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2016年7月17日日曜日

効果があった・無駄だった「英語学習法」

社会人は、いつ、どのように学んでいるのか。アンケートをとったところ、「苦しいのは自分だけではない」と思わせてくれる結果がずらり。参考にしてほしい。

英語学習で最も重要なことは?

今回アンケートで、効果的な勉強法やムダだった勉強法について聞いた。さまざまな実体験が寄せられたが、ムダな勉強法として複数の人が挙げていたのが、「聞き流すだけの教材」(30代男性)だった。


(写真=PIXTA)
「リスニング力の習得には個人差があり、音だけで頭に入る人と、同時にスペルを見たほうが理解の深まる人がいます。前者なら聞くだけの教材も効果的ですが、たいていの大人は後者なので、聞くだけの教材では苦戦するでしょう」(TOEIC専門塾「英語屋」講師 古澤弘美氏)

前者の音に強い人でも、聞き流すだけではTOEICの点数アップにはつながりにくい。音をとらえることはできても、意味がわからないからだ。

「一語一語意識するには、聞いた内容を復唱するシャドーイングや、聞き取ったことを書きとるディクテーションが有効です。口や手を動かすことでリスニング力を効率的に高めることができます」

一方、勉強法として「ニュースはCNNを見ている」(30代女性)、「英字新聞を読んでいる。ビジネス英語の勉強になる」(40代男性)などの声も上がった。情報収集と英語学習を同時にできるのは、忙しいビジネスパーソンにとって魅力的だ。しかし、じつはそこに落とし穴が……。

「英語という道具がまだ磨かれていないのに、いきなり実用に使おうとすると、結局は使いこなせずに挫折します。英語ニュースは、800点台の力がないと厳しいでしょう。そもそも政治や国際情勢といった時事英語はTOEICに出ませんから、ニュースや新聞で勉強する際は注意が必要です」

同じことは、洋画や海外ドラマ、TEDのプレゼンテーションにもいえる。実用を兼ねてモチベーションを維持するにはいいが、TOEIC対策には向かない。「英語学習で重要なのは、愚直なまでの繰り返し」(古澤氏)。自分に合った教材を、いかに徹底的にやりこむか。その積み重ねが、点数アップにつながるのだ。

▼「学ぶ場・時間」BEST3

1位:電車内・車内 128人
コメント:通勤時を活用したいので、電車通勤できる場所に引っ越した(30代男性)/通勤時間中にリスニングをすると集中できる(30代男性)/公式問題集をコピーし、通勤電車内で読みまくった(30代女性)/通勤の往復3時間を勉強にあてている(30代男性)

2位:隙間時間 46人
コメント:子供の塾の待ち時間に問題集をやる(30代女性)/家族が風呂に入っている時間(40代男性)/昼休みにNHKラジオを聞いた後、e-learningを行う(50代女性)/トイレに問題集を置いた(50代男性)

3位:静かな場所 30人
コメント:家庭に勉強を持ちこまないようにするため、仕事帰りに図書館で勉強(30代女性)/ノイズキャンセリングヘッドホンで学習して、周囲の雑音に邪魔されないようにしている(50代男性)/耳栓をする(30代男性)

番外編:早朝出社で始業前に勉強(30代男性)/夕食後だと眠くなるので、帰宅後すぐ2時間勉強に切り替えた(50代男性)/夜は子供と一緒に21時台に寝て、朝4時に起きて勉強時間を確保している(30代女性)/自宅にいると誘惑が多いので、自分が集中できる場所(喫茶店や図書館など)で勉強するようになった(40代男性)

▼「学び方」BEST3

1位:リスニング学習 163人
コメント:iPodでCNNやBBCを聞いている(50代男性)/NHKラジオ講座を録音し、時間があるときに聞いている(40代男性)/単純作業の仕事のときには英語音声を聞く(50代男性)/海外の放送を視聴する。BGMを洋楽にする(30代男性)/TEX加藤氏の特急シリーズの無料ダウンロード(50代男性)

2位:周辺をすべて英語に 41人
コメント:携帯表示やナビ表示など、細かなところも英語表記に(40代女性)/家の壁や風呂にも英単語を張るなど、日常的に英語で考えたり読み書きする時間をつくる(30代女性)/自宅ではCNNテレビをつけっぱなし(50代男性)

3位:スマホ活用 23人
コメント:通勤時はスマホアプリで勉強(50代女性)/スマホでポッドキャストを聞けるようにした(30代女性)

3位:英会話学校 23人
コメント:skype英会話中、家族は別の部屋へ行ってくれる(50代男性)/TOEICを受けるときは先生に宣言し、恥ずかしいスコアを出さないよう追い込む(30代女性)

番外編:会社のデスクマットに英単語を書いた紙を入れ、仕事中にたまに見ている(30代女性)/意識の高い人と一緒にいるようにする(40代女性)/英語圏へのプライベートの旅行は、ツアーではなく個人旅行に。すべての局面を自分自身で切り抜けなくてはいけない状況をあえてつくる(50代男性)

【効果があった独自の勉強法】
●海外ドラマを吹き替え→字幕→そのままで3回見る(30代男性)
● 東京駅や新宿駅で迷っているような外国人旅行者を見つけたら積極的に声をかけ、電車の乗り方などを教えている(40代男性)
●3週間のセブ短期留学。朝から晩までひたすら英語を使う環境にいたことで、下手でも臆さずに話すようになった(30代男性)
●1日20個単語を覚えるよりも、毎日140個の単語を1週間継続して覚えるほうが定着しやすかった(40代男性)
●半身浴をしながら風呂でアプリで学習(30代男性)
●英英辞典拾い読み。英語のままでイメージできるようになった。訳さないようになりますね(50代男性)
●アプリのiKnow!は、ゲーム感覚でできて続けられた(30代女性)

