2017年3月19日日曜日

しかたがない」を英語で言うと? 英訳の超難問、その見事な答え

作家・片岡義男さんが「すごいねえ」と感嘆したアメリカの漫画家エイドリアン・トミネ。その絵を読み解いた前編(gendai.ismedia.jp/articles/-/51057)に続き、後編では作中に出てくる日本語の見事な英訳から、翻訳に必要な思考のめぐらせ方を考えます。 ----------

 「しかたがない」を英語で言うと? 英訳の超難問、その見事な答え 翻訳に必要な 写真:現代ビジネス 短編コミック「日本語から翻訳された」 エイドリアン・トミネの Killing and Dying には6編のストーリーが収録してある。どれもスタイルが異なっているから、さまざまなスタイルの試み、と理解すればいいのではないか。 4番目のストーリーは TRANSLATED, from the JAPANESE という題名だ。「日本語から翻訳された」という意味だ。

 この作品は17点のイラストレーションと、それぞれにともなった短い英語の文章で構成されている。最初の文章だけは日本語でも提示されている。  見開きの左のページに、日本語で言うところのミニ・ノートという小さなノートブックの、上から6行目から6行にわたって、日本語の文章が手書きしてある。黒いインクを使った、やや幼い雰囲気もあるが、真面目な字だ。

  I という一人称の語り手が、このストーリーの主人公だ。見開きの右ページには、TRANSLATED, from the JAPANESE という題名が2行で入れてある。  ストーリーの語り手である彼女は、アメリカの男性と結婚していて子供がひとりいる、日本の女性のようだ。夫はカリフォルニアに置いて、子供を連れてしばらく日本にいた彼女が、カリフォルニアに戻ることにした、と書くところから、このストーリーは始まっていく。

  彼女が書くこの文章は、何年かあと、子供に宛てて書いたものだ、という想定になっている。ストーリーが始まったときすでに、その始まりは何年かさかのぼる過去のことなのだ。   カリフォルニアへ戻る、という彼女の決定に、彼女の子供にとっての祖母や叔父、叔母たちは反対だった、と彼女は書く。祖母とは、彼女にとっては母親、そして叔父や叔母は彼女の兄弟や姉妹のことだろう。

 彼らの反対にさからってカリフォルニアへ戻るのだから、「お互いに気まずいまま別れました。でもそれは仕方のない事でした」と彼女は日本語で書く。  最初の一節だけがこうして日本語で、すでに書いたとおり、日本で売っている小さなノートブックに黒いインクで手書きしてある。次のページを開くと、この日本語が英語になっていて、その短い文章に最初のイラストレーションが添えてある。  雪景色のなかを成田エクスプレスが成田に向けて走っていく光景だ。画面のいちばん奥でスカイツリーがかすんでいる。

 「しかたがない」の見事な英訳
「でもそれは仕方のない事でした」という最後のセンテンスは、英語だと次のようになっている。  It was all very understandable.  しかたがない、という日本語の言いかたを、どのような英語にすれば意味が伝わるか、という議論は僕が子供だった頃からあった。ひと頃は盛んに議論された。英語ではこのように言えばいいのではないか、という実例があげてあることは、一度もなかったように思う。

  しかたがない、という日本語をめぐって、かつてなされた多くの議論の結論は、この日本語は英語にはならない、ということだったのではなかったか。  見事な翻訳がここにある。  翻訳された英語を日本語に訳してみると、しかたがない、という言いかたを英語にするにあたって必要とされる思考の経路が、あらわになる。英語からの可能なかぎり中立な翻訳を心がけるとして、次のようにもなる。 

「それらはすべてたいそう理解の出来ることでした」  日本語での言いかたを細かく砕いていくと、砕ききったところにあるのは、純粋な意味だけなのではないか。その意味を英語にすれば、それでいい。

  細かく砕いていく過程を、抽象化していく、というような言いかたで表現したことが、かつての僕にはあった。言いかたとしては抽象化でもいいかと思うが、しかたがない、というおおまかな言いかたを相手にするのではなく、意味を細かく砕ききると、意味の最小単位としての核心が、そこに見える。

 しかたがない、という言いかたは、どうにも出来ない、という言いかたに置き換えることが可能だ。  どうにも出来ないからには、それをそのまま受けとめるほかなく、受けとめるにあたっては、そのことに関する理解は充分にいきとどいている、という状態であるはずだ。よくわかる、という状態だ。

 このように順を追って考えていくと、しかたがない、という言いかたに託された気持ちは、しかしすべて理解は出来ている、という意味になる。
 しかたがない、と言わざるを得ない状況は、じつは、よく理解は出来ている、という状況なのだ。だからそれをそのまま英語にすると、It was all very understandable. となる。
 この言いかたは、英語としてきわめて中立的なものであり、したがっていっさいなんの無理もなく、すんなりときれいに意味は伝わる。  理解は出来ましたけれど、それ以上にはどうすることも出来ませんでした、という意味をきわめて下世話なひと言に置き換えると、しかたのないことでした、となる。

 こうして書いていていまふと思うのは、日本の英語教育の現場では、そこで教えているのは understand までであり、understandable は埒の外なのではないか、ということだ。その結果として、understandable に very がつき、It を主語にして文章が成立するなど、思いもよらない世界の出来事となるのではないか。 未来の息子への手紙  最後の1ページに描かれた都会の夜景にはおそらく深刻な意味が託されているのだろう。このような景色のなかの、どの細部に自分は帰属すればいいのか。帰属などが、ここでそもそも可能なのか。そんなことを思う自分とは、いったいなになのか。 

 ストーリーはまだ終わっていない。続いていく。どこへ、どのように、それは続くのか。まったくわからない。予測はなにひとつ成立しない。このような日々の底にあるものを、悲しみなどと呼んでいいものかどうか。

 「これを読むあなたは何歳になったのかしら。私が不在だったのはどのくらいの期間なの? と彼女は読み手に訊いている。なんらかの理由で彼女は不在を続け、そのあいだに子供は成長した。

 アメリカから最初に日本へいったときには、この子供は彼女が膝にかかえていればよかった。しかしカリフォルニアに戻るときには、ひとり分の座席料金を支払わなければいけないほどに、体は大きくなっていた。かなりの期間をふたりは日本で過ごしたのだろう。

「日本とはまったく違った未知の生活を私たちが始めたときのことを覚えてるかしら」とも彼女は書く。日本からカリフォルニアに戻ったときのことだ。表紙のイラストレーションとおなじものが、14番目のイラストレーションとして、ストーリーのなかに登場する。カリフォルニアに戻った母と幼い息子が、迎えに来てくれた夫(息子にとっては父親)と三人で、食事をしたデニーズだ。

「あなたはお腹を空かせていたのでフリーウェイの近くのダイナーに入り、あなたのお父さんはミルクと野球のボールのように作ったパンケーキを注文してくれました。あなたはそのすべてをむさぼるように食べました」と彼女は書いている。  「あなたの父親は、あなたがまるで宇宙から帰還した飛行士ででもあるかのように、好奇心をかりたてられていろいろ知りたがっていましたが、私には、文章を最後まで言い切るように、と言っただけでした」という文章もある。

 文章を最後まで言い切るように、とは英語で Complete sentences. と言う。日本の日常では、言っていることを最後まできちんと完結した文章にしろ、と夫から言われることは、ひょっとしたら一生に一度もない。 エイドリアン・トミネは1974年にカリフォルニアのサクラメントで生まれた人だ。彼の描く Optic Nerve のシリーズが1991年からだから、僕が彼の著作を最初に知ってから、すでに二十数年が経過している。その期間に僕が楽しんだのは、Sleepwalk and Other Stories 、Summer Blonde 、Shortcomings 、32 Stories 、Scrapbook 、そして Killing and Dying だ。 片岡 義男

2016年7月17日日曜日

効果があった・無駄だった「英語学習法」

社会人は、いつ、どのように学んでいるのか。アンケートをとったところ、「苦しいのは自分だけではない」と思わせてくれる結果がずらり。参考にしてほしい。

英語学習で最も重要なことは?

今回アンケートで、効果的な勉強法やムダだった勉強法について聞いた。さまざまな実体験が寄せられたが、ムダな勉強法として複数の人が挙げていたのが、「聞き流すだけの教材」(30代男性)だった。


(写真=PIXTA)
「リスニング力の習得には個人差があり、音だけで頭に入る人と、同時にスペルを見たほうが理解の深まる人がいます。前者なら聞くだけの教材も効果的ですが、たいていの大人は後者なので、聞くだけの教材では苦戦するでしょう」(TOEIC専門塾「英語屋」講師 古澤弘美氏)

前者の音に強い人でも、聞き流すだけではTOEICの点数アップにはつながりにくい。音をとらえることはできても、意味がわからないからだ。

「一語一語意識するには、聞いた内容を復唱するシャドーイングや、聞き取ったことを書きとるディクテーションが有効です。口や手を動かすことでリスニング力を効率的に高めることができます」

一方、勉強法として「ニュースはCNNを見ている」(30代女性)、「英字新聞を読んでいる。ビジネス英語の勉強になる」(40代男性)などの声も上がった。情報収集と英語学習を同時にできるのは、忙しいビジネスパーソンにとって魅力的だ。しかし、じつはそこに落とし穴が……。

「英語という道具がまだ磨かれていないのに、いきなり実用に使おうとすると、結局は使いこなせずに挫折します。英語ニュースは、800点台の力がないと厳しいでしょう。そもそも政治や国際情勢といった時事英語はTOEICに出ませんから、ニュースや新聞で勉強する際は注意が必要です」

同じことは、洋画や海外ドラマ、TEDのプレゼンテーションにもいえる。実用を兼ねてモチベーションを維持するにはいいが、TOEIC対策には向かない。「英語学習で重要なのは、愚直なまでの繰り返し」(古澤氏)。自分に合った教材を、いかに徹底的にやりこむか。その積み重ねが、点数アップにつながるのだ。

▼「学ぶ場・時間」BEST3

1位:電車内・車内 128人
コメント:通勤時を活用したいので、電車通勤できる場所に引っ越した(30代男性)/通勤時間中にリスニングをすると集中できる(30代男性)/公式問題集をコピーし、通勤電車内で読みまくった(30代女性)/通勤の往復3時間を勉強にあてている(30代男性)

2位:隙間時間 46人
コメント:子供の塾の待ち時間に問題集をやる(30代女性)/家族が風呂に入っている時間(40代男性)/昼休みにNHKラジオを聞いた後、e-learningを行う(50代女性)/トイレに問題集を置いた(50代男性)

3位:静かな場所 30人
コメント:家庭に勉強を持ちこまないようにするため、仕事帰りに図書館で勉強(30代女性)/ノイズキャンセリングヘッドホンで学習して、周囲の雑音に邪魔されないようにしている(50代男性)/耳栓をする(30代男性)

番外編:早朝出社で始業前に勉強(30代男性)/夕食後だと眠くなるので、帰宅後すぐ2時間勉強に切り替えた(50代男性)/夜は子供と一緒に21時台に寝て、朝4時に起きて勉強時間を確保している(30代女性)/自宅にいると誘惑が多いので、自分が集中できる場所(喫茶店や図書館など)で勉強するようになった(40代男性)

▼「学び方」BEST3

1位:リスニング学習 163人
コメント:iPodでCNNやBBCを聞いている(50代男性)/NHKラジオ講座を録音し、時間があるときに聞いている(40代男性)/単純作業の仕事のときには英語音声を聞く(50代男性)/海外の放送を視聴する。BGMを洋楽にする(30代男性)/TEX加藤氏の特急シリーズの無料ダウンロード(50代男性)

2位:周辺をすべて英語に 41人
コメント:携帯表示やナビ表示など、細かなところも英語表記に(40代女性)/家の壁や風呂にも英単語を張るなど、日常的に英語で考えたり読み書きする時間をつくる(30代女性)/自宅ではCNNテレビをつけっぱなし(50代男性)

3位:スマホ活用 23人
コメント:通勤時はスマホアプリで勉強(50代女性)/スマホでポッドキャストを聞けるようにした(30代女性)

3位:英会話学校 23人
コメント:skype英会話中、家族は別の部屋へ行ってくれる(50代男性)/TOEICを受けるときは先生に宣言し、恥ずかしいスコアを出さないよう追い込む(30代女性)

