア政府はこれらの課税に概ね成功しましたが、その理由は同国内に住むドイツ人は人種的マイノリティー・グループとなっており、課税に抵抗する政治力に欠けていたからだとアイケングリーンは解説します。また第一次世界大戦後はチェコスロバキアは他国の金融市場と隔絶されており、おカネを国外に持ち出すことが出来ませんでした。これもがっちり課税できたもう一つの理由だとされています。

これとは対照的にオーストリアでは預金税は成功しませんでした。1919年に当時財務大臣だったジョセフ・シュンペーターは預金税を提案しますが、誰に最も負担を強いるか?という議論が紛糾し、実現しませんでした。また課税を予期した裕福層の資本が、国外へ資本逃避を起こした事も、預金税を困難にしただけでなく、ハイパー・インフレを誘発する結果となりました。

ハンガリー、ドイツ、フランス、英国でも第一次大戦後、預金税の議論がありましたが、いずれも頓挫しています。

そのような数多い失敗例の中で、第二次世界大戦後に日本が行った預金封鎖は唯一、大きな成果を挙げました。

預金封鎖と実質的な預金税の徴収の第一の目的は太平洋戦争の遂行のために積み上がった日本政府の負債を帳消しにすることでした。

アイケングリーンによると日本政府の負債は1941年3月の310億円から1946年3月には2,020億円にも膨張しました。

預金封鎖による預金税の第二の目的は戦後の復興計画を遂行するための予算の捻出でした。戦後の経済の疲弊で税収が通常の半分以下に落ち込んでいたため、どうしても財産を没収する必要があったのです。

三番目の理由は所得格差の是正です。具体的には戦争の遂行の過程で富を蓄積した財閥に対して、「戦争は商売のネタではない」ということを思い知らせるため(=連合国総司令部メモより)預金税を課したわけです。

アイケングリーンは上記の三つの理由のうち、最後の理由が最も重要だとしています。

預金封鎖の段取りですが、1946年3月3日の時点で、10万円以上の資産を持っている世帯に10%、そこから累進的に最高で1,500万円以上の資産を持つ世帯には90%の税金が課せられました。

当時の日本の私有財産の約9%を没収するというこの預金封鎖の試みは、当初の概算額とほぼ同等の成果を挙げ、世界でも稀に見る成功例となりました。

アイケングリーンは日本の預金封鎖が成功した理由として:

1.戦後の特殊な時期に敢行されたこと
2.上位2~3%の裕福層が、実際にはターゲットにされたこと
3.大部分の庶民には、関係ない出来事だったこと
4.連合軍総司令部の指揮下にあったこと


などを挙げています。

このうち最後の点はとりわけ重要であり、アイケングリーンは「ノーマルな民主主義の状況下では裕福層が影響力を行使することで実現しなかっただろう」としています。

実際、預金封鎖の指示はエスキャップ(SCAP=Supreme Commander for the Allied Powers→つまりマッカーサー元帥のこと)から日本の内閣に発せられており、日本政府がかりにそれを拒否した場合でも、SCAPはどんなことがあっても富の偏在を粉砕する決意をもっていたとしています。



【参考にした文献】(*)The Capital Levy in Theory and Practice, Barry Eichengreen, University of California, Berkeley – Department of Economics; National Bureau of Economic Research(NBER); Center for Economic Policy Research (CEPR)

2013年3月7日木曜日

中学2年生勉強

英語
http://egao21.com/print/english/
http://www11.plala.or.jp/kaisyu/nekoeigo/junior2/index.html
http://english.005net.com/mondai.htm
http://www.geocities.jp/gyouseikowa/eigo/
http://choidebu.com/
http://www.e-juku1st.com/jituryokueigoindex.htm


竹岡広信の 英作文が面白いほど書ける本

英語Web学習サイト
http://www.nhk.or.jp/gogaku/ NHK
http://gogakuru.com/ ゴガクル
http://stepup.yahoo.co.jp/english/ Yahoo
http://www.japantimes.co.jp/shukan-st/ 英字新聞
http://english.chakin.com/ 海外英語学習サイト

2013年2月11日月曜日

べき乗 表示

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311649153

2013年1月29日火曜日

熟語リンク

http://holms727.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-92de.html

2012年8月14日火曜日