【効果なし。無駄だった勉強法】
●日本語訳がすぐに見られるようなものはあまり効果がない。英語で考える癖をつけたいと思っているので(40代女性)
●英語のサークル活動。メンバーの発音が悪かった(30代女性)
●英語の小説。自分で訳した日本語が正しいのかどうかわからない(40代男性)
●アメリカ映画で学ぶ英語。略語やスラングが多く、ビジネスやフォーマルな場面ではあまり役立ちそうになかった(30代男性)
●聞き流すだけの教材。当時は英語の基礎ができていなかったため、1年使っても、ほとんど英語力の向上にはならなかった(30代男性)
●DSの英語学習ソフト。声を出すフェーズがあって、電車の中で勉強できない(50代男性)
●通信教育。期限にせかされて、習熟しない(30代男性)

TOEIC点数大幅UPに成功した「私の勉強法」

――VOAで超安上がり・勉強法
濱口達史さん●大手電機メーカー社員

大学院生だった2006年、米国に留学しようとしたら、TOEFLのCBTで250点、TOEIC換算で900点クリアが入学の条件でした。TOEICの無料模試サイトで腕試しをすると600点弱。しかも出願期限は1カ月後です。さらに学生でお金もなく、安上がりな勉強しかできません。

心がけたのは音読。発音できない英語は、頭に入らないからです。単語集は『TOEFLテスト英単語3800』に絞り、毎日100~200語を声に出して覚えました。同時に、前日覚えたのに忘れた単語もチェックし、復習しました。記憶が新しいうちに再度刷り込み、2~3日ですべて暗記できました。

リスニングでは、VOA(米国営放送局)の外国人向け英語放送「Special English」を活用しました。サイトから音源とスクリプト(台本)を無料でダウンロード。朗読を聞いた直後、台本を読みながら復唱するシャドーイングを繰り返しました。英語は日本語とは逆で、修飾語が関係代名詞の後に来ます。音読していると、そうした構文に頭が慣れ、読解の速度も上がります。

1カ月後のTOEFLの結果は257点。09年には実際のTOEICを受けて、935点をマークしました。

――好きな洋書の完全読破・勉強法
白石真由さん●高卒OL

私は高校を卒業した後、契約社員として事務の仕事に就きました。しかし、20歳を過ぎてからは、転職して正社員になることを考え始めました。すると英語力を求める求人が多く、TOEICに挑戦することにしたわけです。

まず、買ってきた問題集を開いたのですが、私には難しすぎて単語も文法もわかりません。1回目のテストの際には勘でシートをチェックしたこともあって、結果は340点前後でした。その後、CD付きの3行の英会話の本を丸暗記したり、NHKのラジオ英会話での英会話中心の勉強に切り替えて、500点台まで伸びました。そこでTOEIC単語集やリスニング問題集などでの勉強へ移行したものの、600点台で足踏み状態になってしまいます。

そして、TOEICの勉強に嫌気がさした私はテキスト類を片付けて、好きだったダニエル・スティールさんの恋愛小説や『ダ・ヴィンチ・コード』などの洋書を読み始めました。わからない単語があると、徹底的に調べました。

すると、1年後のテストで820点へ、最終的に840点まで伸びました。洋書の多読でリーディング力だけでなく、自然と正しい文法も身に付いていったのだと思います。

――シャドーイングで感覚アップ・勉強法
嬉野克也さん●コールセンター会社社員

2012年3月に905点、14年2月には970点のスコアを取ったのですが、英語の勉強を始めたのは36歳になってから。30歳を過ぎても英語は身に付くという記事を読み、「自分でもやってみよう」と思い立ったんです。

最初の2カ月間は猛勉強し、10年3月に受けたTOEICの得点は645点。オンライン英会話の「レアジョブ」も活用し、11年5月には890点までスコアが上がりました。ところが、900点の壁がなかなか越えられません。そこで、音読に取り組みました。目で「読む」、耳で「聞く」だけでなく、口で「話す」ようにもすれば、五感がよく使われ、英語が覚えやすくなるからです。

メーンの教材は『TOEIC公式問題集』と『新TOEICテスト990点攻略』。リスニングでは、聞いた音声を自分でも発声するシャドーイングを行い、英語の発音に対する感覚を研ぎ澄ませました。リーディングでは量をこなし、長文にひたすら慣れました。

また、わからない単語や文法はすぐに調べて苦手を克服していきました。ストップウオッチを片手に問題を解き、解答のスピードを上げる訓練もしました。すると、今まで全問に答えられなかったのが、答えられるようになったのです。


――難解発音フレーズ抜き書き・勉強法
大里秀介さん●サッポロビール 経営戦略部マネージャー

もともと英語は苦手で、1998年に新入社員研修で受けたTOEICのスコアは390点。でも、2006年に30歳になったとき、社内の海外研修制度に手を挙げたら、選考基準がTOEIC650点で、それを契機に勉強を始めました。

しかし、08年1月に825点を取ってからはスコアが伸び悩みました。そして、ネットで知り合ったTOEIC講師のアドバイスで、リスニングが不正確なのが要因と気づかされました。