番外編:会社のデスクマットに英単語を書いた紙を入れ、仕事中にたまに見ている(30代女性)/意識の高い人と一緒にいるようにする(40代女性)/英語圏へのプライベートの旅行は、ツアーではなく個人旅行に。すべての局面を自分自身で切り抜けなくてはいけない状況をあえてつくる(50代男性)

【効果があった独自の勉強法】
●海外ドラマを吹き替え→字幕→そのままで3回見る(30代男性)
● 東京駅や新宿駅で迷っているような外国人旅行者を見つけたら積極的に声をかけ、電車の乗り方などを教えている(40代男性)
●3週間のセブ短期留学。朝から晩までひたすら英語を使う環境にいたことで、下手でも臆さずに話すようになった(30代男性)
●1日20個単語を覚えるよりも、毎日140個の単語を1週間継続して覚えるほうが定着しやすかった(40代男性)
●半身浴をしながら風呂でアプリで学習(30代男性)
●英英辞典拾い読み。英語のままでイメージできるようになった。訳さないようになりますね(50代男性)
●アプリのiKnow!は、ゲーム感覚でできて続けられた(30代女性)

【効果なし。無駄だった勉強法】
●日本語訳がすぐに見られるようなものはあまり効果がない。英語で考える癖をつけたいと思っているので(40代女性)
●英語のサークル活動。メンバーの発音が悪かった(30代女性)
●英語の小説。自分で訳した日本語が正しいのかどうかわからない(40代男性)
●アメリカ映画で学ぶ英語。略語やスラングが多く、ビジネスやフォーマルな場面ではあまり役立ちそうになかった(30代男性)
●聞き流すだけの教材。当時は英語の基礎ができていなかったため、1年使っても、ほとんど英語力の向上にはならなかった(30代男性)
●DSの英語学習ソフト。声を出すフェーズがあって、電車の中で勉強できない(50代男性)
●通信教育。期限にせかされて、習熟しない(30代男性)

TOEIC点数大幅UPに成功した「私の勉強法」

――VOAで超安上がり・勉強法
濱口達史さん●大手電機メーカー社員

大学院生だった2006年、米国に留学しようとしたら、TOEFLのCBTで250点、TOEIC換算で900点クリアが入学の条件でした。TOEICの無料模試サイトで腕試しをすると600点弱。しかも出願期限は1カ月後です。さらに学生でお金もなく、安上がりな勉強しかできません。

心がけたのは音読。発音できない英語は、頭に入らないからです。単語集は『TOEFLテスト英単語3800』に絞り、毎日100~200語を声に出して覚えました。同時に、前日覚えたのに忘れた単語もチェックし、復習しました。記憶が新しいうちに再度刷り込み、2~3日ですべて暗記できました。

リスニングでは、VOA(米国営放送局)の外国人向け英語放送「Special English」を活用しました。サイトから音源とスクリプト(台本)を無料でダウンロード。朗読を聞いた直後、台本を読みながら復唱するシャドーイングを繰り返しました。英語は日本語とは逆で、修飾語が関係代名詞の後に来ます。音読していると、そうした構文に頭が慣れ、読解の速度も上がります。

1カ月後のTOEFLの結果は257点。09年には実際のTOEICを受けて、935点をマークしました。

――好きな洋書の完全読破・勉強法
白石真由さん●高卒OL

私は高校を卒業した後、契約社員として事務の仕事に就きました。しかし、20歳を過ぎてからは、転職して正社員になることを考え始めました。すると英語力を求める求人が多く、TOEICに挑戦することにしたわけです。

まず、買ってきた問題集を開いたのですが、私には難しすぎて単語も文法もわかりません。1回目のテストの際には勘でシートをチェックしたこともあって、結果は340点前後でした。その後、CD付きの3行の英会話の本を丸暗記したり、NHKのラジオ英会話での英会話中心の勉強に切り替えて、500点台まで伸びました。そこでTOEIC単語集やリスニング問題集などでの勉強へ移行したものの、600点台で足踏み状態になってしまいます。

そして、TOEICの勉強に嫌気がさした私はテキスト類を片付けて、好きだったダニエル・スティールさんの恋愛小説や『ダ・ヴィンチ・コード』などの洋書を読み始めました。わからない単語があると、徹底的に調べました。

すると、1年後のテストで820点へ、最終的に840点まで伸びました。洋書の多読でリーディング力だけでなく、自然と正しい文法も身に付いていったのだと思います。

――シャドーイングで感覚アップ・勉強法
嬉野克也さん●コールセンター会社社員

2012年3月に905点、14年2月には970点のスコアを取ったのですが、英語の勉強を始めたのは36歳になってから。30歳を過ぎても英語は身に付くという記事を読み、「自分でもやってみよう」と思い立ったんです。

最初の2カ月間は猛勉強し、10年3月に受けたTOEICの得点は645点。オンライン英会話の「レアジョブ」も活用し、11年5月には890点までスコアが上がりました。ところが、900点の壁がなかなか越えられません。そこで、音読に取り組みました。目で「読む」、耳で「聞く」だけでなく、口で「話す」ようにもすれば、五感がよく使われ、英語が覚えやすくなるからです。

メーンの教材は『TOEIC公式問題集』と『新TOEICテスト990点攻略』。リスニングでは、聞いた音声を自分でも発声するシャドーイングを行い、英語の発音に対する感覚を研ぎ澄ませました。リーディングでは量をこなし、長文にひたすら慣れました。

また、わからない単語や文法はすぐに調べて苦手を克服していきました。ストップウオッチを片手に問題を解き、解答のスピードを上げる訓練もしました。すると、今まで全問に答えられなかったのが、答えられるようになったのです。


――難解発音フレーズ抜き書き・勉強法
大里秀介さん●サッポロビール 経営戦略部マネージャー

もともと英語は苦手で、1998年に新入社員研修で受けたTOEICのスコアは390点。でも、2006年に30歳になったとき、社内の海外研修制度に手を挙げたら、選考基準がTOEIC650点で、それを契機に勉強を始めました。

しかし、08年1月に825点を取ってからはスコアが伸び悩みました。そして、ネットで知り合ったTOEIC講師のアドバイスで、リスニングが不正確なのが要因と気づかされました。

ネーティブは話すスピードが速く、何といっているのか、日本人にはなかなか聴き取れません。そこで、文章とそれを朗読した音声を対照させて音読し、セットで覚えました。

また『TOEIC公式問題集』で、聴き取れない短文があるとノートに抜き書きして、何度も音読して覚えました。さらに、公式問題集から120の会話パターンを選んで音読し、丸暗記することで、リスニングでは満点も取れるようになりました。

一方、リーディングでは、『1日1分レッスン! 新TOEIC TEST千本ノック』にある全172問を10分で解けるようになるまで、何度も繰り返しました。その結果、11年6月に990点をマークできたのです。

2016年7月2日土曜日

池上彰氏の凄さと限界

池上氏関連のホッテントリがここ数日あがってたので、自分の思うところを書いてみる。
自分は一応、新卒で池上氏と同じ業界に就職(といっても、自分は紙媒体)し、記者という肩書をもらっていた経験がある。
7年ほど現場にいて、体壊して、ちょっと内勤の管理部門にいさせてもらったのだが、なんか、内側から会社を見ているうちにもともと、あんまり向いていなかったかな?と思っていた業界がさらに嫌になって転職して10年ちょっとになる。

普通、あの業界では、最初の何年か地方で修行して、いずれ東京や大阪に戻ってくるパターンが多いが、自分の就職先は、いわゆる経済紙で(ってもう社名明かしたようなもんだが)地方支局が貧弱な会社だった故、新卒が地方支局に行くという制度がなく、入社から退社まで東京で過ごした。


池上氏の凄さは、なんといっても、情報を取捨選択してわかりやすく伝えるプレゼン能力と、守備範囲の広さだと思う。
で、あれだけのことを伝えられるには、背後に相当の知識があるのであろうと思われている。
その「相当」がどの程度なのか、というと、たぶん、世間一般の人が想像するよりは、かなり浅くて、
けっこうぎりぎりのラインでしゃべっているのではないか、という気がする。それでももちろん、かなりのレベルではあるだろうが。
いわゆる大手のメディア企業の記者にまず最初に求められるのは、
「昨日聞きかじったばかりのことを、あたかも以前から詳しく知っているかのようにしゃべったり書いたりする能力」である。
なにしろ、日々、いろんなことが起こるのだ。
なかなか深堀している暇などない。
そうこうして、キャリアを積んでいくうちに、それぞれの専門分野ができていくわけだが、
大半の人は、きちっと専門分野を確立する前に、デスクや管理職になったりして、だんだんと現場から離れていく。
記者職としてキャリアを全うする人(編集委員とか論説委員とか解説委員とか)は少数派だ。

池上氏の経歴を見ると、NHKで地方局や通信部を回った後、東京の社会部で気象庁や文部省、宮内庁などを担当した、とある。
まあ社会部記者として一般的なコースという感じだ。
東京では、悪名高き日本の「記者クラブ」に所属し、最優遇される立場で、役人から懇切丁寧なレクを受けて、
それをニュース原稿に仕上げるのが、まず最初の基本的な仕事だったと推測する。
NHKの記者は特に、「特ダネ」を取ってくることよりも、「報道されるべき情報を落とさない」ことをなにより求められるらしいので、
多分、想像以上に、定例記者会見に出席したり、資料をチェックしたり、他社の報道を確認したり、
思いのほかルーティーンワークが多いのではないかと推測される。
(なお、NHKスペシャルなどのドキュメンタリー番組は、主にディレクター職の人が担当しているので、
一つのテーマを深くじっくり追いかけるのは、あまり記者の仕事ではないらしい。
実は自分もNスぺ作りたくてディレクターを第一志望にしてNHK受けたのだが、見事に落ちた)


で、そんなに知識が深くなくても記者が務まるのかといえば、そこそこ務まる。
自分は、そのさして長くない記者のキャリアの大半を、メーカーを中心とした企業の取材で過ごしたのだが、
正直、最初は、「貸方」「借方」もよくわかってなかった。(大学は政治学選考だったし)

それでも、入門書片手に勉強しながら記事書いて何とかなっていたし、
そもそも「大手メディアの記者」が企業の広報部を訪ねると、結構いろいろ懇切丁寧に教えてくれるのである。
そりゃ、変な記事書かれたくないからね。
多分、NHKの記者というのも、それなりの対応を受けるはずである。
もちろん、伝えてほしいことは積極的かつ懇切丁寧に伝え、触れられたくないことは隠しながら、だが。
中には、「たいてい経験の浅い若手が担当する企業」というのがあって、そういう会社の古参の広報さんの中には
「今、編集委員の何々さんねえ、あの人が新人のころ、私がいろいろ教えてあげたものだよ、わっはっは」なんて言ってたりした。
もし、あなたの会社の広報部に、なんだか大学出たての記者ばっかりくるようだったら、
それは、メディアから軽んじられている証拠である。

もちろん、教わってばっかりでは舐められるので、こっちも勉強していくわけだが、
何しろこちらは早いと一年で担当が変わってしまうが、
相手はその会社一筋なわけで、知識の深さでは、敵わないのが通常だ。
知識を深めるのは、そこそこにしておいて、知らなくてもはったりかませる胆力をつけたほうが役に立つ。
そうこうしているうちに、正面から取材を申し込んだり、正規の記者会見に出席したり、
ニュースリリースを原稿に仕立て上げているばっかりでは通り一遍の記事しか書けず、
社内的にもマイナス点はつかないものの、プラス点がつけられることもないので、
独自に夜討ち朝駆け(アポなしで取材対象のところに押しかける)したり、独自ルート作ったりし始めるのである。
そんなことをしているうちに、自分のような、結局途中で業界を去ってしまうような木っ端記者でも、
ごくごくたまには、取材担当企業の株価をストップ安にしちゃうような記事を書くチャンスが巡ってくることもある。

まあでも、ぶっちゃけいえば、そこそこキャリアを積んでいる先輩の中でも
減価償却費が資金繰りにどういう影響を与えるのかよくわかっていないまま、
それでも企業の経営危機について記事を書いているような人はざらにいた。
(まあ、自分も経験積みながらようやくわかるようになったクチで、
当初はなんのことやらわからなかったのだから、偉そうなことは言えないが)
それでも、首にはなりはしない。