ネーティブは話すスピードが速く、何といっているのか、日本人にはなかなか聴き取れません。そこで、文章とそれを朗読した音声を対照させて音読し、セットで覚えました。

また『TOEIC公式問題集』で、聴き取れない短文があるとノートに抜き書きして、何度も音読して覚えました。さらに、公式問題集から120の会話パターンを選んで音読し、丸暗記することで、リスニングでは満点も取れるようになりました。

一方、リーディングでは、『1日1分レッスン! 新TOEIC TEST千本ノック』にある全172問を10分で解けるようになるまで、何度も繰り返しました。その結果、11年6月に990点をマークできたのです。

2016年1月10日日曜日

灘中→麻布高校→東大”で、抱き続けた劣等感

“灘中→麻布高校→東大”で、抱き続けた劣等感
プレジデント 1月5日(火)8時45分配信

 “灘中→麻布高校→東大”で、抱き続けた劣等感
都司嘉宣・深田地質研究所客員研究員、元東京大学地震研究所准教授。東京大学工学部土木工学科卒。 東京大学大学院理学系研究科修士課程(地球物理学専攻)修了。
■「悔しいのですが、天才はほんとうにいる」

 「劣等感にずっとさいなまれてきたから、私しか持っていない力で勝負してやろうと生きてきました。私の力では、絶対に勝てない人たちはいます。悔しいのですが、天才はほんとうにいるのです」

 東京大学地震研究所の准教授だった都司嘉宣(つじ・よしのぶ)さん(68)が、自らのキャリアを振り返った。長年にわたり、津波や歴史地震学の権威として精力的な研究活動を続けてきた。2011年3月11日の大震災では、発生直後からNHKの番組などで津波についての解説をしたことでも知られる。

 12年3月に64歳で定年退官し、現在は、深田地質研究所(文京区)の客員研究員などを務める。東北大学の研究者らとともに調査をし、論文を精力的に書く。一方で、海外の研究者が来日すると、東北などの被災地を英語やロシア語を駆使して案内する。

 都司さんは甲子園球場の近くの小学校に通っている頃は、常に1番の成績だった。灘中(神戸市)に進学すると、1学年150人ほどのうち、130番前後になった。

 「はじめて強烈な劣等感を持ちました。私の学力ではかなわない生徒ばかりだったのです」

 中学2年から3年になるとき、父の仕事の関係で都内に転居し、麻布中(港区)に転校した。一学年270人で、成績は常時、50番以内になった。

 東大(理科一類)の受験では、得意の地学でほぼ満点だったという。

 「あの頃、東大の試験で地学を受ける人は少なかったのです。穴中の穴でした。数学の点数も高かったと思います。英語は、抜群にはよくなかったのかもしれませんね。英語には前々から、劣等感を抱いていたのです」

 1966年、現役で東京大学に入学する。3年からは、工学部の土木学科に進む。地球物理学科に進みたかったが、家庭の事情もあり、70年、土木学科を卒業した。その頃を「(土木学科は)自分が本来、いるところではないと思っていた」と振り返る。

 卒業後は念願だった、大学院の理学系研究科修士課程(地球物理学専攻)に進む。就職することは考えなかったという。

 「土木学科の学生の中には、その後、大手建設会社の社長になった者もいますが、うらやましいと感じたことはありません。企業で出世したいと思ったことがないのです。同窓会で彼らと会っても、話はあまり合いませんね。そもそも、東大卒ということで優越感を抱いたこともありません」

■力ずくの研究姿勢が認められ、東大助教授に

 大学院在学中は親元を離れ、3畳一間のアパートに住む。家庭教師のアルバイトを掛け持ちし、学費や生活費をねん出した。親の支援を受けなかった。

 「自分で選んだ道に進んでいるのですから、迷いも焦りもありませんでした。この頃は研究のこと以外、考えませんでした」

 1972年、24歳で修士課程を修了する。博士課程2年の25歳から、国立防災科学技術センターに研究員として勤務する。29歳で結婚した。相手の女性は都司さんの学歴を籍を入れるまで知らなかったようだ。

 「私も人をみるとき、学歴は一切、無視します。研究者の力を判断するときも、論文や学会などでの活躍だけに興味がわきます」

 センターで一緒に研究をする人たちの学歴を気にかけたこともないという。

 「ほかの研究者がどのような研究をしていて、どのくらいの深さまで掘り下げているか、といったことは意識していました」

 1982年、35歳のとき、博士号(東京大学)を取得する。この頃、東大の地震研究所の梶浦欣二郎教授(故人)から、定年退官で退職するから研究室を引き継いでほしいと話を受ける。

 都司さんは、梶浦教授から研究指導は受けたことがない。

 「天才・梶浦と呼ばれていたほどの研究者から誘われ、恐れ多いと思い、当初はお断りをしたのです。梶浦先生の研究室の名を汚してはいけないと思いました」

 梶浦教授は、都司さんの論文に早くから注目をしていたようだった。

 「私は安政東海地震(1854)の津波による被害などを調べて、論文を書いたのです。まず、地震が発生した地域の2500ほどの寺院の住職に手紙を送りました。自寺の過去帳に、この地震で死亡した、寺の檀家の人数が書かれてあったら教えてくださいという内容です。6割ほどの寺から回答をいただきました。その被害記録から、地震の震度や被害について書き上げたのです」

 都司さんは、梶浦教授は論文から何かを感じてくれたのではないかと語る。

 「汚れまくって、力ずくで書き上げた論文に感心をしてくださったようです。あれはすごい論文だ、と誉めていただきました。あのごつさが、よかったのかもしれません。天才は試みないでしょうから……。

 私には、常に劣等感があります。優秀な人の中でいかに生きていくべきかと考え続けると、アイデアは浮かんでくるものなのです」

■劣等感が私を突き動かした

 1984年、37歳のとき、東大地震研究所に助教授として勤務することになった。ほかの教授や助教授に劣等感を抱くことがしばしばあったという。

 「天才肌で、光り輝くタイプの研究者が多いのです。英語の力ではかなわないから、ロシア語を勉強し始めました。ロシアは、津波の研究が進んでいます。ロシア語で書かれた論文を読むことができると、得るものが大きいのです。今では、専門分野の論文ならほとんど辞書なしで、なんとか読めるようになりました」

 都司さんが繰り返す言葉が、「劣等感が私を突き動かした」だ。劣等感があると、自分が進んでいく方向もみえてくると話す。

 「特徴のあるもので、まだ、ほかの人が試みていないこと、さらに試みることができないであろうことに挑むようにしてきました」

 東大地震研究所で、講師や准教授を雇うとき、その研究者の学歴について話し合われることはなかったと語る。

 「東大卒か否かは、まったく関係ありません。地震研究所に勤務する40人ほどの准教授や教授のほぼ全員が、その研究者の名前を知っているくらいでないと、採用されることはまずありえないと思います。20~30代で書いた論文が学会で相当に高い評価を受けていないと、名前が知られることはないでしょうね」

 前提として、一定水準以上の英語力と論文を書く力が必要にはなるという。最近5年間で書いた論文や学会での活動を記載した書類を地震研究所に提出することを求めると、1回の募集で全国から平均20人ほどがエントリーする。

 「みんなが輝かしい才能の持ち主で天才肌なのですが、採用されるのは1~2人。研究者として生きていくのは、過酷なのです。

 私は、修士課程で教えていた弟子たちには、院を修了した後の進路は、民間企業にも目を向けるようにといい続けきました。大学の研究者以外の道に進むことを促がしてきたくらいです。

 弟子13人全員が大学、研究所、会社や気象庁、病院、高校などで立派に働き、家族を養っています。これが、私の自慢です。変わり種では、医師になった者もいます」

 教え子たちからカラオケで歌うようにリクエストされていたのが、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」と氣志團の「まぶだち」。

 「(石原)裕次郎とか、(北島)さぶちゃんの歌を歌いたいのですが、学生たちが歌わせてくれないのです。大学で津波を教えるのも、何かと大変です(笑)。私の場合は、劣等感にさいなまれてきたことが、実はよかったのかもしれませんね」

 都司さんは、高校を卒業していない人が受ける「高認」(高卒認定試験)の試験対策の問題集を「しまりすの親方」というペンネームで執筆している。「高認理数系学習室」(学びリンク)などの問題集だ。今では、"高認界のカリスマ"といわれている。今後は、高校を辞めたり、不登校などの人たちに教えたいのだという。

ジャーナリスト 吉田典史=文

2015年6月6日土曜日

韓国と日本の世界遺産登録

朴槿恵大統領はなぜ第三国での日本批判を繰り返すのか 日韓で食い違う「告げ口」理解

韓国の朴槿恵大統領が5月4日、安倍晋三首相が米上下両院合同会議で行った演説について「慰安婦被害者たちをはじめとする歴史問題に対する真の謝罪をして近隣諸国と信頼を強化できる機会を活かせなかったことは、米国でも多くの批判を受けている」と述べた。「米国で批判されている」と主張することで、安倍首相を批判したといえる。朴大統領は20日には、ユネスコのボコバ事務局長との会談で、戦時中に徴用された朝鮮人が働かされた施設を含む「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産として登録することに反対する考えを伝えた。

「韓国の安全保障にとって重要な日本」を理解しない韓国

 ボコバ氏との会談に関するニュースが流れてきた時、私は編集局内で「朴槿恵さんらしいよね」という声を聞いた。朴大統領が日本にケチをつけるのは珍しくない、という反応だ。驚きがないから、このニュースは翌日の新聞に小さくしか載らなかった。安倍首相の演説への反応にしろ、世界遺産にしろ、日本では「またか」という受け止め方が強いというのが、率直な評価だろう。

 ただ、日本でいわゆる「告げ口外交」と言われる言動について、韓国では一般に「告げ口」という意識が共有されていない。韓国では、朴大統領は「正しいことを正当に言っているだけ」であり、「告げ口」という評価は当たらないという感覚が強い。韓国人とこの話題を話すと、話がかみ合わないことが多いのだ。

 こうした認識の差は、韓国と日本の社会意識の違いからくるように思われる。韓国側の特徴として挙げることができるのは、やはり儒教の影響だろう。ただし、過去の事象にどれくらい適用すべきかは判断が分かれるとしても、基本的人権のような普遍的「正しさ」というものがあるという感覚は、欧米社会にも強い。さらに、世界遺産問題では日本側の主張にもかなり苦しい部分があるのだが、この点については後述しようと思う。

「正しさ」への強い確信
 朴大統領は安倍演説を批判した際、「このように日本が歴史を直視できず、自らの過去の問題に埋没していこうとしているといっても、それは私たちが解決してあげられない問題だ」と続けた。ずいぶんと「上から目線」に感じられる発言だ。朴大統領のキャラクターということもあるのだろうが、それだけではなく、自分たちの立場が絶対的に「正しい」という確信が背景にあると見るのが自然だろう。