そういえば、思い出したことがある。
今の若い人にほ想像もつかないだろうが、その昔、世界のエレクトロニクス業界をリードし、
今でいえばappleと同じくらいのブランド力で各種製品を生み出していたSONYという会社があった(今もある)。
当時はまだまだ、かつての威光が残っていた。
自分は、そこのメイン担当になるほどの能力もキャリアもなかったが、
たまたま、SONYの会社が取り組んでいる内容が、自分の取材テーマに関わっていたことがあって
取材を申し込んだことがある。
いわゆるストレートニュースではなくて、連載コラムのような記事を書くためである。
で、SONYに行ってみて驚いた。
美人広報さんが、それまでの取材で見たことないような、
膨大でかつ、非常にわかりやすくまとまった資料をお持ち帰り用に用意していたのである。
なんかもう、取材しなくても、この資料テキトーにまとめたら記事書けちゃいそうな。
もちろん、そんな手抜き仕事をして相手の思うツボにはまってはいかんので、
きちんと担当者さんに話を聞いて、自分なりの記事を書いてみたのだが、
やっぱり資料に引きずられなかったかといえば、影響はあったわけで、
まあ、恐ろしい会社であった。
かつて「メイド・イン・ジャパン」の強さの象徴として流布されたSONY伝説は、
もちろん実力の部分もあったけれど、伝説を伝説たらしめようという広報戦略によって
かさを増されていた側面も多かったというのは、そこそこ業界で有名な話である。
なんだか、大分、話がそれた。


多分、池上氏は、NHKでそこそこの社会部記者だったのだろうと思われる。
そんな彼の経歴の中で異彩を放っているのは、そろそろ管理職か専門記者か、という分岐点にさしかかったあたりで
キャスターに転身し、その後10年以上にわたって「週刊こどもニュース」を担当していたことだろう。
(すごい優秀な記者と認められていたら、ここいらで、海外支局あたりで経験つんでいるはずである)
そこそこの取材経験を積んだ後で、
「衆議院と参議院って、どう違うのですか?」とか「比例代表制ってなんですか?」とか、
「どうして輸出が中心の企業は、円高ドル安になると困るんですか?」とか
あらためて、そういうレベルからニュースを解説する仕事を10年以上も続けたジャーナリストは、
少なくとも今の日本では皆無に等しいんではなかろうか?


普通、そこそこキャリアを積んだ記者は、あらためてそんな仕事をしたがらないし、
そもそも、そんなレベルことは、真っ当な社会人ならば学校で習っているはず、というのが日本社会の建前で、
読者や視聴者を、そんなこともわからないヤツらと想定して記事や番組を作っていたら、
ある意味、「お客様をバカにしている」ことにもなりかねない(と、みんな考えていたのだろうと思う)。
まあ実際、そのレベルで作ってみたら、予想以上に受けたわけだが。

「こども向け」の番組というフォーマットを得ることで、池上氏はそういう稀有な仕事を追及していった。
その結果、得たのが、あのたぐいまれなるプレゼン能力だと思うのだ。
多分、池上氏程度の知識や取材能力をもった記者は、NHKや全国紙にはゴロゴロしていると思う。
(自分のかつての勤め先でも、そこそこキャリアがあって、東京でそれなりに仕事している先輩は、皆さんそれなりに凄かった)
でも、その知識や取材結果を子供にわかるレベルでよどみなくしゃべれる人は、そうはいない。

池上氏のニュース解説番組をたまに拝見すると、自然災害のメカニズムから、最新の科学上の発見、日本の選挙から世界経済まで
あらゆる森羅万象を斬っておられるようである。
だが、自分が見る限り、その解説は一般紙や新書本で得られる知見を超えるものはほとんど見ない。
「いや、それは、視聴者に分かりやすいレベルにしているからで、その背後には物凄い知識が・・・」という見方もあるが、
果たしてどうだろうか?
多分、毎日6紙読むという新聞をベースに、ひたすら横に広くいろいろな情報を取り入れておられるように見える。
海外取材などの映像を見ることもあるが、どうも、テレビ局とコーディネータによるセッティングが透けて見えてしょうがない。
多分、その経歴からいっても、海外取材に独自のルートなどはそんなにお持ちではなさそうだ。
やはり、「あまり深くないレベルで次々とあらゆる分野に取り組んでいく」ことがこの人の真骨頂だと思う。
それが悪い、ということではなくて、それがこなせる凄さがある、ということである。

著書を読んでも(といっても、ほんの数冊目を通しただけだが)、たとえば同じNHK出身の元ワシントン支局長の手島龍一氏とか、
あるいは日経の元スター記者で週刊ニュース新書の田勢康弘氏の著書のような、深い取材と鋭い洞察に支えられた
凄みのようなものは感じられない。
そのかわり、入門書としてのわかりやすさはピカイチだ。
やはり、この人の存在価値は「広く入門レベルの知識を提供する」以上でも以下でもないのだろうと思う。
(なお、今、軽く検索してみたらどうやらニュース英語の本まで出されているようだが、
膨大な著書のどこまでご自分で書かれているのだろうか?という疑問は置いておく。
出版業界では、驚くほど「著者が適当にしゃべったことを編集者やライターがまとめた本」というのが、世間で思われている以上に多い。
あと、池上氏が英語を話しているところって、あんまり見たことないような。
NHKの採用試験を突破するくらいだから、読むことに関しては、そこそこのレベルと推察できるが)



さらに、分かりやすさの理由の一つとして、「子供のような素朴な疑問にも正面から取り組む」というのがあるように思う。
巷間よくいわれる、選挙特番の「池上無双」の象徴ともいわれる「創価学会の話題」についても、
タブーへの果敢な挑戦というより、素朴な疑問を追求していった結果なのかもしれない。
「どうして自民党は公明党と組んでいるんですか?」という質問は、大人はあんまりしない。
それは何となくタブーであると感じているせいでもあるが、一方で「そりゃ、理由はみんな知っている」からである。
ましてや、「政治記者歴何十年」を売りにするような政治ジャーナリスト諸氏は、
そんなことよりも、自分の掴んできた独自情報を話したくて仕方なかろう。

だが、池上氏はそういう疑問をスルーしたりしない。
「それは、公明党には創価学会という支持母体があって、固定票が見込めるからですよ」と優しく語りかけるのだ。
で、「では、公明党と創価学会の本部がある信濃町に行ってみましょう!」と、女子アナを連れてツアーを組んだりする。
実際、やってみれば、放送しちゃいけないタブーというほどのこともない。
そりゃそうだ。
ある程度、日本の政治に関心を持っている人ならば、普通に知っていることなのだから。

公明党の側だって、連立与党として大臣まで出す立場になった以上、その程度の取材を拒否するはずもなく、
ちゃんと「公式な答え」だって用意している。

だから、池上氏が
「創価学会の人たちが、選挙は功徳だなんていう仏教用語を使っていたりしますが、政教分離の観点からみて
問題があると思われませんか?」と質問しても、
「創価学会は、大切な支持団体ではありますが、創価学会と公明党は全く別個の組織です。
政教分離というのは、政府が宗教活動を行ったり、宗教活動に介入したり、宗教団体が政治に介入することを禁じておりますが
宗教団体が政党を支持することを禁じるものではなく、現在の公明党と創価学会の関係は問題と思っておりませんが云々」
といった、きちっと理論武装した答えしか返ってこない。

「そうはおっしゃいますけれども、ここに創価学会の名誉会長が、公明党に指示した文書がありましてね・・・」
などと、爆弾情報でもぶっこんで来たら、それは多少「タブーに斬り込んだ」ことになるだろうが、
そこまでのことはしない。
多分、そこまでの取材もしていないと思う。そもそもが、そういう役割の人ではなくて、そこは、
政治を専門する別のジャーナリストの役割だろう。
池上氏はただ、意味ありげに
「はい、そうですか、よくわかりました」と視線を投げかけるという、
きわめてテレビのキャスター的な技術を見せるのみだ。

で、こう考えてみると、やはり池上氏の凄さでは
「子供にも分かるように語ること」「子供の持つような素朴な疑問をゆるがせにしないこと」
を常に追求し実践してきた所にあるように思われる。
これは、なかなかに難しい。
多分、そこには、「相手(子供)が、何がわかって何がわからないのか」を推察する想像力や共感力と
「限られた言葉で複雑なことを説明する」ことを可能にする、優れた言語能力が必要なのではないかと思っている。
ただし、限られた言葉で語りえることは、やはり、ある程度、限られているわけで、
その辺が、池上氏の限界ではないかと考えている。

2016年6月24日金曜日

2016年6月14日火曜日

伊勢志摩サミット秘話 各国首脳の移動にベンツが選ばれた理由とは…


産経新聞 6月14日(火)12時5分配信

 伊勢志摩サミット秘話 各国首脳の移動にベンツが選ばれた理由とは…
厳重な警戒の中、賢島に向かう英国のキャメロン首相を乗せた車列=5月25日午後、三重県志摩市(桐原正道撮影)(写真:産経新聞)
 首脳をはじめ各国の政府関係者やジャーナリストらが続々と来日した5月の「伊勢志摩サミット」。日本ブランドを世界にアピールするまたとない機会になったが、首脳らが現地を移動する際に使ったのは、トヨタ自動車などの国産車ではなく、独メルセデス・ベンツの高級車だった。ベンツが選ばれた理由とは…

 5月26日、三重県伊勢市。サミット最初の行事となった伊勢神宮訪問で、安倍晋三首相は内宮の入り口にかかる宇治橋のふもとに立ち、続々と車で乗り付けるG7首脳を出迎えた。

 ドイツはいうまでもなく、イギリスなら「ジャガー」「アストンマーティン」、フランスは「シトロエン」、イタリアは「マセラティ」と、G7各国は、そうそうたる自動車ブランドを自国に持つことで知られる。

 やはり、キャメロン英首相は映画「007」の主人公ジェームズ・ボンドと同じ「アストン」か-などと、記者も空想を膨らませて待っていたのだが、メルケル氏はもちろん、キャメロン氏もオランド仏大統領も、イタリアのレンツィ首相もベンツに乗って登場、期待は見事に裏切られた。

 唯一の例外が米国で、オバマ大統領だけ「キャデラック」の大型リムジンで現れた。

 米国は別にして、各国が自国車両を持ち込むのは難しいとしても、それなら日本のトヨタや日産自動車、ホンダでよかったのではとの思いが頭をよぎったが、そうではないらしい。

 ■マシンガンや地雷に対応

 サミット関係者によると、オバマ氏以外の首脳が乗っていたのはベンツの最上級モデル「Sクラス」の防弾車で、「S600 Guard」の名称を持つ。日本が議長国として用意し、伊勢志摩サミットのためにドイツから輸入されたという。

 国際会議などで首脳を乗せる車はテロや外部からの襲撃を想定し、防弾などで高い安全性能を確保していなくてはならない。

 S600 Guardは、見た目は通常のSクラスとほぼ同じだが、ドイツの「VR9」という最高レベルの安全基準をクリア。特殊鋼を使用した堅牢なボディー構造で、積層されたガラスもポリカーボネートでコーティングされており、マシンガンによる銃撃にも耐える。

 ジェームズ・ボンドの乗る“ボンドカー”さながらの装備で、車の底には特殊な外板が設置され、地雷など車両下の爆発物に対応。特殊タイヤは損傷しても30キロは走行でき、毒ガスや細菌攻撃を想定した換気システムもあるという。

 V12エンジンを搭載し、最高出力は530馬力で、最高速度は時速210キロを誇る。

 実は平成20年の北海道・洞爺湖サミットの際もベンツが輸入された。

 ■米大統領車は“野獣”

 一方、オバマ氏が乗っていたのは大統領専用車「キャデラック・ワン」。S600 Guardほどスピードは出ないが、「ビースト(野獣)」の名称で知られ、ロケット弾も耐える装甲を持つとされる。大統領がどちらに乗っているかわからないように絶えず2台で移動していた。

 対する日本だが、安倍首相は普段も使用しているトヨタの最高級モデル「レクサスLS」の特注車で移動した。詳しい性能は非公開であるものの、防弾車であるのは間違いない。

 また、各国首脳の随行員らもトヨタのロングセラーバン「ハイエース」を提供していた。

 サミット開催にあたり、議長国である日本政府は、各国首脳用にレクサスの防弾車を特注することも可能だったかもしれないが、価格なども考慮しつつ、海外の基準をクリアし、一定の量を効率的に用意できるベンツを選んだとみられる。

 実際、ベンツがS600 Guardだけでなく、スポーツ用多目的車(SUV)「Mクラス」の防弾車など多様なラインアップを用意し、世界各国の政府機関やVIPに販売を続けてきたのに対し、レクサスの防弾車は市販されていないからだ。

 日本は治安がいいからと言ったらそれまでだが、紛争地域やテロ対策などを考えれば、世界的には防弾車のニーズは少なくない。自動車メーカーにとっては性能や信頼性のアピールにもなり、独メーカーではベンツのほか、アウディやBMWも手がけているだけに、日本勢の出遅れが目立つ。

 ■自動運転も不発

 サミットでは、トヨタや日産、ホンダが自動運転車を披露し、日本の技術をアピールする機会も設けられた。ただ、カナダのトルドー首相らが試乗したのに対し、オバマ氏やメルケル氏らは欠席した。

 今回のサミットで、首相は中国の海洋進出に対する認識の共有や世界経済の成長に向けて各国が政策を総動員することなど、いくつかの成果を上げた。では、日本の自動車メーカーはといえば、「完勝」というわけにはいかなかったようだ。(田村龍彦)

2016年6月12日日曜日

超使える! 「スター・ウォーズの英語」5選

東洋経済オンライン 6月11日(土)11時0分配信

 超使える! 「スター・ウォーズの英語」5選
映画を見る前に『スタ-・ウォーズ』の英語を学べば、面白さががぜん増します! ※『CD付 スター・ウォーズの英語 [エピソード7/フォースの覚醒]』(KADOKAWA)より
昨年の冬についに放映され、世界的な反響を巻き起こした、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』。ついに日本でもDVD&Blu-rayが発売されましたが、『フォースの覚醒』を充分に楽しむためには、やはり英語のセリフを理解するのがいちばんです! 
もっと言えば、キャラクターのセリフを日常会話で使ってみることで、普通に勉強するよりも、はるかに効率よく身に付けることができます。
「『スター・ウォーズ』はSFだから、あまり使えないのでは?」と思ったあなた、それは誤解です!  前回の記事でもご紹介しましたが、本作では、日常生活で使える英語表現が非常に多く登場します。それでは、『CD付 スター・ウォーズの英語[エピソード7/フォースの覚醒]』で翻訳/英文解説を担当された、カリスマ英語講師の安河内哲也氏に、本書後半に登場する、日常会話でも使える英語の名言を紹介いただきます。もちろん今回も、最新の超美麗のアートワークも必見です! 
(※本記事は軽微なネタバレを含みます。まだ見ていない人は注意してください。)
■ スター・ウォーズと共に「英語マスター」を目指そう! 

みなさん、こんにちは!  安河内哲也です。前回の記事でもお話しましたが、私は『スター・ウォーズ』のファンで、本シリーズがきっかけで“英語に覚醒した”といっても過言ではありません。 みなさんもぜひ、『スター・ウォーズ』をきっかけに「英語マスター」を目指していただけたらと思います! 

最新作で復習する、スター・ウォーズの英語名言その①
・You’re part of this fight. We both are.

あなたは戦うんでしょ。私たち2人とも。―――――レイ

 帝国軍の残党であるファースト・オーダーを脱走したフィンは、レイと出会い、追っ手から逃れるためにミレニアム・ファルコン号に乗船していました。ところが、話の流れからレジスタンスの基地へと向かうことになり、ハン・ソロの友人、マズ・カナタの酒場に立ち寄ります。そこで彼は、自分はレジスタンスに加わるつもりはないと明言するのです。これは、そんなフィンに対してレイが言ったセリフです。

 part of ~ は、日常表現やビジネス英語でもよく使う表現で、「~の一員です」という意味。

 You are part of this project. We all are.

 (あなたはこのプロジェクトの一員です。私たちすべてがそうなのです)

 と言ったりできます。このシーンでは、「あなたはこの戦いの一部でしょ」という意味ですが、そこから「あなたは戦うんでしょ」と意訳してみました。

最新作で復習する、スター・ウォーズの英語名言その②
・Long story. A good one for later.

長い話になるわ。後にしたほうがいいわね。―――――マズ・カナタ

 マズ・カナタの城の地下室には、何とブルーのライトセーバーがありました。

 エピソード5では、ダース・ベイダーに手を切り落とされたルークの手にもブルーのライトセーバーが握られていたのを覚えているでしょうか?  これらは果たして同じものなのか。そしてなぜ、ライトセーバーが酒場の地下室にあるのか……。

 マズ・カナタがそれを説明しようとしても、簡単には説明できない背景があるらしく、「どこで手に入れたんだ?」というハン・ソロの問いに、彼女はこのセリフのように手短に答えるのみです。

 long story(話せば長くなる)、for later(後で) は、ともに日常生活でよく使う表現です。

 Why did you go to watch Star Wars without me? 

 (なんで、僕を置いて「スター・ウォーズ」を見に行ったんだ? )

 などという問いかけに、

 Long story. It’s for later.

  (話せば長くなるんだ。それは後にしよう)

 という具合に使うことができます。

最新作で復習する、スター・ウォーズの英語名言その③
・Come get it.

取り戻してみな。―――――フィン

 青色のライトセーバーは、元々、スカイウォーカー家の人間の手を渡り歩いてきた伝説の武器です。傭兵としての訓練を受けてきたためなのか、フィンはこのライトセーバーを意外なほど見事に使いこなします。それを見たカイロ・レンは、フィンに対して「その武器は私のものだ」と告げるのです。それに対し、フィンはこのセリフを発し、勇敢にもカイロ・レンと戦う姿勢を見せます。

 comeやgoという動詞は、その後に原形不定詞を付けることがあります。たとえば、You go get it. (それを取りに行って)やWould you come see it? (見に来てくれませんか? )。こうした言い方は、ネイティブの間で頻繁に用いられるます。

 皆さんも、このような会話で使ってみてください。

 Why don’t you come see my Star Wars collection? 

 (僕の「スター・ウォーズ」コレクションを見に来ない? )

最新作で復習する、スター・ウォーズの英語名言その④
・I can show you the ways of the Force.

オレがおまえにフォースの使い方を教えてやる。―――――カイロ・レン

 カイロ・レンは、スターキラー基地内でチューバッカに撃たれ、手負いの身です。とはいえ、訓練を受けてきたカイロ・レンは強敵で、フィンは敗れてしまいます。

 その後、ライトセーバーを持ったレイがカイロ・レンに立ち向かうのですが、その戦いの最中、苦戦するレイに対してカイロ・レンが放つセリフが、これです。

 show~は「~を見せる」とも訳されますが、ここでは「~を教える」という意味で使われています。the waysは「方法」ですが、日本語の「道」に近いニュアンスです。したがって、the ways of the Forceは「フォース道」と訳すことも可能です。

最新作で復習する、スター・ウォーズの英語名言その⑤
・May the Force be with you.

フォースと共にあらんことを。―――――レイア・オーガナ

 『スター・ウォーズ』ファンでこのセリフを知らない人はいないと思いますが、やはり今回も、最後を締める言葉はこれ以外には考えられません。may には祈願や祈りの意味が込められており、宇宙に流れるエネルギー、すなわち「フォース」が共にあることをお互いに願いつつ、相手へ贈る言葉として使われています。

 日常表現としては、

 May your dream come true! (あなたの夢がかないますように! )

 という表現で使えます。

 銀河をめぐる戦いの中であっても、飛び交う英語は日常会話でよく使えるものばかりなのです。皆さんも、ビデオや書籍で、改めて『スター・ウォーズ』の世界に触れてみてください。きっと、私と同じように「英語に覚醒」することができると思います! 

 それでは、May the Force be with you! 

 (写真:©&TM LUCASFILM LTD)

安河内 哲也

2016年6月3日金曜日

アヴェンジャーズ in IT world

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?page=1&qid=12158290662&sort=1

 「セキュリティエンジニアを将来の夢にしているのですが」――高校2年生がYahoo!知恵袋でこんな相談を投げかけたところ、大学教授やセキュリティ企業の中の人など、各界のスペシャリストたちが回答欄に次々降臨するという謎の盛り上がりを見せています。


画像
セキュリティエンジニアを将来の夢にしているのですが(Yahoo!知恵袋)

 投稿者は、セキュリティエンジニアになるためには専門学校と大学どちらへ進むのがかで悩んでいるもよう。セキュリティエンジニアは技術が重要で、学歴はそこまで気にしなくてよい、という意見を耳にしたことも迷いにつながっているようです。

 これに対し現在(4月20日22時時点)22件の回答が集まっているのですが、圧巻なのが回答者の顔ぶれ。HASHコンサルティング代表・徳丸浩さんを筆頭に、立命館大学情報理工学部の上原哲太郎教授、慶応大学大学院メディアデザイン研究科の砂原秀樹教授、他にもYahoo! JAPANの楠正憲さん、他にもセキュリティ企業・ラックの中の人(おそらく西本逸郎CTO)などなど、名だたる専門家たちが次々と降臨。高校2年生の質問に対し、セキュリティエンジニアに必要なものは何か、今すべきことは何なのかを真剣に答えてくれています。何だこの胸熱な展開は……!


画像
祭りの口火を切った徳丸さん(「業界のものです」という書き出しが奥ゆかしい)

 この知恵袋はたちまちネット上でも「本にして売れるレベル」「これぞ真の意味での知恵袋」「知恵袋史上最高の回答群」と話題に。あまりにも豪華な“夢の共演”ぶりから「セキュリティエンジニア界のアベンジャーズかと思った」「とりあえずアルマゲドンのテーマ曲流しますね」といった声もあがっています。

 まさしく「知恵袋」の名にふさわしい回答が集まった今回の質問。おれたちが普段見ている知恵袋は何だったのか……という気もしますが、たまにこういう奇跡が起こるのがインターネットのステキなところです。

2016年5月28日土曜日

Text of President Obama’s Speech in Hiroshima, Japan

The following is a transcript of President Obama’s speech in Hiroshima, Japan, as recorded by The New York Times.

Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.

Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in a not-so-distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans, a dozen Americans held prisoner.

Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.

It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors having learned to make blades from flint and spears from wood used these tools not just for hunting but against their own kind. On every continent, the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen. Peoples have been subjugated and liberated. And at each juncture, innocents have suffered, a countless toll, their names forgotten by time.

The world war that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth. And yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.

In the span of a few years, some 60 million people would die. Men, women, children, no different than us. Shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death. There are many sites around the world that chronicle this war, memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity.

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Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity’s core contradiction. How the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our toolmaking, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will — those very things also give us the capacity for unmatched destruction.

How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily we learn to justify violence in the name of some higher cause.

Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness, and yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith as a license to kill.

Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats. But those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different.

Science allows us to communicate across the seas and fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos, but those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.

The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.

That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see. We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war and the wars that came before and the wars that would follow.

Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.

Some day, the voices of the hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of Aug. 6, 1945, must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination. It allows us to change.

And since that fateful day, we have made choices that give us hope. The United States and Japan have forged not only an alliance but a friendship that has won far more for our people than we could ever claim through war. The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed people and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that work to avoid war and aspire to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.

Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations and the alliances that we form must possess the means to defend ourselves. But among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them.

We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe. We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles. We can stop the spread to new nations and secure deadly materials from fanatics.

And yet that is not enough. For we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale. We must change our mind-set about war itself. To prevent conflict through diplomacy and strive to end conflicts after they’ve begun. To see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition. To define our nations not by our capacity to destroy but by what we build. And perhaps, above all, we must reimagine our connection to one another as members of one human race.

For this, too, is what makes our species unique. We’re not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.

We see these stories in the hibakusha. The woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized that what she really hated was war itself. The man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.

My own nation’s story began with simple words: All men are created equal and endowed by our creator with certain unalienable rights including life, liberty and the pursuit of happiness. Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans. The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family — that is the story that we all must tell.

That is why we come to Hiroshima. So that we might think of people we love. The first smile from our children in the morning. The gentle touch from a spouse over the kitchen table. The comforting embrace of a parent. We can think of those things and know that those same precious moments took place here, 71 years ago.

Those who died, they are like us. Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it. When the choices made by nations, when the choices made by leaders, reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.

The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting, and then extending to every child. That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare but as the start of our own moral awakening.