 これは、儒教に基づく韓国社会の伝統的思考法に則ったものだ。韓国では、「正しさ=正義」が絶対視される。別の言い方をするならば、道徳性が非常に重視される。ただ、正義や道徳性の判断基準は自分たちが決めるので、その感覚を共有しない他者から見ると「正義の押しつけ」になってしまう。だから、日本とは「正しい歴史認識」を巡って衝突することになる。

 現代韓国研究の第一人者である慶応大の小此木政夫名誉教授は「近世までの朝鮮は経済的に豊かでなく、軍事的に強大でもなかった。中国の儒教文明の強い影響下にあったこともあり、『何が正しいか』という名分論で自分たちの正統性を主張するしかなかった。中国との関係では、力ではかなわないから、論理的な反論をする以外に方法がない。それが、『正しさ』を追及する伝統を生んだのではないか」と話す。

 1980年代までの強権的体制の下ではこうした意識が顕在化することはなかったが、民主化と冷戦終結によって重しが外れ、「伝統」の影響力が復活してきたと考えられる。こうした現象は、韓国に限らず、東欧などでも見られることだ。

強い序列意識が背景に
 韓国の社会意識に大きな影響を与えている儒教・朱子学は、序列意識の強いものだ。そして、序列上位のものには道徳性を強く求める「徳治」が強調される。この考えは、国際関係にも持ち込まれる。韓国が自らより序列上位にあると考える欧米先進国や国際機関に徳を求めて、韓国の正しさ=日本の不当性を訴えようとなるようだ。

 その裏には、強大国に力で対抗できない「小国」だと自らを規定する意識がある。周辺国の思惑と争いの中で、自らの運命を主体的に決められずにきた朝鮮半島の歴史を背景にしたものだ。

 だから、過去の侵略行為を否定し、慰安婦問題での日本の責任を否定する(と韓国が考える)安倍首相を、米国が歓迎するようなことは、あってはならないことだ。米国を訪れる外国首脳に対する最高のもてなしである、上下両院合同総会での演説の機会を安倍首相に提供し、過去への謝罪をしない安倍首相に拍手を送ることは言語道断ということになる。

 それなのに実際には、慰安婦問題や植民地支配について演説で明言しなかった安倍首相に、米国の議員たちは総立ちの拍手を送った。韓国の感覚からすれば、あってはならないことだ。韓国メディアが演説後、「韓国外交の敗北」などと大きく書き立てるほどのショックを受けた背景には、こうした感覚があるといえそうだ。

 日本と同じように、韓国にも「国連信仰」がある。世界遺産の問題でユネスコが「正しい」姿勢を見せることに期待する韓国の心理は、安倍演説への反応に通じるものだ。米国やユネスコに「正しい主張」を伝えることは、決して「告げ口」などとは評されないのである。

日本研究者の「声明」に安堵
 米国の著名な日本研究者ら187人が5月4日、慰安婦問題などで安倍首相に批判的な見解を示した「声明」を発表した。賛同者はその後、457人に増えている。

 声明は、慰安婦問題について「最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません」と指摘。戦後70年の今年は「日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会」だとして、安倍首相に適切な対応を取るよう求めた。

 韓国メディアが歓迎したのは当然だが、その背景には、やはり「国際社会が味方をしてくれた」という安堵感があるはずだ。

 研究者たちの声明は、慰安婦問題が「韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました」と中韓を批判する一方で、「強制連行」があったかどうかよりも「非人道的制度を取り巻く、より広い文脈」を重視すべきだと指摘している。普遍的な人権問題としてとらえる国際社会の潮流を反映しつつ、単純な日本批判に陥らないよう苦心した跡のうかがえる内容だ。

 残念ながら韓国メディアの多くは、自分たちの「正しさ」に合う部分だけに焦点を当てて報道し、中韓への苦言は無視したり、簡単に触れるにとどめていた。

 ただ、朝鮮日報が「日本に対する世界の著名な歴史学者たちの批判を、第三者によるものだから意味があるというならば、韓国に対する彼らの苦言も第三者によるものだから価値があると受け止めるのが成熟した姿勢だ」というコラムを掲載するなど、一部ではあるものの、正面から受け止めようとする姿勢も見られたことは留意すべきだろう。

日本相手だけではない「告げ口」
 実は、日本的な感覚で「告げ口」に見える行動は、日本を相手にした時だけ出てくるわけではない。修学旅行の高校生ら300人余りが犠牲になった昨年4月の「セウォル号」沈没事故の時も、朴槿恵政権に責任があると糾弾する活動が、約250万人の韓国系市民が住む米国で繰り広げられた。

 事故の約1カ月後には、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストに「真実に光を」と題する1ページ全面を使った意見広告が掲載された。ニューヨーク・タイムズには「なぜ韓国人は朴槿恵大統領に怒っているのか」、ワシントン・ポストには「朴槿恵大統領はセウォル号と共に韓国の民主主義を沈めようとしているのか」というサブタイトルがそれぞれ付いていた。

 ニューヨークなど、全米各地で朴大統領の退陣要求集会も行われた。左派系ネットメディア・オーマイニュースによると、マンハッタンでの集会には約150人が参加した。参加者たちは、英語と韓国語で「朴槿恵は出て行け」などと書かれた横断幕やプラカードを持って、「無能無責任な朴槿恵反民主独裁政権を糾弾する」と訴えたのだという。

 朴大統領と敵対する進歩派による「場外乱闘」だ。米国の世論が、韓国内の問題に対する抗議活動に大きな関心を寄せるとは考えづらい。抗議活動をしている人たちも、そんなことを本気で期待しているわけではないだろう。米国の世論に「正しさ」を訴えている姿をアピールすることが大事だという感覚があるようだ。