2016年5月10日火曜日

博士論文、修士論文、卒論が読めます。

北海大リポジトリ
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/index.jsp


国内の機関リポジトリ一覧
http://www.nii.ac.jp/irp/info/list.html


東大リポジトリ
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/

2016年4月11日月曜日

世界史flash

europe
http://www.mapsofwar.com/ind/imperial-history.html

america
http://www.ugoky.com/chizu/n_america2000_ugoky.swf

asia
http://www.ugoky.com/chizu/ugoky_chizu.swf

領土問題マップ
http://metrocosm.com/disputed-territories-map.html

2016年1月20日水曜日

初公開! 首都圏鉄道「ノロノロ度」ランキング

東洋経済オンライン 1月19日(火)5時35分配信

 1月18日は大雪により首都圏の鉄道が大きく乱れた。いつもより会社に着くのが遅れたという人も多いだろう。ただ平常運転時でも、朝の通勤ラッシュ時は予定時刻よりも電車の到着が遅れることも少なくない。

初公開!首都圏ノロノロ運転ランキング

 国土交通省・交通政策審議会の「東京圏における今後の都市鉄道のあり方に関する小委員会」は、2016年度以降を対象とした首都圏の鉄道ネットワーク整備の基本方針となる新答申を検討している。JR東日本の羽田アクセス新線の行方をはじめ、さまざまな議論がこの委員会で行われている。

 16回目を迎えたこの小委員会が1月15日に開催され、鉄道輸送の現状に関する話し合いが行われた。今後の動向を決めるような方向性は打ち出されなかったものの、配布資料の中に興味深いデータがあった。

■ 最速達列車の評定速度で比較してみた

 「速達性の向上の現状と今後の取組のあり方について」と題された資料には、朝ピーク時における通勤列車の表定速度が路線ごとに記載されていた。表定速度とは、区間距離を所要時間で割って算出したもの。列車の実質的な運行速度を表す。

 平日昼間なら時速70~80キロメートルで走る通勤電車も、朝のラッシュアワー時は前に電車が詰まり、走っては止まりを繰り返す。乗客のイライラは募るばかり。表定速度を算出すれば、どの程度のノロノロ運転なのか、路線ごとの比較が可能になる。

 そこで、この資料に記載された首都圏の21路線について「最速達列車」の表定速度を比較してみた。最速達列車とは通勤快速、快速急行といった朝ピーク時において都心の終着駅に最も速く到達する列車を指す。

 ワーストは京王線(高幡不動⇒新宿)の時速32.6キロメートル。スクーター程度のスピードで走っていることになる。

 次いで、東急田園都市線(長津田⇒渋谷)の時速38.1キロメートル、東京メトロ東西線・東葉高速線(東葉勝田台⇒大手町)の時速39.2キロメートル、小田急小田原線(町田⇒新宿)の時速39.3キロメートル、東急東横線(横浜⇒渋谷)の時速40.3キロメートルと続く。

■ 北総線は昼間並みのスピード

 では、表定速度が速い路線はどこか。トップは北総線(千葉ニュータウン中央⇒京成高砂)の時速71.4キロメートル。ピーク時間帯の1時間当たりの運行本数が11本と少ないせいもあり、平日昼間並みのスピードで走ることが可能なのだ。

 次いで、JR京葉線(蘇我⇒東京)の時速66.7キロメートル、JR東海道線(戸塚⇒品川)の時速64.3キロメートル、JR横須賀線(戸塚⇒品川)の時速57.5キロメートル、JR東北線(大宮⇒上野)の時速57.3キロメートルと、JR東日本の路線がズラリと並ぶ。

 京葉線は通勤快速の途中停車駅が八丁堀と新木場の2駅しかないこと、東海道線や東北線は複々線のため運行本数に余裕があることが理由だ。

 各路線の表定速度が過去と比べて改善したのか、あるいは低下したのか。2015年と2000年を比較したデータも発表されている。

 最も低下したのはJR京葉線。2000年の時速80.6キロメートルから2015年には時速66.7キロメートルへ、13.9キロメートルも低下した。新木場駅に停車するようになったことや、直通運転を行う武蔵野線も含めた運行本数増などが理由として考えられる。

 つくばエクスプレスは10年間で時速63.6キロメートルから時速56.8キロメートルへ、6.8キロメートル遅くなった。快速が止まらない駅で利用者が増加したため、通勤快速を新設。その結果、途中停車駅が増えた。

 東西線・東葉高速線は表定速度が時速4.4キロメートル低下した。通過駅の利用客が増え、東葉快速を停車駅の多い通勤快速に変更したことが原因だ。京急本線は時速3.9キロメートル遅くなったが、こちらは運行本数の増加が理由となっている。

■ アクセス特急の新設が追い風

 反対に、表定速度が最も大きく向上した路線は北総線だ。時速59.5キロメートルから時速71.4キロメートルへ、11.9メートルもスピードアップした。成田スカイアクセス線の新設で停車駅数の少ない「アクセス特急」が新設されたことによる。

 西武池袋線は時速43.0キロメートルから時速53.5キロメートルへ、10.5キロメートルも速度が向上した。練馬―石神井公園間の高架複々線化が完了したことが理由である。同じく西武新宿線も時速6.5キロメートル、表定速度が向上した。こちらは停車駅数の少ない「通勤急行」が新設されたことによる。

 では、最もスピードの遅い京王線と最も速い北総線で、表定速度が倍以上も違うのがなぜか。最大の理由は運行本数の違いだ。京王線は朝ピーク時1時間に30本が走るのに対して、北総線は11本。大量の乗客を運ぶために運行本数を増やすと、速度を落とさざるをえない。

 京王、小田急、東急など東京西部を走る路線ほど、表定速度が遅い傾向がうかがえる。国土交通省は「東京圏西部方面については、他の方面と比較して、表定速度が低いことから、表定速度の向上に取り組むことが必要ではないか」と提案している。

■ どうすればスピードアップできる? 

 そのための対策としてまず考えられるのは、複々線化や退避線の設置だ。ただし、新たに線路を造るとなるとコストは莫大なものとなる。「国が鉄道会社に対して複々線化を迫ると『補助金を出せ』という話になりかねないので、国も強くは言えないのではないか」(関係者)との見方もある。

 JR東日本は近年、新型車両を導入し、車両の性能向上によるスピードアップを図っている。新たに線路を建設するよりは安上がりだろう。

 比較的コストがかからない対応策は、運行ダイヤの調整だ。西武新宿線のように、速達列車の停車駅を削減することでスピードアップした例もある。が、通過駅の大量の乗客をどうするか、という課題は残る。

 逆に、混雑を平準化するために速達列車の停車駅を増やした結果、表定速度が低下してしまった東急田園都市線のような例もある。混雑解消とスピードアップという矛盾した命題の解決に向けて、鉄道会社が知恵を絞る日々はまだまだ続きそうだ。

2016年1月10日日曜日

灘中→麻布高校→東大”で、抱き続けた劣等感

“灘中→麻布高校→東大”で、抱き続けた劣等感
プレジデント 1月5日(火)8時45分配信

 “灘中→麻布高校→東大”で、抱き続けた劣等感
都司嘉宣・深田地質研究所客員研究員、元東京大学地震研究所准教授。東京大学工学部土木工学科卒。 東京大学大学院理学系研究科修士課程(地球物理学専攻)修了。
■「悔しいのですが、天才はほんとうにいる」

 「劣等感にずっとさいなまれてきたから、私しか持っていない力で勝負してやろうと生きてきました。私の力では、絶対に勝てない人たちはいます。悔しいのですが、天才はほんとうにいるのです」

 東京大学地震研究所の准教授だった都司嘉宣(つじ・よしのぶ)さん(68)が、自らのキャリアを振り返った。長年にわたり、津波や歴史地震学の権威として精力的な研究活動を続けてきた。2011年3月11日の大震災では、発生直後からNHKの番組などで津波についての解説をしたことでも知られる。

 12年3月に64歳で定年退官し、現在は、深田地質研究所(文京区)の客員研究員などを務める。東北大学の研究者らとともに調査をし、論文を精力的に書く。一方で、海外の研究者が来日すると、東北などの被災地を英語やロシア語を駆使して案内する。

 都司さんは甲子園球場の近くの小学校に通っている頃は、常に1番の成績だった。灘中(神戸市)に進学すると、1学年150人ほどのうち、130番前後になった。

 「はじめて強烈な劣等感を持ちました。私の学力ではかなわない生徒ばかりだったのです」

 中学2年から3年になるとき、父の仕事の関係で都内に転居し、麻布中(港区)に転校した。一学年270人で、成績は常時、50番以内になった。

 東大(理科一類)の受験では、得意の地学でほぼ満点だったという。

 「あの頃、東大の試験で地学を受ける人は少なかったのです。穴中の穴でした。数学の点数も高かったと思います。英語は、抜群にはよくなかったのかもしれませんね。英語には前々から、劣等感を抱いていたのです」

 1966年、現役で東京大学に入学する。3年からは、工学部の土木学科に進む。地球物理学科に進みたかったが、家庭の事情もあり、70年、土木学科を卒業した。その頃を「(土木学科は)自分が本来、いるところではないと思っていた」と振り返る。

 卒業後は念願だった、大学院の理学系研究科修士課程(地球物理学専攻)に進む。就職することは考えなかったという。

 「土木学科の学生の中には、その後、大手建設会社の社長になった者もいますが、うらやましいと感じたことはありません。企業で出世したいと思ったことがないのです。同窓会で彼らと会っても、話はあまり合いませんね。そもそも、東大卒ということで優越感を抱いたこともありません」

■力ずくの研究姿勢が認められ、東大助教授に

 大学院在学中は親元を離れ、3畳一間のアパートに住む。家庭教師のアルバイトを掛け持ちし、学費や生活費をねん出した。親の支援を受けなかった。

 「自分で選んだ道に進んでいるのですから、迷いも焦りもありませんでした。この頃は研究のこと以外、考えませんでした」

 1972年、24歳で修士課程を修了する。博士課程2年の25歳から、国立防災科学技術センターに研究員として勤務する。29歳で結婚した。相手の女性は都司さんの学歴を籍を入れるまで知らなかったようだ。

 「私も人をみるとき、学歴は一切、無視します。研究者の力を判断するときも、論文や学会などでの活躍だけに興味がわきます」

 センターで一緒に研究をする人たちの学歴を気にかけたこともないという。

 「ほかの研究者がどのような研究をしていて、どのくらいの深さまで掘り下げているか、といったことは意識していました」

 1982年、35歳のとき、博士号(東京大学)を取得する。この頃、東大の地震研究所の梶浦欣二郎教授(故人)から、定年退官で退職するから研究室を引き継いでほしいと話を受ける。

 都司さんは、梶浦教授から研究指導は受けたことがない。

 「天才・梶浦と呼ばれていたほどの研究者から誘われ、恐れ多いと思い、当初はお断りをしたのです。梶浦先生の研究室の名を汚してはいけないと思いました」

 梶浦教授は、都司さんの論文に早くから注目をしていたようだった。

 「私は安政東海地震(1854)の津波による被害などを調べて、論文を書いたのです。まず、地震が発生した地域の2500ほどの寺院の住職に手紙を送りました。自寺の過去帳に、この地震で死亡した、寺の檀家の人数が書かれてあったら教えてくださいという内容です。6割ほどの寺から回答をいただきました。その被害記録から、地震の震度や被害について書き上げたのです」

 都司さんは、梶浦教授は論文から何かを感じてくれたのではないかと語る。

 「汚れまくって、力ずくで書き上げた論文に感心をしてくださったようです。あれはすごい論文だ、と誉めていただきました。あのごつさが、よかったのかもしれません。天才は試みないでしょうから……。

 私には、常に劣等感があります。優秀な人の中でいかに生きていくべきかと考え続けると、アイデアは浮かんでくるものなのです」

■劣等感が私を突き動かした

 1984年、37歳のとき、東大地震研究所に助教授として勤務することになった。ほかの教授や助教授に劣等感を抱くことがしばしばあったという。

 「天才肌で、光り輝くタイプの研究者が多いのです。英語の力ではかなわないから、ロシア語を勉強し始めました。ロシアは、津波の研究が進んでいます。ロシア語で書かれた論文を読むことができると、得るものが大きいのです。今では、専門分野の論文ならほとんど辞書なしで、なんとか読めるようになりました」

 都司さんが繰り返す言葉が、「劣等感が私を突き動かした」だ。劣等感があると、自分が進んでいく方向もみえてくると話す。

 「特徴のあるもので、まだ、ほかの人が試みていないこと、さらに試みることができないであろうことに挑むようにしてきました」

 東大地震研究所で、講師や准教授を雇うとき、その研究者の学歴について話し合われることはなかったと語る。

 「東大卒か否かは、まったく関係ありません。地震研究所に勤務する40人ほどの准教授や教授のほぼ全員が、その研究者の名前を知っているくらいでないと、採用されることはまずありえないと思います。20~30代で書いた論文が学会で相当に高い評価を受けていないと、名前が知られることはないでしょうね」

 前提として、一定水準以上の英語力と論文を書く力が必要にはなるという。最近5年間で書いた論文や学会での活動を記載した書類を地震研究所に提出することを求めると、1回の募集で全国から平均20人ほどがエントリーする。

 「みんなが輝かしい才能の持ち主で天才肌なのですが、採用されるのは1~2人。研究者として生きていくのは、過酷なのです。

 私は、修士課程で教えていた弟子たちには、院を修了した後の進路は、民間企業にも目を向けるようにといい続けきました。大学の研究者以外の道に進むことを促がしてきたくらいです。

 弟子13人全員が大学、研究所、会社や気象庁、病院、高校などで立派に働き、家族を養っています。これが、私の自慢です。変わり種では、医師になった者もいます」

 教え子たちからカラオケで歌うようにリクエストされていたのが、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」と氣志團の「まぶだち」。

 「(石原)裕次郎とか、(北島)さぶちゃんの歌を歌いたいのですが、学生たちが歌わせてくれないのです。大学で津波を教えるのも、何かと大変です(笑)。私の場合は、劣等感にさいなまれてきたことが、実はよかったのかもしれませんね」

 都司さんは、高校を卒業していない人が受ける「高認」(高卒認定試験)の試験対策の問題集を「しまりすの親方」というペンネームで執筆している。「高認理数系学習室」(学びリンク)などの問題集だ。今では、"高認界のカリスマ"といわれている。今後は、高校を辞めたり、不登校などの人たちに教えたいのだという。

ジャーナリスト 吉田典史=文

2015年7月25日土曜日

台風予報円はなぜ出来たか?(1)予報官達の苦労 「扇形表示」から「予報円表示」へ


饒村曜 | 気象予報士/青山学院大学・静岡大学非常勤講師

7月24日15時の台風12号の進路予報

台風12号が南西諸島に接近し、沖縄本島には明日早朝には予報円がかかって台風の中心が接近する可能性が高いことを示しています。いまでは予報円が当たり前のように使われていますが、この予報円を36年前に作ったのは私です。
気象庁では、予報円を作るなど本業である防災情報改善などのかたわら、ちょっとした知恵があれば被害が軽減できるのではと感じ、テレビ出演や取材対応、わかりやすい著作などを積み重ねてきましたが、今後、各種防災情報の成立過程やその効果的な利用法などを発してゆきたいと考えています。

何とか進行方向だけでも当てようとした戦後の台風予報

実は台風予報円が最初に使われたのは1982年6月の台風5号からです。戦後の日本は、大きな台風災害が相次ぎ、死者が4桁(1, 000名以上)の大惨事となるのが珍しくありませんでした。それを何とか減らせないかと予測の上でも様々な努力がなされてきました。
台風の扇形表示
台風の扇形表示
たとえば台風予報の扇形表示もその1つです。台風の24時間先予報において、気象庁では、台風の進行方向だけでも予報しようと、1981年までの約30年間、誤差幅をつけた「扇形表示(進行速度は難しいので一本の線上に表示)」を使っていました。第二次大戦後の相次ぐ台風災害の中で、予報精度が非常に悪くても、何とか進行方向だけでも正しい予報を出して防災に役立てようとする当時の予報官達の苦労の結晶が「扇形表示」です。
しかし、最初から大きな欠点を持っていました。それは、予報誤差には、進行方向と進行速度の2種類があるのですが、扇形表示ではその形から、進行方向の誤差が全くないかのような印象を与え、「台風はまだ来ないだろう」と人々に誤った判断をさせてしまったことです。
図1 台風の進路誤差を端的な数字で表す2つの方法
図1 台風の進路誤差を端的な数字で表す2つの方法

扇形表示から予報円表示へ

そこで考えられたのが、「予報円」を用いた表示方法です。台風の予報誤差には,進行方向と進行速度の2種類がありますが、多くの例で調査すると,両方の誤差がはぼ等しくモデル図(図1)の様に予報位置を中心とした分布となっています。精度の良い予報になればなるほど予報位置の回りに集中した分布となり、精度の悪い予報ほど周辺部にも広がっている分布となります。予報の精度を簡単に表すには,この予報位置のよわりにどれ位集中してくるかということを示せば良いのですが、これには2通りの方法があります。一つは一定の割合が含まれる円の大小で表わす方法(図1のA:ここでは70%が入る円の大きさ)で,もう一つは,予報位置の回りに一定の大きさの円を描き,この円内にどれくらいの予報が含まれているかで表わす方法(図1のB:ここでは150kmの円内に入る割合)です。
気象庁の発表する予報円表示の予報円は,表示の簡明さ、情報伝達のわかりやすさ等を考え合わせ、前者の方法、つまり、円の中に70%の予報が入るということで半径を決めた予報円を採用しています(採用当初は60%でしたが、すぐに70%に引き上げられました)。
このため、予報円の半径は、ほぼ台風の進路予報誤差の平均に対応しています。

台風12号の72時間予報(72時間後には暴風警戒域がなくなる)
では、第二次大戦後の相次ぐ台風災害の中で、予報精度が非常に悪くても、何とか進行方向だけでも正しい予報を出して防災に役立てようとする当時の予報官達の苦労の結晶が「扇形表示」で、扇形表示が最初から持っていた進行方向の誤差が全くないかのような印象を与えるという欠点を改善したのは「予報円表示」という説明をしました。
しかし、「予報円表示」は、すんなり世の中に受け入れられたわけではありません。台風予報の表示方式がそれまでの扇形表示から予報円表示に変わると、今度は台風の強さを表す表示がないため、予報円の大きな台風が強い台風であるとの誤解が生じてしまいました。このため、新たな改善が求められ、誕生したのが予報円と組み合わせた暴風警戒域です。

予報円と暴風警戒域の組み合わせ

図2 昭和60年8月30日9時の台風予報図
図2 昭和60年8月30日9時の台風予報図
1985年8月末に台風13号が九州に、台風14号が関東に接近したとき、マスコミ等で大きく取り上げられたのは、台風14号でした。しかし、実際に勢力が強く、大きな被害をもたらしたのは、台風13号でした。そのときの反省から、報道のしやすさも視野に入れ、「暴風警戒域(台風の中心が予報円内に進んだ場合に暴風域に入る可能性がある範囲)」という現在も用いられている台風進路予報の表示方法が考えられました。現在の暴風警戒域は、予報した時刻に暴風域に入る範囲を示す円ではなく、ある時刻に暴風域に入るすべての範囲を囲む線に変わっていますが基本は同じです。
予報技術としては同じであっても、表示の方法によって、利用者の受け取り方が大きく違います。図2は、1985年の台風13号と台風14号の24時間予報をもとに予報図を3種類で表したものです。「扇形表示」のAでは台風13号の中心が早ければどのあたりまでくるかはわかりませんが、「予報円表示」のBでは、早ければ有明海の入り口に台風中心がくることがわかります。
暴風域と暴風警戒域が表示されているCでは、Bで得られる情報に加え、台風13号は台風14号より勢力が強いこと、24時間後には有明海全体が暴風域に入っている可能性が高いということがわかります。

予報円はだんだん小さくなる

こうして台風予報円は少しずつ進化し、現在では5日先までの予報円が示されるまでになりました。
台風の進路予報は、自然要因の変動がありますが、予報技術の改善により確実に向上しています。台風の予報円表示が始まったのは24時間予報は昭和57年から、48時間予報は平成元年から、72時間予報は平成9年から、4日予報と5日予報は平成11年からですが、確実に向上しており(図3)、これに伴って予報円も小さくなっています。
図3 気象庁が発表した台風進路予報の平均誤差(気象庁HPより)
図3 気象庁が発表した台風進路予報の平均誤差(気象庁HPより)
予報円は小さくなり、昔に比べれば台風被害が少なくなっているといっても、残念ながら被害が発生しています。台風は南の海上からやってきますので、不意打ちはありません。台風情報を正しく理解することが、台風被害、特に台風の人的被害を0にする第一歩です。
出典:図2の出典:饒村曜(1993)、続・台風物語、日本気象協会。
饒村曜
気象予報士/青山学院大学・静岡大学非常勤講師
1951年新潟県生まれ。新潟大学理卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。現在は青山学院大学と静岡大学の非常勤講師で、減災コンサルタント。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

2015年7月24日金曜日

進路に困りましたか? その1

 「いまは経産省時代に培った法律や制度に関する知識を糧に、会社でコンサルタント業や再生可能エネルギー電源の開発をしています。元官僚という重々しい肩書を収入につなげるまで1年半くらいかかりました。1人で生きていくうえで大事なのは、誰にでもわかるようなシンボルをつなぎ合わせてストーリーにし、他人に理解してもらう『セルフブランディング』。例えば、国の制度を説明するにも、どこの馬の骨かわからない『ただの物知りの宇佐美典也』が説明するのと、『元経産官僚で現在は会社を経営し国と民間両方の立場がわかる宇佐美典也』が説明するのでは、説得力が違うでしょう。自分の経歴に対する世間のイメージと合った情報発信を繰り返すことで、少しずつ『元官僚で再生エネをやっている人』というストーリー・ブランドが浸透し、それが稼ぎにつながってきました。貧乏したこともありましたが、いまの収入は官僚時代よりも多くなりました」

 「セルフブランディングは、就活にも応用できます。例えばイベントサークルや広告研究会で活動していた学生が『コミュニケーション能力に自信があります』とアピールしたら面接担当者は『そうかもね』と思います。一方、数学理論を研究する学生が、コミュ力ありますと言っても、『?』でしょう。数学研究という自らのシンボルと、相手に伝えたいストーリーがずれているからです」

 ――最近は親がエントリーシートを書くと言われるほどたくさんの会社に応募する学生が多いそうです。主体的に企業選びをする上で、どのような情報収集が必要でしょうか。

 「目標のために人の力を借りることは悪いことではありません。けれども、借りるという範囲でおさめないと。外面を取り繕って内定とっても、いずれ外面ははがれ落ちます。自分にとって本当に必要な組織にめぐり合った上での内定じゃないと続かないでしょう」

 「就活している上で見落としがちなのは、OB訪問とか会社説明会とか、外の人から得られる情報は本音じゃないってことです。結局、他人です。いいことしか言いません。それよりも、自分の父親や親族などの人生を見るべきです。例えば父親は何十年も働いてきて、どういう人生をたどっているか。1回くらい飲みに行って仕事について語り合って、自らの職業観を描いてみる。過去にお世話になった人、例えば高校の恩師や部活のコーチ、仲間に会いに行って『自分ってどういう人間でしたか』と聞いてみるのも自己分析をする上で役立つでしょう。案外、灯台もと暗しなものです」

 「多くの学生は就活中、大企業しか見えていないでしょう。もちろん、新入社員を社会人としてある程度の規格生産品にしてくれる大企業の教育環境はありがたい。5年後、10年後の自分に、または会社の未来に確信が持てないなら大企業を目指せばいい」

 「高学歴な人ほど地縁や血縁からは離れたところで生活しがちです。一方、肩書を捨ててわかったことですが、結局、最後の最後に頼れるのは利害関係のない地縁や血縁、小中高や大学の友人です。その人たちは自分が気がつかなかった世界をけっこう知っていて、惜しげもなく協力してくれたりします。例えば、父親や親戚のおじさんに『いいと思う会社、伸びると思う会社を100社教えて』と頼んでみては。きっと目に入らなかったいい会社をいっぱい教えてくれると思いますよ」

     ◇

 うさみ・のりや 1981年、東京都生まれ、東大経済卒。経済産業省に入り、経済産業政策局、産業技術環境局で企業立地促進政策や技術関連法制を担当。その後、国立研究開発法人「新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)」に出向し、電気・IT分野のプロジェクトを立案。在職中、自身の「三十路の官僚のブログ」で給与明細や官僚の生態などをつづり話題に。

 2012年、経産省を退職。いまはエネルギー・不動産関連会社「Absolute Global Assets」取締役として再生可能エネルギー電源の開発・仲介取引、再生エネルギー分野の法務コンサルティング、省エネ商材の販売など手がける。

 著書に「30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと」(ダイヤモンド社)、「肩書き捨てたら地獄だった ―挫折した元官僚が教える『頼れない』時代の働き方」(中公新書ラクレ)