世界遺産問題は、 日韓の意思疎通不在を象徴
 「告げ口」外交という本筋からは外れるが、世界遺産問題と関連して一つ紹介しておきたい。「明治日本の産業革命遺産」の対象時期の問題だ。私が知る限り、本稿を書いている5月下旬時点で、このことにきちんと触れたのは5月22日付毎日新聞の社説だけである。

 冒頭で紹介した朴大統領の言及にある通り、韓国は、「産業革命遺産」には徴用された朝鮮人が働かされた施設が含まれていると反発している。日本側はこれに対して「対象となっているのは1850年代から1910年までであり、第二次世界大戦中の徴用とは時期が違う」と反論。菅義偉官房長官は「韓国の主張するような政治的主張を持ち込むべきではない」(5月22日の記者会見)と、韓国の反発を一蹴している。

 日本も、戦時中に朝鮮人徴用が行われたことを否定しているわけではない。争点といえば、世界遺産登録の申請に入っている時期ではなかったということになる。

 申請で対象とされた1850年代は、幕末という意味だ。それくらい、私にもすぐ分かった。だが、「1910年まで」というのは分からなかった。そのため政府の担当者に「1910年に何があったのか」と質問したところ、「ロンドンで開かれた日英博覧会に八幡製鉄所で作られた鉄が出品された」という答が返ってきた。日本が産業化に成功したことを西欧諸国に知らしめた記念の年ということらしい。

 世界遺産登録をめざすにあたって、日本の成功を西欧諸国に誇示できた年を区切りとすることは、遺産群にストーリー性を持たせ、訴求力を高める効果を期待できる。だから、申請に当たってそうした手法を取ることは当然であり、なんら批判されるべきことではない。負の歴史があったから世界遺産として保存すべきでないという主張も、正当なものとは思えない。

 ただ、1910年が、日本の産業化における画期的な年として従来から認められてきたのかと問われれば、かなり苦しいと言わざるをえない。

 象徴的な施設の一つとなっている長崎県の「軍艦島(端島)」で保存運動に取り組んできた関係者によると、世界遺産申請の話が出た当初から、関係者の間では朝鮮人徴用への反発が出るのではないかという懸念があった。そのため、軍艦島などは対象から外そうと検討されたこともあったという。この関係者は「この問題をクリアできるようにしたのが、1910年という区切りだった」と話した。

 石破茂・内閣府特命担当相は5月8日の記者会見*で、「ロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になった」と説明すると同時に、「この年は日韓併合の年ではないかという指摘も当然予想される」と話した。石破氏の発言にある通り、1910年というのは、韓国との関係においては感情的反発を呼びやすい年でもある。

 この問題では、日韓両国の専門家や外交官の多くが「昔だったら事前調整がきちんと行われ、大きな問題にはならなかったはず」と口をそろえる。当初からそうした懸念を持たれていたにもかかわらず、最終局面になるまで放置されていたということは、まさに近年の両国間における意思疎通の不在を象徴するものといえるだろう。

参考

石破内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成27年5月8日
(平成27年5月8日(金) 9:08~9:30  於:合同庁舎8号館1階S106会見室)

1.発言要旨

 おはようございます。冒頭、私から申し上げます。
 既に5月4日、私の談話においても述べたことの繰り返しになって恐縮でありますが、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」についてのイコモスの記載の勧告についてであります。
 我が国が誇るべき文化遺産である「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」が、専門的な諮問機関である国際記念物遺跡会議、いわゆるイコモスから世界遺産としてふさわしい旨の評価を受け、ユネスコ世界遺産委員会に対し登録の勧告がなされたことは大変喜ばしいことであると考えております。この勧告を受け、本年6月末から7月、具体的には6月28日から7月8日と承知をいたしておりますが、その間にドイツのボンで世界遺産委員会が開催されるわけであります。その日時は特定できませんが、その間に登録の可否が決定されるということになっておると承知をいたしておるわけでありまして、この世界遺産委員会におきまして、本件がイコモスの勧告どおりに世界遺産一覧表へ記載されるよう最善を尽くしてまいりたいと考えておる次第であります。談話と重複した部分が多くて恐縮です。
 以上です。
2.質疑応答