■記者のひとこと

 斜陽産業といわれる新聞業界に身を置く私にとって、年齢が一つしか変わらない宇佐美さんが、30歳そこそこで超がつくほどのエリートコースを降りたことを「なんてもったいないことを」と思っていた。一方、「どんな変わり者だろう」と興味があった。

 弁舌鋭いブログの書きぶりから、冷静沈着で理路整然といった姿を想像して取材に臨んだが、語り口は意外に穏やか。プライベートな話も赤裸々に語り、よく笑う人で肩の力が抜けた。仕事もいっしょ。思い込みを捨てて他人からの視線を気にしなければ、もっと楽しく生きていけるし、そんなの簡単なことだよ、と言われているような気がした。(佐々木洋輔)

2015年6月6日土曜日

韓国と日本の世界遺産登録

朴槿恵大統領はなぜ第三国での日本批判を繰り返すのか 日韓で食い違う「告げ口」理解

韓国の朴槿恵大統領が5月4日、安倍晋三首相が米上下両院合同会議で行った演説について「慰安婦被害者たちをはじめとする歴史問題に対する真の謝罪をして近隣諸国と信頼を強化できる機会を活かせなかったことは、米国でも多くの批判を受けている」と述べた。「米国で批判されている」と主張することで、安倍首相を批判したといえる。朴大統領は20日には、ユネスコのボコバ事務局長との会談で、戦時中に徴用された朝鮮人が働かされた施設を含む「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産として登録することに反対する考えを伝えた。

「韓国の安全保障にとって重要な日本」を理解しない韓国

 ボコバ氏との会談に関するニュースが流れてきた時、私は編集局内で「朴槿恵さんらしいよね」という声を聞いた。朴大統領が日本にケチをつけるのは珍しくない、という反応だ。驚きがないから、このニュースは翌日の新聞に小さくしか載らなかった。安倍首相の演説への反応にしろ、世界遺産にしろ、日本では「またか」という受け止め方が強いというのが、率直な評価だろう。

 ただ、日本でいわゆる「告げ口外交」と言われる言動について、韓国では一般に「告げ口」という意識が共有されていない。韓国では、朴大統領は「正しいことを正当に言っているだけ」であり、「告げ口」という評価は当たらないという感覚が強い。韓国人とこの話題を話すと、話がかみ合わないことが多いのだ。

 こうした認識の差は、韓国と日本の社会意識の違いからくるように思われる。韓国側の特徴として挙げることができるのは、やはり儒教の影響だろう。ただし、過去の事象にどれくらい適用すべきかは判断が分かれるとしても、基本的人権のような普遍的「正しさ」というものがあるという感覚は、欧米社会にも強い。さらに、世界遺産問題では日本側の主張にもかなり苦しい部分があるのだが、この点については後述しようと思う。

「正しさ」への強い確信
 朴大統領は安倍演説を批判した際、「このように日本が歴史を直視できず、自らの過去の問題に埋没していこうとしているといっても、それは私たちが解決してあげられない問題だ」と続けた。ずいぶんと「上から目線」に感じられる発言だ。朴大統領のキャラクターということもあるのだろうが、それだけではなく、自分たちの立場が絶対的に「正しい」という確信が背景にあると見るのが自然だろう。

 これは、儒教に基づく韓国社会の伝統的思考法に則ったものだ。韓国では、「正しさ=正義」が絶対視される。別の言い方をするならば、道徳性が非常に重視される。ただ、正義や道徳性の判断基準は自分たちが決めるので、その感覚を共有しない他者から見ると「正義の押しつけ」になってしまう。だから、日本とは「正しい歴史認識」を巡って衝突することになる。

 現代韓国研究の第一人者である慶応大の小此木政夫名誉教授は「近世までの朝鮮は経済的に豊かでなく、軍事的に強大でもなかった。中国の儒教文明の強い影響下にあったこともあり、『何が正しいか』という名分論で自分たちの正統性を主張するしかなかった。中国との関係では、力ではかなわないから、論理的な反論をする以外に方法がない。それが、『正しさ』を追及する伝統を生んだのではないか」と話す。

 1980年代までの強権的体制の下ではこうした意識が顕在化することはなかったが、民主化と冷戦終結によって重しが外れ、「伝統」の影響力が復活してきたと考えられる。こうした現象は、韓国に限らず、東欧などでも見られることだ。

強い序列意識が背景に
 韓国の社会意識に大きな影響を与えている儒教・朱子学は、序列意識の強いものだ。そして、序列上位のものには道徳性を強く求める「徳治」が強調される。この考えは、国際関係にも持ち込まれる。韓国が自らより序列上位にあると考える欧米先進国や国際機関に徳を求めて、韓国の正しさ=日本の不当性を訴えようとなるようだ。

 その裏には、強大国に力で対抗できない「小国」だと自らを規定する意識がある。周辺国の思惑と争いの中で、自らの運命を主体的に決められずにきた朝鮮半島の歴史を背景にしたものだ。

 だから、過去の侵略行為を否定し、慰安婦問題での日本の責任を否定する(と韓国が考える)安倍首相を、米国が歓迎するようなことは、あってはならないことだ。米国を訪れる外国首脳に対する最高のもてなしである、上下両院合同総会での演説の機会を安倍首相に提供し、過去への謝罪をしない安倍首相に拍手を送ることは言語道断ということになる。

 それなのに実際には、慰安婦問題や植民地支配について演説で明言しなかった安倍首相に、米国の議員たちは総立ちの拍手を送った。韓国の感覚からすれば、あってはならないことだ。韓国メディアが演説後、「韓国外交の敗北」などと大きく書き立てるほどのショックを受けた背景には、こうした感覚があるといえそうだ。

 日本と同じように、韓国にも「国連信仰」がある。世界遺産の問題でユネスコが「正しい」姿勢を見せることに期待する韓国の心理は、安倍演説への反応に通じるものだ。米国やユネスコに「正しい主張」を伝えることは、決して「告げ口」などとは評されないのである。

日本研究者の「声明」に安堵
 米国の著名な日本研究者ら187人が5月4日、慰安婦問題などで安倍首相に批判的な見解を示した「声明」を発表した。賛同者はその後、457人に増えている。

 声明は、慰安婦問題について「最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません」と指摘。戦後70年の今年は「日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会」だとして、安倍首相に適切な対応を取るよう求めた。

 韓国メディアが歓迎したのは当然だが、その背景には、やはり「国際社会が味方をしてくれた」という安堵感があるはずだ。

 研究者たちの声明は、慰安婦問題が「韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました」と中韓を批判する一方で、「強制連行」があったかどうかよりも「非人道的制度を取り巻く、より広い文脈」を重視すべきだと指摘している。普遍的な人権問題としてとらえる国際社会の潮流を反映しつつ、単純な日本批判に陥らないよう苦心した跡のうかがえる内容だ。

 残念ながら韓国メディアの多くは、自分たちの「正しさ」に合う部分だけに焦点を当てて報道し、中韓への苦言は無視したり、簡単に触れるにとどめていた。

 ただ、朝鮮日報が「日本に対する世界の著名な歴史学者たちの批判を、第三者によるものだから意味があるというならば、韓国に対する彼らの苦言も第三者によるものだから価値があると受け止めるのが成熟した姿勢だ」というコラムを掲載するなど、一部ではあるものの、正面から受け止めようとする姿勢も見られたことは留意すべきだろう。

日本相手だけではない「告げ口」
 実は、日本的な感覚で「告げ口」に見える行動は、日本を相手にした時だけ出てくるわけではない。修学旅行の高校生ら300人余りが犠牲になった昨年4月の「セウォル号」沈没事故の時も、朴槿恵政権に責任があると糾弾する活動が、約250万人の韓国系市民が住む米国で繰り広げられた。

 事故の約1カ月後には、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストに「真実に光を」と題する1ページ全面を使った意見広告が掲載された。ニューヨーク・タイムズには「なぜ韓国人は朴槿恵大統領に怒っているのか」、ワシントン・ポストには「朴槿恵大統領はセウォル号と共に韓国の民主主義を沈めようとしているのか」というサブタイトルがそれぞれ付いていた。

 ニューヨークなど、全米各地で朴大統領の退陣要求集会も行われた。左派系ネットメディア・オーマイニュースによると、マンハッタンでの集会には約150人が参加した。参加者たちは、英語と韓国語で「朴槿恵は出て行け」などと書かれた横断幕やプラカードを持って、「無能無責任な朴槿恵反民主独裁政権を糾弾する」と訴えたのだという。

 朴大統領と敵対する進歩派による「場外乱闘」だ。米国の世論が、韓国内の問題に対する抗議活動に大きな関心を寄せるとは考えづらい。抗議活動をしている人たちも、そんなことを本気で期待しているわけではないだろう。米国の世論に「正しさ」を訴えている姿をアピールすることが大事だという感覚があるようだ。

世界遺産問題は、 日韓の意思疎通不在を象徴
 「告げ口」外交という本筋からは外れるが、世界遺産問題と関連して一つ紹介しておきたい。「明治日本の産業革命遺産」の対象時期の問題だ。私が知る限り、本稿を書いている5月下旬時点で、このことにきちんと触れたのは5月22日付毎日新聞の社説だけである。

 冒頭で紹介した朴大統領の言及にある通り、韓国は、「産業革命遺産」には徴用された朝鮮人が働かされた施設が含まれていると反発している。日本側はこれに対して「対象となっているのは1850年代から1910年までであり、第二次世界大戦中の徴用とは時期が違う」と反論。菅義偉官房長官は「韓国の主張するような政治的主張を持ち込むべきではない」(5月22日の記者会見)と、韓国の反発を一蹴している。

 日本も、戦時中に朝鮮人徴用が行われたことを否定しているわけではない。争点といえば、世界遺産登録の申請に入っている時期ではなかったということになる。

 申請で対象とされた1850年代は、幕末という意味だ。それくらい、私にもすぐ分かった。だが、「1910年まで」というのは分からなかった。そのため政府の担当者に「1910年に何があったのか」と質問したところ、「ロンドンで開かれた日英博覧会に八幡製鉄所で作られた鉄が出品された」という答が返ってきた。日本が産業化に成功したことを西欧諸国に知らしめた記念の年ということらしい。

 世界遺産登録をめざすにあたって、日本の成功を西欧諸国に誇示できた年を区切りとすることは、遺産群にストーリー性を持たせ、訴求力を高める効果を期待できる。だから、申請に当たってそうした手法を取ることは当然であり、なんら批判されるべきことではない。負の歴史があったから世界遺産として保存すべきでないという主張も、正当なものとは思えない。

 ただ、1910年が、日本の産業化における画期的な年として従来から認められてきたのかと問われれば、かなり苦しいと言わざるをえない。

 象徴的な施設の一つとなっている長崎県の「軍艦島(端島)」で保存運動に取り組んできた関係者によると、世界遺産申請の話が出た当初から、関係者の間では朝鮮人徴用への反発が出るのではないかという懸念があった。そのため、軍艦島などは対象から外そうと検討されたこともあったという。この関係者は「この問題をクリアできるようにしたのが、1910年という区切りだった」と話した。

 石破茂・内閣府特命担当相は5月8日の記者会見*で、「ロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になった」と説明すると同時に、「この年は日韓併合の年ではないかという指摘も当然予想される」と話した。石破氏の発言にある通り、1910年というのは、韓国との関係においては感情的反発を呼びやすい年でもある。

 この問題では、日韓両国の専門家や外交官の多くが「昔だったら事前調整がきちんと行われ、大きな問題にはならなかったはず」と口をそろえる。当初からそうした懸念を持たれていたにもかかわらず、最終局面になるまで放置されていたということは、まさに近年の両国間における意思疎通の不在を象徴するものといえるだろう。

参考

石破内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成27年5月8日
(平成27年5月8日(金) 9:08~9:30  於:合同庁舎8号館1階S106会見室)

1.発言要旨

 おはようございます。冒頭、私から申し上げます。
 既に5月4日、私の談話においても述べたことの繰り返しになって恐縮でありますが、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」についてのイコモスの記載の勧告についてであります。
 我が国が誇るべき文化遺産である「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」が、専門的な諮問機関である国際記念物遺跡会議、いわゆるイコモスから世界遺産としてふさわしい旨の評価を受け、ユネスコ世界遺産委員会に対し登録の勧告がなされたことは大変喜ばしいことであると考えております。この勧告を受け、本年6月末から7月、具体的には6月28日から7月8日と承知をいたしておりますが、その間にドイツのボンで世界遺産委員会が開催されるわけであります。その日時は特定できませんが、その間に登録の可否が決定されるということになっておると承知をいたしておるわけでありまして、この世界遺産委員会におきまして、本件がイコモスの勧告どおりに世界遺産一覧表へ記載されるよう最善を尽くしてまいりたいと考えておる次第であります。談話と重複した部分が多くて恐縮です。
 以上です。
2.質疑応答