(問)冒頭、世界遺産の件についてお伺いしますが、今回のイコモスからの勧告について、韓国政府、韓国の国会から一部施設が戦時中に強制労働があったというのがあるとして、反対する考え、姿勢を示されていますけれども、日本政府としてどのように理解を求めていかれる考えなのか改めてお願いします。
(答)去る5月4日、韓国の国会、具体的には外交統一委員会でありますが、今御指摘のような決議が採択されたということは報道等により承知をしておるところであります。政府として今までも述べたことかもしれませんが、この本件遺産の対象は1850年代から1910年ということであります。したがいまして、先の大戦中の朝鮮半島の出身である方々の旧民間徴用工の問題とは対象とする年代、歴史的位置づけ、その背景が異なるというものであります。徴用工の問題というのは、戦時中の1940年代のお話でございます。この遺産はあくまで1850年代から1910年までの産業遺産としての顕著な普遍的な形に着目をして推薦をしたものでありまして、それを受ける形で様々な議論の末に、イコモスから本件を世界遺産に登録すべきという勧告が今般なされたものであります。
 世界遺産委員会におきましては、この勧告を尊重し、本推薦案件が技術的・専門的見地から審議され、勧告どおりに世界遺産登録が決定されるということを期待しているものでありますが、この点につきまして、韓国はもとより世界遺産委員会の委員国に対しまして十分な御説明をし理解を求めていくということが極めて肝要だというふうに考えております。
 なお、何で1910年なんだと、この年は日韓併合の年ではないのかというような御指摘も、当然予想されるところでありますが、この1910年というのはロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になったというふうに承知をいたしております。ですから、私どもとして、この私どもが推薦した理由、そして、言ってみれば、世界の遺産というのか宝物というのか、そういう価値というものを丁寧に誠実に、韓国のみならず世界中に御説明をするというような真摯かつ誠実な姿勢が最も肝要だというふうに私自身考えておるところです。
(問)今の関連ですけれども、今回この世界遺産に関して所管が文化庁ではなくて内閣官房になっているということもあって、韓国のこういった反応というのは前々からずっと予想はされていて、そのあたりの連携とかを含めて、韓国や各国へのケアというのは、これまで十分にとれてきたというふうにお考えでしょうか。
(答)十分かどうか、それは判断される方によって違うのだと思います。ただ、これは実際に稼働中のものも含んでおるということもあって、富岡製糸場などとは少し趣を異にするものでございます。内閣官房所管ということになっておるわけでありますが、当然、外務省を始めとして政府部内においてきちんとした意思の疎通を図りつつ連携をとりながら今日まで努力をしてきたものであります。今後とも政府部内で意思の疎通を図りながら、一致した認識のもとに連携を密にして、この6月から7月にかけて開かれる委員会に向けて更なる努力を真摯かつ誠実にしていくということに尽きると考えております。
(問)地方自治の観点から、マイナンバー制度を活用し、自治体と連携して郵便局が役立つことはありますでしょうか。
(答)このマイナンバーというものを使っていろいろな行政というものが更にきめ細かく丁寧に行われるようになる。そして、個人の方々の情報であるとかプライバシーの尊重ということは常に念頭に置きつつも行政の更なるきめ細かい対応、そしてまた国民の方々に対して不公正がないように、不平等がないようにきちんとした行政が納税者の立場あるいは国民の主権者としての立場に配意しつつ効果的に行われるということは重要なことだと思っております。郵便局との連携がどのようになされていくかということは、これから内閣府としても関係省庁あるいは日本郵政ともお話をしながら、このマイナンバー制度が企図いたしております目的の達成のために可能な限りの連携を図ることは当然だと思っております。
(問)所管外で申しわけないんですけれども、昨日、衆議院の憲法審査会が開かれまして、今日、各紙大きく書いていると思うんですけれども、結構意見の食い違いというかですね、鮮明になったんですけれども、緊急事態条項なんかを始めとするところから改憲すればいいじゃないかという自民党に対して、言葉として「お試し改憲」という言葉を使う民主党なんかがあって、こうした議論を大臣御自身がどう御覧になったかという点と、あと改憲の必要性自体は前から訴えられておられると思うんですけれども、改憲の手順について、大臣御自身が所感がありましたら伺えないかと思うんですが。
(答)これは、内閣の一員としてお答えすべきものではございません。内閣としてこの問題に対して、このように考えるということをお答えするというものでもございませんので、あくまで一衆議院議員としてお答えをするということでよろしいんでしょうか。
 これは長く私も二十数年この問題は議論をいたしてまいりました。そして、憲法改正草案の起草委員として、この条文作りにも携わってきたという立場にございます。憲法審査会においていろいろなお考えが披瀝をされ、そして議論が深まるということは当然事の重大性から考えて望ましいことだと承知をいたしております。
 その上で、これは党内であった議論ですが、憲法改正草案全体を対象物とするというのは、難しかろうねと。当然、改正条文は一つだけではない、前文から始まりまして膨大な改正条項を含んでおるわけで、Aという条項は賛成だが、Bという条項については反対だということは当然あるわけで、国会における3分の2の議決にしても、ましてや国民投票にしても、技術的に可能かどうかという議論はしたんですけど、そうすると、ものすごい長い紙になって、この条文のここの部分は賛成だ、反対だとか、そんなことは多分、技術的に絶対無理だとは言わないが、極めて難しいねというふうな議論はしたと思っております。
 さすれば、それを「お試し」と言うかどうかは別として、どの条文について国民投票に付するのか、その前の衆・参両院の総議員数の3分の2の議決に対象物として付するのかということは、党内でこういうふうな順番ということを決めたということはございません。また、これから先も国民投票法を成立したことも受けて、党内においてどういう条文を最初にやるんだろうねと。これも党内で意見が収れんしたわけではありません。例えば環境権のように、比較的国民の皆様方の多くの御理解を得やすいものからやってはどうかという意見もあれば、あるいは参議院の在り方、衆・参の在り方についてやったらどうかという意見もあれば、いろいろな意見がございます。まず政権与党たる私どもあるいは公明党の中で議論がなされ、野党は野党において議論がなされ、その後にどういうやり方でやるかということは収れんをしてくるものではないでしょうか。何を優先すべきで、何を劣後させるべきかということは私が申し上げることではございません。緊急事態条項あるいは実力組織たる自衛隊の位置付けというものは、占領下において制定された憲法というものをどのように考えるか、そしてサンフランシスコ条約の発効によって独立国たる地位を回復をした、その後の経緯をどう考えるか。そして自由民主党というものが、なぜ昭和30年に保守合同によって結党されたのか等々、そのような議論がまた党内で活発になされるということは重要なことだと思っております。
 国民の皆様方に、なぜ改憲をする必要があるのかということを本当に懇切丁寧に御説明をし理解を得るということが何にしても一番大事なことではないかなと。何かよくわからない答弁で恐縮ですが、そういうような形になろうと思います。
(問)隠岐諸島の視察の件で2点お聞かせいただきたいんですが、1点目が、現地でもお話を伺わせていただいたんですけれども、改めて視察の御感想をお聞かせいただきたいのと、現地で大臣からも非常に高い評価、いろいろ様々な取組に対して高い評価のコメントをいただいておりますけれども、それは離島という地理的な条件が大きく要因としてあるのか、これから地方創生を進めていく上で、隠岐諸島に離島だからこそできるのか、本土ではできないのか、そういう地理的な条件が地方創生において重要度を占めているのかについて所感をお聞かせいただければと思います。
(答)隠岐の島、なかんずく海士町の取組というものは、私自身、この大臣に就任する以前から非常に強い関心を持っておりました。日程の都合上なかなか海士町に行くことはできなくて、町長さんのお話、あるいは島前高校の改革に携わってこられた創生会議のメンバーであります奥田麻衣子さんのお話等々も何度も伺いながら行く機会を得なかったのですが、今回行くことができて、やはりこれは「やねだん」でもそうですし、中村ブレイスにしてもそうなんですけれど、実際に見てみるということはとても大事なことだと思っております。やはり世の中の評価を得ているというもの、これは本物だねという、いつも言う言葉を使えば、「驚きと感動」というんでしょうか、そういう印象を強く受けたということであります。
 離島だからどうなのかということについて申し上げれば、これは海士町長さんが書かれた『離島発 生き残るための10の戦略』という本があります。これ、ぜひ皆様方にも一回お読みいただきたい。さらさらっと読める本ですが、非常に中身の濃い本です。離島である、そこにおいて極めて財政が厳しい、そこに三位一体改革があったと。町長も書いておられますように、あれがなければ海士町の改革へ向けての取組というのはなかったかもしれないというふうに書いておられます。離島という厳しい条件、そして、そうであるがゆえに、公共事業に多くを頼ってきた海士町というものの在り方がギリギリまで来た段階で、もうこれしかないではないかというような、そういうような状況になったということは、別に離島だからというわけではありませんが、離島であるがゆえに公共事業に負う割合が他よりも高かったのかもしれません。
 そして、本にありますように、実際に公共事業に携わってこられた関係の方々から「改革をしなければだめだ」とおっしゃったと。「あなた、今まで公共事業というもので会社をやってきたんじゃないの」ということを町長は思ったそうですが、そこの建設関係の方がおっしゃるには、「今まで自分たちはその公共事業で多くの恩恵を受けてきた。しかし、これが続かないとするならば、これに代わるものを作っていくということは、今までそういう恩恵を受けてきた者の務めではないか」ということをその建設関係の方がおっしゃり、町長はそれに深い感銘を受けたということが本の中に書いてありますし、実際に行ってみてそうだなというふうに思いました。ですから、決していいことだとは思わないが、そういうような極限状態まで来たからこそその危機感から改革の推進力が生まれたということは、これは事実だろうというふうに思っております。
 じゃ、何でもかんでも極限に追い込めばいいかというと、そういうわけでは当然ないのであって、何と言うんでしょう、あそこの隠岐の島というかな、隠岐諸島の海士町の状況というのは、やがて将来の日本じゃないのかということです。そういうような「気づき」というのか、そういうものをどれだけ普遍的に広めていくのかということはやはり私どもの務めだろうというふうに思っております。
 そして、そういう所へ行ってみて、海士町の方々が明るい方々が多いなという感じを持ちました。疲弊したとか、もちろん辛いことも苦しいこともいっぱいある。だけども、ここで前向きに取り組んでいくと、そして地方創生の一つのモデルだと言うことはやめてくれと、まだ我々は途中段階にあるのだということでした。そのことについて、冒頭の御質問に戻れば、非常に強い感銘を受けたのであって、この問題は更に多くの人々が海士町を訪れ、いろいろ得た知見というものを広めていくことを報道関係の皆様方にもお願いしたいことでございます。
(問)話戻って恐縮なんですが、世界遺産のことでもう一点お伺いしたいんですけれども、イコモスの勧告では、いわゆる軍艦島を含めて幾つかの施設で保存の計画をしっかり立てるようにという勧告がなされていますけれども、例えば軍艦島を挙げても、保存には非常な費用がかかるということを長崎市のほうでも試算されていますが、国としてどのように保存に関わっていくのか、大臣、今からどのようにお考えになりますか。
(答)これは仮に世界遺産のリストに載ったと、載っても載らなくてもそれは大事なことなんですけれども、世界遺産のリストに載るということは、それが人類全体の、世界全体の貴重な資産であるというようなことになるわけでございます。そうすると、政府の中のどこが担当をするか、そしてまた、自治体との関係をどうするかという議論はもちろんあるんですけれども、日本国政府として、これを主体的に保存していく、あるいは先ほど御指摘もありましたが、観光客の方々の受け入れ態勢とかそういうものも含めて世界遺産にふさわしい対応がこれから先なされていくということの主体は、あくまで日本国政府であるべきだというふうに考えております。それが世界全体の遺産である、宝物である以上、それは金がかかるからどうのとか、そのようなものは政府が負担しないとかそういうようなことではなくて、あくまで自治体との話合いをきちんと踏まえた上で政府として主体的にやっていくべきものではないかなと現時点では考えております。