(問)冒頭、世界遺産の件についてお伺いしますが、今回のイコモスからの勧告について、韓国政府、韓国の国会から一部施設が戦時中に強制労働があったというのがあるとして、反対する考え、姿勢を示されていますけれども、日本政府としてどのように理解を求めていかれる考えなのか改めてお願いします。
(答)去る5月4日、韓国の国会、具体的には外交統一委員会でありますが、今御指摘のような決議が採択されたということは報道等により承知をしておるところであります。政府として今までも述べたことかもしれませんが、この本件遺産の対象は1850年代から1910年ということであります。したがいまして、先の大戦中の朝鮮半島の出身である方々の旧民間徴用工の問題とは対象とする年代、歴史的位置づけ、その背景が異なるというものであります。徴用工の問題というのは、戦時中の1940年代のお話でございます。この遺産はあくまで1850年代から1910年までの産業遺産としての顕著な普遍的な形に着目をして推薦をしたものでありまして、それを受ける形で様々な議論の末に、イコモスから本件を世界遺産に登録すべきという勧告が今般なされたものであります。
 世界遺産委員会におきましては、この勧告を尊重し、本推薦案件が技術的・専門的見地から審議され、勧告どおりに世界遺産登録が決定されるということを期待しているものでありますが、この点につきまして、韓国はもとより世界遺産委員会の委員国に対しまして十分な御説明をし理解を求めていくということが極めて肝要だというふうに考えております。
 なお、何で1910年なんだと、この年は日韓併合の年ではないのかというような御指摘も、当然予想されるところでありますが、この1910年というのはロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になったというふうに承知をいたしております。ですから、私どもとして、この私どもが推薦した理由、そして、言ってみれば、世界の遺産というのか宝物というのか、そういう価値というものを丁寧に誠実に、韓国のみならず世界中に御説明をするというような真摯かつ誠実な姿勢が最も肝要だというふうに私自身考えておるところです。
(問)今の関連ですけれども、今回この世界遺産に関して所管が文化庁ではなくて内閣官房になっているということもあって、韓国のこういった反応というのは前々からずっと予想はされていて、そのあたりの連携とかを含めて、韓国や各国へのケアというのは、これまで十分にとれてきたというふうにお考えでしょうか。
(答)十分かどうか、それは判断される方によって違うのだと思います。ただ、これは実際に稼働中のものも含んでおるということもあって、富岡製糸場などとは少し趣を異にするものでございます。内閣官房所管ということになっておるわけでありますが、当然、外務省を始めとして政府部内においてきちんとした意思の疎通を図りつつ連携をとりながら今日まで努力をしてきたものであります。今後とも政府部内で意思の疎通を図りながら、一致した認識のもとに連携を密にして、この6月から7月にかけて開かれる委員会に向けて更なる努力を真摯かつ誠実にしていくということに尽きると考えております。
(問)地方自治の観点から、マイナンバー制度を活用し、自治体と連携して郵便局が役立つことはありますでしょうか。
(答)このマイナンバーというものを使っていろいろな行政というものが更にきめ細かく丁寧に行われるようになる。そして、個人の方々の情報であるとかプライバシーの尊重ということは常に念頭に置きつつも行政の更なるきめ細かい対応、そしてまた国民の方々に対して不公正がないように、不平等がないようにきちんとした行政が納税者の立場あるいは国民の主権者としての立場に配意しつつ効果的に行われるということは重要なことだと思っております。郵便局との連携がどのようになされていくかということは、これから内閣府としても関係省庁あるいは日本郵政ともお話をしながら、このマイナンバー制度が企図いたしております目的の達成のために可能な限りの連携を図ることは当然だと思っております。
(問)所管外で申しわけないんですけれども、昨日、衆議院の憲法審査会が開かれまして、今日、各紙大きく書いていると思うんですけれども、結構意見の食い違いというかですね、鮮明になったんですけれども、緊急事態条項なんかを始めとするところから改憲すればいいじゃないかという自民党に対して、言葉として「お試し改憲」という言葉を使う民主党なんかがあって、こうした議論を大臣御自身がどう御覧になったかという点と、あと改憲の必要性自体は前から訴えられておられると思うんですけれども、改憲の手順について、大臣御自身が所感がありましたら伺えないかと思うんですが。
(答)これは、内閣の一員としてお答えすべきものではございません。内閣としてこの問題に対して、このように考えるということをお答えするというものでもございませんので、あくまで一衆議院議員としてお答えをするということでよろしいんでしょうか。
 これは長く私も二十数年この問題は議論をいたしてまいりました。そして、憲法改正草案の起草委員として、この条文作りにも携わってきたという立場にございます。憲法審査会においていろいろなお考えが披瀝をされ、そして議論が深まるということは当然事の重大性から考えて望ましいことだと承知をいたしております。
 その上で、これは党内であった議論ですが、憲法改正草案全体を対象物とするというのは、難しかろうねと。当然、改正条文は一つだけではない、前文から始まりまして膨大な改正条項を含んでおるわけで、Aという条項は賛成だが、Bという条項については反対だということは当然あるわけで、国会における3分の2の議決にしても、ましてや国民投票にしても、技術的に可能かどうかという議論はしたんですけど、そうすると、ものすごい長い紙になって、この条文のここの部分は賛成だ、反対だとか、そんなことは多分、技術的に絶対無理だとは言わないが、極めて難しいねというふうな議論はしたと思っております。
 さすれば、それを「お試し」と言うかどうかは別として、どの条文について国民投票に付するのか、その前の衆・参両院の総議員数の3分の2の議決に対象物として付するのかということは、党内でこういうふうな順番ということを決めたということはございません。また、これから先も国民投票法を成立したことも受けて、党内においてどういう条文を最初にやるんだろうねと。これも党内で意見が収れんしたわけではありません。例えば環境権のように、比較的国民の皆様方の多くの御理解を得やすいものからやってはどうかという意見もあれば、あるいは参議院の在り方、衆・参の在り方についてやったらどうかという意見もあれば、いろいろな意見がございます。まず政権与党たる私どもあるいは公明党の中で議論がなされ、野党は野党において議論がなされ、その後にどういうやり方でやるかということは収れんをしてくるものではないでしょうか。何を優先すべきで、何を劣後させるべきかということは私が申し上げることではございません。緊急事態条項あるいは実力組織たる自衛隊の位置付けというものは、占領下において制定された憲法というものをどのように考えるか、そしてサンフランシスコ条約の発効によって独立国たる地位を回復をした、その後の経緯をどう考えるか。そして自由民主党というものが、なぜ昭和30年に保守合同によって結党されたのか等々、そのような議論がまた党内で活発になされるということは重要なことだと思っております。
 国民の皆様方に、なぜ改憲をする必要があるのかということを本当に懇切丁寧に御説明をし理解を得るということが何にしても一番大事なことではないかなと。何かよくわからない答弁で恐縮ですが、そういうような形になろうと思います。
(問)隠岐諸島の視察の件で2点お聞かせいただきたいんですが、1点目が、現地でもお話を伺わせていただいたんですけれども、改めて視察の御感想をお聞かせいただきたいのと、現地で大臣からも非常に高い評価、いろいろ様々な取組に対して高い評価のコメントをいただいておりますけれども、それは離島という地理的な条件が大きく要因としてあるのか、これから地方創生を進めていく上で、隠岐諸島に離島だからこそできるのか、本土ではできないのか、そういう地理的な条件が地方創生において重要度を占めているのかについて所感をお聞かせいただければと思います。
(答)隠岐の島、なかんずく海士町の取組というものは、私自身、この大臣に就任する以前から非常に強い関心を持っておりました。日程の都合上なかなか海士町に行くことはできなくて、町長さんのお話、あるいは島前高校の改革に携わってこられた創生会議のメンバーであります奥田麻衣子さんのお話等々も何度も伺いながら行く機会を得なかったのですが、今回行くことができて、やはりこれは「やねだん」でもそうですし、中村ブレイスにしてもそうなんですけれど、実際に見てみるということはとても大事なことだと思っております。やはり世の中の評価を得ているというもの、これは本物だねという、いつも言う言葉を使えば、「驚きと感動」というんでしょうか、そういう印象を強く受けたということであります。
 離島だからどうなのかということについて申し上げれば、これは海士町長さんが書かれた『離島発 生き残るための10の戦略』という本があります。これ、ぜひ皆様方にも一回お読みいただきたい。さらさらっと読める本ですが、非常に中身の濃い本です。離島である、そこにおいて極めて財政が厳しい、そこに三位一体改革があったと。町長も書いておられますように、あれがなければ海士町の改革へ向けての取組というのはなかったかもしれないというふうに書いておられます。離島という厳しい条件、そして、そうであるがゆえに、公共事業に多くを頼ってきた海士町というものの在り方がギリギリまで来た段階で、もうこれしかないではないかというような、そういうような状況になったということは、別に離島だからというわけではありませんが、離島であるがゆえに公共事業に負う割合が他よりも高かったのかもしれません。
 そして、本にありますように、実際に公共事業に携わってこられた関係の方々から「改革をしなければだめだ」とおっしゃったと。「あなた、今まで公共事業というもので会社をやってきたんじゃないの」ということを町長は思ったそうですが、そこの建設関係の方がおっしゃるには、「今まで自分たちはその公共事業で多くの恩恵を受けてきた。しかし、これが続かないとするならば、これに代わるものを作っていくということは、今までそういう恩恵を受けてきた者の務めではないか」ということをその建設関係の方がおっしゃり、町長はそれに深い感銘を受けたということが本の中に書いてありますし、実際に行ってみてそうだなというふうに思いました。ですから、決していいことだとは思わないが、そういうような極限状態まで来たからこそその危機感から改革の推進力が生まれたということは、これは事実だろうというふうに思っております。
 じゃ、何でもかんでも極限に追い込めばいいかというと、そういうわけでは当然ないのであって、何と言うんでしょう、あそこの隠岐の島というかな、隠岐諸島の海士町の状況というのは、やがて将来の日本じゃないのかということです。そういうような「気づき」というのか、そういうものをどれだけ普遍的に広めていくのかということはやはり私どもの務めだろうというふうに思っております。
 そして、そういう所へ行ってみて、海士町の方々が明るい方々が多いなという感じを持ちました。疲弊したとか、もちろん辛いことも苦しいこともいっぱいある。だけども、ここで前向きに取り組んでいくと、そして地方創生の一つのモデルだと言うことはやめてくれと、まだ我々は途中段階にあるのだということでした。そのことについて、冒頭の御質問に戻れば、非常に強い感銘を受けたのであって、この問題は更に多くの人々が海士町を訪れ、いろいろ得た知見というものを広めていくことを報道関係の皆様方にもお願いしたいことでございます。
(問)話戻って恐縮なんですが、世界遺産のことでもう一点お伺いしたいんですけれども、イコモスの勧告では、いわゆる軍艦島を含めて幾つかの施設で保存の計画をしっかり立てるようにという勧告がなされていますけれども、例えば軍艦島を挙げても、保存には非常な費用がかかるということを長崎市のほうでも試算されていますが、国としてどのように保存に関わっていくのか、大臣、今からどのようにお考えになりますか。
(答)これは仮に世界遺産のリストに載ったと、載っても載らなくてもそれは大事なことなんですけれども、世界遺産のリストに載るということは、それが人類全体の、世界全体の貴重な資産であるというようなことになるわけでございます。そうすると、政府の中のどこが担当をするか、そしてまた、自治体との関係をどうするかという議論はもちろんあるんですけれども、日本国政府として、これを主体的に保存していく、あるいは先ほど御指摘もありましたが、観光客の方々の受け入れ態勢とかそういうものも含めて世界遺産にふさわしい対応がこれから先なされていくということの主体は、あくまで日本国政府であるべきだというふうに考えております。それが世界全体の遺産である、宝物である以上、それは金がかかるからどうのとか、そのようなものは政府が負担しないとかそういうようなことではなくて、あくまで自治体との話合いをきちんと踏まえた上で政府として主体的にやっていくべきものではないかなと現時点では考えております。